エヴァでミサトさんがシンジに「エヴァにのるかのらないか、それはあなたが決めなさい」と言っているシーンをみると「空手を続けるか続けないかお前がきめろ」と祖父に言われた幼少期の記憶がフラバしてしまう。やらないと答えると不機嫌になる。やると答えると自分で決めたことにされる。
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@furthest0812
「物語」の話をします
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最近読んだ村田沙耶香の小説に「正常とはこの世で唯一許された発狂のことですよ」と書かれていたが、勤めている会社、年収、学歴、その他諸々の人生に関わることのすべてを常に他者と比較しながら「俺はまだ正常な方だ」と信じて死んだ目で働いている人をみるとこれは本当にその通りだなと思う。
syamuさんの件で「本当の弱者は助けたくなるような人じゃない」と言われているが、だからこそ弱者救済などの福祉は人々の「温情」に頼るべきじゃなくて制度によってシステマチックにやるべきだと思うんですよね。人々の「温かい気持ち」では救えない。
「ストライキはいいが、迷惑をかけるのはよくない」とわけのわからないことを言う人がたまにいるが、ストライキとは手段として「迷惑をかけるもの」であり「迷惑のかからないストライキ」など無力なのだからストライキをやるなら真剣に真面目に確実に迷惑をかけなければならない。
この間、「映画はいろいろみてるよ〜だって映画って教養だからね〜」とかいってる大学生の会話が耳に入ってしまい、思わず「映画は面白いから観るの!」と堀江みたいになるところだった。
オタクを「裏切らない」女性タレントの人が誰とも付き合わず結婚せず三十路や四十路、五十路になったら「俺たちを裏切らなかった!」と支持され続けるのかというと、その頃には「おばさん」扱いされて別の若手に「推し変」されるようになるんだからこの手のオタクは根本的に勝手なんだよね。
VIVANT、「多神教の日本には異なる考えの人を受け入れる美徳がある」とか「日本の公安は世界一公正な判断をしてくれる」とか「父親の命よりも国を優先するなら見どころがある」とかある種の人々が好きそうな台詞を無批判に垂れ流すドラマだったし、あれが海外でウケると思う方がどうかしているだろう。
太宰治の「恥」という作品は、「小説の作風からその作家のことを無学で貧乏だと思いこんだ女性が上から目線の想像を抱いて逢いに行ったら思っていた人物像とは真逆の男がでてきた」という内容だが、現代でも似たような話は聞く。退廃的な生活を詩的に綴るインターネットの人に騙されないようにしよう。
「ここに行けば人目を気にせずに好きなだけオタクコンテンツの話ができるんだ!」とドキドキしながら向かった大学のアニメサークルの部室で延々と創価学会の話をされた最悪な思い出がよみがえってきた。
最近はヒップホップばかり聴いてるせいではてな匿名ブログで「人生辛い系」の記事を読む度に「その気持ちをラップにしたらいいんじゃない?」と安直に考えてしまうし、ツイッターでタワマン文学だのお受験文学だのをみかけるたびに「そんなことで川崎区で有名になれるのか?」と思ってしまう。
作品のことを「つまらない」と言った瞬間にリングに引きずりこまれて「それは面白いと思った俺に喧嘩を売っているということだよな!?」と言われるのがもし普通なら多くの人は萎縮して率直な感想を言わなくなるし、そうした風潮こそが大袈裟に絶賛する感想ばかりが蔓延る環境をつくっていると思う。
普段は好きなアニメのイラストの細部にフェティシズムを見出して「エッッ!」と叫んでいるのに、同じようなイラストが広告に使われて批評的に言及された途端、スンッとした顔で「これのどこがエロいんだい?」とか「エロっていう方がエロなんだが?」とか白々しいことを言うのはもうやめたほうがいい。
某女性配信者に限らずあの手の罵詈雑言系配信者って要は「お前らはどうしようもない人間だが、俺/私 だけは居場所を用意してやれる」という典型的な「洗脳」の話法を言葉を変えて何度もやっているだけだからな。「オモシレー」とかいってるやつは全員洗脳されてます。目を覚ませ。自分の足でたて。
グレタトゥーンベリのような環境活動家を冷笑しながら地球温暖化の原因を「令和ちゃんがドジっ子だから」と「萌えキャラ化」してしまうのは、ある種のオタク的態度である「現実逃避」の極致といえるだろうな。
かつて露悪の塊みたいな漫画を書いてバズっていた人がもう漫画をかくことをやめていたことを知ったが、ブログに「悪口やミームを絵とフキダシにしただけでバズる、気色が悪い」と書いていて「ああ、完全に露悪の時代が終わったな」と思った。だんだん嫌になってくるんだよね、ああいうのって。
今の十代がゼロ年代のインターネットの何に憧れているのかはわからないが、テキストサイトや2chの大規模オフ会、割れ文化などのことを言っているなら彼らは当時のネット民の仄暗い「連帯感」に憧れているのかもしれない。今はインターネットから日陰者の居場所がどんどん失われていっているもんな。
「やましいことがない人は警察には捕まりませんよ」という人を見るたびに誤認逮捕の可能性などを一切考慮せずに警察を妄信しててひどいなと思っていたが、最近はこの「警察」の位置に「私人逮捕系ユーチューバー」を入れてる人をみかけるようになってまたひとつ社会の底が抜けたなと思ってしまった。
女子高生が特攻隊と恋愛する映画はよくある「難病もの」と同じで「恋人喪失系」として若者にウケたんだと俺も思うけど、難病ものは「実在しない病気」を使うことで実在する病気の当事者から抗議されるリスクを避けるようになってきているのにこの作品はわざわざ「特攻隊」を扱っている。そこが奇妙だ。
別に映画の感想は自由でいいと思うんですが、何を観ても「ポリコレを無視していて素晴らしい!」という「感想」になる人は、もうその辺の石とか草をみてればいいと思う。
桐島聡の件もインターネットの人が見当外れなことをいって大騒ぎしている間に徐々に真相が明らかになっていくパターンだったな。それにしても国内にいながら国内の制度の外に逃げて、女からの誘いは断り、酒と音楽を支えに生きたというのは何とも言い難いハードボイルド小説の主人公みたいな人生だ。
実際、ツイッターが「だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS」だったら廃れてそう。社会や政治の話をしたいユーザーが多いというわけではないだろうが、このSNSには「口喧嘩」をしたいユーザーが多すぎる。
おい、""ここ""(インターネットの最下層)は初めてか?ここでは「教養」とは義務教育レベルの知識を指し、「社会の闇」とは芸能人の不貞行為のことをいい、「巨悪」といえば醤油差しをペロペロすることなんだ。覚えておくんだな……
無職時代に「人間っていうのはさ、たまに図書館に行って好きな本を借りて読むぐらいでちょうどいいんだよ」みたいなことを言ってたフォロワーさんが、再就職で立場が変わって「教育教育教育……」となっていくのをみると、労働とは、社会とは、そして正義とはなにかについて深く考えてしまうな。
「人権はフィクションだったんだよー!」「な、なんだってー!」という話はツイッターで定期的に盛り上がるが、「天皇制はフィクション」、「国家はフィクション」、「貨幣はフィクション」という話はいまいち盛り上がらないな。この手の人は「ポリコレ」を皮肉ることだけが目的なんだから当たり前か。
都合の悪い時だけ「現実と空想の区別をつけてください」などと言うオタクをみると本当にがっかりしてしまう。良くも悪くも物語や創作物に現実の人間の心を動かす力があるということを忘れてしまったのなら潔く思い出に手を振って現実にかえるべきだろう。その冷笑の姿勢じゃ誰にも何も届かないよ。
これは衝撃の事実なんですけど、どうやら「表現の自由」系のオタクは「こういうイラストは嫌い」というツイートをみると「規制しようとしている!」と解釈するらしいんですよね。プロの作品に対する好き嫌いの表明すら許さない自分達こそ別の意味で規制する側になっていることに気づいたほうがいい。
解釈の余地が大きい作品をみて「◯◯さんの考察待ちですね……」となってしまう人は、解釈に「正解」があることを意識するあまり率直な感想を言うことを恐れている。作品鑑賞を単に「作者の意図を当てるクイズ」にせずにまずはその作品をみてどう思ったのか自分自身の言葉で表していったほうがいい。
大学のアニメ研究会ってアニメを批評するなんてことはもちろんなく、「どのキャラに腹パンしたいか」みたいなことを話あってる異常者の集団だった。そのあと文学を批評する系のサークルをみにいったら新歓の時期なのにエロゲを西洋絵画の視点から考察していた。両方とも入らなかった。
資本主義社会に搾取されて低収入になっている労働者が少しでも綺麗な格好をしようとファストファッションに頼ると海の向こうの労働者を搾取することになるという搾取のスパイラルがあるんですよね。この構造はファストファッションを使う人を叩くことでも使わない人を冷笑することでも解決できないよ。
魔法少女まどか☆マギカは虚淵玄の作品が好きだった者としてはどうしても彼の脚本についてばかり話したくなるが、あれはキャラデザが蒼樹うめだったことも音楽が梶浦由記だったことも監督が新房昭之だったこともすべてが「正解」の満点アニメだったんですよね。ひとつでも欠けてたら成り立たなかった。
「インボイス制度とか警察によるデモ規制とか難しいことはよくわからねえけどよお……キョーサントーがエロいものを攻撃しているってことだけはわかるぜ!」みたいなオタクが多すぎる。そういう人は表現の自由を守りたいとかいうのはやめてもっと正直に「エロいもの大好きクラブ」と名乗るべきだろう。
「思想がない作品がいい!」といって思想が強い(と自分が勝手に判断した)作品をボロクソに叩くのは「思想」だよ。自分だけ無色透明でいられると思うなよ。
「教養がないやつは下ネタしかいえない」という話も「地方の人間は排他的」という話もなーんか含みがあって嫌な感じよな。勿論そういうお前らは洗練された面白い冗談が言えるうえに誰に対しても親切に接しているんだよな?
オタクは正しくキモくあってほしい!具体的にはvtuber や声優にセクハラをしたり幻想を抱いたりするのではなく、アニメのカット数に偏執的なこだわりをみせたり誰に頼まれたわけでもないのに作品の解釈を延々と語り出したりしてほしい!それで周りから浮いたとしても俺だけは君の頑張りをみているよ。
「インボイスに反対したいだけで政治の話なんかしたくないのに!」とわけのわからないことを真顔でいう人がいるの、「政治や社会の話は禁止」とすることで表面的に平穏な日常をつくってきたディストピアの末路という感じがある。
誰かを叩けるタイミングがあればワッと一斉に群がる一部のオタク達には本当にうんざりしていたのだが、最近はもうそういう「習性」だと思って諦めてる。冷笑と露悪のユーモアでつながるオタクたちよりもそういう界隈とは一線を引いて誠実に物語への愛を語っているオタクたちのほうを向いていきたい。
自分も反出生主義というのはインターネットのクネクネした思想だと思っていたが、反出生主義者として有名なシオランの言葉があまりにも鋭いことを知って完全にイメージが変わった。特に「生にはなんの意味もないという事実は、生きる理由の一つになる。唯一の理由にだってなる」という言葉が好きだ。
「え?オタクのくせにそんなこともしらないの?」と知識でマウントをとってくる古のオタクも鬱陶しいが、「推しに◯◯万使った!」とはしゃいでいる昨今のオタクをみると単純に心配になる。オタクは消費による刹那的な快楽にただ溺れるのではなく、自らの言葉でコンテンツへの愛を表していってほしい!
「気に入らない人間を作品にだして酷い目にあわせる」というのは今回のAV以外でも漫画家、特にエロ漫画家がよくやっている印象だが、普通に下品すぎるからやめてほしい。取り巻きが「クソワロタw」とかいって盛り上がってるから気づきにくいかもしれないけど、黙ってみてる人はドン引きしてるよ。
「嘘は嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という「名言」は、「自分たちは嘘を見抜ける側だ」と思っているネット民たちの自尊心をくすぐったからこそ広まったのだとおもうが、この人たちは実際は「嘘を見抜けると思いこんでいる人」でしかないので簡単に陰謀論に傾くんだよな。
日本語ラップをいくつかきいてわかったが、彼らには「金持ちのボンボンはダサい。でも大人になっても貧乏なのはもっとダサい」という価値観があるんだよね。警察は嫌いだけど政治を批判したりはしない。ただし自分が「成り上がる」ためにはなんでもする。これが今の「カッコいい」になっている。
三連休の間、風邪ひいてずっと熱に浮かされてたんだけど、横になりながらTL眺めてたら「寿司寿司寿司女女女ジャンプ女ポスターポスター女女女」みたいな話題ばかり流れてきて本当に具合が悪くなった。
最近、実態としては悪質な「夜の店」と変わらない業態の店が「コ◯カフェ」というオタク街に合わせた名称で秋葉原に乱立しているときいて「目を醒ませ僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ 」と苦々しく思っていたのでホスト問題対応でこっちも改善するなら物語のオタクにとってはいいことだと思う。
震災に乗じてヘイトクライムを扇動したり、あっさりとそれに共感してしまう人ほど「福田村事件」を観てほしいが、この手の人には絶対に届かないと言う点に「社会派映画」の限界がある。やはり誰に何と言われようと仮面ライダーのような大衆娯楽作品で不意打ち的に差別の問題を描く意義は大きいと思う。
皆さんが「十代ぐらいの若い世代が楽しんでいることに上の世代が口出すべきじゃないよね〜」などと「理解のあるおじさん」をやっている間に、若者はショート動画のみすぎで映画をみたり漫画を読んだりする集中力を失ってモヤシになってます。
ここ最近流行っていた「◯◯大学◯◯学部◯◯学科」というツイートとともに自撮りをのせるアレ、かなりの数の悪い人間がせっせと保存したと思う。誰も頼んでないのに顔写真つきで全国に所属を公開してTwitterと紐付けてくれる学生がこれだけいるんだから悪用を考える人間にとってはいい時代だろうな。
ツイッターを開くと「インフルエンサーAとインフルエンサーBが喧嘩してます!」みたいな話題がよく流れてくるが、もういい。「喧嘩」から「和解」までのすべてが「マネタイズ」されるものに怒ったり悲しんだりしても無意味だ。それはもう「感情」を搾取されているといっても過言ではないよ。
吐きそうな母親の背中に向かって「ダイの大冒険が値下げされてついに2000円切りましたね」と言った子どもは母親が苦しんでいることが理解できないわけではなく、むしろ苦しんでいる母親をなんとかはげませないかと母親が好きなドラクエの話をしたんじゃないかと考えると途端に切なくなってくるな。
返信先: さん
この手のインターネット詩人をみて過度に自分を重ねたり、神聖視したり、見下したりすることは予後が悪いから全てやめたほうがいい。作風や芸風として楽しめるならいいが、もし不必要に多量の薬を溜め込んだりしてるなら今すぐフルスイングでゴミ箱に投げ捨てよう。
小説でもアニメでもなんでもそうだが、今の物語のライバルはtiktokなどのショート系動画である。粗雑な娯楽が溢れかえっている現代においては「知らない人が踊ってる動画」をボケッと眺めているキッズたちをそこから救い出して広大な世界に連れていくことがあらゆる物語に課せられた使命になっている!
読者や視聴者に「これは俺のためにつくられた物語だ」と"錯覚"させてくれるような作品がこの世にはあり、幸か不幸か感受性豊かな時期にそうした作品に出会ってしまった人間は全員スイッチが入ったようにオタクになってしまう。
「お金ない、働けない、真っ当になれない」と言いつつ「でも社会に文句は言いません」みたいな「ダメ人間マーケティング」で稼げる人はかなり器用な「社会よりの人間」なので自分と社会の間に生じた不和に苦しむ若者はその手の人に心酔するのではなく自分なりにその不和と向き合う道を探した方がいい。
広告で流れてくる漫画、「街の荒くれ者が誰かの復讐を代行する話」がとても多くて「そりゃ私人逮捕系ユーチューバーが流行るわけだ」と思ってしまう。「暴力をみてスカッとしたいけど後ろめたい気持ちにはなりたくないから"悪い奴"がボコボコにされているところがみたい」という需要がかなりある。
「地雷系」については触れないでおくが「こういうイラストに嫌悪感を感じる」と言っただけの人を袋叩きにする昨今のオタクファシズムははっきり言って異常だ。
何かに否定的なことを書くと「それを好きな人もいるんだから水を差すな!」と罵倒まじりに言われることがたまにあるが、個人に向けてメンションを送ったわけでもないのに自分が全否定されたかのような感覚に陥って攻撃的になるのは流石にナイーブすぎる。もっと自分の「好き」に自信を持ってほしいよ。
「◯◯さん(作家やタレントの個人名)がツイッターで政治的発言をしていてショックを受けました……」と言っている人が、当たり前のように嫌韓嫌中発言をしている別の有名人のツイートを肯定的にリツイートしていることがわりとある。せめて「嫌なのは政治的発言ではない」と正直に言うべきだと思う。
アニメの倍速視聴は自由にしていいと思うが、個人的にはそうして沢山の作品をみた物知りオタクよりも一つの作品をコマ送りで何度もみるような拘りオタクの方に愛を感じる。本数を観てる方が偉いという風潮に抗って一つの作品をゆっくりとみることで自分にとって「本当に大切なもの」を見つけて欲しい。
露悪的な文章が溢れかえっているインターネットをのぞいて「これが人間の本性なんだ!誰もリアルではこんなこと言ってないけど内心ではこう思っているんだ!」と思い込んでしまうのはかなり危うい。良くも悪くも「所詮はインターネットの人が言っていることだしな」程度に思っておいた方がいい。
少し前だったら中小の出版社からしか出なかった炎上狙いのような本が平然と大手出版社から出ようとしていたり、よくわからないインフルエンサーが小説の帯コメントを書いていたり、古典的文学作品の表紙がアニメキャラクター風になっていたりするのをみると「本が売れない時代」を実感してしまう。
冷笑系のオタクのノリをみるのがキツくて一時期はそれを冷笑するような「冷笑の冷笑」とみなさんが呼ぶようなツイートが増えてしまっていたが、やはり真に批判するべきものは真顔で批判するべきなんだと最近は思っている。ただし「差別的なジョーク」に興じている人は冷笑されても仕方がないとは思う。
いい大人がどこまで非道徳なことを言えるかを競う「露悪のチキンレース」に興じている様を純粋な気持ちでツイッターを始めた中学生くらいのオタクにみせていていいのだろうか。そもそもアニメアイコンでツイッターを始めると「男女論」みたいな毒を一度は摂取せざるを得ない状況なのがおかしいと思う。
ある種の自己破滅型の人間を詩的に「美しい」と肯定する人がたまにいるが、自分は全く安全な席に座りながらまるで映画でもみるように他者の破滅を肯定することは不誠実だと思う!人間の真価は破滅的な美しさの中にはなく、みっともなく泥まみれになって生にしがみつく醜さのなかにこそあるのだと思う。
ある種のオタクは「どれくらいキモいことを言えるか?」のチキンレースをしている節があるが、そうしたコミュニケーションは内では通じても外からみると完全に異常であり、周囲に距離をおかれるようになることからオタクたちのコミュニティが島宇宙のように孤立する原因になっている。
返信先: さん
それ以前に途中からとってつけたようなラブストーリーなどのノイズが入るようになってどんどんつまらなくなっていった。金をかけてつくった初回がピークの典型的なパターンだと思う。
「若者文化に理解がありすぎるおじさん」を見ると生き方が器用すぎて不気味だと思ってしまう。そもそもこの手の人たちは人心を掌握することに長けているだけなのではないか。俺はたとえ不器用でも頑固に信念を持っている人が持つ魅力を見逃したくないし、自分も迎合しすぎないように生きていきたいよ。
「女子供」という侮蔑的なニュアンスがある言葉が商品につけられていて驚いたという話なのに「価格が安いのでむしろ女性優遇」といってる人はなんなんだ。そういう人はたまたま訪れた店に「弱男専用メニュー」があり、「お客様はこちらも頼めますよ」と言われても少し安ければ何も感じないのか?
返信先: さん
とはいえ、まあ、ファンはともかく魂をこめて作品をつくった作者が否定的な感想に傷つくというのはわかるし、俺もそれは本意ではないので、実際には相当遠慮してしまう!これはやっぱりクリエイターと消費者の距離が近くなりすぎた時代の難点だよなと思う。
こういうことを言うと「下の世代が楽しんでいることに水を差すなよ」と言われるかもしれないが、BeRealという「通知が来たら必ずその場で自撮りをして投稿しなければならないSNS」が若い世代に流行っているという話をきくと人間が着々とテクノロジーの奴隷になっていっていることを実感してしまう。
女子アナとか声優とかの交際報道が出るたびに最初から何の関係もないのに「裏切られた!」と叫ぶオタクに「女子の真実を教えてやる」と訳知り顔で説教をする人が出てくる。ツリーには話とは何の関係もないアフィリエイトのリンクがぶら下がってる。これがいま最もキツい「インターネット」です。
パナマの件は、そもそも撃たれたのが環境活動家だったとしても「仕方がない」ことにはならないので、ネットリテラシー以前の問題だ。映画『福田村事件』でも「落ち着いて!この行商人の人たちは日本人です!」と言われた当の行商人が「朝鮮人だったら◯してもいいんか?」と迫るシーンがあったな。
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