決闘
作法に則った戦闘による魔法界の対話
今や決闘が廃れた非魔法族に於いても格闘戦が興行となる様に
魔法界に於いても非常にありふれた娯楽である
人とはやはり闘争を求めるものなのだろう
「第9回定期報告を始めます。進展、ありません。以上です」
「……ふざけているのかね」
「真面目に申し上げております。こうしている間にも、イングリットとドロテア、ヘルマンとケントが組となって探索しておりますが、何ら異常が発見できません。
……言い訳がましくはなりますが、こうして何の動きもないことから、継承者も俺達を警戒しているのかもしれません」
寮監の助手として雇われたことで、狩人達は毎晩城内を徘徊し、月・木曜日の夜にはこうして寮監の研究室を訪れて報告を行っているが、本当に何も感知出来なかった。血文字の周りを調べても怪物の痕跡は無く、先達の残した手記を頼りに幾つもの隠し通路を暴いても秘密の部屋は見つからず、やはりビルゲンワースの推測通り秘密の部屋の伝承にかこつけた破壊活動ではないかと思われる程だった。
禁書庫への入室許可は得たものの、学校史の恥部である為か当時の情報は得られなかった。
一向に解決しない事態にますます不安を募らせる者達は聖人の遺骨など出所の怪しげな護身用品をも買い揃えていた。一方でこの状況に慣れてしまった者もおり、際立った異常者を見つけ出す事が難しくなっている。
ハーマイオニーとの情報共有は、寮監に補習という名目で呼び出して頂いた。ポッターはマルフォイを継承者として確信し、ウィーズリーと連れ立って嗅ぎまわっているが、これを異常とするべきか平時の態度から平常とすべきかは判断がつかない。少なくとも、ハーマイオニーの言ではあの夜以後ポッターが見えざる者の声を聞くことは無かったという。
それよりも気になる情報があった。ドビーなる屋敷妖精がポッターにホグワーツを去る様に警告したという。つまり、これらの騒動は何らかの事故や突発的な事件ではなく、計画的に行われたものであることを示す。ビルゲンワース経由で魔法省屋敷妖精転勤室に確認をとってみるが、あの部署は魔法大戦によって主人を失った屋敷妖精の為に新設されたものであり、登録された妖精の中にはドビーの名は無かったという。
「諸君の影響は一考するべきと吾輩も考えている。職員会議でも話題になっているのだ。スネイプ教授の助手を謳い、深夜に徘徊する蛇寮生の存在にどの寮生も怯えていると。つまり、諸君が継承者ではないかと疑われている」
「そして英雄志望の獅子寮生が我らをつけ狙い、夜間外出を繰り返すと。何人の生徒を副校長に突き出したか数えきれません。夜間に私室を訪問するのも気が引けるので緊縛して放置したいところですが、それで本当の怪物の餌食になっては困りますからね」
「副校長も獅子寮生を制止してはいるが、納得させるのは難しいだろう。何故蛇寮の者だけが夜間外出を認められるのかと。もっとも、血塗れ女帝と切り裂きジャップ以外は――」
「失礼、何と?」
「切り裂きジャップを知らんのかね。君の後輩だが?」
「……なぜ?」
ケントの事とは推測できたが、理由が全く分からない。自分の目に移る彼は、姫様と付き従いながらも偶に不敬な態度を取る後輩である。蛇寮生らしく身内には甘いが、かといって自分の様に獅子寮と表立って対立しているわけでもない。
「獅子寮生による授業中の文通によると、1年生の間ではミスター・ヤマムラはミスター・クリービー襲撃の容疑者と目されている。詳しい事情は把握していないが、クリービーとの間には何らかの軋轢があったのだろう? その後クリービーがああなっていることや、ハロウィンの前後にハグリッドの家禽が殺されていることから、単なる陰口とも言い難い。猫で満足できなかった、とも言われている」
「意図していたものかはともかくとして、クリービーから差別的な発言を受けたと聞いています。まさかとは思いますが、彼を疑っていらっしゃるのですか?」
「吾輩がその様な者に調査を依頼する様な馬鹿だと言いたいのかね」
「滅相もありません」
「私達は自らに降りかかる火の粉は払えます。ポッターの置かれた状態の方を気にするべきでしょう。ハロウィンの夜にポッターを連行してから、結局運営側は何も目に見える行動をしていない。故にこそ、ポッターは犯人ではないとされていたのも今は昔。ポッターを野放しにしているから次の犠牲者が出たとされています」
自分を客観的に見れば、獅子寮生から呪われた為に報復した実績のあるトロール・イーターである。疑われるのも無理はない。だが、第一発見者であるとしてもポッターが疑われている現状は拙い。確かにクリービーはポッターのパパラッチであったが、何より技量がない。あれが特別な才覚を見せるのはクィディッチだけだ。それを無視して騒ぎたてる程にホグワーツは霧に包まれている。ジャック・ザ・リッパーの居た頃のロンドンの様に。
「改めて申し上げますが、やはり休校にし、生徒を帰すべきです。校内で犯罪が起きているにも関わらず警察機構を介入させないのは今更としても、治療薬も取り寄せず、クリービーを医務室に置いておく理由も不明です。怪物が石化した生徒を殺さないという保証もないでしょう。何故校長はこのまま放置しているのです」
「治療については理由がある。あの猫に既製品を試したところ、全く薬効が無い……あるいはほんの僅か、毛艶が良くなっただけだったのだ。つまり、小動物でさえそうなのだから、ヒトに用いるにはより濃密かつ繊細な調合が必要となる。実験動物と新鮮なマンドレイクが手に入るのであれば、これ以上に都合の良い場所はあるまい。
だが、それ以上の事は分からん。吾輩には校長の考える事は皆目分からんのだ。出入り自由の医務室にクリービーを置くことに反対すれば、友人が見舞いに来られないのはより恐怖を煽ると言う。ならば警備を置くべきと言えば、見知らぬ者を入れれば生徒の息が詰まるだろうと言う。
……あの無能が提案した決闘クラブの設立を、良い気分転換になると承認した時に見せた笑顔。それを見た上で校長から助手に任命された吾輩の気分が分かるかね」
「決闘クラブ……正気ですか。呪詛をぶつけ合う口実にしかなりませんが」
「学閥抗争の激化がありありと目に浮かびます」
「それを懸念してか、フリットウィック教授は助手の任を拒否された。マクゴナガル教授は副校長業務に忙殺されこれ以上の余裕は無く、スプラウト教授もマンドレイクの育成に専念されている。他の教授も、契約外である、決闘には詳しくない、霊体である……と、何かしらの理由をつけて断ったのだ。吾輩はマンドレイクが育つまでは手が空いているとされた」
「心中お察し申し上げます」
「そこで、諸君に助手としてもう一つ仕事を頼みたい。この様なごっこ遊びで怪物に立ち向かおうとする馬鹿者が現れない様に、戦闘の恐怖を教え込んで欲しい」
「お望みとあらば」
†
木曜の夕食後、大広間の机は取り払われ、悪趣味とさえ言える絢爛豪華な金の舞台が設営されていた。予想通り、他寮生を攻撃できる機会を待ち望む生徒が大挙して現れた。既に小競り合いは始まっていたが、各寮の監督生がどうにか抑え込んでいる状態である。その興奮のうねりはロックハートの登場によってさらに高まった。無能であるという話は広まっていたものの、それを否定する者、そこさえも尊いとして崇める者、育ててあげたいと妄言を垂れ流す者。狂信者の信仰は根強い。ロックハートは「静粛に」と群衆に呼び掛けているが、その笑顔からは轟く賛美の声を鎮めようとする意思は見受けられない。
「校長からこの決闘クラブの開催を許可されました。それは、皆さんに迫る脅威――古の——凶悪で——絶大な脅威について、自己防衛が出来る様にと鍛える為です――詳しくは私の著書を読んでもらうとして」
教科書を読んで学べるのであれば、それに注力すべきだ。何のための防衛術の授業か。何故決闘クラブなど開催する必要があるのか。深淵なる理由があるのかもしれないが、それこそヘルマンの言う通り、オッカムの剃刀で削ぎ落すべき思考の贅肉だろう。
「助手を紹介しましょう。スネイプ先生です。スネイプ先生が仰るには、決闘について極々僅かにご存じらしい。訓練を始めるにあたり、模範演武を手伝ってくださる。ああ、ですが、お若い皆さんにご心配をおかけすることはありません――私が彼と手合わせした後でも、皆さんの魔法薬の先生はちゃんと存在します。ご心配めさるな!」
つまりどういうことだ。
寮監を再起不能にした上で、自身が薬学教授も兼任するということだろうか。講義もそうだが、何が目的で何をしているのかが全く読めない。全てが継ぎ接ぎの様な印象を受ける。
一方の寮監は捕食者の笑みを浮かべていた。旧主の番人が連れる赤目犬のそれと同じである。
案の定、ロックハートは寮監に為す術もなく一瞬で葬られた。読み合いも牽制もない。ただ一節の「武器よ去れ」との詠唱で、ロックハートは杖を捥ぎ取られ、壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちた。
この時点で寮監の目論見は達成されていそうなものだが、ロックハートは僅かに笑顔を曇らせたに過ぎなかった。
「中々良い判断でしたね。武装解除術――こうして私は杖を取られ、戦闘力を失ったというわけです。無論、私にそれが分かるという事は、つまり私はスネイプ先生の思惑を読んでいたという事です。故にこれを止めようと思えばいくらでも手段はありました。ですが、武装解除を受けるとどうなるか――それを見せなければ教育とは言えませんからね。スネイプ先生が苦い顔をするより、私の珍しい姿を見た方が皆さんの記憶にも残るというものです。
――さて、お次はスネイプ先生のお弟子さん達から催し物があるという事です!」
寮監が苦い顔どころか殺人も厭わない顔をしているところで狩人が呼ばれた。お兄様とお姉様、ヘルマンとドロテアが舞台に上がった。寮監を軽んじるわけではないが、弟子扱いとは屈辱でしかない。「イングリット、派手に行こう」とお兄様が苦笑すると、お姉様は既に掌に小刀を刻んでいた。
「マリアはどうするの?」
この集会には貴族のお嬢様組も参加していた。パンジーはマルフォイが行くからという理由で、ミリセントは単純に気になるという理由で、ダフネは2人の付き添いである。壁際に用意した椅子に腰かけ、カクテルグラスを傾けている。
お兄様は狩人の、お姉様は娼婦の一礼を交わした。ヤーナムでは娼婦の一礼と呼び習わされているとはいえ、一般的にはカーテシーに見えるものである。
「特に何も。私にしてもケントにしても、狩人寄りの戦法が多いからな。ここで披露するには些か年齢制限がな……ピクシーの駆除を虐殺と呼ぶ様な連中にとっては些か刺激が強すぎる。その点、舞台に上がった狩人達は魔術も十分以上に使える。
もっとも、手の内を明かす様な事はしないだろうから、宴会芸じみたことになるだろうが」
「宴会芸……あれが?」
お兄様が浮かべる幾つもの杖。その先から放たれる様々な呪詛をお姉様は身体に纏わせた焔で燃やし尽くしている。色鮮やかな閃光が次々と緋色に塗り潰される様は幻想的であるが、その熱は荒々しい。時折、焔はお兄様を絡め取ろうとするが、お兄様は僅かに身を逸らして躱した。
「何してるのあれ」
「見た通りだが?」
「見ても分からないから聞いてるんだけど」
「ディルク様は分身術と浮遊術の応用、イングリット様は……まぁ、狩人の極一部が使える秘儀と言ったところです。高濃度の魔力の塊で呪詛を圧し潰してるんですね。似た様な事はヘルマンもドロテア先輩も出来ますけど」
ケントが指し示した2人を見ると、ヘルマンは以前雨粒にそうしていた様に微細な魔力をぶつけてドロテアの呪詛を偏向させ、ドロテアは広間の脇に有った椅子を自分の周りに浮遊させて盾にしている。ドロテアに近いことは出来るが、ドロテアの様に自動化には至らない。
「……狩人でなくても出来るの?」
「お姉様を除けば普通に魔術の応用だからな。お姉様のものも悪霊の焔を用いれば似た様な事も出来るが、一番実戦的なのはドロテアの自動防御だろう。同じ自律型の防御でも、守護霊の召喚より難度の低い浮遊術を究めた方が余程省力化出来る。何より自律制御なら精神状態に左右されないからな。その一方で手動かつ一射ずつ迎撃しているヘルマンの技量はおかしいとしか言いようがない。多分私は彼と同じ歳になってもあそこには至らない」
彼が日頃立体パズルやトランプタワーを念動で完成させているのは暇つぶしではなく鍛錬の為だ。お姉様も料理では包丁を魔術で浮かせているが、その理由は食材に体温が移るのを避けているためである。
「ディルク先輩は?」
「お兄様も私より遥かに優れた狩人であり、魔術師だ。昨年度末の飾り付け事件を覚えているだろう? 血の質、つまり魔力量で言えばお姉様に劣るが、自分の力を扱う能力というのはお兄様が在学中の狩人の中で最も優れている。
ほら、お姉様を見てみるといい。大分消耗していらっしゃるだろう? 一方でお兄様は何らお変わりないままだ」
お姉様の反撃に対しても、お兄様は魔術で防ぐのではなく紙一重で回避している。そうすることで魔力の消費を防ぎ、常に攻勢をかけ続けている。それを可能にするのは、卓越した自身の能力の支配と相手の能力の分析力である。俗に言う、自分の試合が出来るというものだ。
「ああ、イングリット様の降参ですね。ヘルマン達は……まぁ順当な結果ですね」
ヘルマンはドロテアの防御に対して飽和攻撃を仕掛けていた。ドロテアは防御に気を向けず攻撃に専念できるはずだが、ヘルマンの防御を抜けなかったドロテアに勝ち筋は無かった。ドロテアの許容量を見切ってしまえば、後は防御壁の軌道に合わせて一斉に投射するだけである。
「ちなみに闇祓いもあれくらいは可能だと言われている。直接交戦した記録は無いが、転移の連続使用で死角を取りつつ、致命的な呪詛をほぼ無尽蔵に投射していたらしいな」
「もっとも、姫様が宴会芸とされた通り、皆様は本気出してませんけれど。ディルク様なら余裕であの倍の数は魔術投射しながら月光剣を担いで突っ込んできますし、イングリット様なら広範囲爆撃とか炎刃の長大延伸でこの広間毎燃やしますし。ヘルマンは狩人の秘儀を使うでしょうし、ドロテア先輩は銃を持ち出すでしょう」
お姉様はアンナリーゼ女王の血を啜った上位者であるお父様、特別な赤子を孕みうる程の血を持つアリアンナ女王の娘である。そのお姉様はかの時計塔のマリアを模した攻撃を可能とした。もっとも、その素質があったというだけのことであり、その業を習得するための鍛錬は怠らなかった。お姉様もまた、マリアに憧れた狩人の一人なのだ。
「……では、スネイプ先生の弟子達に盛大な拍手を!」
まばらな拍手を受けながら狩人達が舞台を下りる。多くの観衆は実力差に打ちひしがれ、愕然としていた。決闘クラブで学べばこうなれるという甘く愚かな幻想を抱く者も居たが、狩人の力の源泉はたとえ夢幻の内としても死闘の過程に得た智慧と技術である。ただのホグワーツ卒業生が辿り着くことはないだろう。
「成程、これで二度と決闘クラブは開かれないな」
「だろう?」
かの預言者の如く、人の海を割って狩人達が帰って来た。お姉様は上気した顔を扇ぎながら、ケントの持ってきたレモン水に口を付けている。
「寮監のご期待には応えられた様だな。継承者扱いされている俺達の実力をほんの僅か知ったところでこれだ。もっとも、その俺達が未だに継承者を捉えられないという事実に気付くのも時間の問題だがな。
それにしても、イングリットが狩人の業を使うとは思わなかった」
「派手に、と仰せならその様に致しますわ。悪霊の焔の一種とでも思われるでしょうし、狩人の秘儀というより血統魔術ですから別段ヤーナムに面倒な事はないでしょう? それよりお兄様、次の聖杯探索は私といかがかしら?」
「大勢の前で恥をかかされた恨みを晴らす、などと思っていそうだが、兄としての贔屓を除いても恥などと思えるものか。目の前で戦っていても美しいと言わざるを得ないものだった」
「さて、どうでしょう」
お姉様の妖艶な笑みからするに、当たらずも遠からずといったところか。焔の華は観客を惹きつけたが、それをお兄様は鮮やかに塞いでみせた。お兄様を慕う者は元々少なくはないが、更に増えたことだろう。一方のお姉様はその美貌を嫉む同性も多い。一方的に思慕を寄せられただけなのに想い人を横取りした等と言い掛かりをつけられることがあると、ドロテアが密かに教えてくれたことがある。
「吾輩の助手の催しは実に見事でしたな。では、ロックハート……ロックハート教授。どうやら吾輩達もアレに見合った演武をしなければなりませんな。子供のままごとに等しい武装解除術などよりも、より実践的で洗練された死合いを生徒に披露しなければならない。そう、吾輩は判断した」
「いえ、ここは学生同士で高め合うことが目的ですからね――誰か、進んで模範になる組はありますか?」
寮監は仄暗い愉悦を隠しきれていなかった。一方のロックハートは随分な役者である。眉尻一つ動かさずに一応は道理の通ったことを言う。
「ならば、マルフォイとポッターはどうかね。ポッターは昨年の事件を体験しているとはいえ、昨年の防衛術の成績は同程度。実に相応しい相手ではないかと思料するが」
「名案です!」
ロックハートはわざわざ舞台を降り、広間の中央に2人を招いた。利点も思い当たらないことから、おそらくポッターが自身と同じ舞台に立つことを忌避しているのだろう。ポッターに寄り添い、何か入れ知恵をしている様だが、滑稽に杖を弄んだ挙句に取り落としていた。これはポッターに恥をかかせる為の策略だろうか。
マルフォイはロックハートを不安げに見つめるポッターを嘲りながら、寮監の言葉に何度か頷いていた。あれでいて一応は名家の出である。こうした場面で使える魔術は幾つか知っているだろう。
「1――2――3――始め!」
結局ポッターにまともな指導もないまま、号令がかかった。
「蛇出でよ!」
マルフォイの杖先から蛇が飛び出した。細いが長大で、艶やかな黒をしている。禁域の森で見慣れた毒液を吐き出すものとは異なり、愛らしさも感じられるが、学徒にとってはそうではないらしい。舞台の周囲に居る者は悲鳴を上げてのけぞった。
「さあ、偉大なるロックハート先生様のご指導の結果、見せてくれよポッター!」
ポッターは唇を噛むが、杖を向けたままで微動だにしなかった。蛇とポッターの距離は離れている。蛇を無視してマルフォイに呪詛を放ればいいものを、そうしないのはマルフォイへの対抗心からだろうか。しかし、浮遊術なり石化術なり1年生でも扱える魔術で十分に始末できるだろうに、何を躊躇っているのかは分からない。
先程寮監の披露した武装解除術を使えば日頃の鬱憤も晴らせるだろうが、嫌う者の技を使う事には抵抗があるのだろう。それだけは共感できる。ロックハートを真似て笑顔を振りまき美辞麗句を並べれば血塗れ女帝呼ばわりはされないだろうが、それはどこか魂の一部が自分ではなくなる様に思える。
「大方、決闘の真似事と思い吾輩から何も学ばなかったのだろう……これが吾輩の授業中であれば減点しているところだ。追い払ってやろう」
「私にお任せあれ!」
寮監が呆れ果て、杖を鷹揚に取り出そうとした瞬間、ロックハートが叫んだ。ロックハートが杖を振るうと、蛇は宙に吹き飛び、そして床に落ちた。当然、蛇は怒りに狂乱し、ポッターではなく身近な学徒に向かって鎌首をもたげた。まさかとは思うが、無詠唱発動を試みて失敗したのだろうか。
蛇の標的となったフレッチリーは恐怖のままに硬直している。所詮マルフォイが生み出した蛇であり、ヒトを絞め殺す密林の大蛇でもないのに何をそこまで恐れるかは分からない。運が悪くとも腕を折られる程度の事だろう。寮監が黙して手を出さないのも、ロックハートの無能さを浮き立たせるというよりは、大事ではないにせよ事故による決闘クラブの廃止を期待しての事だろう。お兄様とヘルマンも興味無さげに遠くを見ていた。
フレッチリーの鼻先まで蛇が首をもたげた瞬間、ポッターが動いた。走り出すでもなく、まるで蛇の様に、音も立てない歩みだった。ただ、その口は獅子の咆哮の様に開かれ、そこから表音出来ぬ擦過音が漏れ出た。
蛇はポッターに向き直り、とぐろを巻き始めた。それにつれ、広間に満ちる声援と野次は静まり、ポッターの紡ぎ出す音だけが空気に刻まれていく。
「……これは酷い」
お兄様が短剣を蛇に投げつけた。蛇は首を床に縫い付けられ、一瞬痙攣した後に靄となって消え失せた。寮監も先程までのポッターを晒し上げる愉悦ではなく、驚嘆と困惑を綯い交ぜにした表情で杖を掲げていた。
驚くのも無理はない。ポッターの口から漏れたあの音は蛇の言葉である。その内容はともかく、それを発したという事はポッターにとっての地獄の門扉が開かれたことを意味する。
スリザリンの秘密の部屋。その開放を最初に発見した者。
スリザリンの象徴たる蛇。それと言葉を交わした者。
分解してみればただの羅列でしかない断片が、結びついて物語となる。ポッターの笑顔から蛇を制止したのだろうという事は分かるが、それをこのホグワーツという地獄の住人達が理解するはずもない。
「これで継承者探しは終わるだろうな。これからは迫害の始まりだ」
「ふぅん……校長にでも匿ってもらうのかな」
嫌いだからといって咎無くして死ぬ姿を喜ぶ程子供でもない。
ポッターの罪はハーマイオニーを傷付けたという自らの罪を隠し、子供じみた英雄願望の結果彼女を殺しかけた事。そして、その罪を贖わず、さも赦され、友人であるかの様に振る舞っている事。その罪を忘れ、再び石を護る等と息巻いて英雄に成ろうとした事。彼女は人格形成の為に利用しているに過ぎないと言った。赦されていない事を赤毛共々理解するのはいつになるだろうか。
幼稚さから成った邪悪だが、彼の罪と今年の騒動は何ら関係がない。昨年は校長の奸計に踊らされ、余計なことに首を突っ込み、彼女を巻き込んで自殺を図ったと言えるが、今年についてはただの被害者である。故に、勝手に死ぬのは好きにすればいいが、殺されるのは違うだろう。
ポッターが継承者であるとは断言できないが、継承者であると疑った方が楽ではある。そのホグワーツ生の易きに流れる性質は、たった3か月過ごしただけのケントでさえ理解している。ダフネもポッターが直面するだろう悪夢に気付いている様で、同情はしていないにしても思うところはあるらしい。
ざわめきが怒号になる前に、ハーマイオニーと赤毛がポッターを広間から連れ出した。狩人としてはポッターに話を聞きたいところだが、これでポッターに接触しようものなら余計な混乱を招く。いつも通りハーマイオニーを通じた方が良いだろう。
「……結局、杖を振り回したところで蛇にすら対応できぬ。それが諸君の実力だ。少しは日々の授業をまともに受ける気になったことであろう。寮に帰りたまえ」
私語は許されない授業でさえくぐもって聞き取り難い寮監の声だが、此度は水面に石を投げた様に響き渡り、生徒達は列を成して抜け出て行った。ロックハートもいつの間にか姿を消していた。
狩人達は助手として広間の原状復帰を手伝うという名目でその場に残る。もっとも、名目上だけではなく実際に作業も行うが。
それぞれが作業にあたる中、ケントは厨房から茶と軽食を運んできていた。死闘とは程遠い見世物とはいえ、壇上に上がった狩人達には良き補給となるだろう。
「継承者かどうかは判断出来ませんが、まずはポッターの保護を。疑心暗鬼で殺されかねません」
「校長に進言しよう。聞き入れられるかは別だが。それより、どう見るかね」
「継承者がポッターであると判断できる要素は増えましたが、一方でポッターではないと判断する要素も増えました。秘密の部屋の怪物が蛇にまつわるものとして、では何故自らその能力を明かしたのか」
「それに、蛇を制止する必要もない。いや、俺達も蛇語を聞き取れはしませんが、あの様子から推測するに制止したのでしょう。本当に継承者であるのなら、無能のふりをして蛇に襲われるのを眺め、よりそれらしいとされているマルフォイ少年が疑われている方が彼にとって都合がいいはず」
マルフォイは談話室で「僕じゃないが、継承者とは是非とも仲良くしたいね」等と嘯く一方、他寮生から継承者だと噂されれば気を良くしていた。継承者の敵が純血以外を意味するのならば、蛇寮にもその該当者は少なくはない。それ故に自身がそうではないと告白しているのだろう。マルフォイには幼稚な虚栄心だけではなく、一応の保身も兼ねる程度には賢しい一面もある。
「左様。ポッターは不出来な生徒以上の事はない。ホグワーツ特急とブラッジャー、そして屋敷妖精について、狂言としようにもあれにそんな知恵はない。
……子供同士の諍いで死人が出るなど冗談にもならん。ポッターを殊更に守れとは言わんが、貌の無い怪物を生み出したくもない」
「秘密の部屋の怪物とは、疑心暗鬼が生む呪い……そんな御伽噺なら性質が悪いですね」
「殺して終わるなら学生全てを殺さねばならないからな」
「怪物の死体を検めたらただの人間だった、なんてオチもありそうだ。怪物を見る者こそ怪物だった。ハツカネズミがやってきた、話はお仕舞い」
「笑えんな」
寮監が疲れた溜息をこぼすが、怪異殺しの界隈に於いては珍しくもない惨劇である。
「ええ、ですが元は生徒だったモノを殺める事も覚悟しておりますわ。ポッター君が蛇語を話した後から、血が少し蠢いていますので」
寮監は服従の禁呪が飛び交っていた暗黒期を知っている。そうした時代にはヘルマンの挙げた悪趣味な冗談よりも酷い事実もあったのだろう。
そして、今のままホグワーツが憎悪ではなく狂気に取り込まれれば、それよりもより酷いことになる。恐るべき獣には成り得ないとしても、理性の無い獣人となる事はあり得る。一応は抑制剤が発明された人狼症と異なり、魔法族という血の本性に因るそれに、救済は死を以ってしか得られない。
「何かの比喩かね」
「そうとも言えますし、そうでないとも言えます。いずれにせよ、生徒の精神面での対処は必要になってくるでしょう」
「食事に生ける屍の水薬みたいな精神安定剤仕込むとか?」
寮監は片方の眉を吊り上げた。ドロテアの授業態度について同様に脅して窘めているため、その意趣返しとでも思われているのだろう。
「ミス・グリム。進路希望は漫談師としない方が賢明ですな」
「ドロテアが言ったことなので信じられないかもしれませんが、大真面目に検討して頂きたいですね。
魔法族の子供は感情に因って魔術を発動するでしょう。魔法族とは理性という壁で出来た水槽で、魔術とはその中から必要なものを必要なだけ汲み出す事です。
この程度の事を寮監に話すのはマーリンに教えを説く様なものですが、問題は精神の揺らぎはその水槽そのものを揺らす事です。子供の癇癪で多少零れる事は許容できても、大人の力で揺らすのならば、水槽そのものが壊れる事もあり得ます。
悪魔の子、オブスキュラスは水槽の中に棲まう寄生虫ですが、水槽の崩壊は誰にでも起こり得る事象です。他にも細かな条件はありますが、その崩壊こそ、僕らが恐れ、そして防ごうとする獣の病という災禍です」
「特に魔法族が密集した場では水槽は共振し、増幅し、壊れやすくなる。そして初めに壊れた水槽の破片が他の水槽を傷付け、一斉に崩壊する原因となる。観念的な話ですが、俺達の使命は破片が周りを傷付ける前に、痛んだ水槽を分解すること。そして、父が約束したヤーナムの投入とは、その最終的かつ不可逆な解決方法……鏖殺をも射程に含む」
「僕達としてもそんな手段はとりたくはありません。たとえそれが薬によるものとしても、精神の安定を得られるのであれば惨事の予防となります。多少授業の進みが遅くなったとしても、イモリやフクロウの成績が落ちたとしても、死ぬよりマシでしょう。こんな事態を放置して授業を進めている事こそ、狂気そのものですが」
容器の内側から外に飛び出ようとすること、ヤーナム的に言えば救済を求め内在闘争に敗北する事も条件の一つだが、寮監は詳細な情報を求めているわけでもあるまい。
「クリービーの親など、特に危険でしょう。魔法族を生むという事は、魔力の因子が僅かながらもあるという事です。何らかの事由で魔術教育を受けなかった魔法族である可能性もあります。
いずれにせよ、魔法界という未知の世界に信じて送り出したら、手紙は途絶え、クリスマスにも帰らない。理由を訊けば、訳の分からない怪物に襲われて意識不明の重体で、親元にも返せないし魔法界・非魔法界のどちらの医療機関にも診せていないという。そんな状況では不安どころの話では……
いや、まさか知らせていないのか?」
ヘルマンの疑問はもっともだった。そんな訳の分からないところで訳の分からない事態に陥っているのであれば、治療の見込みはどうあれ自らの下に我が子を取り戻したいと願うはずだ。だが、クリービーが親元に帰るという話も、親が来校したという話も無い。
「左様」
「都合がいい。ですが、反吐が出ますね。親を騙して子を奪った様なものだ」
「いや、ヘルマン。事実を伝える事が必ずしも良いことではないだろう。いたずらに無力感やホグワーツへの憎悪に苛まれるよりは、事態が解決したらさっさと退校を決める方が建設的だ。未だ11か12だろう。中等教育に移る前に大病を患ったとすればあちらでの経歴も傷は浅い」
ヘルマンは吐き捨てるが、お兄様はそれを否定する。清濁併せ吞むという話でもなく、親の意志と利益どちらに天秤が傾いているかということだろう。昨年のハロウィンの夜にしても、年度末の夜にしても、ヘルマンは理屈こそ並べるがそれは意志を貫くための手段である。
「他の非魔法族生まれの生徒の親も事態を知っていれば心配しているんじゃ? まさか検閲でもしているんですか?」
ケントが律儀に挙手して言った。
「それはない。副校長が忙しいのは検閲ではなく保護者対応だ。吾輩の授業に対する抗議よりも多い苦情が寄せられるのは初めてとのことだ」
「まぁ酷い。あの副校長がそんなことを仰るなんて、本当にご苦労されていらっしゃるのですね。なら、校長のお忙しさは私共の想像も及ばぬことでしょう」
お姉様が皮肉を飛ばす。先程の演武はお兄様の求めに応じたと仰ったが、それが全てではないだろう。校長はすべきことをせず、それでいてままごとで安寧を取り戻そうなどという校長の姑息な態度にお姉様は怒っている。故に、狩人として磨いてきた業でその目論見を崩そうとしたのだろう。
「校長がどうあれ、早期解決に尽力する。吾輩にしても、諸君にしても、すべきことはそれだけであろう。
吾輩の授業に関しては諸君の出席義務を免除する。試験成績さえ十全であれば何も言う事はない」
「その校長は何をしていらっしゃるのか、俺達には全く分からないのですが」
「その答えは既に伝えた通りだ。吾輩も分からん」
†
非魔法族生まれのフレッチリーは当初ポッターが何をしたのかは分からなかった様だが、純血のマクミランは違った。そのマクミランの言葉を受けて、「彼は僕を殺そうとした! どうして先生達はあいつを退学させないんですか!」とフレッチリーが声高にポッター脅威論を喧伝するのに時間はかからなかった。
これに一番恐怖したのは蛇寮だった。ポッターも典型的獅子寮生であり、蛇寮生がその攻撃対象となる事は予想出来た。継承者の敵という言葉が非魔法族生まれの者ではなく文字通りの意味とすれば、真っ先にポッターの敵となり得るのは蛇寮生だろう。
しかし、ポッターが蛇語を用いて蛇をけしかけたとするならば、正しくポッターは継承者であり、蛇寮生が襲われるといったことはないだろう。フランキ監督生はそう言って寮内の鎮静化を図った。
だが、ポッターがまず間違いなく恨みを持っているだろうフレッチリーとマクミラン、ついでに獅子寮憑きのゴーストが翌週にまとめて石になったことで、蛇寮の望みは絶たれた。
昨年よりもクリスマスに家に戻る者は多い。ミリセントに至っては、ほとぼりが冷めるまでそのまま帰ってこないつもりだという。寂しくはあるが、親の心情を考えれば当然の事だろう。
他寮も同様で、休暇前の慌ただしさだけではなく、幾分か湿り気のある朝食であった。一方、マルフォイは「ポッターが継承者? ハッ、それこそマーリンの髭さ。それに、誰が継承者だろうと怪物が僕を襲えるはずがない」と言い切っていた。パンジーも同じ調子で「今年もプレゼントはチョコの詰め合わせでよくって?」と、何の心配も無い様だった。
意外な事に、フランキ監督生は帰らなかった。敬虔な信徒であればクリスマスは家族と過ごすだろうと思っていたが、「蛇寮もまた家族であり、騒動の中で家族を捨ててシチリアに帰るなど、それこそ教えと掟に反する」とのことだった。
「マルフォイ、ご機嫌な様で何よりだが、何か父君から聞かされていないのか」
「僕が伺ったことはみんな話したさ。父上だってその時に在学中だったわけではないからね。それこそ、君たちはどうなんだい。色々嗅ぎ回っているみたいだけど」
「お手上げだ。私達はボンドでもホームズでもないんだ。地道に虱潰しするしかない」
「マグルの偉人かい?」
「ボンドは公務員として活躍する色情狂。ホームズは私立探偵として活躍する薬物中毒者だ」
「マグルはどうかしている」
「マリアの説明がおかしいだけよ」
無聊の慰めにマルフォイを揶揄っていると、ハーマイオニーが朝食を持って現れた。フレッチリー達が襲われてからというもの、ハーマイオニーはポッターの傍に居る事が多くなった。彼女がこうして朝食を蛇寮の席で摂るのは久しぶりだった。
「グレンジャー、荷物はまとめ終わったのかい? 本をたぁーっぷり抱え込んでいるんだろう?」
「ええ、おかげでお純血様より成績優良よ」
「それよりマルフォイ。貴公は帰らないのか」
「父上が忙しくしていらっしゃるからね。魔法省や政財界の有力者への働きかけさ。マグルが何人死んだところで知った事ではないけれど、理事を務める学校の不祥事が未だに収束していないなんてね。もちろん父上のせいではないにしても、敵は粗を探すし、愚物はそれではしゃぐのさ」
「なら顔を見せて安心させるのが子の務めじゃないのか?」
「そんな状態で子供が帰ったら醜聞になるんだよ。他所の子供は危ないまま、自分の子供だけは安全圏に、って具合で。ウチは只の高額寄付者だからどうってことはないけど」
「言うなよダフネ」
マルフォイは見栄の裏側を暴いたダフネを睨むが、ダフネは一瞬手を止めて視線を上げただけで、直ぐにトーストにジャムを塗り始めた。
「それだけマルフォイ家の名は重いって事でしょ。次期当主様も大変だね」
「君だってどこか良家の次男か三男を婿に迎えて家を継ぐだろう? 君の妹は嫁入りだろうけど、それだって相手の家の為に尽くすわけだ。
それから逃げ出したのがウィーズリーだ。しっかりと血の責務に向き合っていればああまで没落することはなかったはずさ。まぁ、そんな人間だから公職についていて好き勝手やるんだろう」
マルフォイが新聞を指し示すと、先のロンドン上空飛行の件で車の所有者であるウィーズリー氏が罰金刑を受けたことが記載されていた。そもそもウィーズリー氏は非魔法界に流入する魔術を規制する立場であり、その職権を私していたという。免職にならない辺り随分と緩いものだ。
「見たかいグレンジャー。これが連中の言う、マグル保護のやり方ってわけだよ。僕の家に呪具の不法所持疑惑だなんて乗り込んでおいて、自身はこれさ。父上がウィーズリー家を蔑むのも分かるだろう?」
「それと私の親を蔑んだこととは関係ないでしょ。血の濃さであれこれ言うつもりはないから、そちら側でどうぞお好きに為さってくださいな」
「はっ。英雄ポッター様と没落貴族ウィーズリー様に取り入っておいてよく言うよ。どっちの血が本命でどっちがキープ君なんだい?」
「あら、マルフォイ家のお坊ちゃんは繁殖期なのね。犬みたいにいっぱい子宝に恵まれるのかしら」
「そこまでだ。子沢山の話は身につまされる」
パンジーがハーマイオニーを殺しかねないので流石に止める。マルフォイはハーマイオニーについて怪物に襲われて死んでほしい程度には思っているだろうが、友人が代わって殺して欲しいとは思わないだろう。
「そういえば、マリアって何人兄弟なの?」
「ギネスブックに載るほどでもないが多いとだけ言っておく」
上位者故に子供ができにくいとはいえ、年上の甥姪が何人も居る程だ。それらも当然子を成す為、存命のボーンの血族を漏れなく数えるとなるとかなりの時間がかかる。
何やら「私のお婿さんかぁ……」と物憂げなダフネの背を押し、友人達を城門まで送った。既に骨と皮ばかりの天馬が待機しており、静かに体を揺らしていた。カインハーストの馬は翼こそないがこの天馬の亜種であるらしい。嗅覚に優れるセストラルは、招待状に染みついた特別な血の匂いを嗅ぎ付け、ヘムウィックに客人を迎えるのに具合が良かったのだろう。雪に埋まり、走り疲れた身体を冷やす様は可愛らしくもある。
「ロングボトム、気を付けたまえ」
「ああっ! ごめん! 殺さないで!」
ロングボトムが馬と目を合わせない様にしていたせいで、ぶつかってきた。彼は泥だか馬糞だか分からない地面に転げたが、それよりも血塗れ女帝に触れた事を厭うとは随分と嫌われたものだ。
「……わざとならともかく、不注意でどうこうもない」
「えっ……僕たちのとこだと、君の機嫌を損ねると腕を斬り落とされるって聞いてるけど」
「それは違う。正確には、私を呪ったら杖腕を粉砕する、だ。それより、貴公も帰るのか」
「うん。怪物はきっと僕も殺したいって思ってるから。それに、お父さんとお母さんに会いにいかなくちゃ」
純血でありながら獅子寮であり、劣等生であるという立場は成程血を裏切った者とするに相応しいだろう。マルフォイがやたらとロングボトムを攻撃しているのも、建前上は純血としての誇りを思い出させるためである。そのお純血様がハーマイオニーに何一つ優るところが無いのは、それこそ純血としての誇りはどうしたという話なのだが。
「闇祓いとして名を馳せたと聞いているが、この時勢でも忙しくしていらっしゃるのか。警察は大変だな」
「僕の両親はもう闇祓いじゃないんだ。遠いところに行ってる」
「そうか。久しぶりの団欒を楽しむといい。私達も貴公らが居ない間に怪物とやらを切り刻んでおきたいところだが……期待はしないでくれ」