成田悠輔と愛すべき非生産性の世界 対談:医学研究者・山中伸弥

成田悠輔と愛すべき非生産性の世界 対談:医学研究者・山中伸弥

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2024.2.20

世界を駆動するのは、論理や経済ではない。データやアルゴリズムを駆使して人間と向き合ってきた成田悠輔は、今は“非生産的”と言われる分野にこそ人間の本質的な欲求が現れると考えている。それを検証する旅として始まった本企画、今回はiPS細胞研究の権威である山中伸弥をゲストに招いた対談が行なわれた。

新しい再生医療や創薬を可能にするiPS細胞を世界で初めて開発して、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞。膨大な時間と予算を要する科学研究の世界は、生産的とは言い難いが、人類の未来を変える可能性がある。成果を出すためには、何が必要で、何が無駄なのか? iPS細胞技術を産業界へ橋渡しするための組織である京都大学iPS細胞研究財団の理事長として、国内でiPS細胞の実用化を推進する傍ら、現在の研究拠点をアメリカに置く理由や日本の課題、研究者としての展望を語ってもらった。

過度な年功序列文化が研究の停滞と老化を招く!?

成田:山中先生って、異様にお若いですよね。iPS細胞研究所のYouTubeなどで十年以上前の講演を拝見しても、見た目が変わられていないので驚きました。

山中:そうですかね。ありがとうございます。

成田:だから今日は最初に「長く健康で若々しくいるとはどういうことか」について伺いたかったんです。これは医学の目標の一つでもありますよね。メディアっぽく「健康の秘訣は?」でもいいんですが(笑)。

山中:若い人と付き合うことですかね。あ、もちろん仕事の関係ですよ(笑)。 毎月アメリカの研究所に行っているのですが、向こうの若い人と一緒に仕事をすると刺激を受けます。やっぱり日本だと年功序列の距離感から抜け出せなくて、なかなかフランクに接してもらえないのですが、アメリカではみんなが「Shinya!」と呼んでくれます。

成田:向こうでは年齢や立場を忘れて研究そのものに集中できる感じがあるわけですね。

山中:その感覚はすごくありますね。アメリカ人が先輩を敬わないわけではありませんし、彼らも先人をリスペクトするマインドを持っていますが、仕事に関しては別の話で。日本の場合はそこが一緒になっていて、「年長者=とにかく偉い」みたいな、おかしな感じになってしまう。研究の現場では経験が通用しない瞬間も多々ありますし、アメリカのように年齢を度外視して純粋な能力で勝負できる環境が僕は好きなんですよね。

成田:日米を行き来する生活を僕もしているのですが、飛行時間10時間を越すあたりに死の壁があって(笑)、干物になったように疲れます。長年毎月のように行き来されている山中さんの体力は驚異的だと感じます。医学や生命科学の根本的な目的の一つは、体力を保って健康に生きられる時間を伸ばすことだと思いますが、そもそも「健康に生きる」とはどういう状態なのでしょう?  医学的な定義のようなものは確立されているんでしょうか。

山中:人間に限らず、生物は受精卵から始まり、赤ちゃんになり、生殖年齢くらいまでは必ず成長します。体も大きくなるし、人間の場合は知的能力も成長していく。そして概ね30歳を過ぎると、あらゆる機能や能力が少しずつ下がっていきます。それ自体は仕方がないことですが、病気などの影響で自然な身体の機能の下降線より急激に落ちてしまうケースもあって、僕たちが目指しているのはそれを食い止めることです。目線を変えて言い換えると、健康とは、人間本来の生理的なカーブで成長して、老いて、死んでいくことだと思います。

成田:老いて死ぬことも健康の定義の一部というのが面白いです。その点、山中さんが語られた生理的なカーブの下降点は後ろ倒しになっていますよね。平均寿命が伸びている上、昔の50 歳と今の50 歳では、身体能力も認知能力も違うという話もよく聞きます。たとえば「サザエさん」の波平さんは54歳の設定ですが、今の福山雅治さんと同じです(笑)。これは極端な例ですが、昔の50代より今の50代が平均的に若返っているのは明らかな気がします。ですから、名目的な年齢の高齢化と実質的な能力の高齢化・衰えは別で、年齢の高齢化は進んでも能力の衰えはそれほど起きなかったり逆転したりする可能性さえあるわけですね。

山中:恐らく、波平さんの時代にも、60歳なのに若々しいオジサンがいたと思うんですよ。明治生まれで、110歳を過ぎても元気に生きていた人もいますからね。だから人間が全体的に若返ったり進化したりというよりは、医学が進歩したことで、人間本来の理想的なカーブで生きられる人の割合が増えているということだと思います。

人類は進化の過程で細胞の再生能力を捨てた可能性も

成田:100年前と比べると、人々の健康状態も医療技術も別次元まで進んでいますよね。さらにその時計を100年進めて22世紀くらいの健康や医療を想像したとします。どんなことが達成できていると思いますか?

山中:実は過去100年で医療が克服してきた病気って、ものすごく多いんですよ。つまり今でも残っているのは、100年かかっても克服できなかった難病ばかり。それを今後50年、100年で解決することが再生医学研究者の使命であり、腕の見せどころです。

成田:残っている敵の代表格はどのあたりでしょうか?

山中:やっぱり癌ですよね、僕が医学部を卒業したのが1987年で、当時、癌は遺伝子に起こる変化が原因で起こる病気だということが分かってきて、ノーベル生理学・医学賞を2年に1度は癌の研究者が受賞しているような状況でした。あの頃は、2000年までに癌は克服できていると予測されていたのですが、今でも克服にはほど遠い状況です。画期的な治療法の研究が進んでいるものの、そうすると生き残るやつが出てきて、イタチごっこの状況が続いている。新型コロナのような感染症と同じく、本当に大敵です。

成田:今でも2人に1人は癌になるわけですよね。そういう人間が克服しがたい病がこの世界に存在してるのは、どうしてだと思われますか?  素人の妄想としては、特定の生物が世界を独占せず、多様性を保つ機能をそういう難病が果たしている可能性もあるのかなと。

山中:あり得ますね。必然なのか偶然なのか分かりませんが、特定の生物が世界を支配してしまうと、そこで進歩が止まってしまいます。それは長い目で見ると実は不安定で、定期的に支配する種が変わるのが1番安定しているのかもしれないですね。だから人が病気になるのは進化のための必然であるという考え方もあります。真相は分かりませんが、そもそも僕としては最初に生物ができたことが奇跡としか思えない。iPS細胞の実験では、母親のお腹の中で受精卵や心臓や脳ができる仕組みを研究して、それを真似ることによってiPS細胞から心臓とか脳の細胞を作ります。が、いくら真似しようとしても、なかなか完璧にできないんですね。

成田:自然な発達過程を実験室で真似するための道筋ははっきりしているんですか?

山中:いや、まだまだですね。細胞って、混ぜると勝手に立体構造を作ったり、脳と神経細胞が相乗になったりしているのですが、そういう情報が遺伝子のどこに書いてあるか分かっていないんです。研究すればするほど、本当によく分からない。

成田:それでもiPS細胞が作れるようになったりと理解はちょっとずつ進んでいるわけでよね。哲学っぽい質問になりますが、時計の針を逆戻しして色々な組織や臓器の細胞になる力を取り戻せるような万能性が、生物に備わっているのはどうしてなんでしょうか?

山中:私が iPS細胞を作る研究を始めたのは2000年頃で、当時は奈良先端科学技術大学院大学にいました。着任後、他の教授の前で「動物の皮膚の細胞を加工して、万能細胞を作りたい。でも大変難しい」という話をしました。すると、植物が専門分野の先生がやってきて、「植物の体なんて、全身万能細胞だよ」と言うんです。確かに、植物は挿し木や接ぎ木で増える。切り口からカルスと呼ばれる万能細胞が出てきて、新しい個体が生まれるんです。それに気づいて、目からウロコでしたね。自信をもらって、そのあと数年でiPS細胞ができました。ちなみに動物でもイモリは手足を切っても再生します。ということは、もともと多くの生き物は再生能力や可塑性を持っていて、僕たち哺乳類が失ってしまっただけかもしれない。

成田:身体の複雑性とか、認知神経機能を発達させるのと引き換えに、もともと持っていた再生能力や可塑性がどこかで蒸発してしまった可能性があるわけですね。

山中:そうですね。今はiPS細胞を含むいろんな細胞の元になる幹細胞の研究がどんどん進んでいます。幹細胞は身体の維持に必要な良い細胞の代表です。一方、悪い細胞の代表は癌なのですが、実は幹細胞と癌は共通点だらけ。同じシグナルや同じ遺伝子が働いているということが分かってきています。それを考えると、進化の過程で再生能力がなくなってしまったのは、そういう力を持ち続けていると、癌になってしまうからかもしれない。再生はするけど、癌も広がり、死んでしまう。それを防ぐために、涙を飲んで再生能力をなくした……という仮説もあり得るんじゃないかなと。

成田:iPS細胞の臨床試験で発癌性が高まってしまうような副作用は見つかっているんですか?

山中:今、10種類以上の病気とか怪我で臨床試験が始まっているのですが、移植した細胞が癌化したとか、そういう副作用は報告されていません。目的の細胞を作れば大丈夫だということが分かってきています。

10兆円規模の大学ファンドが上手く機能すればノーベル賞は増やせる?

成田:山中さんが植物の細胞の万能性や可塑性からiPS細胞のヒントを得たように、研究でも外部や他者との遭遇で驚きを得ることが大切ですね。

山中:やっぱり横の繋がりが非常に大切です。他の分野の人とどれだけこう交流できるかに、将来がかかっていると言っても過言ではなくて。成田さんも感じる場面があると思いますが、アメリカはそういうネットワークを作ることが得意です。日本も変わりつつあると思いますが、いまだに大学内でも学部の壁を感じる瞬間もある。それをなくすことが大きな課題である気もしますね。

成田:研究者間の化学反応を起こすには、大学や研究所の組織構造だけでなく、キャンパスの建物やオフィスのデザインも大事そうです。

山中:そうですね。2010年に設置された京都大学iPS細胞研究所も、研究棟内部は日本国内ではまだ珍しかったオープンラボ構造を採用しました。ワンフロアがひとつの大きな部屋になっていて、研究室ごとの壁はなく、その中でさまざまなグループによる連携が生まれています。ただ、国立大学の建物は国費で作りますから、いろんな制限もあって。なかなか理想通りにいかない部分もあります。

成田:遊び心のある建物を国費で作ると、すぐに怒り出す人がいますよね(笑)。

山中:おっしゃる通りです。だから、お金を寄付していただくことも有難いですが、ユニークな建物を作っていただいて、建物を寄付していただけるとよいかもしれません。やっぱり研究や芸術においては遊び心が大切で、一件無駄と思える時間や研究者同士の交流から革新的なブレイクスルーが生まれることがあります。日本の研究力は国際的に地位の低下が続いていますが、最近、政府は世界トップレベルの研究水準を目指す大学を助成することを目的に10兆円規模の大学ファンドを創設しました。これ、使い方次第で状況が激変しますよ。

成田:どんなお金の回し方をするとどんな成果が出ると思われますか?これまたメディアっぽい聞き方をしてみますと、日本発のノーベル賞は増やせるでしょうか?

山中:そうですね。アメリカは民間の資金が潤沢で、例えば医学研究の分野では大富豪だったハワード・ヒューズさんが設立した医学研究機関が優秀な研究者に対して十分な研究費を出しています。そのサポートを受けた人たちが毎年のようにノーベル賞の医学・生理学賞と化学賞を受賞していて、2000年代以降の23年間で26人も輩出しているんですよ。

成田:資金の規模的には、日本の10兆円ファンドはそれを上回りますよね。

山中:ハワードヒューズ医学研究所は資産3兆円を運用して、毎年1000億円規模の助成金をアメリカを中心に世界中の数十人の研究者に分配しています。彼らはプロジェクトではなく人にお金を出すことがポリシーです。審査は本当に厳しくて、僕は選んでもらえなかったのですがそれに選ばれると研究内容にはほとんど口を出されず、途中でテーマを変えてもいい。国のお金でそれをやると契約違反になって怒られてしまうのですが、ハワードヒューズ医学研究所は人に出しているので自由に研究できるんです。日本の10兆円ファンドも、プロジェクトや大学ではなく、人で選ぶようになってほしいですね。

成田:「闇雲に東大・京大ばかりに選択と集中をするなよ」ということでしょうか(笑)。

山中:いえいえ、そんなことは言ってません(笑)。アメリカでは3兆円を使って23年間で26人のノーベル賞を生み出したわけですから、10兆円あれば50人はいけるはず。しっかりと前例から学んで、若手の研究者が自由に研究できるようにしてあげれば、すごいことになるだろうと期待しています。

成田:より広く、日本の科学技術政策や学術研究へのお金の付け方への批判や提案はありますでしょうか?

山中:僕は、ずっと研究支援者の支援が絶対必要だという話をしています。研究支援者というのは、例えば秘書とか、知財担当者とか、事務の人です。500人ほどいるiPS細胞研究所のうち、実際研究する人は半分ぐらいで、残りの半分はそれを支える方々です。ただ日本では支える方の割合が少ない。数だけじゃなくて、待遇についても正職員の人もいますが、多くは有期雇用で、給料も民間企業に比べるとどうしても低い水準になっています。アメリカでは研究支援者はいい給料をもらって20年、30年と長く働いて経験もあるからしっかり支えてくれる。その分、研究者が本来の創造的な仕事に使える時間が増えますよね。

成田:研究者を支援するだけでなく、研究者を支援する人たちを支援できるようにお金の使い道への制限を緩めるべきだということですね。それが研究の生産性と創造性に繋がる、と。

山中:そうですね。普通、日本の研究費は3年とか長くて5年なので、その期間しか雇えないんです。だから長期雇用とか、正職員にできない。研究費の半分はもう大学にあげてしまって、大学が長期雇用・正規雇用に使えるようにするとか、お金を増やすのではなくて、お金の種類を変えるといった工夫ができるといいですよね。

研究者のごく普通に幸せな人生をイメージできるように

成田:今のお姿からは想像もできないですが、山中さんも予算が足りなくて苦しんだ時期がおありですよね。

山中:iPS細胞ができる前は本当に貧乏で、毎月頭を抱えながら研究費のやりくりをしていました。iPS細胞ができてからは応用研究のために随分と支援をしてもらったので、両方を経験してきたと思います。ひとつ言えるのは、その分野に目覚ましいブレイクスルーを生み出すのは基礎研究であって、そこを支援していくことが大切だということ。困難にぶち当たってなかなか成果が出ないのが当たり前ですから、たとえ失敗しても、失敗から学べる人を評価してあげたいところです。振り返ると、僕もお金がない時代は苦労しました。

成田:正直に打ち明けますと、「山中先生が一人勝ちで研究費を独占してしまって、近接分野に研究費が回ってこない」と批判している研究者に定期的に居合わせます(笑)。

山中:それを言われると、本当に辛いです。ただ、日本の科学研究予算は毎年5兆円程度で、iPS細胞研究所への支援は年間50億円ぐらいでした。5兆円から50億円を引いたら他の素晴らしい研究が立ち行かなくなる国ではないと、僕は信じています。

成田:研究費の集中が過剰だと言いたいのなら、活躍しすぎた研究者個人ではなく、お金の配分を決めている国や文科省の側を批判すべきだと思いますね。 同時に、日本の研究者や大学教員の多くが資金不足や時間不足で苦しんでいるのも明らかな事実だと思います。その問題の根底を辿ると、科学や学問、研究に対する社会全体の愛着とか尊敬みたいなものをどう醸成していくかが大切なのかなと。特に、基礎研究なんて普通の人からしたら何をやってるのかよくわからない人たちの集まりじゃないですか。そういうものに対して、税金でも民間のお金でも、社会の未来に対する投資だと自然に思える人がどれぐらい増えるかが大事だと思うのです。「自分にはわからない、だけどそういうわからないことをやるのも大事だよね」というある意味で無根拠で盲目的な共感を基礎研究に対して作り出すことが。

山中:そこは非常に大切で、もっと基礎研究の重要性を研究者が世の中にアピールしなければなりません。

成田:科学研究と世の中を繋ぐ窓口というか、チャンネルみたいなものを増やすのが大事なのかなと思って。山中さんが続けている、マラソンを通じた寄付の呼びかけみたいなのもそうですし。

山中:アメリカの研究所長の主な役割は寄付を呼びかける活動ですからね。僕も京都のiPS細胞研究所では寄付活動に力を入れてきました。寄付をもとに公益財団であるiPS細胞研究財団を設立し、活動開始時には事務職員を中心とした研究支援者約80名を正規雇用することが出来ました。

成田:それから、アメリカやイギリスではサイエンスコミュニケーションが産業であり、文化になっているじゃないですか。研究者的バックグラウンドを持っている人が、記者や編集者になったり、最近だと動画とか音声でサイエンスポッドキャスターみたいな人も増えていますよね。

山中:日本でも増えていますから、非常にいいことだと思います。この間アメリカの僕の研究室の若い研究者と面談していたら、「私、実はサイエンスコミュニケーターになりたいんです」と言っていました。素晴らしいですよね。アメリカは、研究者になったとしても、必ずしもそこからずっとアカデミアに残るだけじゃなくて、いろんな道があるなという印象はあります。

成田:研究者って、どうしても重要視されるのは論文を出すこと、研究費を取ること、特許を取ることになりがちだと思うんです。それらはもちろん大事でしょう。ただ、科学みたいな地味だったりマニアックだったりするものが社会の中で長生きしていくためには、世の中から認知され愛される存在になることが同じくらい大事です。そのためには、狭い意味での研究者からはみ出した、研究とメディアと世の中の間あたりにいる、ちょっといかがわしい存在を増やしていくことが必要なんじゃないかな、と思っています。科学編集者やジャーナリスト、科学起業家、科学投資家、さらには科学芸人みたいな、多様な有象無象が生息することが。

山中:日本ではまだまだ数が少ないですから、仕事としてもっと確立して、待遇も良くして、ニーズも増やしていきたいですね。

成田:あと、日本の研究者は待遇の悪さや国の科学技術政策のまずさを常に嘆いている印象があります。必要な批判という側面もあるんでしょうが、研究者の卵や学生の人たちからすると、すごいマイナス効果になっている気がします。不幸そうで文句ばかり言ってる人だらけの業界に行きたいと思うのはよほどの物好きだけですよね。逆に、ごく普通に幸せな人生をイメージできるとか、場合によってはいくらでも稼げるし多くの人から憧れられて尊敬されるポジティブな存在になることも大事なのかな、と。山中先生がシャンパンパーティーで豪遊している写真を流すのがいいかもしれません(笑)。

山中:それも面白いですね。僕は今も普通の国産車を運転していますが、アメリカの同僚は若い頃からポルシェに乗っていて。それを見た学生は、やっぱり憧れるんですよ。そういう姿を見せることも大事なんでしょう。僕が真似をしたら怒られそうですけど。僕たちの時代とは変わりつつあって、自分で会社を作ったりする研究者も増えてきていますから、これから成功例はどんどん出ていくんじゃないかなと思います。

30年を費やしても解けない謎がある

成田:次世代の研究者に対する想いを聞かせていただきましたが、山中さんご自身がひとりの研究者としてこれから成し遂げたいことはありますか?

山中:僕は30年ほど前からずっとやっている研究が1つありまして、それだけは、なんとか答えを出したいですね。iPS細胞研究所の所長を辞めてから研究に仕える時間が増えて、若い世代の方々と共同研究も始めたのですが、やっぱりすごいんですよ。自分では出せなかった答えが出せるような予感がしているので、それまでは続けたいと思っています。

成田:30年間も取り組まれているのは、どういう問題ですか?

山中:最初にアメリカ留学していた 1990年代に自分で見つけた遺伝子があって、NAT1(ナットワン)と名付けたんですね。今、ヒトの遺伝子の数は3万個くらいあることが分かっていますが、僕はそのうちの1つであるNAT1にすごい興味があって、NAT1があらゆる細胞の根本的な機能に関わっていると考えていているんです。その機能や役割を解き明かしたいなと。今はアメリカで研究を続けていて、NAT1は身体の中で大切な役割を持っていると思うのですが、まだまだ分からないことも多い状況です。

成田:今日は生命の健康について伺ってきましたが、山中さんご自身は生命としての最期をどう迎えたいと思ってらっしゃいますか?

山中:目標は“ピンピンコロリ”です。寝ている間に安らかに死んでいたとか、あんまり周囲に迷惑かけない形で、最後までやりたいことをやって終わりを迎えたいですね。でも、本当に死は予期せぬタイミングで訪れるので。僕はコロナ禍で仲が良かった同級生が3人も亡くなってしまいました。それで人生に限りがあることを実感したことが、所長を退いて研究に力を入れようと思った理由のひとつです。突然、バタッと倒れてしまうかもしれないからこそ、「present(現在)が present(贈り物)」なんですよ。

成田:オヤジギャグっぽいですが(笑)、山中さんがおっしゃると名言に聞こえます。

山中:英語って「現在」と「贈り物」が同じ綴りなんですよね。今できることは、今のうちにやっておきたい。そんなスタンスで頑張りたいです。

成田:そんな限りある現在を贈与していただき、本日はありがとうございました。

山中伸弥 PROFILE

1962年生まれ、東大阪市出身。2006年にマウスの皮膚細胞から、2007年にはヒトの皮膚細胞から人工多能性幹(iPS)細胞の作製成功を発表し、新しい研究領域を拓く。これらの功績により、2010年に文化功労者として顕彰されたことに続き、2012年には文化勲章を受章。2012年にノーベル生理学・医学賞受賞。2010年4月から2022年3月までiPS細胞研究所長を務めた。現在は同名誉所長、公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団理事長。アメリカのグラッドストーン研究所で上席研究員として研究室を主宰している。

成田悠輔 PROFILE

経済学者、データ科学者。イェール大学助教授、半熟仮想(株)代表。東京大学卒、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。現在はアメリカと日本を行き来し雑多なメディアに気まぐれに出没中。著書に『22世紀の民主主義:選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』、番組に「夜明け前のPLAYERS」、絵本の翻訳に『挫折しそうなときは、左折しよう』など。

photo : Yoshiki Okamoto movie : HEADMAN Tossy (H.d.g.e works Osaka) video edit : Kyoko Mori interview : Satoshi Asahara

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