愛とデトックス。
携帯を紛失して「待つ」ことができるようになった。携帯が手元にあると、すぐに調べて、すぐに答えを得ることができる。問いが浅い段階で答えが与えられてしまうために、問いを深めることができない。携帯を紛失して「音楽の聴き方」が変わった。これまでは、好きな曲を単発で聞くことが多かった。気に入れば聴く、気に入らなければ変える、そんなインスタントな聴き方をしていた。単発ではなく、アルバムで聴くようになった。受動的な聴き方から、能動的な聴き方に変わった。単発だけではわからない世界観みたいなものが、アルバム全体を通して聴くと伝わってくる。この人は何をやろうとしているのか「自分から知ろうとする」態度が、無意識の間に生まれた。
携帯を紛失して「いつもは目に入らないものが入ってくる」ようになった。携帯が手元にあると、つい、写真を撮ってしまう。携帯が手元にないから、歩き続ける。眺め続ける。いつもよりも深く考えるようになり、いつもより詳細に風景を眺めるようになった。散歩の喜びを思い出した。早朝、まだ、誰も活動をはじめていない時間帯に、外を歩くと幸せになる。誰もいないから、思い煩うことなく独り言を言える。朝だね。綺麗だね。気持ちいいね。こんなところにこんなものがあったんだね。などなど。小さな子供と話すように、自分と話す。一人きりなのではなく、自分と過ごす。歩く距離も増えた。次はあれをやろう。次はここに行こう。湧き出す発想の幅も広がった。
一年の計は元旦にありと言うが、春分の日は「宇宙元旦」と言われている。春分の日を迎えるまでは、大掃除の時期。魚座の時期は愛とデトックスに集中すると良いと、信頼している人から聞いた。仕事を休職している女性から電話をもらった。第一声を耳にして、あれ、心と体が重いのかなと思った。彼女は言った。仕事を辞めて、穏やかな時間を過ごしている。だけど、これからどうしようと思い悩むこともある、と。「これからどうしよう」と言う同じ質問も、ハワイの海を目の前にして考える時と、暗く汚れた部屋で考える時とで、出てくる回答は大きく変わる。どうすれば、坂爪さんみたいに元気になれますかと聞かれた。元気な人とそうじゃない人がいるのではなく、元気が出る習慣と元気が出ない習慣があるのだと思う。多分、私たちは考え過ぎている。やりたいことなんて、なくていい。ただ、瞬間瞬間に「やりたくなったこと」を、子供のように無邪気に、やり続ければいいのだと思う。
携帯を紛失して「自分の好きなことを思い出せる」ようになった。毎日朝日を見る豊かさがある。毎日散歩をする豊かさがある。毎日海を見る豊かさがある。毎日山を見る豊かさがある。毎日温泉に入る豊かさがある。熱海の家(正確には伊豆山)から見える空の青さは、どことなくハワイに似ている。世界が忙しく立ち回る中、私は一人横になる。外から人の声が聞こえる。働く人たちの呼びかける声だ。鳥が飛び、電車が走る。私は一人横になる。世界から放っておかれているような、世界から放っておいてもらっているような、現実のソファと非現実の毛布の間で、私は一人横になる。奇跡の中を生きている。時が止まったのではなく、あの日から、時は待ってくれている。
携帯を紛失して「携帯の有り難みを知る」ようになった。連絡を取り合う。待ち合わせをする。電車の時刻表を調べる。天気を見る。全部、魔法だ。今、この瞬間も、奇跡の中を生きている。当たり前なんてないんだよ。携帯を紛失して「待つ」ことができるようになった。社会から見捨てられたように感じることがあっても、世界が、私たちを見捨てることはない。夜明けを迎えた空に、鶯が鳴き始める。まだ、上手に鳴くことができない鶯たちも、春を迎え、夏を迎える頃には、立派な鳴き声を世界に響かせることになる。世界は止まらない。ただ、世界は待ってくれている。これから東京に行く。 おおまかな予定
3月15日(金)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!