君は一体、何を見る。
君の願いは間違っている。
その理由を、君は知らない。
だけど君も、心の中では分かってるはず。
その先に『今』は無いのだと。
変化の先に今はなく。
今の果てにも変化もない。
変化は今を変えること。
今を捨てることに同義なのだから。
……それでもきっと、君は前に進むのだろうね。
それが灰村解なのだから。
もう、説得は無駄だと諦める。
君はそう言う人間だから。
愚直さの塊のような人だから。
私は黙って、君の背中を見送るよ。
夢が覚めたその先に。
きっと、『今』に繋がるものがある。
そう、信じて。
私に出来るのは、それくらいなものさ。
『ざまぁないね、ざまぁみろ』
死の淵に立たされて。
というか、死の淵から落とされて。
冥府へと一直線に落ちる最中。
ふと、聞き覚えのある声がした。
薄紫色の髪が見える。
暗闇でも目を引くド派手な和装は、彼の鮮血に濡れていて、その顔にはありありと嘲笑が浮かんでいる。
「なんだ、待ってたのか……僕のことを」
『気持ち悪い言い方だなぁ。だけど、そうだよ灰村解。僕を殺したお前を今まで待っていた。お前が死ぬのを嘲笑ってやろうと、死の淵でお前を待っていた』
僕が今まで生きてきて。
たった一つだけ殺した命。
唯一の殺害。
ただ、今でもこの男を殺したことに悔いはない。この男は多くの恨みを買いすぎた。たまたま僕が殺したと言うだけで……それは、数え切れないほどの思いが積み重なった結果だと思う。
「自業自得だろうが」
『そうだね、僕は殺されても仕方ないことをしていたさ。死ぬのは死ぬほど嫌だったけど、最低限、それだけは弁えて殺していたよ』
その手が僕の首に伸びる。
死してなお感じたのは、首を絞められるような猛烈な苦しさ。
されど、僕は苦しさの中、真っ直ぐにその男の目を見据える。
『だけど……あぁ、腹が立つ。なんなんだろうね君は。賢王リク……そうだ、あの男。あの男と似ているからムカつくんだと思っていたけど……それ以上だよ。
僕の首を絞める手に力が篭もる。
『お前は頭がイカれてる。夢のためなら手段は問わず、他には見向きもせずに駆け抜ける……。その常軌を逸した愚直さ。それを【狂気】と人は呼ぶ』
はっ、お前が狂気と罵倒するか。
なら、僕はよっぽどなんだろうな。
僕は顔を顰めて、彼の手首を握りしめる。
そして、その躯を蹴り飛ばし、奈落の底へと突き落とす。
『な……!?』
「そうだよ、
僕はなかなかイカれてる。
色々なことを考えて、この戦いに望んだ。
様々な未来を予測して、予想して。
中にはこの未来も視野に入れていた。
――灰村解が殺される。
この未来すら予想していた。
それは僕が考える中でも、最悪に近しい未来。
だけど、打開策がないとは言ってない。
僕は鮮やか万死から視線を外し、上を見る。
落ちてゆく、落ちてゆく。
死の泉へと落ちてゆく。
どこまでも深く沈んでゆく。
その刹那に。
僕はその『死』に介入する。
「……本当に、くそったれだよ」
本当に、この未来だけは嫌だった。
この力だけは、使いたくなかった。
なんてったって、嫌いな野郎の力だから。
☆☆☆
霧矢ハチは、勝利を確信していた。
灰村解の頭蓋を砕いた。
完全に、殺害した。
だがしかし。
目の前の光景に、彼は辛そうな表情で胸に手を当てる。
その姿は、想力の枯渇から来る苦しみか。
あるいは、灰村解を殺したことに対する後悔か。
その拳は震えていて。
その顔は、どこか青白くなっている。
「……悪い。君のノートは貰ってゆく」
その手が、体へと伸びてゆく。
しかし、その手は途中で止まる。
きっと彼の脳裏には、疑問が過った。
確実に殺したはず。
ならば、どうして?
その疑問にたどり着き、目を見開いた。
そんな霧矢ハチの右腕を、僕はがっしりと掴み取った。
「こっちこそ悪いな、勝つのは僕だ」
その目が限界まで見開かれる。
その顔面へと、情け容赦なく拳を振るった。
霧矢の顔面から鮮血が溢れ出す。
霧矢はたたらを踏んで後退り、踏み止まることも出来ずに倒れ伏す。
その目は変わらず、驚きに満ちていて。
やがて、その目に理解が走った。
「【
僕の後ろで、灰村解の死体は消えてゆく。
死が、無かったことに変わってゆく。
死への介入、過去の改変。
僕が最も嫌った能力。
僕に使えて霧矢に使えない、禁忌の力。
「最初から分かってたさ。お前に勝つには模倣合戦しか方法はない。そして、模倣合戦でお前を上回るには……僕しか使えない能力を、いかに上手く使うかに掛かってる」
お前は経験も地力も僕とは桁違い。
どれだけ知識を増やしても、それだけで勝てるとは思っていなかった。
だからこそ、僕が持ち得る禁忌の力……霧矢ハチには使えない力を、どこでどう使うか。それだけを気にして戦ってきた。
「【黒死炎天】に【無窮の洛陽】……僕の【禁書劫略】もそれにあたるが、人の身に余る禁忌の力」
「だ、だけど……君の力は既に尽きているはずじゃ……!」
霧矢は膝に手を当て、立ち上がろうとする。
だけど、ダメージが大きすぎた。
燃料は僕との戦いでほぼ全てを使い切り。
極めつけは、先程の一撃。
勝負が決まったと気を抜いた瞬間を、渾身のひと振りでぶち抜いた。
もう、お前は立ち上がれない。
そんな霧矢を見下ろして、僕は大きく息を吐く。
そして、掌へと青い炎を灯らせた。
「……ッ!? ま、まさか……君は、使ったのかい、六紗優の故郷の【残光】を!」
僕が持っていた力は、ひとつじゃない。
六紗が自分の村を食らった時に残った力。
霧矢ハチの攻撃を受止め、吸収したエネルギー。
神力にも想力にも変換できるソレを。
僕は、たった一度の【蘇生】に全て費やした。
「正気じゃない……! それは敵の……初代悪魔王の力だ! それを、よりにもよって他人の命で再現するか、灰村解!」
「…………」
僕は黙って霧矢を見下ろす。
その目を見下ろせば、彼は怒りに満ちていた。
お前の言うことは最もだよ。
僕のやってる事は最低だ。
人間として失格なのかもしれない。
だけどな、霧矢。
「好きに言えよ。それでお前を助けられるんなら、僕の悪評なんざ安いもんだ」
反論だけなら好きにしろ。
僕の好きにさせてもらう。
お前は死なせない。
僕の過去は焼却する。
そして、みんな揃って歩き出す。
それが、僕の夢。
その為だけに、お前の夢を踏み躙る。
「なにか、言い残すことは?」
最後に問う。
お前の夢の、終焉だ。
最後の言葉くらいは覚えといてやるよ。
ま、どーせ後で腐るほど文句を聞く羽目になるんだろうけどな。
僕の言葉に、霧矢は大きく目を見開いて。
僕は拳を振りかぶる。
その光景に、彼は恐怖を浮かべはしない。
ただ、絶対の自信を持って口にした。
「カイくん。君は間違っている」
僕の拳は、霧矢の意識を刈り取った。
その体は、今度こそ大地に沈む。
その懐からは……ボロボロになった第捌巻が転がり落ちた。
僕はその本を拾い上げ。
霧矢を見下ろし、言葉を返す。
「仮にそうだとしても。……もう、止まれるような場所じゃねぇんだよ」
自分が……間違っているかもしれない。
そんな疑念は、走り出した当初からずっと体にへばりついてる。
そう考えなかった日は、一度もない。
なにせ過去の改変だ。
それが正しいのか間違っているのか。
僕自身も、これといった自信が無い。
だけどさ。
その為だけに走ってきたんだ。
その為だけに、命を賭けて手を伸ばした。
それがやっと、届いたんだよ。
ここまで至った。
僕の夢の、旅路の果てに。
「……もう、止まれねぇよ」
空を見上げる。
気がつけば、曇天の隙間から光が零れ始めていた。
それは光のカーテンのように僕の姿を照らし出す。
ふと、気がつけば捌巻は輝いている。
体の底に暖かいエネルギーを感じる。
ありったけのエネルギーを振り絞り、次元の穴を開くと、その中から九冊の本が姿を現す。
阿久津真央の【第壱巻】
灰燼の侍の【第弐巻】
成志川景の【第参巻】
シオン・ライアーの【第肆巻】
異能者殺しの【第伍巻】
老巧蜘蛛の【第陸巻】
六紗優の【第漆巻】
鮮やか万死の【第玖巻】
暴走列車の【第拾巻】
そして、霧矢ハチの【第捌巻】
僕の目の前に、10冊のノートが浮かぶ。
それは、悪夢にまで見た光景。
「……やっと」
やっと、ここまでたどり着いた。
何気ない平穏から。
異能に出逢って、いきなり死んで。
何度も挫けて、立ち上がって。
歯を食いしばって、血を滲ませて走ってきた。
その果てが、目の前にある。
それを前に、僕は不思議と確信した。
きっと、
理解ではなく、本能的な直観。
そうなるべくして、奇跡が起きる。
僕は一歩、前へと踏み出す。
咄嗟に、口を開こうとした。
『僕の黒歴史を消してくれ』と。
僕の願いは、何があろうと変わらない。
だから言おうとした、間違いなく。
だけど……なんでだろうな。
言葉が喉に詰まって、出てこない。
「……な、んで」
気がつけば、僕は泣いていた。
どうしたんだろう。
拭っても拭っても、涙が止まらない。
なにか、とても大切なことを忘れている気がする。
忘れちゃいけないこと。
忘れたくなかったこと。
下手をすれば命よりも大切なこと。
なんだった、それはなんだ。
僕は一体、何を忘れている。
瞼を閉ざして頭を回す。
だけど……この場面に至って。
頭に浮かぶのは、仲間たちとの今の日常。
皆で笑って、皆でバカ騒ぎして。
皆で、幸せに暮らしている。
そんな今。
それが、走馬灯のように思い起こされた。
「……楽しかったなぁ」
何故、それを過去形にしたのか。
僕もよく、分からなかった。
だけど、不思議と。
その一言で迷いは断てた。
僕は涙を拭い、10冊のノートを見上げる。
思い起こせば想うほど。
僕はアイツらが大好きだ。
その気持ちに揺るぎは無い。
そして同時に、中二病が嫌いな僕も居る。
彼らを見ていると。
愛おしく思う僕と。
嫌悪感を抱く僕が混在してるんだ。
それが僕は、とても嫌だ。
余計な気持ちを挟みたくない。
この幸せに、過去は不要。
僕は変わらなきゃいけない。
黒歴史を焼却する。
今の灰村解を消し炭にする。
じゃないと、本当の意味でアイツらとは向き合えない。
「なぁ、黒歴史ノート」
僕の声に呼応して、ノートが輝く。
まるで、在るべき場所に戻りたがっているように。
嬉しそうに、悲しそうに。
どこか寂しそうに、輝いた。
僕は、ノートへと手を差し伸べる。
光が溢れて、僕は願う。
「僕の黒歴史を、消してくれ」
その瞬間、世界を光が包み込む。
ふと、後方から幾つかの気配がした。
もう、振り返っても何も見えない。
声も聞こえず、目も見えず。
誰が居るのかも分からない。
だけど僕は、笑って言った。
「ありがとう」と。
きっと、そこに居るのは。
僕の大切な人達だったろうから。
☆☆☆
「ちょっとお兄ちゃん! いつまで寝てんの!」
「ふがっ!?」
朝。
僕は、実家のベッドで叩き起された。
眠気を堪えて瞼を開くと、思いっきり僕の腹にパンチをかました妹の姿がある。
「お兄ちゃん! 今日から新学期だよ! いつまでも寝てたら遅刻するって!」
「新学期……」
そう、だったっけか。
体を起こして頭を抑える。
新学期……新学期?
もうそんな時期だったか。
寝ぼけているのかな……まだ頭がハッキリしない。
「ほら、お母さんが朝ごはん作って待ってるよ! 早く降りてきて!!」
「あぁ……うん」
ベッドから立ち上がり、鏡の前に立つ。
そこに居たのは、黒髪黒目の普通の少年。
「……僕の名前は、灰村解」
いつも通りの平凡な顔。
いつも通りの平凡な体格。
にも関わらず……不思議と違和感がついてまわる。
僕自身の目の色に。
贅肉のついた、この体に。
太ったわけじゃない。
目が悪くなった訳でもない。
なのに、なんだろう、この感覚は。
まるで自分の体ではないような、そんな不思議な感覚を覚えた。
「……まるで、ずっと夢を見ていたような」
夢、というより【妄想】だろうか。
とても、とても長い。
ずっと果てしない妄想をしていたような。
そんな、気がする。
先程まで寝ていたベッドを見る。
僕はどんな夢を見ていたのか。
起きた今では何も思い出せやしない。
ただ、不思議と。
一つだけ、覚えている単語があった。
「……クラウ、ディア……?」
それが何かは、分からない。
ただ、目の前の鏡へと視線を移して。
僕は、鏡の中の自分に触れる。
「なにを……僕は忘れたんだろう」
なにか大切なことだった気がする。
だけど、思い出そうとすればするほど……僅かな記憶も消えてゆく。
「ちょっと解! 朝ごはんできてるわよ!!」
ふと、一階から母さんの声がした。
その声に鏡から視線を外したその時には。
先程までの夢の内容など、綺麗さっぱり消えていた。
「うん、今行くよ」
僕はそう言って、歩き出す。
その時……見間違えだと思うけど。
鏡面で、僕の目が青く煌めいたように見えた。
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