ホグワーツと月花の狩人   作:榧澤卯月

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至極一般的な魔法界の危険生物
その血の一滴から鱗の一枚に至るまで余すところ無く有用である
畜産品の一種として広く普及しており、屠畜の様子は非魔法界にも発見されることがある
それは、竜殺しの神話として語り継がれるほどに





「こ、こんにちは。ミス・ボーン」

「ごきげんよう。クィレル教授」

 

 ニンニクの臭いが鼻をつくが、淑女としての挨拶はするべきだ。

 漸く春めいた日差しが雲間から差し込み、何の気なしに散歩をしてみれば、防衛術の無能教師と遭遇した。トロールの一件から、より無能の印象は強まっている。あの日、この人間が大広間で報告すべきは、トロールの侵入ではなく侵入したトロールの駆除報告だった。そう出来なかったのは、発見者がトロール如きに劣る無能であるからだ。

 こと防衛術については第一線の専門職に比べれば劣るものの、学校で教わる範囲のことは遥か昔に習得している。劣るものは、経験とそれから成る判断力だ。座学では身につかないものを講義に求めても仕方がないため、防衛術の授業は歴史学同様に自習時間としている。叱られることもないので、教授としても別段気にすることはないのだろう。

 

「では、失礼致します」

「あ、あ……」

「何か?」

「き、君は羽ペンと羊皮紙ではなく、マ、マグルの文具を使っていますね」

 

 意外と生徒を見てはいるらしい。もっとも、シャープペンと消しゴム、リングファイルを持ち込む生徒が目立つといえばそうなのだろうが。

 

「ええ。経済的ですし、書き損じを修正しやすいですから。文具の指定があるのでしたら、次回からは改めますが」

 

 羊皮紙での論文提出を求める教授もいる。文書、その本質は筆記具ではなく文章にあるはずだが、呪文の発音や杖の振り方の様に、形式に意味を持たせる何らかの魔術的要素があるのだろうか。

 

「い、いえ。それは構わないのです。わ……私は以前、マ、マ、マグル学の教授でしたから、つい、気になってしまって」

「そうですか。マグル学……お辛い仕事でしたでしょう」

「辛い?」

「ええ。マグル学は非魔法族からしてみれば何の目新しいことも無い日常的な話ですし、魔法族からしてみれば単なる単位稼ぎか見世物小屋を眺める感覚でしょう。その程度の子供達に興味を持たせて指導する、というのは難しいことかと」

 

 おそらく、マグル学の発端は魔法の隠匿にある。魔女狩り、異端審問への魔法社会による対策なのだ。火刑に処されたところで、耐火の薬なり術なりを備えれば良いが、寝ている内に引き摺り出されば耐え得る者はいない。それを防ぐには、そもそも魔法など存在しない事にする事で根本的な解決を図ったのだろう。今となっては、魔法の片鱗であってもそれを目にした非魔法族は狂人扱いされる様になり、魔法族は魔法族で、魔法を使えず石油に頼る不便な生活が知りたいなどといった、無自覚な優越感に浸る連中ばかりである。

 一方で、家格の高い生徒の一部には熱心な者もいると聞く。それもわからないことではない。魔法界は、市場規模があまりにも小さい。ロンドンにおける最大の商圏があの小さな横丁なのだ。未だに本位貨幣が幅を利かせているという事もその矮小さを表している。グリンゴッツで換金手数料を取られるとしても、非魔法界で商売を行った方が余程利益になるだろう。その為には、非魔法界の常識や法律を学ぶ必要があるということだ。

 

「……貴女もマグル学を履修するつもりですか?」

「いえ、私には今のところ必要ありません。」

「勿体ない、というのは教師の驕りでしょうか」

「さて。私には分かりかねます。それに、勿体ないなどとそれこそ勿体ないお言葉です」

 

 吃音症を詳しく知る訳ではないが、クィレル教授の普段はそれと思われる。しかし、今日は妙に落ち着いている様に思えた。人狼症の様に、薬によって抑制されるものなのだろうか。

 

「先程の辛いという言葉ですが、そうでもありませんよ。確かに生徒の大半は生まれを問わず凡愚です。まるで私を見ている様です。ですが、素晴らしい知性に巡り会う事もあります。教育者としては失格でしょうが、そういう存在に触れる事に私は喜びを得ているのです」

 

 言葉を紡ぐ教授の表情は、いつもの崩れた愛想笑いではなく、慈しみを湛えた微笑みだった。

 

「私は教鞭を執った事などありませんので分かりませんが、それもまた教育の一つではないでしょうか。全ての生徒に力を注ぐよりも余程効率的かと」

「お若いですね。ミス・ボーン。効率とは、選別の為の手段に過ぎませんよ。例えばミスター・ロングボトム。彼は確かに学力としては秀でていませんが、彼の力を求める意思は貴いものです。知性とは学力ではありません。何が正しいのかを追求する意志、そしてそれを成し得る力こそが知性です」

 

 確かに、人の形をしていたとして、血に酔った狩人は知性のある存在ではない。古狩人ヘンリック。曾祖父にあたる狩人の動きは、歴戦の猛者のそれだった。しかし、血走った眼には狂気が爛々と輝いていた。

 

「レイブンクロー生の血圧が上がりそうなお言葉ですね。教授も鷲寮の卒業生と伺っておりますが」

「ええ、終ぞ卒業までにその事に気付くことはありませんでした。同輩との優劣に心血を注ぎ、他者を陥れ、蹴落とす事で自らの安息を得ようとしていたのです。完全なる知性とは、それそのもの自身が唯一の価値になることですよ。そして私は旅の果てにそれに見えたのです」

 

「それは良き出会いでしたね」

「はい。僥倖でした」

「ではなぜその様に悲しげなのですか」

「おや。その様に見えますか……だとすると、それは私がその存在にあまりにも遠いと感じているからでしょう」

「お気持ちは分かります。私も持て囃されてはおりますが、未だ若輩者。兄弟にも、同輩にも及ばぬところは数多くございますので」

 

 才女たるハーマイオニー、慈愛の人ダフネ。

 狩人としての生活で得た知識や経験は、確かに蒙を啓き、人と獣とを区別することとなった。だが、只人として、努力を重ねる人の在り方を表す彼女達の方が、人として優れている様に感じられる。血によって上位者足らんとするは、情けない進化。人として上位者に伍する事こそ、ビルゲンワースの最期の教え。故に、その最後の学徒ユリエの末裔、ヘルマン・ツァイスは意思とそれに合致する手段に重きを置くのだろう。

 

「励むと良いでしょう。友を大切に。志を同じくする者と歩む事は、幸せな事です」

「肝に銘じます。楽しいお話をありがとうございました」

 

 一礼し、その場を離れた。

 厨房に立ち寄り、菓子をねだってから談話室へ向かう。

 入学時からクィレル教授には既視感を覚えていたが、漸く思い出した。あの頭巾、あの怯えた口調。禁域の森の、恐ろしい獣だった。

 

 ハロウィーンの夜以降、あの女子トイレを利用する者は皆無になったと言っていい。陰惨な地縛霊、マートルの棲みつく2階のトイレ共々、乙女の尊厳が危機的状況に至らない限り、誰もがなるべく近づかない。もっとも、乙女を自負する者達は、極限の状態が迫るほどに、我を忘れて紅茶と会話を嗜むことはないのだが。

 トロールの干からびた肉片が壁に貼りついているだの、便器はトロールの骨で修繕されただの、果ては、水を流せば別の意味でも血が流れるといった呪術じみた噂話まで囁かれている。隅々まで女子トイレを清潔にするスネイプ教授など想像したくもなかったが、マクゴナガル教授に「隅に血痕が残っていますよ、セブルス」などと言われていたのだろうかと思えば面白い。

 そういう理由で、このトイレは密談をするにうってつけであり、秘密の部屋と呼ばれる様になっていた。

 

 図書館でダフネの勉強に付き合っていると、ハーマイオニーは聖堂を歩く様な厳粛さをもって歩み寄り、手を引いたのだった。ケルベロスの事といい、また何か厄介な事に首を突っ込んで、いや、突っ込まれているのだろうとダフネに目配せすると、ダフネは目を瞑って眉根を揉んだ。

トイレに誰もいない事を慎重に、念入りに確認した後、ハーマイオニーは言い放った。

 

「ハグリッドの家にはドラゴンがいるわ」

「「そう」」

 

 まぁ、驚くべきことでもない。ここはホグワーツだ。校長からして異常なのだ。森番が清廉な人間であるとも思えない。

 

「反応が薄いわね。魔法界の高貴な家庭では普通の事なのかしら。貴女達のペットって幻獣なの?」

「家と言うより、街ぐるみで猟犬はいるが……愛玩動物ではないな。あと、特に多くの住人が豚嫌いだ。あぁ、回教徒ではない」

「私の家はペット禁止なの。妹は欲しがってるみたいだけど」

「まぁ、竜は一般的ではない、というよりも調教師の技術を持っていなければ、成人の魔法族とて殺されるな」

「ハグリッドにそれがあると思う?」

「あったら彼はとっくに森番を辞めていると思うな」

 

 そもそも、森番といい、管理人のフィルチといい、魔法によって何かをしている素ぶりは見られない。無能者は非魔法界で暮らすか、一部の才覚在るものは芸によって身を立てていると聞く。単純労働こそ魔法によって補われるのであるから、絵画や音楽など、魔法によってではなく人の精神によって作り出されるものに労働需要が存在するのは道理のことだ。

 

「で、それがどうしたと」

「マルフォイが、ハグリッドがドラゴンを飼ってるって事を知ってるの」

 

 他人を貶める事については賢しい彼の事だ。今頃舌舐めずりをしながら森番を利用してポッターを陥れる算段をつけているのだろう。

 

「そうか、放っておくことだ。数日のうちに新しい森番が着任するだろう」

「まぁ、それが一番無難じゃないかな」

 

 その答えは予想していたというハーマイオニーの心中が表情に浮かんでいた。

 

「……ロンのお兄さんがドラゴンの研究をしているの。その人に引き取ってもらえるんじゃないかって思ってるんだけど」

「魔法省の査察が早いか、アイツの兄が間に合うかどちらかだね」

「他に何か手はないの?」

 

 ハーマイオニー自身、その案が十分でない事は分かっているのだろう。かといって、魔法界の常識を知らない自分には何も対案が思いつかない、その様な苦悩を抱えている様だった。

 嘆息する。

 友人として、何か言葉をかける事が出来れば良いのだが、ハーマイオニーが求めているのは解決法であって慰めではないだろう。そんな彼女に言える事は、彼女の期待する全員が幸せになる方法などないという現実だった。

 

「伝聞でしかないが……神代の獣ならいざ知らず、竜とて火を噴く蜥蜴に過ぎない。幼体であれば縊り殺せば良いだけのこと。竜の強靭さは魔力を帯びた鱗にある。衝撃や圧力そのものには弱いものだよ。トロールや巨人でなくとも、成人男性であれば首を折ることは出来ると聞く。

 もっとも、鱗と筋肉の発達した成体になろうと、対戦車ロケットの数発もあればただの肉塊。ソ連崩壊が秒読みな今なら安く流出品が手に入る。壁が崩壊して以来、東側はフリーマーケット状態だ。中東、アフリカ、アイルランド、掘り出し物を掴むのはどこだろうな」

「マリア、そういう事を聞いてるんじゃないの。出来る限り穏便な方法はないのかしら」

「ない。そもそも、卵を所持しているだけで違法なんだ。それを孵化させてしまった? 人界においては、故意でなければ孵らぬ卵だぞ。森番とて教職員の端くれ。知らなかったは通るまいよ」

 

 非魔法界におけるワシントン条約とは趣旨が異なるが、1709年魔法戦士条約、通称ワーロック法によって、竜の飼育は禁じられている。適切な技能を持つ者の畜産や研究目的であれば認められているので、ウィーズリー家には優秀な人物がいるのだろう。

 

「竜の事を思えば、森番が自首する他ない。もっとも、その後に適切なブリーダーが引き取るか、食肉加工業者に引き渡されるか、単純に殺処分されるかは根回しと運次第だが。

 森番を優先するならば、一刻も早く竜を殺すべきだ。殺せるうちにね。竜にとっては可哀想なことだよ。勝手な人間の興味で母から引き離され、人界に生まれ落ちて、勝手な人間の都合で殺されるんだ。資格、その意味を森番は理解しているのか知らないが、技術としても精神としても、彼に生き物の命を扱う資格はないと思う」

 

 ハーマイオニーも渋面を作りながら頷いていた。ペットとは紛れもなく生命の一つなのだ。無責任で独り善がりの愛情は幼子が玩具に向けるそれと何が変わろうか。

生命と向き合う重みは人故に感じる重み。それを忘れた者が微睡みの末に狩人の悪夢に堕するのだ。

 

「第一にだね、ハーマイオニー。貴公はこれが問題だと思ったから相談に来たのだろうけど、これを聞かされる我々の身にもなってくれたまえ。現在進行形で違法な行いがされていると聞かされれば、善良なる市民としては通報の義務が生じるのだから。これを怠れば、犯人隠避というのだったか、犯罪になるのだよ。もっとも、通報せずに竜の殺処分を提案したのだから、犯罪教唆の誹りは免れ得ないが。

 いずれにしても、非魔法族であるから魔法界の法律に知悉していなかった、という弁明は通ったかもしれない。だが、それが違法行為だと認識している以上、それを警察機構に連絡しないというのは罪だよ」

「それは……いえ、それは私の間違いだったわ。迷惑をかけてごめんなさい」

「まぁ、私はいいさ。その竜が人を殺める前に処理するのであれば、我らの家名は何の傷も負わない。人に仇なす獣を殺す事が我らの責任の取り方だ。それに、証拠隠滅と犯人隠避を教唆しているのも私だからね。

 しかし、ここにおわしますダフネ嬢は英国に名高き聖血28氏族の次期当主様であらせられる。若さ故の過ちなど許されぬ高貴なお方を蜥蜴如きで悩ませてはならないだろう」

「マリア、私にかこつけてあれこれ言うのはやめなさい。まぁ、血筋云々は置いといて、厄介ごとに気軽に巻き込まないでってことは概ね合ってるんだけど。

 ねぇ、ハーマイオニー。貴女、アイツらに対して何か企んでるのは分かるんだけどね、それでアイツらに染まってきてない? 私たちってただの学生じゃない。法を変える権力も、現実を切り拓く実力もないんだよ。こればっかりは、貴女の努力とか関係ない分野だと思うよ」

 

 素晴らしい家柄の者であれば法を犯しても問題ない、というのは物語の中の話だ。権力によって揉み消せる物はあるにせよ、権力によって超法規的存在になる事はあり得ない。神から王権を得た者でさえ、大憲章に制約を受ける。それに、権力者にはその権力に応じた責務がある。ボーン家にもまた、ヤーナムの長としての生き方がある。グリーングラス家も同様のことだ。

 

「それにだね、貴公も分かっているんだろう? 我々に相談したところで学生にできる程度の答えしか返ってこない。ということは、貴公が思いつかないものは我々も思いつかない。かといって、寮監や校長に言えば好転するということでもない。彼らは責任者なのだから、責任のある行いをしなければならない。事が市井の者に露見すれば、一義的には森番の責任としても、管理責任は免れ得まい」

「子供を預かる施設で、危険生物が職員によって違法に飼育されている。どう考えても、冗談で済ませられる問題ではないよね」

「修道院の庭で大麻が栽培されていて、ついでに尼僧が花を売っている様なね」

「マリア、下品」

「生憎と高貴な家の生まれではないからね」

「とにかく、ハーマイオニー。少し頭冷やしなよ。4階の廊下の事も、卵の事も。馬鹿騒ぎに付き合うのもいいけどね、馬鹿そのものになっちゃいけないと思う」

 

 無論、我々が賢いと言うつもりもないのだろう。彼奴等よりは幾分弁えているとは思うが。それよりも先に立つのは、ただの嫉妬だ。蛇蝎の如く嫌う連中と連れ立っているのを見て良い気持ちはしない。

 

「まぁ、あの校長の事だ。露見したところで、教材にする為に取り寄せたとでも言って有耶無耶にする事も出来るだろう。彼自身が研究者としても名を馳せている。だが、その出所は追及されるだろうし、高名な人物だからと手続を無視する事が出来る程、英国魔法界は腐敗していないだろう。結局のところ、竜と森番、どちらともが救われる道はない。ウィーズリー家の伝手が間に合うかも分からない。

 何が最善かは分からないが、幸せになる人間の数で勘定すれば、竜を殺して湖にでも沈める事だな。後はマルフォイが何かと見間違えた事にでもすれば良い。いかなマルフォイ家の長子とて、未成年の証言だけで徹底的な追及は出来ないだろうよ。それを掘り下げる程、当主様もお暇ではあるまい」

「むしろ、子どもが通っている学校の名前が傷付く事は避けると思うよ。うちの家なら、こっそり転校させるもの。そんな下賤な人間から教育を受けるなんて、家名が穢れるもの。

 マグルだってそうでしょ? 淫行教師から教育を受けたなんて醜聞が広まったら、その子どもも被害に遭ったんじゃないかとか言われて価値が下がるじゃない」

 

 ダフネとしては当然の事なのだろうが、自身を家の財産とする価値観には閉口する。

 

「青い血からのご意見ありがとう。とにかく、ハーマイオニー。救うべきものの優先順位は間違えない事だ。貴公が残酷な意見を告げて、森番が何も決断しない様であれば、直ぐに寮監に告げるべきだ。森番が責任を取れるのはそこまでだ」

 

 話はここまでとばかりに、ダフネは胸を反らし、腕を伸ばした。齢11にしてこの発育の良さは羨望を超えて圧倒的な敗北感を覚える。日頃から、容姿は財産と公言して憚らない彼女は、趣味ではなく義務として美容に血道をあげている。それもまた、家の為、というものなのだろう。

 

「まぁ、手遅れになる前に言ってね。グリーングラス家ではなくて、私個人で出来る事がある内に……って言っても、マリアみたいに実力行使ができるわけじゃないけど」

「狩道具をいくつか見繕っておこう。竜殺しは初めてだ」

 

 ハーマイオニーの表情が晴れることはなかった。




3年9か月振りに無職に成ったので初投稿です。

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