狩装束
ヤーナムで特に発達した衣服型の魔術防御
意匠の違いは今日に於いては魔術的意味を失っているが
過去の人々は包帯や貧金の意味を確かに信じていた
その信心こそが災いから身を護る防御となり、転じて聖布への信仰となった
もっとも、心の折れた者にとってはただの布切れでしかなかった
「ロックハート、ねえ」
「あたしもロックハート」
「俺もロックハートだ」
「僕もですが……ホグワーツじゃこれが普通なんですか?」
ボーン家の居宅たる聖堂の応接間に集まる狩人達。7年生になるディルクお兄様、3年生になるイングリットお姉様とドロテア、新入生のケント。
「そんなわけないだろ。最下級生と最上級生が同じ教科書を用いる事などありえないが、防衛術に於いては全て同じロックハートの著作。新任の教諭は頭おかしいんじゃないですかね」
普段の皮肉も交えず、6年生になるヘルマンが眼鏡を拭きながら嘆息した。
「こうしましょう。同じ学年のイングリットとドロテアの分だけ買って、後はみんなで回し読み。図書館で借りて済まそうかとも思いましたが、他の生徒も同じ事を考えているでしょうから」
「それでいい。ろくでもない販促活動の片棒を担がされるのはごめんだ」
「それにしても教科書なのか、これ」
図書館の新刊リストに載っていたのは目にしたが、書名にしても異様な複本購入数にしても、学術書とは思えない。
「普通の通俗小説ですよ。一時期ドロテアに読ませられましたが、どうにも細部で矛盾があるというか、現実性がない。なのに一部ではやたらに凝った描写があって、いかにも『ここで泣け』『ここで笑え』と作者の心情が伝えられてくるのがうざったかったです」
「貴公、それを理解する程には読んだのか……」
「読まなきゃ五月蝿いですから。いいかいドロテア、本を薦めるのはいいが、それを読んだ人の感想が自分と同じじゃなきゃむくれるというのはね、思想の強制だよ」
お兄様がヘルマンの言葉に呆れながら、クラッカーを摘まむ。先日お母様がドロテアに渡したラズベリーによって作られたジャムとクリームチーズがたっぷりと乗せられている。
「ヘルマン、お黙りなさい」
お姉様はさらに悪態をつこうとするヘルマンの頭を扇子で叩いた。ヤマムラ家から「倅が今年からお世話になりますので」とのことで贈られたものだ。夜明けの後、あの悪夢に囚われていたヤマムラを追ってきたその弟がそのまま根付いた。あちらでは獣をオニと呼び、ヤマムラの一族もまた獣狩りを継ぐ者であったらしい。
お父様によると、当時歪な欧化を進めていた日本の風習に四苦八苦しながらも、カインハースト城の舞踏場で歓待したという記憶があるらしい。アンナリーゼ女王の「遠き異邦からの客人だ。礼を尽くせ」との言葉と、鉄面は脱がぬままに日本の民族衣装を着ているという素描が残っている。
床に触れる程に大きく垂れる袖を持つそれは、フリソデと言うらしい。狩装束とは異なり、ジュバンやらスソヨケやらとよく分からない物を纏う必要があるとのことだったが、カインハーストの書庫にはそうした作法の指南書も収められていた。どの様に流れ着いたかは知れないが、千景同様に日本から伝来したものだろう。
一年に数回はカインハースト城にて拝謁する機会があるが、アンナリーゼ女王のご尊顔を拝見した事は無い。お父様曰く「語彙力失う程の超絶美人」らしい。それを聞いた夜は寝所がやかましかった。
「姫様……これが英才の名高きヘルマンですか?」
「ああ、学校に行けばもっと頭のおかしいヘルマンが見られるぞ。楽しみにしておけ」
「なんだい、マリアはもう先輩風をふかすのかい。それを言うなら学校に行くとマリア姫のもっとガキっぽいところが見られるんだ。楽しみにしているといい」
「黙れ。いいからドロテアの作った菓子を摘まんでいろ。そして感想を言え」
「昨日も食べたよ。もう少しベリーの食感を残した方が美味しかった」
「……貴公は本当に童貞を貫くつもりなのか? いや、貫けないから童貞なのか」
「お兄様もお黙りなさいな」
イングリットお姉様は柔和な微笑みを湛えているが、その目は笑っていなかった。ドロテアの友人として、その乙女心が蔑ろにされているのは気に食わないのだろう。
「Shinoburedo ironi idenikeri……」
ケントがぼそり、と何事かを呟いた。
「ん? 日本語か?」
「ワカ、というものです。隠しているつもりだけれど、顔に出てしまう恋心の強さを表した詩です」
「隠しているのか、あれは」
「さぁ、僕は11歳なので分かりませんね。16歳の恋心なんて」
「ドロテアは13だ」
「……姫様、日本の少女漫画でも取り寄せましょうか」
「日本語は読めん」
ケントが嘆息したので、その頭を扇子で弾いた。
「馬鹿にされた気がする」
「お戯れを」
クラッカーの最後の一つを食べ終え、それぞれ狩装束から着替えた後にロンドンに向かうこととなった。ケントはダイアゴン横丁に行った事は無いとのことで、横丁の灯りに直行することは出来なかった。お兄様はポロシャツにデニムパンツで、飾り気のない服装が逆に顔立ちと精悍な体を強調している。お姉様はカシュクールの施されたチュニックとフレアスカート。ドロテアはオフショルダーのブラウスとスキニーパンツ、ヘルマンは一々考えるのが面倒くさいと、ホグワーツ制服のパンツとシャツだった。
ケントは麻のキモノとセッタとかいうサンダルで、薄い布を帯で締めただけの恰好はどうにも防御力が薄そうに感じる。ハカマはどうしたと訊けば「格式ばったところでなければ、別に袴はなくてもいいんです。不浄の時面倒くさいですし」とのことだった。
お兄様がケントに投げた「下着はフンドシとやらか」との言葉に「今時和服着てる日本人でもそれ穿いてる人少ないですよ」と返す様にはどうにも敬意が感じられない。
「どうにかなんないのそのセンス」
「僕を否定するのなら同じく制服のマリアをも否定することになるぞ」
「どっちも否定してんの」
かたや制服のパンツとシャツ、かたや制服のスカートとシャツ。
ドロテアからしてみれば、せっかく着飾ってきたのに当のヘルマンは普段と同じ格好な事が気に食わないのだろう。
彼女の感情はともかくとして言っている事はもっともだが、面倒なものは面倒なので仕方がない。お姉様にしてもドロテアにしても、寮生活なのだから服をそんなに持っていても着る機会は無い上に、未だ成長期なのだから無駄になるだけだ。
「服なんて礼服と狩装束があれば十分じゃないか。僕らは寮生活なんだからあれこれと着飾る機会もないし、君にしたってイングリットにしたって、これから背が伸びるのにそんなに服を買ってどうするんだ」
ヘルマンも全く同じ考えだったらしい。
「小さくなったらマリアにあげるし」
「君の嗜好はマリアと大分違うだろ。そんなに肌を出した服をマリアが着ているのは想像できない。というか君も歳に見合った服を着なよ。それと化粧だって別に要らないだろ。童顔のローティーンが色気なんて出しても、はいはい背伸びしてて可愛いねくらいにしか思えないんだが」
「後半はともかく、概ねヘルマンに同じ意見だな。あとヘルマンが化粧に気付いたのは少し驚いた」
「こんな暑い日なんだ。無理に化粧しても肌が荒れるだろ。日焼け止めくらいにしておきなよ。リップグロスもツヤというよりテカリにしか見えない。あと、香水は無難にシトラスかハーバルにしたら? 甘ったるい匂いで頭が茹りそうだ」
「香りの種類まで指摘するとかもう気持ち悪いな」
「別に僕はファッションが出来ないわけじゃない。面倒くさいだけだ」
「ああ、センスを馬鹿にされたから腹を立ててるのか」
ヘルマンの情け容赦無いサイテーな評にドロテアは「もうヤダ、帰る」と涙目になり始めた。
感想が欲しければそう言えばいいところを、無駄に煽るドロテアも悪い。イングリットお姉様もドロテアをあやしながら若干面倒そうにしている。ヘルマンにもじっとりとした視線を向けていたが。
「じゃ、ヘルマンがドロテア先輩に服から化粧品まで選んで贈るって事で。自分で選んだものなら文句もつけないでしょう。聞いたところじゃ、ヘルマンの拘りはダイアゴン横丁じゃ揃わないでしょうし、今度ヘルマンがドロテア先輩を連れてロンドン巡りでもすればいいでしょう。これでみんな幸せじゃないですか」
「……それでいいな? ドロテア」
お兄様はドロテアが目尻を拭いながら肯くのを見ながら、ケントの手管に舌を巻いた。11歳とは思えない女の転がし方である。
「ヘルマンは後で聖杯に付き合え。俺の憂さ晴らしだ」
「ええ……? 僕が悪いんですかこれ」
「貴公も悪い」
†
キングスクロス駅の灯りはケントも契約済みだった。数年前にヒースロー空港から日本へ向かうついでに契約していたという。そこから大英博物館、セント・ポール大聖堂を観光がてらランタンに火を灯した後、チャリング・クロスに向かう。
そこには廃墟に偽装された漏れ鍋という酒場があり、その裏手にダイアゴン横丁の入口がある。
「はー、成程。魔術で偽装されてるんですね」
「ホグワーツやヤーナムとは異なるがな」
「秘匿と認識阻害とで術式が異なるんでしょうね。今度メンシスかビルゲンワースの書庫を漁ってみましょうか。青い秘薬と透明マントの考察とか、いくらでも先行研究あるでしょうし」
「日本にも隠形術という認識阻害の魔術を題材にした童話がありますよ。ある聖職者が悪霊に祟られて、それから逃れるために隠形術の術式を体に書き込んでいくんですけど、耳だけに書き忘れて、悪霊は聖職者の耳を引きちぎって帰っていくという話です」
「んん? その術はびっしりと書き込まれていたのだろうか。字間は阻害出来たのだろうか。いや、それよりも中空に耳だけが浮かんでいたのであればそこに頭があると推測できそうなものだが」
「そこに気が付かないという点が隠形術の効果の証左では? しかし術式の範囲指定方法も気になりますね。頭部、腕部といった構築は出来なかったんでしょうか。あるいは細かく指定することで効力を高めたのか……」
「東洋の神秘だな」
「ですね」
童話に真剣な考察を持ち込む辺りは狩人らしいと言うべきか、男たちが面倒くさいと言うべきか。
店主に会釈をし、裏口に抜ける。その先にあるものは、魔法族にも煉瓦の壁に囲まれた内庭にしか見えない。
「この傷から3つ上、そこから右に2つ。ここに魔力を通すと、そら」
お兄様が指先で煉瓦を小突くと、たちまちに壁が動き出し、拱門となった。
横丁は狭いために人口密度は非常に高く、キングスクロス駅の混雑もかくや、といった様である。
「さぁ進め。急がないと壁に閉じ込められる」
「これって物理的に壊したらどうなるんでしょう」
「するなよ? 試したら魔法省が殺到するだろうな。ああ、灯りはすぐそこの井戸の横にある」
ケントは使者に指を甘く噛まれながら、ランタンに契約の火を灯した。
「さて、来たはいいが、そもそもケントは何が必要なんだ? 鍋や秤ならヤーナムで揃うはずだが」
「制服も工房で誂えましたし、後は竜の革手袋と教科書ですね。別に竜でなくともいいとは書いてありましたけど、かといって豚や獣皮というわけにはいかないでしょうし」
「教科書は私の物を使うか? 書き込みはしてあるが、別に汚くはないはずだ」
教科書にはヤーナムの研究資料との相違や、教諭が試験に出すと言っていたところを強調している。特に薬学についてはどうにもヤーナムに蓄積された知識の方が優れている様に思える。
教科書通りにしているハーマイオニーに比べ、狩人達の造るものの方が高い薬効を持つのはそもそも教科書の内容が十全ではないためだ。口に出すのも憚られる様な人体実験が繰り返されていたのであるから、19世紀以前の魔法薬に関しては一般に流通している知識よりも当然に高次なものとなる。
あるいは、教科書の著者が真実を秘匿し、敢えて曖昧な記述としているのかもしれない。武器輸出に於けるモンキーモデルと言ったところか。それでいてスネイプ教授の手本は教科書通りのそれと同等以上のものであるのだから意味が分からない。
医療の街ヤーナムには新薬に関しても光るものがある。体制崩壊後も正気を残していた僅かばかりの本当の医療者達は、真っ当な知識を継承し、今もなお医療者の志を継いでいる。幾つかの幽霊会社を挟んだ上で、魔法界・非魔法界を問わず医薬品を流通させていた。
神秘に近しいところに居た医療者達こそ狂気と獣性に呑まれたのであるから、末端構成員や真に医療者たらんとした者は正気を残していた。アデーラ女王も嫉妬に狂いこそすれ、人を救おうとする意志自体は持っていたのだ。
「そういうわけにはいきませんよ。勉強を教えていただく事はあるでしょうけど、姫様だって未だ1年生と同じ教科書のはずでしょう」
「そうか。なら、手袋を買ってから書店に行くとしようか」
「いや、手袋なら竜皮だけ買ってヤーナムの縫製所に仕立てさせた方がいい。ダイアゴン横丁の連中はホグワーツの学生だと足元を見た商売をしてくるからな。小さい手だから補正料がかかるだの、慣れていないから予備に2,3双用意した方がいいだの、長く使うことになるから手入れ用品が必要だのと。確かに低級で粗雑なものでも非魔法族の革手袋よりマシだがな」
英国に住まう魔法族は少なく、そしてその学校とはホグワーツだけである。その入学準備となると、小さいながらも確実な商機であり、要するに搾り取れるところから搾れというわけである。
「ですねー。じゃあ赤龍亭でなんか摘まもっか」
「竜皮を買いに何故飲食店に?」
「赤龍亭は竜料理の専門店なの。手袋を作る程度の皮なら分けてもらえると思うわ。本当かどうかは知らないけれど、アーサー王存命の頃に創業したパブよ」
「ハツの串焼き、翼膜のフライとチップス、肩ロースのサンド辺りが定番か。引率者として悪いが、俺はエールも頼むぞ。後は……そうだな、運が良ければキドニーパイや白子のマリネもあるぞ」
「白子?」
「睾丸の事だ」
お兄様がヘルマンの股間の前でチョキチョキと指を動かしたので、ヘルマンは大層うんざりした顔をしてお兄様の腹を殴った。
「自分のでやれよ」
「流石に悪かったと思った。赦せ」
「まぁ一発殴ったからそれで。ヤーナムじゃ強壮剤の原料として輸入するばかりで、食品としてはあまり流通していないからね。生食は新鮮なうちにしか出来ないから確かに珍しいけれど、男性としてはこう……分かるだろ?」
「共食いか? そんな事を言ったら私はエッグベネディクトが食べられなくなるぞ」
「マリア、慎みを覚えなさい」
ティータイムのために店は混雑していた。テラス席なら案内出来ると言う店員に、ディルクお兄様は「レディには日差しが強すぎる」と返した。特に肩が剥き出しのドロテアには辛いだろう。イングリットお姉様が微笑んで周りを見渡すと、青年達が「どうぞお使いください」と席を譲った。美人は得である。
ティータイムではあるが、全員が冷たい飲み物を注文した。米国の習慣をも吸収しているヤーナムにはアイスティーがあるが、ロンドンにそんなものはない。この暑さの中で、ミルクティーを飲む気にはなれなかった。
「おぉ、ハツいいですねこれ。噛み応えのある食感も香りも独特の野性がありますね」
「だろう? モツは臭いという者もいるが、ちゃんと血抜きされていないものを食べたのだろうな」
「あるいはもう腐敗が始まっていたのかもしれませんね。魔法界じゃ食品衛生という概念があまりありませんし」
「ああ、『英国魔法界の食卓――如何にして我らはマズメシを食べる様になったか』だったか」
「産業革命で都市人口が増えて、魔術を秘匿しなければならなくなったから。空輸も出来ない、冷却魔術も使えないとなると、結局非魔法族の様にとことん焼く、煮る、揚げる、酢を掛けるしか食中毒を防ぐ方法はないと」
「で、検知不可能拡大呪文とルーンの組み合わせで冷凍庫が出来る様になる頃には、もう英国魔法界の食事情は手遅れな状況まで衰退した、か」
注文した翼膜も絶妙な揚げ加減で、外はパリパリと、中はしっとりと肉の旨味が閉じ込められていた。ポテトフライには僅かにアンチョビソースが掛けられていた。散らされたパセリは油に負けない清涼な香気をもたらした。
舌を火傷しない様、合間にトマトジュースを口に含むが、これもまた絶品だった。トマトにありがちなえぐみのある臭いは無く、それでいて薄めたわけでもない濃厚さ。混ぜられたウスターソースと胡椒が深みのある味わいを作り出している。
「私もここは初めてですが、とても満足です。もっと早く教えて頂きたかった」
「だってマリア、いつもお菓子ばっかりじゃない。アイスクリームパーラーで特大のパフェを3つも頼んだこともあったわね」
「私とて甘味だけを食べて生きているわけでもありませんし」
「じゃあ人参嫌いも治しましょうね。この前もガルニチュールの人参を嫌そうに食べていたでしょう。お母様が嘆いていたわ」
「グラッセはダメです。味と香りがかけ離れているものはダメです。人参の香り、バターの脂、砂糖の甘み……獣憑きと血に酔った狩人が聖杯最奥まで同時に乱入してきた様なものです」
「アールグレイは飲めるのに」
「言われてみれば確かに。自分でも不思議ですね」
「結局姫様は人参が嫌いというだけの話じゃないですか」
「いや、マヨネーズがあれば生でも齧るぞ」
「んじゃあ、甘い香りなのに味が違うってのが嫌なんじゃない? キャラメルフレーバーのお茶とか嫌いでしょ」
「かもしれないな。ドロテアは賢いな」
「でしょ」
店員に会計を頼むと、頼んでいた皮だけではなく、肉も渡された。美味い美味いと騒いでいたのが聞こえたらしく、それに気を良くした店長がおまけとして付けたとのことだった。店内であったとはいえ、美男美女が味を褒めれば宣伝にはなるだろう。あるいは本当に店主が喜んだか。
「さて、次は書店だが……どうした、何か気になるのか?」
「ディルク様、あれは?」
「ノクターン横丁だ。雰囲気から分かる通り、呪具、非合法の薬品……金さえ払えばありとあらゆるものが手に入る場所だ。血の酒が店頭に並んでいるのを見た時は笑ったぞ。200年物だろうな」
「最近の流行は死喰い人に纏わる品らしいですよ。蒐集家が取引を持ち掛けられたそうです」
蒐集家は現代ビルゲンワースの一部門であり、ヤーナムから散逸した狂気の犠牲となった者の遺体やその一部を回収し、埋葬する。魔術師の遺骸はその呪的性質から魔術師に触媒として用いられるが、獣の病の呼び水ともなりかねない。
「どうだケント、社会見学もしていくか?」
「いえ、それはまたの機会に。祖先の血走った目玉とご対面……というのは、食事の直後には重すぎます」
あれこれと見て回りながら辿り着いたフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店。その前には大きな荷車が店の前に停められており、そこから幾つもの本が店内に飛び込んでいた。目で追うと、例のロックハートの教科書とやらだった。
「すいませーん、今日営業してますか?」
「どうぞ! いらっしゃい!」
ドロテアの呼びかけに対して、店の奥からくぐもった応答が聞こえた。陳列をしている様ではあるが、ホグワーツ生徒の全員が購入すると考えても、あまりにも大仰に過ぎる。
「何だろう」
「ああ、これじゃない?」
ドロテアが壁に掲示されたポスターを顎でしゃくる。そこに写る整った容姿の男性がウインクを投げかけて来た。「ギルデロイ・ロックハート サイン会 7月31日 水曜日 12:30~16:30」と書かれている。
「防衛術の教員が女性だとすれば、心酔もするわけだ」
「んー。御当主様のがイケてるでしょ」
「そうね……お父様の方が見た目は若いけれど貫禄があるわ」
「ロックハートは27歳らしいですよ」
「父上は目つきが違うからな」
お父様はあの悪夢を幾度も繰り返し、乗り越えた者である。掃いて捨てる程に居るただの美丈夫とは纏う空気が違う。ぼんやりしている様で、その目の光は複雑な色を見せる。
「著者がどうあれ、本を買いに来たんだ。さっさと買って帰ろう。皮の加工も工房に頼まなければならないんだから」
「皮革加工設備なんてありましたっけ」
「連中は大抵「あるぞ」って返してくるからあるだろう」
「ヘムウィックの工房に普通にあるよ」
「あるのか」
「今じゃ農地と浄水場だけど、ヤーナムが医療の街になる前は馬借で成り立ってたみたいだし。馬の皮には困らなかったんでしょ。なめしにはたっぷりの水が必要だから、ちょうどいい立地だしね」
ドロテアの説明に耳を傾けながら、教科書を手に取る。
ロックハートの著作については全員が使い回すという理由から、全員が均等に出そうとしたが、お兄様が全額を負担することとなった。
先程の食事代も引率だからとお兄様が支払っていた。これ以上甘えるわけにはと反対したが、お兄様が固辞したので、来年はヘルマンが同じ事をするというところで落ち着いた。
「別にこの程度の金額で貸しにするつもりもないんだがな。それぞれ狩人として稼いでいるだろう? 借りと感じる程ではないはずだが」
「まぁ、大半は親に預けていますが、新型車を即金で買える程度は自由にありますよ。ですがディルク、友人や先輩・後輩といった繋がりで金のやり取りを曖昧にするのはどうかと思いますよ」
「死んだらその金も使えないんだ。素寒貧になろうと俺は貴公らとの時間を買う方がいい。俺は今年が学生生活最後だからな」
「そうやってハードルを上げないでくださいよ。来年僕が財布に成るのは御免です。
あ、最後で思い出しました。マリアの箒はどうします? ディルクとクィディッチをやりたいとか言っていたでしょう」
「そうだったな。箒も買っていくか?」
「お兄様達は何を使っているのです?」
「工房製だな」
「では私もそうしましょう。もっとも、チームに入れるかどうかは分かりませんが。ジェラルドのシーカーが空きますが、補欠は何人もいるでしょう。私にシーカーの才能があるかどうかは分かりませんし」
「キーパーも欠員だが……」
「箒の扱いはマリア程度なら十分だけど、試合終了までゴール前に張り付くなんて、マリア向いてないよね。ヘルマンみたいにビーターで仮登録しておいたら? ヘルマンはあんまりやる気ないから交代で出たらどーお?」
「そうだな。学期が始まったらマーカスに話しておこう」
ビーターは鉄球を殴りつけるのだったか。飛翔速度と大きさからするに、棍棒の方が砕けそうなものだが、あれもまた何かの魔術的な保護がされているのだろう。
「ディルク様、クィディッチウェアの狩装束って無いんですか?」
「無いな。毎年ヤーナムからの新入生が出るわけでもないし、規則違反になるからな。耐衝撃機能なんてあれば、ブラッジャーを回避する必要もなくなるだろう」
「箒の性能差は認められているのにおかしな話ですね」
「詳しくは知らないが……箒に乗って行う競技なのだから、箒の性能を追求することについては本質に適っているということなのだろう。ちなみに、クィディッチの本質は狩りだ。スニジェットだったか、幻獣を追い回して狩るのが源流で、競技化されたものがクィディッチだ」
「非魔法族で言う狩猟が貴族の遊びで狐狩りに変わった様なものですか」
「かもな。スニッチとスニジェットはほぼ同じ大きさと聞くが、ならば食材としてはあまりにも費用対効果に欠ける。とすると、何物にも代えがたい美味でなければ、ただ面白半分に狩っていたのではないかと思う」
クィディッチ用品店の前を通りがかる。ニンバス社の最新モデルが展示されており、展示台には少年達がヤモリの様に張り付いていた。お兄様は性能表を一瞥し、そのまま灯りの方へ歩を進めた。
「選抜選手の割に随分と冷めていらっしゃるのではありませんか?」
「ジェラルドに誘われただけだからな。当のジェラルドも当時のキャプテンに頼み込まれて仕方なく、という理由だ。で、俺がヘルマンを誘い、ドロテアとイングリットも自然と入部して今に至る。こうして後輩たちと飛ぶのは楽しいが、クィディッチ自体には特別な想いは無いな。マリアもするというなら楽しみではあるが」
「じゃあ僕は来年まで皆様を眺めてるとします」
「ふむ……マーカス次第だな」