挿絵表示切替ボタン

配色








行間

文字サイズ

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
150/170

それは、始まりの物語

最終章【妄想クラウディア】
511『最古の童話』

 ずっと、ずっと昔。

 まだ、勇者も悪魔王も存在せず。

 それ以前の『人間』として争っていた頃。

 この世界の中心には、それはそれは大きな帝国があった。


 帝国の王は、賢く、謙虚で、何より優しかった。

 誰よりも民のことを想い、誰よりも民のために働いた。


 国民の誰もが国王の味方だった。

 ……きっと、後にも先にも彼以上に人民の心を味方につけた賢王、というものは現れないだろう。

 誰もが笑い、幸せも不幸も噛みしめて、一緒になって前を向く。

 決して楽な暮らしではなかったが、その国は充実していた。


 ――しかし、そんな国へと隣国が目を付けた。


 隣国の王は、賢く、狡猾で……民を道具のように扱う王だった。

 帝国の王とは正反対。まるで鏡合わせのように、何もかも異質な男。

 彼は、帝国を自身の領地にするべく動き出した。


 それは、表立っての行動ではなかった。

 海の底から、藪の中から、まるで蛇のように這いあがり、徐々に相手の首を絞めていくように。

 音もなく、悟らせる隙など与えることなく。

 隣国の王は、帝国を内部から瓦解させた。


 それは、賢王が頭脳で劣ったということではなく。

 ただ、隣国の王は狡猾で、戦い方を知っていたというだけ。


 賢王は誰より優しく。

 誰より民を想い、誰より真剣に働いた。


 ただ、経験が足りなかった。

 その時ばかりは、相手が悪すぎた。


 帝国は隣国に呑まれ、崩壊した。

 その国はやがて【魔国領】と名付けられ。

 狡猾な王は、自身を【悪魔王】と呼称した。

 悪意で世界を満たす魔王。


 結果から言おう。

 ……それを前に、賢王は逃げるしかなかった。


 彼は命を賭して、国民を守ろうとした。


 だけど、民がそれを望まなかった。

 王が生きれば、国は終わらない。

 それに、誰もが王を好きだった。

 だからこそ、誰も王の死を望まなかった。


 民は王を逃がし、王は、民の思いを背負って駆けた。


 何里も超えて、山をも越えて。

 血が出ようと、喉が渇こうと。

 ただひたすらに、逃げて、逃げて……。



 その果てに彼は、大きな泉にたどり着いた。



 どこまでも幻想的な光景。

 見たことも聞いたこともない、神秘。

 それは、この世の光景ではなかった。


『ああ、私は死んだのか』


 賢王は久しく声を発した。

 それは失意と絶望に満ちた声だったと思う。


 だけど。

 その泉には、賢王を否定できる者がいた。



『おや、お客さんだなんて初めてだね』



 いつの間にか、賢王のそばには一人の男が立っていて。

 目を見開く賢王へ、その男は手を差し伸べる。



『ようこそ《星の最果て(オケアノス)》へ。俺はミスト。自称一般人のおじさんさ』



 そして賢王は、賢者と出会う。

 それは運命だったと、後述しよう。

 きっとそこから、全ての『今』が始まった。




 ☆☆☆




 その男は、ミスト=エイトアロウと名乗った。


『ここは、星の果て。この星に存在するありとあらゆる世界線、ありとあらゆる世界が通ずる唯一の場所。行き着く者が行き着くべくして、たどり着く。そんな場所さ』


 その男の言葉は、賢王にさえよく分からなかった。

 ただ、その男が、自分すら知らないことを多く知っているのだと。それだけは何となくわかった。


『……星の果てが何なのかは知らない。だが、私にはすべきことがある。こんな所で油を売っている暇はない』


 ただ、だからなんだという話だった。

 自分にはすべきことがある。

 なすべきことがある。

 何よりも優先すべきことがある。

 目的がある。

 それに寄り道など不要。


『私は……、私を助けてくれた全ての民に、報いねばならない』

『……目的。いいや、使命かな、君の場合は』


 男は、賢王の瞳を見てそう言った。

 ミストと名乗った男は、どこか寂しそうに微笑んでから、口を開く。


『ただ、君の場合は少し落ち着いた方がいい。自分がどれだけ瀕死なのか、少し省みたらどうだい?』

『ぐ……っ』


 追っ手から逃げる際、腹に矢が刺さり、じわりと血が滲み続けている。

 足の裏は皮が剥け、体から汗が出なくなってから、かなりの時間が経過している。


 今すぐ休まねば、死に至る。

 容易にそんな想像がついた。


『だ、が……こうしている今も、民は!』

『君は、その仲間達が大好きなんだね』


 ミストはそう頷いて、それでも言った。

 優しい笑顔を浮かべて、言い聞かせた。


『なら、君は生きなきゃならない。仲間が大好きな君が、その仲間と別れてここに居る。なら、きっと託されたんだろう。なにか、大切なことを』


 大切なこと。

 再び国を建て直すこと。

 悪魔王の支配から民を救うこと。


 そのために必要なこと。

 今、自分がすべきこと。


 賢王は考えた。

 深呼吸して、心を落ち着かせて。

 その答えは、すぐに出てきた。


 彼は膝から崩れ落ち。

 顔に手を当て、涙した。



『……私は、苦しむ民を前に……何も出来ないのか』



 今すべきことは、傷を癒すこと。


 苦しむ民を、放置すること。

 彼らに我慢を強いること。

 時に傷つき、死にゆく大切な人たちを、見殺しにすること。


 それが、今の賢王にとって『すべきこと』なのだと、彼は直ぐに理解した。


 そんな彼を見て、ミストは哀しく笑う。


『君の気持ちは分かるよ。分からないとは言えないからね。だから、君の決断がどれだけ誇らしいものか、……世界中の誰も認めなかったとしても、少なくとも俺だけは認めるよ』


 賢王は顔を上げる。

 目の前に立つその男は、両の瞳で賢王を見下ろす。

 まるで、王のようで奴隷のようで。

 空気のようで、玉座のような。

 実に掴みどころのない男だと、賢王はその男を前にして改めて思う。


『……お前、は』

『答えない。俺の正体なんて、俺が1番よく分かってないからね。だから、()()()()()()()()()()()()。俺は君が気に入った』


 そう言って、男は賢王を引っ張り起こす。

 その手はどこまでも暖かくて、まるで永くを生きた老人のように、傷だらけだった。


『改めて。君は誰だい、名も知らぬ王様っぽい人』


 その問いかけに。

 賢王は、しばし悩んで名を告げる。



『……私は、私の名は【リク】』



『偽名かな?』

『それに答える義理もない』


 その名が賢王の真名であったかどうか。

 それは、ミストにさえ分からない。

 ただ、それでも良かった。

 名前なんてものは、さほど重要じゃない。

 もっと重要なことが、生きてく上では沢山ころがって居るだろうから。


『よし! とにもかくにも、リク。君の手当を始めよう! そしてご飯を食べよう! 沢山寝て、食べて、早く治して建国だ!』


 そう言って、ミストは上空に拳をつきあげる。

 その光景に苦笑しつつ、賢王リクは瞼をとざす。

 既に、彼の意識は途切れかけていて。

 彼は、意識を失う直前に、こう言った。



『あぁ……私は、なんと弱いのか』



 弱いから負けた。

 弱いから何も守れず。

 守るべき者に守られ。

 最後には全てを失った。


 そんな、自分の弱さが酷く憎い。


 刹那に、賢王は憎悪した。

 他でもない自分自身に。

 自分自身の脆弱さに。


 そしてそれは、期せずして。

 賢王の中で、特別な感情へと変化した。


 彼が刹那に抱いた強烈な感情。



 それは、概念性の【(トリガー)】へと変化した。



 それに気がついたのは、ミストのみ。

 彼は驚いたように目を丸くして、やがて、寝息を立て始めたリクを見て微笑んだ。


『……これはまた、今まで生きてきた中で、飛びっきりの器だね、君は』


 ひと目で分かった、圧倒的な王の器。

 後にも先にも、きっとこれ以上は現れない。

 そう確信できるほど。

 相対するだけで膝を屈してしまいそうになる、あまりにも傍若無人なカリスマ性。


 有無を言わせぬ、王の風格。



『君は……一体どこまで行くのかな、リク』



 ミストは静かに呟いて。

 やがて、リクの治療へと取り掛かった。



この星で最も気高く、大きな王。

後にも先にも、これ以上の器は現れない。

ミストはかつて、そう感じた。

けれど、後に彼は一つだけ、その時の言葉を訂正することになる。


王の器。

賢王に匹敵するものを、1人の少年が持っていたから。

ブックマーク機能を使うには ログインしてください。
いいねで応援
受付停止中
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。
感想を書く
感想フォームを閉じる
― 感想を書く ―

1項目の入力から送信できます。
感想を書く際の禁止事項についてはこちらの記事をご確認ください。

※誤字脱字の報告は誤字報告機能をご利用ください。
誤字報告機能は、本文、または後書き下にございます。
詳しくはこちらの記事をご確認ください。

⇒感想一覧を見る

名前:



▼良い点

▼気になる点

▼一言
X(旧Twitter)・LINEで送る

LINEで送る

+注意+

・特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はパソコン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
作品の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
▲ページの上部へ