「
甲高く、男女差の乏しい声音でその少年は尋ねた。
その言葉でようやく自分が見つめていたモノが何なのかを理解する。あまりにも妙だった為にそれがナニかを理解しようと視線を固定してしまったらしい。
そこに居たのは小さな男の子。
灰色の目と灰色の髪の、何処となく陰気で生気のない顔つきの子供。年齢はやっと自我が確立し、常に大人の手を必要としなくなった位。それでも保護者を必要とする様な小さな子供。
その子が、どう見ても子供向きではない意匠の黒く重そうなコートを纏い、子供の細腕で更に小さな赤子を二人抱えている。
小さいと言っても、首も座って無いような赤ん坊だ。逆に抱えるのは難しいだろうに、その男の子はしっかりと抱き上げている。
そして『興味深いか』との問いだが、興味深いのではなく、怪訝におもったのだ。
夕暮れの、とっくに太陽よりも月が主張し始めた時間帯に小さな男の子がもっと小さな子供を抱えて立って居れば誰だって怪訝に思う。
当然周りに大人は居ない。
孤児院の前なら尚の事、不審に思う。
彼をまじまじと見つめてしまったのも、孤児院を運営するこの教会のシスターだ。
「お父さんや、お母さんは?」
だから少年の問いともつかない疑問の声への返答よりも、己の疑問が出てしまう。
「さあ……どうだったか」
妙に大人びた、古風な口調で腕の中の赤子をあやす様に揺する少年は言う。くつくつと何か含みが有る様な笑いが滲んでいる。月のアレは親とは言えんし、人形は乳母だろうか?とぼそりと呟くがそれはシスターには聞こえない。
取り乱した風もないので、親に置き去りにされた訳ではないのだろう、とシスターはその善性で安堵したばかりなのだから、聞き漏らしても仕方がない
「……その子達は、弟か妹かしら?」
「いや」
と顔も上げずに赤子へ視線を向けたまま答える。
「アルフレート、いやアルフレッドと……そうだな、アリアナだ」
弟妹ではないと否定しながらも、赤子を紹介するように見せ此方の腕へ抱かせて来る。
小さな二つの命は温かく、柔らかい。
「まあ、可愛らしい。それに素敵な名前ね」
まだ赤子であり、これから目鼻立ちがはっきりして来るのだろうが、二人は良く似て居た。色素の薄い金色の髪に白いふっくりとした頬。眠って居て瞳の色は分からないが、穏やかな寝息まで愛らしい。生気の無い、淀んだグレーの瞳に笑いかけるが当の少年の目はにこりとも笑わない。口元だけが笑顔の様な形を作って居る。
「ああ、残念だがそれはコレらの名前じゃあないんだ。両方とも知人の名前を借りただけさ。両方とも死んだか狂ったか……いやどうだったか?その前に殺したんだったか。どうも巡り過ぎた上に色々見過ぎて人の記憶の仕方が分からなく成って居てね」
大人の自嘲の様に肩を竦めて見せるが、それは幼い子供の飯事とは受け取れなかった。言葉は妙に重く、生臭さが漂いそうな程に現実味があった。
何て答えたら良いのか分からずに、二人の赤子を抱いて戸惑う。
そうしてる間に、曇天色を宿した少年は一歩下がる。
「ソレらが『人』になったら、迎えに来よう」
囁く様でありながら、硬く染み渡る声で言い残し躊躇なく背を向ける。
「ま、待って……!」
子供の足とは思えないスピードで遠ざかる黒い背へ、慌てて声を掛ける。
いや、子供どころか人の速度ではない。あ、という間に少年の姿は視認できなくなっていた。
夕暮れから夜が忍び寄る只中に、シスターは首も座らぬ赤子二人を抱えて立ち尽くした。
人の可能性を踏みしめ歩み、突き進み、成り代わった狩人は高くなった視点で見渡し、見つけた。人の中にあっての『上位者』。
こんなに近くに有ったのに、何故気づかなかったのかと首を傾げる程のすぐ隣。まあ、今の狩人から見下ろせば、取るに足らない人間という種の中では優れた生物だ。人だった頃の自分が触れる事は出来なかったのだろう。
だが、今は自分があまりに人からかけ離れ過ぎて、上手くそれらと普通の人間の区別が付けられない。
よく覗き込もうとしても、小賢しい生き物は自分達の存在が漏れるのを厭うらしく幽かなノイズを振りまいて居た。
ほんの、好奇心だ。
ただの病人が狩人と成り、上位者に至ったのと同じ経緯。秘密の甘さに誘われ、暴きたくなっただけだ。
上位者としてはまだまだ幼い狩人だ。些末な事象に興味惹かれる事だって有る。人の子供が蟻の巣に炭酸飲料を流し込んでみる様な、『どうなるのだろう』という純粋な好奇心だ。
人として存在出来なく成った自分の代わりに赤子のようなモノを作った。
それでもまだ、人の中でモノを観察するには人らしさが無さ過ぎる上に、このままでは人に毛が生えた程度の上位者達の目には映らないだろう。狩人も人形も、その他の存在も人間を作る事は出来ない。
だから、最後の仕上げは人間に任せる事にした。
友人だったらしき者達に似せ、決して上位者には届かない半端な子を作り血を注ぎ、人間として模範的で善良であろう者達に託した。
後はアレらが人に成るのを眺めるだけだ。瞬きの間の様な刹那だろうが、その間には狩人も少しは人のフリが身に付くだろう。
そうして、人間の中の上位者達の中へ送り込むのだ。アレらは蟻を観察する為の瞳……虫メガネだ。
『あの子達』を通して狩人は魔法界を観察しよう。
全ては整った。
子供二人を迎える準備も、魔法界へ送り出す用意も。
十年ほど前教会の前で小さな少年から双子を託されたシスター・マリアは突然の事に、目を見開いた。その驚きはその10年前と同じ位。
あの子達、アルフレッドとアリアナの里親が決まったのだという。
マリアは孤児院の子達皆を可愛がり、愛して居た。それは件の二人もだ。当然、可愛い子供達だと思って居たが、それでも、少しばかり『変わった』所のある二人に新しい家族が出来ると言うのは信じられなかった。
皆とてもいい子達なのだが、どうしても小さな赤ちゃんから家族として迎えられる事が多い。それでも『変わった』二人はずっとここで暮らし気付けばもうすぐ十一歳になる。
数度、養子縁組の話はあったが頑なに二人一緒で無いと嫌だと言い、面談を行った家族も最初の一回で辞退を申し出た。
そんな二人に里親が決まった。
それも唐突に。
勿論滅多な人間に子供を渡す様な事はなく、親と成るのに相応しか面談を繰り返し、子供自身の意思もある。それなのに、こんなに急に。
驚きそれを尋ねれば、更に驚く。
双子を引き取りたいとやって来た男を一目見るなり、父と呼んだのだそうだ。言葉を交わす前に。
大人びて真面目なアルフレッドが喜色満面に、まるで子供の様に(実際子供なのだが)駆け寄りその人物に抱き着いた。
普段何処かぼんやりとしながらも、穏やかに微笑む静かな女の子のアリアナが感情的に涙を流しその男の手を握りしめた。
教会の皆が皆、双子を好いて居た訳では無い。残念ながら。
そんな訳なものだから、二人の養子縁組はとんとん拍子で決まったのだそうだ。
アルフレッドとアリアナが孤児院を去る日に、マリアは初めて二人の新しい家族の姿を目にした。
真っ黒な古めかしい意匠の重いコート。灰色の髪を後ろへ撫でつけた、生気のない顔の男。
10年前の少年に、とてもよく似て居るが決して本人では無いだろう。年齢が違い過ぎる上に、長身の男の目は月光を灯した様な青だった。
美しい色なのに、酷く暗い印象を受ける瞳に左右で手を繋いだ少年少女を託す事への不安が込み上げる。だが、当の二人が酷く満ち足りた、誇らしいとさえ言える顔をして居るので何とか笑顔を取り繕い、お祝いの言葉を口にする。
「ありがとう。シスター・マリア。わたし達に沢山よくしてくれて」
十一とは思えない程の艶のある笑みで、アリアナが微笑み手を振る。
「どうかお元気で。さようなら、シスター・マリア」
一体誰の影響なのか、妙に格式ばった口調でアルフレッドが礼を口にする。
「貴女は、マリアという名なのか?」
初めて聞いた男の声は、何処か不安になる程現実味がなく恐ろしいほどに澄んでいた。
別段珍しい名前でもない、良く居る名前だ。彼が何を気にしたのかは分からず、はい。とだけ答えた。目を合わせる事が出来なかった。
「そうか。礼を言う。この子達は人になれた」
その言葉にハッと顔を上げるが、目の前に居た筈の三人は既に見当たらなかった。
まるで、夢のようだった。
ゆったり続けていけたらなと。