ホグワーツと月花の狩人   作:榧澤卯月

32 / 44

魔眼

本来受容体である眼球が魔術を投射する器官として発達したもの
その効果は邪視として非魔法族にも広く知られている

視るという事は、その対象を知り、接続することである
故に上位者たちとの交信を求めた者は瞳を願ったが
視界に結んだ像を理解するのは脳であり
人の脳では見えたものが何であるのか、ついぞ理解し得なかった



魔眼

 あれだけ狩人が悩んでいた秘密の部屋と継承者について、その答えはあっさりと得られた。自室に戻ると、深夜の甘味の魔力と理性との葛藤に苛まれていたダフネがいた。騒動の理由を問われたため、血文字と猫の話をし、秘密の部屋を知っているかと訊けば、知っていると何の事はなく返ってきた。既に入浴を終え、寝間着に着替えているダフネを談話室に連れていくことは出来ず、ひとまずお姉様とドロテアをサロンに呼んだ。

 

「秘密の部屋は、ホグワーツの伝説ですね。学祖スリザリンが作った部屋で、その中で真の魔法族だけが魔術の神髄を学ぶとされています。そこにはスリザリンが残した怪物が潜んでいて、学校に相応しくない者を排除するということです。その部屋を開けられる者を継承者と」

「ならば、あの猫は学校に相応しくないと?」

「性質の悪い悪戯じゃない? 猫に関する逸話なんてホグワーツにはないと思うけど」

「んーん。それにしては高度過ぎたんだよねー。あの呪詛はそこらの学生が出来る様なものじゃなかったよ」

 

 少なくとも、教員がその場で解呪できない程度である。無能のロックハートはともかく、初見でクィレルの魔術に対抗していた寮監でさえも、診る事しか出来なかったのだ。

 

「……猫とその伝承は分けて考えるべきではないかしら。伝承のスリザリンは、純粋な魔法族にのみ魔術を教えるべきとされていたのよ。なら、学生ではない管理人を害する意味が分からないわ。

 さっきヘルマンが挙げていた、何故あの場所なのか、何故今日なのか、何故猫なのか。様々な疑問と、伝承との繋がりが見えてこないもの。むしろ、猫そのものに注目する方が見えてくるものがある様な気がするわ」

「そうは言うけどさー、そんな古臭い話の悪戯がされた場所に、偶然にゃんこが呪われて吊るされるなんて、なくない?」

「スリザリンとグリフィンドールは決闘までしたと聞きますから、猫を獅子に見立てたという事は?」

「お、ダフネちゃんもそれ考えますか」

「私は同意出来ないわ。確かにスリザリンと直接的に対立したのはグリフィンドールとされているけれども、純血以外の魔法族にも門戸を広げるべきとしたのは、博愛主義者のハッフルパフとされているわ。

 それに、蛇寮にだって純血以外の生徒がいるもの。現代に継がれている学祖達の思想からすれば、継承者の敵はどの寮にだって居るはずよ」

「そんなに秘密の部屋の継承者が思想に忠実ならさ、あんな場所に書かないって。あたしがガチの狂信者だとして……そーだね、校長室の真ん前かな。魔法省の関わりもあるんだろうけど、結局入学者を決めているのは校長なんだし、校長は獅子寮出身者で獅子寮贔屓。これなら猫との繋がりもあるじゃん」

「そこまで信奉しているなら、象徴ではなく本当に鷲獅子の死体を飾るのではなくて?

 それにドロテア、貴女が言った通り。継承者を騙る者であれば、あのような場所に書くこともおかしいし、警告に留める理由もないし、猫を殺さずに石化させるということもおかしい。

 貴女の言っていることは矛盾しているわ。血文字と猫は別の事柄よ」

 

 柔和な様でいて頑固、軽薄な様でいて頑固。お姉様もドロテアも、根幹では似ているところがある。ダフネは心配そうに目配せをするが、稀によく有る事だと耳打ちする。

 

「ねー、マリアはどう思うの?」

「私に振るか……んん……そもそも、伝え聞く学祖の思想というものが、正しいという根拠がない。2人の推理はそれに立脚しているが、前提が狂っている仮定では成り立たないのでは? 先程の我らの推理も、秘密の部屋があのトロールのトイレと仮定して進めていたが、実際は違っていただろう。

 少し時代を移せば、事実などいとも簡単に消失する。既に死していたゴースの言葉を求め続けたミコラーシュなんていい見本だろう」

「あぁ、マリア様……それを言っちゃいますか」

 

 狩人にとって、メンシス学派と同じであるとされるのは、「穢れた血」程ではないにせよ、相当な侮辱となる。2人の眼は剣呑な光を帯びた。

 

「マリア、言葉には気を付けなさい」

「言い過ぎました。申し訳ございません。

 とはいえ、歴史とは勝者の紡ぐもの。スリザリンにとって都合の悪い様に編纂した歴史が、現代に継がれているとすればどうでしょう。学祖達の肖像画や手記が遺っているわけでもありません。

 ホグワーツは戦乱の最中に作られた城なのです。

 実はハッフルパフは魔法教育の場ではなく、魔術の素養に関わりのないただの孤児院としてホグワーツを設立した。

 実はレイブンクローは魔術だけではなく、科学技術をも教えていた。

 実はグリフィンドールは魔術師ではなく、騎士として子供を訓練していた。

 実はスリザリンこそ博愛主義者で、子供を戦力とみなすグリフィンドールと対立した。

 実は秘密の部屋とは、グリフィンドールに粛清対象とされた者を匿う場だった。

 ……自寮贔屓の突飛過ぎる発想ではありますが、これを否定する材料もありません。もっとも、蛇寮が地下牢に在るという事実は、スリザリンが決闘に負けた結果なのかもしれませんが。

 今伝えられているホグワーツの歴史は勝者によって都合よく歪められたものであり、秘密の部屋の継承者は真の歴史を知っている者だとするならば、猫にしてもあの場所にしても、継承者にとっては意味のある事かもしれません」

 

 ミコラーシュがゴースの死を知らずに交信を求め続けていた理由に幾つか仮説はあるものの、こうした伝承の断絶や恣意的な編纂に解を求める説は多い。他には、そもそもウィレームを含めたビルゲンワースの学徒達がゴースの死を認識していなかったという説もある。いずれにせよ、上位者に関わる知識と知恵には意図的に廃されたものがある。

 医療教会ではなく狩人の工房に上位者の赤子の臍帯があった。ビルゲンワースに残る学徒の手記には、臍帯の意味は既に把握されていたことを示す。だが、メンシス学派も聖歌隊も、臍帯血が上位者と人との媒介である事を知らなかった。

 これらから、ローレンスの率いる初期医療教会は次世代に対し、意図的に情報を遮断したのであろう事は間違いないとされている。

 教会に関わる建物はその幾つもが損壊・焼失したが、それを前提としてもビルゲンワースから後期医療教会に至るまでの情報が少なすぎる。処刑隊に至ってはその意思を継いでいるはずのアルフレートでさえ、処刑隊の何たるかを知らなかった。

 血の医療の名の下に行われた悍ましい過去の実験は秘匿され、幹部にのみ口伝で伝えられるとしても、その研究過程・成果が壊滅的に消失しているとは考え難い。

 現在のビルゲンワースは、夜明けを迎え、最後の学徒ユリエに教えを受けたヤーナム生存者たちが継いだものである。教会の上層、聖歌隊の末裔であるヘルマンが何かを知っていてもおかしくはないのだが、おそらくは時計塔のマリアや、暗殺者ブラドーの様にユリエは何かを隠し、失伝したのだろうと言う。

 ホグワーツの歴史も同様であろう。

 

「いずれにせよ、今のままでは右脚を切り落とす事になります」

「右脚を切り落とす? ヤーナムの諺?」

「思い込みで動けなくなってしまう事の喩えだね。まぁ、狩人の始祖は義肢でもあたしより早く走ってたけど」

「ハーマイオニーの情報も気になりますし、それを聞いてから考えましょう」

 

 入浴を終え、歯を磨き、寝床に潜るのは日付を跨ぐ頃だった。ダフネはとうに寝静まっていたが、こちらは遅くに茶を飲んだせいか横になっても寝付けない。気休め程度ではあろうがカモミールティーを淹れ、ベッドから這い出て机に向かい、獣狩りの夜を想う。

 

 ブラドーが行く手を阻む事は分かる。漁村から始まる呪い、それは血の医療の根幹を揺るがす事実である。古狩人デュラとその朋友はその先の秘密を知り、なおも旧市街を焼いて医療者然とする教会の業を目にし、人の為の狩人である事を止めたのであろう。狩人の悪夢に堕ちたもう一人の友を想い、それが還ってくることを待ちながら。

 では時計塔のマリアはどうか。狩人の恥を隠すとシモンは言ったが、ゲールマンの徒弟であっただけのカインハーストの女が、血に酔いもせずに悪夢に身を置き続けるか。カインハーストも上位者を求めて血を弄んでいた一族であり、僅かな記録によればマリアはそれを厭い、出奔したという。漁村の惨劇は狩人の恥であったとて、狩人とは結局は彼女が嫌った血の探求に属する者であり、その恥部を秘匿し続ける意味を狩人の業を隠すためとする事はあまり合理的ではない様に思われる。

 自分がマリアの立場であれば、二度と繰り返されぬ様にビルゲンワースも医療教会も殺し尽くし、ヤーナムを去るだろう。だが、彼女は時計塔に眠り、血ではなく技量を以って扱う武器を佩き、それに自らが疎んじた血の力を重ねて、漁村に向かう者を阻んだ。つまり、カインハーストの血を継ぐ者である事を受け容れたのだろうか。

 カインハーストの血の特性、それは上位者オドンの子を孕む胎となることである。男性の血族であれば、ゴースの様な女性神を孕ませることも可能であるかもしれないし、あるいは特に女性にのみ発現する性質であるのかもしれない。いずれにせよ、娼婦アリアンナ、ヨセフカを騙る聖歌隊の女はオドンの子を孕んだ。であるならば、マリアも同様、否、それ以上に相応しい胎となっただろう。

 では、ゲールマンの工房に残された臍帯はマリアの子のものとすれば、マリアはオドンの子を産んだのだろうか。

 今は亡きゲールマンの遺品、それは人形と髪飾りである。おそらくゲールマンに因るものだろうよく手入れされたそれらとマリアの似姿の繋がりは、ゲールマンとマリアとの繋がりだ。ゲールマンとマリアには、単なる狩人としての師弟関係以上のものがあったのだろう。狩人の祖、ゲールマンの徒弟がマリアだけとは考えられないが、ゲールマンがマリア程に特別に扱う狩人の存在は思い当たらない。

 だが、ゲールマンの譫言に師ウィレームと盟友ローレンスの名を聞くことはあっても、マリアの名はない。

 人形は造物主たるヒトを愛すると言う。だが、髪飾りに込められた愛を識るまで、あれ……彼女は愛を理解していなかった。つまりそれは、造物主は愛するものだと刷り込まれただけの反応であったことを表す。昨年、ポッターが直面した出来事に見せた反応を、校長は賢者の意志とした。結局のところ、それは校長が思い描く賢者たる者の取る選択をポッターが取るように仕向けというだけのこと。ゲールマンが夢の内ではマリアの似姿をぞんざいに扱うのも、おそらくは人形の感情や思考がそうした作り物、あるいはまがい物だと感じたからだろう。しかし、時計塔のマリアを殺せば、人形は枷から解き放たれたと感じていた。つまり、人形は只の模倣ではなく、確かにマリアと繋がっていたのだろう。

 繋がり。魂を分かち、物質を錨として留め置く技法があったはずだが、人形の言う枷と関わりはあるのだろうか。

 似姿といえば、同じ喪服を着て悪夢を彷徨うほおずきは何であろうか。異常なのは、外見だけに留まらない。歌いながら徘徊し、抱擁する。あれは恋人か子に愛を注ぐ女のそれである。ほおずきはマリアあるいは人形の見る夢だとして、あれらは何かを愛そうとする表れだろうか。あの歌は愛を歌うものか、それとも子守唄だろうか。

 ゲールマンが保管していたマリアの小さな髪飾りを渡され、人形は理由も分からず涙を流す。それをもたらす感情を彼女は、喜びと称した。ゲールマンからマリアへの愛を受け取る事に、その似姿が喜びを得た。マリアと人形が繋がっているならば、人形が感じた喜びはマリアのものでもあるのではないか。

 だとすれば、マリアもまたゲールマンを愛し、狩人の為ではなくゲールマンの為に漁村を封じたのだろうか。あるいは、マリアが護っていたものは狩人の恥部でもなく、ゴースの遺子でもなく、マリアとゲールマンの間に生まれた子か。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 人の営み全ての動機を恋愛感情に起因するとする、ヘルマンの言うところの恋愛脳に陥ってしまっている。そもそもマリアが子を産んだかどうかも分からない。振り返ってみれば、根拠も道筋も無い憶測の垂れ流しだった。案外、眠気を誘うカモミールティーの効果はあったのかもしれない。

 気付けば、湖面から届く幽かな光は月と星のものではなく、薄紫に空を染める太陽のものに変わっていた。

 今日は日曜である。ダフネに倣ってブランチにしようと決め、寝床に潜り、瞼を閉じた。

 

 

 安らかな眠りは早々に破られた。

 朝食の時間にも至っていないが、ハーマイオニーが来訪したらしい。談話室の前で待たせていると伝えてくれたファーレイ監督生に、欠伸を噛み殺しながら礼を言う。

身支度を整え、女子房を出ると、既にお兄様とヘルマンがケントの淹れた緑茶を飲んでいた。ハーマイオニーにも外で湯呑を渡しているという。昨晩ダフネから聞いたスリザリンの秘密の部屋の伝承について説明を終えた頃、女子房からお姉様がふらふらとしているドロテアを支えながら表れた。茶は要らないと言うので、そのまま談話室を出ると、ハーマイオニーが石段に腰かけていた。

 

「おはよう」

「おはようございます、皆さん」

「で、昨晩の件だろう。食堂や廊下ではまずい話かな」

 

 ヘルマンの問いにハーマイオニーは頷くので、トロールの方の秘密の部屋に移動した。

 

「見えぬ者の声が聞こえる、か」

「ヤバいわよ」

「ヤバいですね」

 

 お兄様がハーマイオニーの言を反芻し、ドロテアとヘルマンが応えた。

 ハーマイオニー達が血文字の廊下に居た理由。それは、ポッターにしか聞こえない声を追っていった結果だという。そもそもの端緒となる獅子寮のゴースト、ポーピントン卿の絶命記念日の宴については些末なことであったか、思い出したくないものなのか、特に触れられることは無かった。

 

「やっぱり……。それでスネイプ先生も校長もそれを気にしていらっしゃったのね」

「校長は知っているのかい?」

「ハリーはあそこに居た理由を誤魔化したけれど……おそらく、校長は開心術を使ったと思います。彼の目をじっと見ていましたから」

「またやったのか」

「またとは何です姫様?」

 

 さして興味もなさそうに聞いていたケントの目に、幽かな光が灯った。

 

「ああ、校長は開心術を使う。それも、無言かつ無杖で、目を合わせただけで発動する程の使い手だ」

「何ですかそれ。下手をしたら魔眼の域じゃないですか」

「魔眼?」

 

 ハーマイオニーの様に真っ当な学生ならば知らぬ者も多いだろう。狩人にとっては、血中の虫を狂わすメンシスの脳やほおずきと、馴染み深いものである。死者を模すことで魔術保護を施された墓守の仮面や、薬草の香気によって保護されている鴉羽のペストマスクといった装備は、技術革新によって外見に因る性能差が誤差の範囲と言える現代の狩装束に於いても、元来の効果にあやかり、未だに根強い人気がある。

 

「魔眼というのはね、「視る」だけで相手に作用する力、あるいはその眼球そのものの事よ。ホグワーツで教わる魔術は、術式の詠唱や動作が必要な事は分かるわね? 魔眼はそういった条件もなく、ただ視るという動作だけで発動するの。もっとも、相手の抵抗力を上回るだけの魔力が必要なのは一般的な魔術と同じだけど」

「まー、結局は視線を介した魔術だよ」

 

 眼とは、外界との交信具である。触れるよりもよく相手の形を知り、聴くよりも早く相手の動きを知る。時によっては匂いや味さえも知る事が出来る。相手を知る事について、血狂い達は蒙を啓くと呼び、そしてそれは確かに見えぬ世界を識ったのだ。「瞳を求めよ」の言葉が物理的に眼球を求める奇習の原因となるとは、学祖ウィレームは人の蒙の昏さに絶望しただろう。

 

「そう、実際のところ魔眼とされているのは「視られる」ことではなく「視られた事に気付く」事が引き金になるものが多い。視られたら狂うとか、生存本能に反する様な暗示を視線だけで刷り込めるのは脅威でもあるけれど、それだけ視覚と思考は繋がっているんだ。

 そうだね……うん、かなり身近で意識しないところで説明しようか。例えば化粧。草木の汁を塗布して虫を除けたり、泥によって日光を遮ったりと、始まりは生活に根差した至極日常的なものだっただろう。それがいつしか特定の文様を描くようになり、悪霊や悪魔による目に見えぬ厄災、つまり疫病を払う力があると考えられる様になった。事実、幾つかの薬草は免疫活性化や病原体の殺傷能力があっただろうからね。

 そうして文様、敷衍すれば外見そのものに魔術的な意味が見いだされ、そしてそれは文明の発達と共に階級や属性を表すものとなった。

 そもそも、魔術師とは珍しい存在ではなかった。竜をはじめとする強力な魔法生物を抜きにしても、肉食獣達が跋扈しているのに、直立二足歩行によって投擲能力を得ただけの猿が生き延びられるはずもないだろう? これだけ大型化して長命になった生物のくせに、肉体的には非常に脆弱だ。異様な毒物耐性からはヒトは狩猟者ではなく腐食者だったとする学説もあるけれどそれはともかくとして、そんな猿がここまで版図を広げたのは、魔術師の存在に因るところが大きい。幾つかの神話で集団の指導者は祭司者であったり超常の力を用いる者だったりするのはその証左だ。そういった者達にしか赦されない衣服や化粧、道具が存在することは、現代でも諸宗教を見れば分かるだろう。

 もっとも、魔術は個人の才覚に左右される体系化し難い技術だし、魔術師は繁殖力の低い生物だから、文明の発達につれ駆逐された。同じ言語を用いて同じ物を食べるのに、掌から水を生み出し、炎を操る存在が怖くないわけがない。あるいは特権を振りかざして暴政を敷いた者も居たのかもしれない。いずれにせよ、安定を得た大衆が秀でた個人を排除したくなるのも当然の事だろう。

 こうして魔術師が排除された後、その権威を簒奪した者は魔術的には形骸化した象徴をも引き継いで、外見という象徴が階級を表すという認識もまた人類史に残ったというわけさ。

 階級とは本来、見るだけではそれを判断できないものだ。長靴を穿いた猫なんてそうだろう? 貧民の三男が、服を盗まれたと言うだけで侯爵の仲間入りさ。服や化粧は属性を可視化する。聖人の聖痕、罪人や奴隷の刺青だって同じことだよ。

 ヒトは社会を構築して生きる生物だ。その階級や属性を知って、人は相手の認識を歪めずにはいられない。普通の子供に稲妻型の傷があれば、英国魔法界の英雄として認識してしまう様にね。彼に傷が無ければどうだろうか。英雄と同姓同名なだけの、ただの獅子寮の劣等生だろう。

 魔術とは大分離れた様に思えるかもしれないけれど、視覚が与える知覚への影響は分かってもらえたかな。瞳とは、それだけ感受性の高い外界との交信具なんだ」

 

 ポッターが額を見せる様に懇願される光景は、昨年も今年もよく目にした。印象的なものを挙げれば、あのカメラを持った新入生だろうか。子供らしい好奇が為すことだとは言え、気分の良いものではない。他方、入学前にポッターの傷について「身体的特徴をどうこう言うのは人としてどうかしている」とまで言い切ったハーマイオニーの隔絶が、今になってより一層際立って感じられる。

 

「だからドロテア、自身に合った身なりをしろとはそういう事だよ。君がビッチの恰好をしていれば、誰しもが道行く者は皆君をビッチだと思うだろうし、君らしい恰好をすれば君という人となりが分かる。服飾を美の追求や自己表現の手段とするのもいいけれど、それ以前に君が何者であるのかは君が規定するべきだ。単に流行だからとか、視覚的な体型補正がどうとか、そういう要素で外見を糊塗していくのは結局のところ自身の魅力をも埋没させていくよ」

 

 またその話を蒸し返すのかと思えば、ドロテアは頷くだけで特に過激な反応は示さなかった。夏の逢引で既に似た様な事を言われたのだろう。これにはお姉様も驚いた様で、目を瞬かせた。

 

「けれど、校長の開心術は魔眼ではない。そんな能力があればとっくにヤーナムの民は校長からの警戒を解かれているだろうさ。別に僕らは反社会的勢力でも、無政府主義者でもないし、終末論者でもない。にも関わらず、校長が僕らを危険視しながら僕らを避けているのは、得体の知れない病原体扱いってところだろう。

 校長の開心術は眼を用いる事で魔術の干渉力を高めている、そんなものだ。とにかく、校長は視線を介することを利用しているだけであって、視線そのものが魔術となる魔眼とは異なる。前に教えた通り、無言無杖であればという前提だけれども、目を逸らして意識的に心を鎖す事で十分対抗できるはずだ」

 

 ハーマイオニーはヘルマンの目をしっかりと見据え、頷いた。信頼の表れという事だろう。一方のヘルマンは誠意に耐えきれなかったのか、目を逸らしてしまった。

 

「ヘルマンの講義はここまでとして、グレンジャー嬢、ポッター少年の状況だがな。本当に魔術的な意味で、いや、医学的な意味でもまずいのだが、自分にしか聞こえない声が聞こえるというのは、かなりまずい。それがただの幻聴であればいい。ただ彼が精神に変調をきたしたというだけの話だからな。

 彼の今までを振り返ってみて、心には重大な負担がかかってきたことだろう。物心つく前に両親が殺害され、魔法界からは遠ざけられていたところを、ホグワーツ入学となる。見知らぬ世界で英雄と祀り上げられ、失望される。教員達からは誘導され、特例で箒の旗手に成ったり、違法行為の片棒を担がされたり、両親の死の原因に対峙させられた。今年度では、彼の話が事実だとすれば、キングスクロスの安全性に関わる事態であるにも関わらず、詳細は省みられずに処罰対象者だ。信用できる大人は誰一人として居ない。余人に見えない友人を幻想の中に創りあげても何ら不思議はない。

 だが、彼の妄想上の産物ではなく、本当に存在している何かの声を、彼だけが聞き取っているとしたら……最悪の場合、俺達は彼を狩ることになる。

 他に情報は? 何が手がかりになるか分からないから、些細な事であれ、気になったことは教えて欲しい」

 

 頭を肥大させた実験棟の患者や、特別な赤子を孕んだ成り代わりの女医でさえ、頭の中に水音や蠢きを感じただけだ。狩人ならぬ只人が、表音出来ぬ声を声として認識できるほどに変質してしまっているのならば、最早ポッターは狩るべき者である。

 

「あの部屋で話していたことは……ミセス・ノリスが襲われた理由は、管理人がスクイブ? だからだと管理人が言っていました。スクイブが何かは知りませんが、校長は特にそれを否定もしていませんでした。後は、マンドレイクが育てば猫は治せることくらいでしょうか」

「成程。道理ではある。伝承によれば、学祖スリザリンは選ばれた者だけに魔術を教える事を望み、秘密の部屋を作った。そこには魔術の徒として相応しくない者を排除するための怪物が潜んでいるという。生徒ではなくただの管理人を襲う理屈は分からんが……スクイブか。ま、そうではないかとは思っていたが。

 スクイブというのは、魔法族の両親を持つが魔術を使えない者、つまり無能者を出来損ないと蔑んだ言い方だ。魔法器系を持たない者をマグルと呼ぶようなものだ」

「えっ、マグルって侮蔑語なんですか? みんな当たり前に使っているし、マグル学なんて授業の名前にもなっていますけど」

 

 お兄様の説明に、ハーマイオニーは蒼白な顔をする。穢れた血という差別意識を投げ掛けられた一方で、実は自らも差別をしていたという現実は彼女にとって受け容れ難いものだろう。

 

「古い時代はな。例えば「ゴシック」という言葉は「ゴート人の」という言葉から来ている。今ではその様な意味はないが、当時の人間からしてみれば、ゴート人の様に未開で粗野で奇妙といったところだ。同じ様に、「マグル」とは「間抜け、騙しやすい阿呆」が転じたもので、つまり魔術を使えない連中は劣っていると嘲ったものだ。

 しかし、あー……敢えてこの言葉を使うが……マグルと我らとの違いは魔法器系の有無しかない。故に、彼らを指すにあたり、マグルというのは非常に使い勝手の良い言葉なのだ。我らは米国式に非魔法族と呼んでいるが、それも穿って見れば、こちら側を基準にした身勝手な言葉だよ」

「後進国とか、発展途上国、みたいなものですよね。お前らの物差しで物を言うんじゃないよ……と、極東の血を引く者が申し上げます」

「極東は仕方ないだろう。グリニッジ子午線が世界の標準として使われていたのだから。だけど、僕らも狩人ではない者をある種の羨望も込めて只人と呼ぶからね。別に差別がどうとか偉そうなことは言えないさ」

 

 ケントはどこまで冗談か分からない。ハーマイオニーを慮って場を和ませようとしているのか、真に自身の起源を想っているのか。

 

「とにかく、マグルという言葉に今はそういった意味はないから、普段使う事で何か問題となることもない。だがな、非魔法族生まれを排斥するべきという純血主義思想の反対は、必ずしも非魔法族と友好的であるとは限らない。マグルを受け容れてやっている、という優生思想がある事もまた事実だ。そして、それらからも嘲られているのが無能者だ」

「無能者って言葉も、魔術本位の考え方だけど、それ以外に適当な言葉も無いのが現状なんだよね。自身の精神性は魔術師なわけだから、それを非魔法族とすると、人によっては穢れた血って言われた位にキレる人もいるわけだし。なんかないんかな。なんも語源とかない、まっさらな造語でさ」

「それもまた、自分達の背景を無視した差別だと怒るだろうね。イシュからとったからイシャーだって名づけるくらいには、それそのものを単語で意味づけるってのは難しいことなんだろう。例えばウーマンリブ運動も、そもそもその名称が既に――」

 

 お兄様が手を叩き、ヘルマンの話を遮った。

 

「さて、また話が脱線したな。ポッター少年の聞こえた声と血文字と猫。これらは本当に関係しているのか。これは分からない。だが、グレンジャー嬢、君にも危険が迫っているという事は理解してもらおう」

「まず、ポッターの状態。グレンジャー、君は獅子寮という事と偽装友人という関係性から、ポッターが発狂ないし獣化した場合、その危害が及ぶ範囲に在る。正直に言えば、君の精神衛生からしても彼らと距離を置いた方が良いとは思うが、それは君の決める事だから、気を付けろという言葉以外に言うべきことはない。

 次に、秘密の部屋。父母が非魔法族である君は、今日に継がれるスリザリンについての伝承に照らせば継承者の敵となる。血文字はただの悪質な露出狂の類だと思っているが、猫を石化させた者と同一犯だとすれば、思想は愚かだが技量は本物だ。君が狙われる理由には十分だ」

「騒動の中心に居たしね。書いた本人が見てなかったとしても、その内噂になるよきっと」

 

 寮生活では噂話も貴重な娯楽となる。ましてや、友人も少ない成績優秀者であり、なおかつロックハートからの覚えもめでたい生徒である。マルフォイが言うには狩人が抑止力となっている様だが、心配しているという態を装い好き勝手に無根拠な恐怖を植え付けるのはさぞ胸のすくことだろう。あるいは親切な自分に陶酔して「私は本気で心配してるの! 貴女の為を思って言ってるの! 学校を辞めた方がいいわ!」とでも言う輩が表れるだろう。

 

「そうだな。噂は狩れば済む話でもないから厄介だな」

「噂話は女子の嗜みだよねー」

「男子も同じ様なものですよ。ところでグレンジャー先輩、その声って何を言っていたかポッター先輩から聞いていますか?」

 

 ケントとハーマイオニーの顔合わせは終えていた。先輩と慕われることは経験が無かったらしく、未だに少し気恥ずかしい部分があるという。以前、今までどの様な学生生活を送ってきたのかと問えば、図書室の女王だと返答があった。

 頭の中に響く声。恐るべき獣に対峙するとき、人ならぬ声は狩人の蒙を啓き、その獣の名を告げる。だが、人の声が響くこともある。

 だから奴らに呪いの声を。赤子の赤子、ずっと先の赤子まで。

 獣の咆哮でもなく、赤子の泣き声でもなく、はっきりと告げられた声は、まさしく異界に引きずり込む呪いである。故にポッターが醒めながらにして夢を見ているのであれば、何かに酔ってしまったことになる。

 

「ええっと……殺してやるだとか、引き裂いてやるだとか。後は……そうだわ。血の臭いがするって」

「血の匂いが先なのね。じゃあ、血文字を書いたのは声の主とは別の何か。でも、無関係とも言い切れないわね」

「ポッターを狙う何者かが、血文字を描き、ポッターを招いた?」

「彼が正気であればそれもあるだろうね。ポッターを狙う度胸がある人間がどれ程いるのか分からないけれど。英国魔法界の英雄を敵に回して何をするつもりなのか、何が出来るのか。猫の石化を思えば、クィレルの様に何かが潜入しているとも考えられる」

「今年も変なのを採用してるんだし、外側はともかく内側の防衛はすっかすか。ドーナツみたい」

「ドロテア、その変なのに心酔してたのが去年の君だ」

「マジで止めて」

 

 耳が痛いであろうハーマイオニーも俯いた。

 

「あの、いいですか?」

 

 ケントがこめかみをコツコツと叩きながら、話し始めた。

 

「これも学校側の思惑って事はないでしょうか。去年度いっぱいを使ってポッター先輩を英雄化する計画がお釈迦になったんですよね?

 なら、今年の新しい仕込みなんじゃないですか?

 流石に車の件は予想外でしょうけど、意味不明な人事と秘密の部屋騒動まで繋がってると考えたら、何かまたポッター先輩にやらせようとしているって事はないでしょうか。だって、猫の石化なんて出来るはずもない、ただの第一発見者である先輩たちをあんな状況で連行するなんて、敢えて彼に注目させたいのか、さもなきゃ馬鹿ですよね」

 

 皆、ケントの言葉を理解するには少しばかりの時間がかかった。そして、溜めた分だけ思考が爆発した。

 

「その可能性は考えていなかったが道理は通るな。ヘルマンの言った通り、犯人特定に繋がる様な情報がないのも、学校運営者がやったとすれば特定されるわけにもいかない。故にあんな胡乱な文章となったのか」

「車の処罰だって、計画外の事態を逆に利用したのかもしれないわ。校歌斉唱は始業前だから加点出来ないと仰ったのに、凱旋飛行の件は処罰対象になっているわ。

 ……敢えて問題児に貶める事が目的だった。彼が汚名を雪ぐ為に、事件の解決に邁進する様に」

「生徒には不可能な高度な呪詛。教員が行ったとすればこれ程合理的な説明はない。管理人の猫が対象となったのも、学徒を呪うわけにもいかないからだと考えれば、不思議はありません」

「秘密の部屋があるかどうかは分かんないけど、秘密の部屋って伝説は実際に有るんだしね。こんなに都合良い小道具はないよね」

「賢者の石だとか、禁じられた廊下だとか、そんな学徒が首を突っ込む理由が理解できない代物よりも、よっぽど主人公が動きやすいマクガフィンだ。純血主義の犯罪者を打ち破った英雄ですし、背景としては申し分ないでしょう」

「だからロックハートが採用されたのね。彼に魔術師としての能力は一切ないけれど、作家として、脚本家としての能力を見込んだのね。そうでなければ、トレローニーと同じくらい学校に置く意味が無いもの」

 

 お姉様は占術学教諭に辛辣である。ドロテアと揃って死を予言され、ではその回避の方法を占えと詰めたところごちゃごちゃとくだらない言い訳を始めたので、初日にして受講放棄を決めたという。

 お父様は獣狩りの夜を繰り返す事を定められ、そしてそれを打ち破った意志に依って今日のヤーナムがある。定めを知り、なおもそれを受け容れろという言葉には一層の反発を感じたのだろう。

 

「秘密の部屋が未だに発見されていないのだから、逆に言えば何が秘密の部屋なのかは誰も知らないという事だ。だったら、賢者の石を封じた部屋の様に作ってしまえばいいんだ。今年のポッターの冒険は秘密の部屋の発見か」

「ああ、ハロウィンもそういうことか。私がトロールを殺した日であるとはいえ、ホグワーツへの攻撃を象徴する日だ。ポッターの冒険の除幕式と考えればその通りだな」

「少年にだけ聞こえた声。それはつまり、彼にだけ聞かせた声という事だ。寮監が残って俺達に接触したのも、去年の様に俺達が物語を破綻させないかと監視する為か」

 

 昨晩不可解であった要素が、学校が首謀者と考えるだけで全て説明がつく。

 ホグワーツは狂気渦巻く伏魔殿である。その事に慣れていたからこそ気付かず、慣れていなかったからこそケントが至った狂気の再発見。

 

「とはいえ、ポッターが実際に発狂しているか、あるいは秘密の部屋とは全く関係ない何かに呪われている可能性は排除できない。ポッター計画が事実だとすれば、また君がその中に組み込まれている。いずれにしても、気を付けた方がいい」

「わかりました。ツァイス先輩」

 

 昨年度、校長はハーマイオニーを言葉で縛った事で、狩人の介入を招き、そして計画は破綻した。ならば、今年度は一切伝えず、かつまた、当事者にする事でポッターの協力者とさせようというのか。ハーマイオニーは唇を噛みしめていた。

 

「じゃあ、とりあえず今日はこんなところで。あたしたちは午後からホグズミード行ってくるけど、ハーマイオニーちゃんはお土産で欲しいものあるー?」

「ホグズミードですか?」

「学校の近くにある魔法族の村よ。3年生になると行けるようになるわ」

「ありがとうございます。ですが、お構いなく」

「そう? んじゃ、そろそろ食堂いこっか。継承者の敵が蛇寮に行って帰ってこない、なんてことになったら戦争になるしねー」

 

 ドロテアの言葉をハーマイオニーは首肯した。

 獅子寮の連中は蛇寮生を呪う理由を嬉々として受け容れるだろう。その理由が全くの誤解に基づくものであると分かったとして、蛇寮は普段から純血主義を掲げているからだとでも正当化するはずだ。ウィーズリーとマルフォイの諍いでは既に幾度も似た様な発言を聞いている。

 マルフォイやパンジーの様な純血主義者を粛清していないという事実がそうさせるのだろうが、こちらからすれば粛清しなければならないという理由もない。それを言うならば、蛇寮生だからと呪詛を投げる者を粛清しないのは、獅子寮全体がそれを容認している事の表れだと言えよう。

 メンシス学派は死体を地底湖に投棄する連中だと言う聖歌隊と、聖歌隊は治療と称してブヨブヨに変える連中だと言うメンシス学派の様なものだ。それが全体の事ではなくとも、そういった要素を持っているだけで全体の問題にすり替える事は、ヤーナムであれホグワーツであれ、不思議なことではない。校長も自らが関わり合ってきた狩人からヤーナム全体を見定めているはずだ。

 組織ではなく個人に置き換えたところで成り立つものだろうが、現在知り得る限り、校長の構成要素から善人とはかけ離れている。今世紀最も偉大な魔法使いと評される校長を見る為には、特別な思考の瞳が必要なのだろう。それはきっと、交信器となる瞳と同じ様に、頭蓋を開いても見えぬものなのだ。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。