呪文
「じゃあ……推しの名前を叫んで欲しい!」
READY TO POP京セラドーム公演2日目のMC中、こんなにたくさんお客さんが集まってくれたってことは何やってもらっても大丈夫ってことだよね?!という佐野雄大くんの前振りから客席へのお願いコーナーが始まりました。
これは、その時に話を振られた匠海くんが(おそらくその場で思いついて)言ってくれた言葉でした。
えっ
その瞬間、特別な波動が私の全身に伝わっていきました。
言うならば電流のように、一瞬で伝わっていきました。
匠海くんはペンライトを振らせたりとか、コールアンドレスポンスで声を出して「いぇーい」や「うぉー」みたいにライブが盛り上がるよう促すのではなく
名前を、
名前を呼んで欲しいとお願いしてくれました。
私はそのことをやさしいことだと思いました。何日経った今もこうして自分の中に残っているほど、やさしいことだと思いました。
夢のドームです。
○万人全員に「推し」がいたとしても、前提として11個の魂のことを愛しているからこの場所に駆け付けたはずです。
迅みたいに、○万人からの愛を自分ひとりでたらふく味わったっていいんです。
けれど匠海くんはみんなに「匠海」と呼んでもらうのではなく、そこに集まったひとりひとりの心の真ん中にいる、ひとりひとりにとっての大切な存在の名前を呼ばせてくれました。
呼ぶ場所を作ってくれました。
呼んでもいいよと、手を広げてくれました。
普段なら声を出すのが恥ずかしくてなかなか叫んだりできないような人の気持ちすらも、場を設けることで匠海くんは名前にのせて放出させてくれました。
それは、
それは、匠海くんからのお願いを私たちが叶えたかのようにみえて、叶えてもらったのはほんとうは私たちの方のような気がしました。
私はそのことをとってもとってもとっても
やさしいことだと思いました。
それは「のらねこ」として生まれたまだ名前のないねこの物語です。自分にも名前が欲しいとお友達のねこに相談すると、ねこ一匹の名前くらいすぐに見つかるよ、好きな名前を自分でつけてみればいいじゃないと言われ、ねこは自分の名前を探しに街へと歩き出します。
かんばん。じてんしゃ。やじるし。
好きな名前……
好きな名前…………
そうして歩いているとなんと犬にも名前があり花にすらも名前があるということを知り、その名前を人間から呼んでもらっていることに気付きます。
でも自分には名前がない。
邪魔者だと追い払われたり雨が降ってきたりしてすっかり落ち込んでしまったねこでしたが、そこにひとりの女の子がやってきて一緒に家に連れて帰ってくれた。
その時に、ねこは気付きました。
そうだ。わかった。
ほしかったのはなまえじゃないんだ。
なまえをよんでくれるひとなんだ。
⠀
「「「○○ーーーーーーーッ!!!!」」」
匠海くんの「せーの」に合わせて放出された名前は、誰が何を叫んだのかなにも聞き取れないくらいバラバラで、でもたしかにそれはひとつの大きな愛の塊でした。まるで「好き」の代わりのようでした。多分、それはほんとうに「好き」の代わりでした。
匠海くんは、
「今日一番大きい声出てるやん!」
「俺めっちゃ良いこと言ったんじゃない?」
なんてびっくりしながらも、今日も明るく楽しそうに笑っていた。
その時のメンバーの表情もとてもやわらかで、
あぁ、私たちが名前にのせて一緒に叫んだ気持ちごとみんなに伝わったのだと思いました。
私はそのことをとってもとってもやさしいことだと思いました。
あぁ、匠海くんだ、と思いました。
福岡公演のメントで匠海くんは私たちを指差しながら「全員ね!俺のファンも、他の人のファンも全員!めっちゃ幸せにするから!」と言ってくれた。彼は多分私たちファンがアイドルに向ける気持ちがどんな形をしているのかをどんな温度であるのかを想像してくれる人だと思います。みんな「好き好きである」ということをわかってくれているのだと思います。それは自分を推している人だけでなく、みーんながそれぞれの推しに対して持っているということを知ってくれているから「自分の名前」じゃなく「それぞれの推しの名前」を呼んでもらおうという思考に、パッとたどりつけるのだと思いました。
誰かを幸せにしたい、笑顔にしたい、喜んでもらいたい、元気付けたい、与える方が大きくありたい、匠海くんは本気でそう思って本気でそうできるように世界中を飛びまわって、そして受け取った人に必ずそう思わせてくれる、そういう人です。自分のことを好きだとか好きじゃないとか知ってるとか知らないとか、もはやそんな小さな枠組みにとらわれない宇宙みたいな規模感で幸せにしようとしてくれる、大好きな、大好きな大好きな大好きな、私のアイドルです。
匠海くんはどんな時もいつもいちばん誰よりも、私の大好きなアイドルです。
◆
匠海くんの名前は、
私にとって世界で一番短い呪文でした。
ふんばらないといけない時、ちょっとだけ勇気が必要な時、なんとなく寂しい夜、その呪文を唱えるとこころに明かりがぽっと灯るような暖かさが生まれました。私たちにとって好きな人の名前というのは、世界で一番短い呪文でした。
だから、
だから名前を呼んでほしいと思いました。
匠海くんに名前を呼んで欲しいと思いました。
それは、私の中に生まれた初めての感情でした。
メール配信サービスで設定した呼び名も、ヨントンやオフライントーク会で胸元につけていた名札も、ファンレターの最後に添えていた名前も、私は全部全部必ずハンドルネームにしていました。
それは自分の中のささやかな決めごとで、私が匠海くんの「ただのファン」でいるためのやわらかな線引きでした。
だけど京セラでこのことがあって、私はなんだかすごくすごく名前を呼んで欲しいと思いました。
ハンドルネームではない、ほんとうの名前を呼んで欲しいと思ってしまいました。
きっとお願いすれば匠海くんは笑って呼んでくれる。なんでもないことみたいにふつうに呼んでくれる。でもそれは、きっと私の宝ものになるんじゃないかと思いました。そんなこと、考えたことなかった。
これまでのヨントンやオフライントーク会の場において、私は匠海くんに何かをやってもらいたいというよりも「伝えたい」がずっと先行していました。もらいすぎているぐらいもらっているのだから、せめてこういう場くらいはあなたはほんとうに素敵で素晴らしいんだということを伝えたいなあ、そう思ってきたからそうしてきた。
そんな私の中に生まれたはじめての「わがまま」でした。
そんなわがままは「落選」のふた文字に滲んで消えて見えなくなりました。
それはその辺に落ちている石ころみたいなどこにでもあるありふれた話でした。これは特典で、商品で、消費者の話だから。だけど私はもう私の中に生まれてしまったこの気持ちをどうしたらいいかわからなくなりました。
だから、名前を書きました。
もはやラブレターみたいになってしまったファンレターの最後に初めて、ハンドルネームではないほんとうの名前を書きました。それは、小さな小さなわたしのせいいっぱいでした。
匠海くんは何も知らずに「読んで」くれるでしょう。何も知らずに「呼んで」くれるでしょう。でも私は大人になれなくて、ちょっとだけ悔しいからここに書いておく。
匠海くん、あの時名前を呼ばせてくれてありがとう。いつか名前を呼んでもらえたその時はそれを一生宝ものにするからね。
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