ただいま、東北。ただいま、羽生結弦…「思えば、羽生結弦がこうした活動をする必要はまったくない」それでも祈り続ける、共に、冷笑されても『notte stellata 2024』

日野百草 ファンしか知らない羽生結弦

目次

羽生結弦が被災の中で見上げた夜空に瞬くnotte stellata、満天の星々

 今年もまた「約束の地」に帰る。

 ほんとうに、たくさんの人が死んだ。

 ほんとうに、たくさんの人が悲しんだ。

 ほんとうに、たくさんの人の運命が変わった。

 3月11日のあの日、苦しみの中でも生きた、もしくは生きられなかった大勢の星々もまた「約束の地」に帰る。

 3月8日、宮城県セキスイハイムスーパーアリーナ『羽生結弦 notte stellata 2024』初日。羽生結弦が被災の中で見上げた、夜空に瞬くnotte stellata、満天の星々。今回もご縁をいただき、私もまた、その星のひとつとして向かう。

 東京駅からの東北新幹線、持ち物やアクセサリーから「羽生結弦と共にある人」とわかる人もちらほら。胸は高鳴るばかり。

 2時間ほどで仙台駅に到着。「羽生結弦と共にある人」の数はみるみる増えて、それらは一団をなし、やがて整然とシャトルバスの列に連なる。

羽生結弦と共にある人々の列には常に「矜持」が見える

 人が列をなすと人の本質が見える。その集団もまた本質を顕す、だから規律を重んじる組織や団体は訓練として列をなす。

 過度の強要や体罰は論外だが、たとえば私たちの学校時代、運動会の列や行進といったものにも意味がある。整列とは本来、心同じくする人と人との自主性に依るものだ。

 考え過ぎでもなんでもなく、羽生結弦と共にある人々の列には常に「矜持」が見える。それは羽生結弦の生き様(よう)と同質のそれだ。

 他と比べるでなく、羽生結弦と共にある人々の列は自然と美しく、それは神殿に歩む人々のようで、それでいてあたたかく、ほのぼのとしている。

 それにしても、みなが同じ場所に帰るというのは、いいものだ。なんだか羽生結弦という故郷ができたような、そんな気持ちになる。

 実際にこの地に帰ってきた人々、心で帰ってきた人々、すべてが羽生結弦という故郷に帰ってきた。

 なぜならそこは「約束の地」だから。

 羽生結弦との「約束」だから。

 羽生結弦は2022年のプロ転向(便宜上使う)後、どうしてもやりたいことがあった。それが『notte stellata』だった。

 東北を中心に2万2,318名の死者・行方不明者(消防庁・2023年)となった東日本大震災、羽生結弦自身も被災したこの災禍は10年以上の刻を経て、人々の記憶から忘れ去られようとしていた。

 冬季五輪連覇、スーパースラム達成という栄光と葛藤の日々にあっても、羽生結弦の心はただひたすらにそうした想いと「祈り」を忘れなかった。

 それはある意味「約束」だった。東北の地、そしてセキスイスーパーアリーナは「約束の地」である。私たち羽生結弦と共にある人々もまた、その「約束」を共有している。

思えば、羽生結弦がこうした活動をする必要はまったくないのだ

 思えば、羽生結弦がこうした活動をする必要はまったくないのだ。していない人をあげつらうつもりはまったくなく、ただ事実として書くが、多くのアスリートがこうした利他の精神で愚直なまでに思いやりとそれを実行に移すこと、まして身を切ってまで。そうした例は多くないように思う。

 それは仕方のない話で、アスリートだって自分の人生や生活がある。多くは金銭面の不安もある。羽生結弦もいまだからこその話で、震災直後は高校生、すでに天才的かつ将来を嘱望される存在ではあったが、厳しく残酷な氷の世界、どうなるかはわからない身だったことは確かだ。

 それでも自伝の印税は全額寄付、チャリティには率先して駆けつけた。それを偽善だの、自己陶酔だの、ええかっこしいだのと冷笑する人はあったが、そうした心ない悪意と対峙し、自分自身とも葛藤した末に羽生結弦は「羽生結弦という存在」となった。

 そうして羽生結弦は「祈り」と「希望」を見出した。

 羽生結弦も語るように、この心境に至るには大変な自己との闘いがあったように思う。いまも自問自答を続けている部分もあるだろう。それは『GIFT』における言葉の数々にも顕れている。

 祈りと希望、それを軽々しく口にするには、あまりに人が死にすぎた。あまりに悲しく、理不尽なことが多すぎた。それでも、羽生結弦は決して軽々しくない口を以て、その祈り、そして希望を語る勇気に至った。彼の大好きな氷上で、フィギュアスケートで、エッジの声で、この「約束の地」で。

「僕も毎年、ほぼ毎日のように3月11日っていう日を思い出しています」

 ここで2023年の『notte stellata』から。大切なことだから、羽生結弦の言葉をもう一度引く。

「羽生結弦っていう存在として、今まで生きてきて、僕はスケートをやることによって世界を救えるとは思えないですし、スケートで何か世界が変わるって、そんな大それたことはないと思います。ただ、僕はこうやってこの12年間を生きて、一番つらかったであろうこの場所にリンクを張って、こうやって皆さんに希望を届けることができて幸せと同時に、こんな小ちゃな体ですけど色んなことを背負って、毎日毎日スケートのためだけに日々を過ごしたいと思っています。この愛おしい、愛おしい12年間をまた、今日からまた、1秒ずつ、1日ずつ続けて下さい。僕もそうやって生きて行きます」

※筆者抄記

羽生結弦が、共にある人々が「愛おしい」から

 羽生結弦はその言葉の通り、1秒ずつ、1日ずつ「愛おしい」を続けてきた。世界を驚愕させ続けるプロ転向後のアイスショウ、ある意味で競技会以上に難しい興行という壁、そして心ない口業の数々の中でも「愛おしい」を続けてきた。共にある人々が「愛おしい」から。それこそが羽生結弦の「希望」だから。

 そういったことをあれやこれや、想いながら私を載せたシャトルバスがゆっくりと出発する。窮屈な補助席だって心が弾む。どこに座ったってかまわない、羽生結弦が、共にある人々が「愛おしい」から。約束の地で、祈りと希望の星々が待っている。

 ただいま、東北。

 ただいま、羽生結弦。

(続)

この記事の著者
日野百草

1972年、千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。国内外における社会問題、社会倫理のノンフィクションを中心に執筆。ロジスティクスや食料安全保障に関するルポルタージュ、コラムも手掛ける。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。

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