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紫式部と道長の家の違い 平安貴族が奮闘した出世の壁

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2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』が1月7日にスタート。『源氏物語』の世界をはじめ、紫式部や藤原道長など平安貴族が注目されています。そこで『平安貴族の仕事と昇進』(吉川弘文館)著者の佛教大学歴史学部非常勤講師の井上幸治氏に、平安貴族はどのような仕組みで出世が決まっていたのか、厳しい身分制度とままならない昇進などについて聞きました。

平安の人々「4つの身分」

――源氏物語をはじめ平安時代の物語は官職名や人名になじみが薄くて、抵抗感を覚える人が多い気がします。

当時の身分制度を理解すると、平安時代の人々の暮らしや仕事ぶりが身近に感じられるかもしれませんよ。身分は4つに分かれていて、最高位が公卿(くぎょう=一〜三位)で、諸大夫(しょだゆう=四〜五位)、侍(六位以下)、庶民(無位)と続きます。このうち公卿と諸大夫は貴族で、侍・庶民との間には大きな「出世の壁」があります。この身分を決めるのは、職業を表す「官位(官職)」と、階級を表す「位階」です。

官職には現在の閣僚にあたる大臣、大納言、中納言、参議の議政官、後世の省庁につながる大蔵省、民部省などの八省、宮中の警護を担当する近衛府、兵衛府、衛門府などがあります。

身分を示す指標の「位階」は、正一位から少初位下まで30段階に分かれています。「一位」がもっとも高位で数字が大きくなると低位になります。最も下は「初位」。数字の下に正と従が付き、「正」は「従」の上位です。従三位より正三位が上位になります。さらに四位以下はそれぞれに「上」と「下」があり、具体的には従五位下より、従五位上が1階上になります。

4つの身分の最高位である公卿は、一位から三位の位を持つ人と「参議」に任じられているごく一部の四位が該当します。これに続くのが四位、五位(正四位上から従五位下)の位を持つ諸大夫。「受領(ずりょう)」といわれる諸国の長官である国守となるにも従五位下に叙爵されることが必要でした。

公卿と諸大夫の「貴族」の下に、六位以下の位を持つ「侍」と、位階を持たない「無位」の庶民がいます。「侍」というとイコール武士と思われがちですが、この時代の「侍」は書類仕事しかしない一般的な官人も含まれています。侍=武士ではなく、文官・武官の区別なく六位以下の身分の呼称です。

――「貴族」は何人くらいいたのでしょうか?

公卿については毎年公卿に任じられた人を一覧にした『公卿補任』(くぎょうぶにん)が史料として残っています。藤原道長や紫式部の時代、公卿は20人前後でした。その家族や皇族、身分の高い僧侶、女性を含めても、公卿身分に相当する人は100人にも満たないでしょう。

諸大夫となった人を一覧化した史料はありません。律令の規定では、役職の定員は決まっていますが、正規の員数を超えて任命される権官(ごんかん)は定員に含みません。さらに位だけを持ち、役職を持たない散位(さんに)もいるため、はっきりとした人数は分かりませんが、日記などから11世紀に公卿に任じられた人数と諸大夫に相当する四位、五位を授けられた人数の比率を推定すると、公卿1に対し、四位・五位は40倍近くいました。つまり公卿が20人とすると諸大夫は800人近くいたという計算になります。

公卿の世界を受領の娘が書いた平安女流文学

貴族のほとんどは平安京とその周辺に住んでいました。公卿の場合、例外は大宰権帥(だざいのごんのそち=九州を統括する大宰府の長官)として現地に赴任した場合や流罪となった流人くらいです。諸大夫層には地方支配を任される受領として、地方に赴任する者が多いですが、ほとんどは任期を終えると京都に帰ってきます。当時の受領は、家族を連れて赴任することが多かったようです。紫式部の父である藤原為時も越前守として赴任、紫式部も同行していました。10年以上後に越後守に任じられた際は、紫式部の弟の惟規が同行、惟規は現地で亡くなったといいます。

清少納言の父・清原元輔は従五位上肥後守として任地で亡くなりました。『更級日記』著者の父・菅原孝標も上総介、常陸介(いずれも親王が国守に任じられることが慣例となっていたため、次官の介が実質的な長官)などを歴任しました。『源氏物語』も『枕草子』も公卿の世界を公卿の娘たちに仕えた受領の娘たちが書いた作品です。平安女流文学を生み出したのは、受領の娘たちだったといえるでしょう。

経営判断を下す公卿、部門トップを担う諸大夫

――紫式部、藤原道長は同じ藤原氏ですが、境遇はずいぶん違いますね。

紫式部、藤原道長はともに藤原北家の家系です。道長の5代前は皇族以外の臣下で初めて摂政となった良房。紫式部は父系では良房の弟・良門から5代目になります。道長は摂政となった兼家の4男。兄の道隆と道兼、伯父の兼通も摂政や関白となった、当時最も勢いのある家系でした。道長が登場してきた頃は、道長の祖父・師輔―父・兼家の流れが権力の中心になりつつあるのは見えてきた。でもそこから、どの流れが抜けてくるのかはまだはっきりしない。つばぜり合いが続く流動的な状況でした。

紫式部の父である為時の祖父・兼輔は権中納言となった公卿でしたが、為時の父・雅正、為時本人はいずれも諸大夫層の受領として生涯を終え、公卿の家柄ではなくなっていました。諸大夫層の貴族が任じられる官職は、諸国の受領のほか、馬寮の長官である(左右)馬頭、造酒司のトップである造酒正(みきのかみ)など諸司の長官級の役職が多くあります。いずれも管理職的なポストです。

現代の会社組織でいえば、公卿が全体を見渡して指示を出し、判断する経営層。諸大夫は各部門の責任者を務める部長・支店長・工場長という役回りでしょうか。諸大夫は各部門のリーダー的な存在であると同時に、役員や経営層の指示に従って任務を果たすのが役割でした。

諸大夫の中には、これまでの功績を評価され、有力者の引き立てを受け公卿に任じられることもありましたが、家格や昇進ルートが徐々に固定化しつつある時代でした。「壁」を越えるのは困難でした。公卿だった家格も嫡流から離れ1代、2代を経ると諸大夫の家となることが多いように、諸大夫の家格を維持するのも難しいのです。

諸大夫にとって重要なことは、まず従五位下の位を得て、「貴族」の地位、家格を維持することです。従五位下と正六位上では1階ですが天と地の違い、まさに貴族と地下(じげ)を分ける厚くて大きな壁がそこにあるのです。

貴族になっても身分は不安定、無職の時期が続くことも

――五位となって貴族の仲間入りをしたら安泰ですか?

最も規模が大きい正月の人事だけでも、数十人が叙爵され、従五位下の位を得ます。叙位の機会は年に何度かありますから、年間50人以上が貴族になるわけです。しかし、五位となって受領になりたいと思っても国の数は60余り、官職の数にも制限があります。その結果、位だけはあるものの官職がない無職の貴族、「散位」が多く生まれます。

官職のない散位は、有力公卿に家人として仕えたり、受領の目代(もくだい)として、現地に赴任しない国司の代官を務めたりして、官職に就く機会を待ちます。その後、平安京で官職を得ることもあれば、赴任した土地に定着することもあります。地方出身から出てきて、平安京で位を得たものが、出身地に帰り、現地の有力者となることも少なくありません。

幸いにして官職を得ても、数年、短ければ数カ月で異動があります。国司の場合は任期4年。任期を終えても、再任されたり、別の国の国司となったり、京で官職に就くことができるとは限りません。再び官職のない散位となって、除目(宮中の人事)で、希望の官職に任じられることを願うばかりです。紫式部の父・為時も、散位の時期が長くありました。

――公卿への昇進ルートにはどのようなものがありましたか?

公卿は従三位以上の位階を持つ人々ですが、最初から従三位に任じられることはめったにありません。平安時代末に、後三条天皇の孫・有仁王が、源有仁としていきなり従三位になった例があるくらいです。基本的には最初に授けられる位階は天皇の子(1世源氏)が従四位上、2世源氏は従四位下と決まっています。どんな貴種でも最初は四位、五位、六位からスタートしますが、諸大夫や侍層にとっての目標である五位に、上級貴族の子弟は10代、摂関家の嫡男であれば、10歳前後で到達します。右大臣として政界での地位を確立した兼家の4男という立場でスタートした道長は15歳で従五位下に、22歳で従三位の公卿となりました。

平安時代の中期・後期は公卿の家格や昇進ルートが確立していく時代でした。『公卿補任』で、11世紀、12世紀に公卿となる直前に、どのような官職に就いていたかを見ると、蔵人頭(くろうどのとう)であることが非常に多いです。

蔵人頭は「蔵人所」のトップで、天皇の側近で暮らしを支えた五位、六位の蔵人たちの管理職です。定員は2名で、多くの場合近衛中将を兼ねた「頭中将」(とうのちゅうじょう)と太政官の実務を扱う弁官(大弁、中弁)を兼ねた「頭弁」(とうのべん)が任じられています。

「頭中将」はボディーガード兼日常生活サポート役

頭中将、頭弁となると、短期間で従三位となることが多く、いわば公卿へのエリートコースです。また、蔵人頭にはなっていなくても、近衛中将や大弁で実績を積み、従三位の公卿となることもあります。蔵人頭、近衛中将、大弁の3つの官職が公卿へ代表的なステップです。このうち、頭中将など近衛中将を経て公卿となるのが羽林(近衛府の別称)ルート、頭弁など中弁・大弁の弁官を経て公卿となるのが弁官ルートです。

同じ蔵人頭でも、頭中将と頭弁では仕事が違います。頭中将は常に天皇のそば近くにいて、ボディーガードの長であると同時に、日常生活をサポートします。移動の付き添いや食事のお供といった身近な世話も頭中将の仕事です。これに対して頭弁は、文書事務や年中行事の際の経費や資材調達などの事務処理を担当します。より実務家タイプですね。

――羽林ルートと弁官ルートで昇進する家の違いはあるのですか?

道長の兄弟や子どもたちなど、摂関家周辺の人たちは、ほぼ全員が羽林ルートで公卿となっています。摂関の嫡子など一部を除くと、羽林ルートはほぼ全員がどこかで頭中将になり、1年以内で交代するというのを繰り返します。頭中将にならずに公卿になる人を探すのは難しいくらいです。弁官ルートを歩むのは、北家では勧修寺(かじゅうじ)流や日野家など、早い時期に分かれた家や、北家以外の藤原氏、藤原氏以外の家が多いですね。

羽林ルートの代表例を道長の子、頼宗の孫の宗俊で見てみると、12歳で従五位下、翌年侍従となり、その後少将 → 権中将 → 中将となり、正四位下右近中将で蔵人頭となり、頭中将となります。そこから1年そこそこで参議となり、23歳で従三位となります。

弁官ルートで公卿になった代表的な存在が藤原行成(ゆきなり/こうぜい)です。道長と同世代で、一条天皇時代を支えた4人の大納言「四納言(しなごん)」の1人です。書の達人で「三蹟(さんせき)」の1人としても知られています。道長の伯父で摂政となった伊尹(これただ/これまさ)の孫ですが、父が若くして亡くなり、摂関家の主流からは少し離れています。13歳で従五位下となり、その後すぐに侍従になります。24歳で弁官となる前に蔵人頭に任じられ、その後、頭弁(中弁・大弁)を経て参議となり、30歳で公卿となりました。

宗俊、行成は従五位下となってから10年以上かけて、公卿となっています。2人とも摂関家の一族の上級公卿で、決して遅い昇進ではありませんが、摂関の子は、同じルート(羽林ルート)を超特急のスピードで駆け抜けます。

道長の長男・頼通の嫡男・師実(もろざね)は12歳で元服、いきなり正五位下となります。そもそもスタートが2階上です。以後、侍従、中将を経て14歳で従三位の公卿となります。その間わずか3年弱。圧倒的なスピードです。その他の公卿は、それぞれの生まれや、前例に基づいて各自のスピードで昇進。20代から30代で公卿となることが多かったようです。

本来公卿となれない家に生まれた人が、過去の功績や有力者の引き立てで、公卿の末席にたどり着くこともありました。しかし、そのほとんどは老年となってからでした。公卿となる年齢は、高貴な家柄に生まれる「貴種性」とほぼ比例していたのです。

平安貴族の出世事情がよく分かる 井上氏お薦めの3冊

『平安貴族』(橋本義彦/平凡社)



源氏物語の舞台ともなり、千年以上も続いた貴族の世界。生活・政治のあり方、太政大臣・女院・里内裏の変遷などを解明。写真は1986年刊行の名著が2020年に平凡社ライブラリーとして復刊(写真は平凡社選書版)。「この時代を研究しようと思うきっかけになった本です。橋本義彦先生の文章は非常に分かりやすく、読みやすい。お薦めの一冊です」(井上氏)

『光源氏に迫る 源氏物語の歴史と文化』(宇治市源氏物語ミュージアム編/吉川弘文館)



2018年度に宇治市源氏物語ミュージアムで開催された連続講座「光源氏に迫る―栄華、憂い、そして愛―」を基に登壇した研究者たちが執筆。光源氏の人物像や恋愛模様を含む人間関係、当時の社会状況や後世への影響などを各分野の専門家がさまざまな切り口から描く。井上氏は、『源氏物語』で光源氏のライバルとして登場する「頭中将」について執筆。

『平安貴族の仕事と昇進』(井上幸治/吉川弘文館)



井上氏の著書。平安貴族の人生サイクル、仕事、昇進にスポットを当て、みやびなイメージとは程遠い、貴族社会のリアルな姿を解明する。古記録などの豊富なエピソードを基に官位のしくみや昇進ルートを分かりやすく解説。
  • 著者 : 井上 幸治
  • 出版 : 吉川弘文館
  • 価格 : 1,870円(税込み)

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井上幸治
佛教大学非常勤講師。1971年京都市生まれ。立命館大学大学院文学研究科史学専攻博士課程後期課程修了、博士(文学)。現在、佛教大学歴史学部非常勤講師、京都市歴史資料館館員。編著書に『平安貴族の仕事と昇進』(吉川弘文館)、『外記補任』(続群書類従完成会)、『古代中世の文書管理と官人』(八木書店)など。

(取材・文: 市川史樹=日経BOOKプラス編集部、写真: 山本尚侍)

[日経BOOKプラス2024年1月5日付記事を再構成]

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