渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

51年前のオートバイ

2024年03月11日 | open
 


ホンダTL125バイアルス。
1973年発売。
この車両が日本のトライアル競技
の完成を促した。
かつて白バイ隊員の操作操縦訓練
用オートバイでもあった。





腰上を組み直したヤマハ2stビーノ
の慣らし運転のために昨日バイア
ルス125で120kmほど同行した。
バイアルスはその距離走るバイク
じゃないなと感じた。
つまり、ツーリングバイクでは
ない。
しかも、私の個体のFRPタンク
は3.5ℓだし、2度給油した(笑
競技に使っていた個体に保安部
品を着けた物なので、シートも
スペシャルで薄ペタになってる。
まあ、タイヤを前後新品に交換
してからのタイヤの慣らしにも
なるから良いのだが、辛くはな
いがこの車両で120kmロードの
走行は向いてないなぁと感じた。
やはり、野山を超低速で走る為
のオートバイだ。
特に感じたのはシフトの一次減

速比。レシオがロード向きでは
ない。1-2速が競技用で、3-5速
は、どうにかその野山まで走れ
ますよ的なレシオだ。やはり、
速度200km/h出るロードモデル
は全くオートバイが異なる。

一方、120km走行を終えたビーノ
の新オーナーは、何の問題も無い
との事。
原付スクーターのほうがその距離
適正がある、という現実(笑
「よくスクーターでその距離乗れ
るね」
と言ったら、
「なんで?当たり前じゃん」
と答える。
まあ、昭和二輪乗りはそうだよな。
一瞬「さすがZX10乗りの北海道
野郎」とか思ったが、考えてみ
たら昭和ライダーはそんなもん
だった。私含めて。
120km?それチョイ乗り以前、
というのが当たり前。
ビーノで岡山県のカフェまで私
も往復120km走ったりしてたし。
まして、ロードモデルの二輪だっ
たら120kmというのは、ほんの
暖機運転に毛の生えたみたいな
ものだ。
これ昭和ライダーたちは本気で
そう思っている。
今の人たちは現象として距離を
全く乗らないので、1日750km
走行とか聞くとほぼ全員が驚く。
昭和の弾丸ライナーたちにはごく
普通の事だ。

ま、そんでも、ヤマハポッケや
ホンダモトコンポで120kmは全
く向いてないね、みたいなのは
ある。
「きつい」とか「どこかが痛い」
とかではない。体はなんともない
が車として向き不向きの問題。
車両適性の。
そして、その不適正から来る人
間側に発生する精神的ストレス
みたいなものの存在。もっとチュ
ドーンと走らねえのかよ、みたい
な。
そうした観点から見ると、ストレ
スを感じさせないスクー
ターの距
離走破性の高さを改めて
痛感する。
1946年に本格的に街乗り用に考案
されたスクーターだが、モペッド
ではない点を設計思想に入れた。
それはモーターサイクルとしての
走破性とスルーステップという居
住性の合体だ。
スクーターはかなり乗り心地も良
いし、人間工学的に距離も走れる。
山岳悪路走破用二輪とは物作りの
観点が全く異なる。
陸路行くならスクーター、て感じ
かな。陸路専用ロードモデルのオ
ートバイを除けば。
2ストエンジンの慣らし運転作業
とは別に一つ新たに発見した半日
だった。



 

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