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会話

『ゴジラ -1.0』の脚本がなぜダメなのか、できるだけ簡潔に整理。 ・映画では「特攻」を否定しているかのように見える。しかし主人公の敷島は、典子を殺された怒りで頭に血が上り、完全にゴジラに特攻するつもりでいる。その心理は最後まで変わることがない。結果的に彼が特攻しなかったのは「橘がたまたま脱出装置を発明してくれたから」に過ぎない。つまりドラマとしては、敷島は特攻を肯定したまま終わっていて、その心理的な葛藤は何も解決されていない。お前は特攻を否定しているのか、肯定しているのか、どっちなんだ! この曖昧さが死ぬほど気持ち悪い。政治思想の問題ではなく、ストーリーテリングの構造として明らかにおかしい。 ・さらに言えば、敷島は最初に特攻から逃げていたため、ぼんやりしていると「特攻を否定していた臆病者が、愛する者を殺された怒りから、特攻も辞さない勇気を獲得する物語」にさえ見えかねない罪深さ。 ・あれだけ強大な敵を相手に「前の戦争と違い、今回は一人の犠牲者も出さない」という頭の中がお花畑な発言をする野田。そして少なくとも人的被害は直接描かれず、その理想が実現したかのように見えてしまう嘘臭さ。 ・そのような物語から導き出されるのは「前の戦争が間違っていたのは、間違ったやり方で、結果的に敗北したから。おかしな上下関係が無く、人的な犠牲を出さずに勝利できるなら、戦争は正しい」というイメージ。「おかしな上下関係が無く、人的な犠牲を出さずに勝利できるなら、戦争は正しい」…おう…それが実現できればな…お前さん、頭の中には常に春のお花畑が広がっているんだな。うらやましいよ。 細かいことを言えば、もっといろいろ上げられるが、一番気に入らないのは、この「否定していたはずの特攻を肯定したまま終わる物語構造のおかしさ」「お花畑理論で戦争を肯定してしまう愚かさ」。やはりこの2つが最大だな。 そんなわけで私にとって『ゴジラ -1.0』は「敗戦コンプレックスをゴジラで晴らすオナニーストーリー」以上ものではないのである。   twitter.com/masato009/stat
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