連載 「芸術って何ですか」を考えてみる第2回 二種類の芸術

1.芸術と芸術でないもの

 第1回では「+80km/hの自由と想像力」ということで、私たちの日常的な活動と芸術活動の関係について考えてきました。今回はそれを踏まえ、ネットで見つけた質問「芸術とそうでない作品の違いはなんでしょうか?」ということに取り組んでみようと思います。

 こうした質問の背景には恐らく、世の中で芸術と言われている作品の良さが全くわからない、あるいは自分が素晴らしいと思う作品が他の人から芸術と認められなかった、といった経験があるのではないでしょうか。芸術とそうでないものの区別が難しいのには様々な要因がありますが、その中でも特に大きな要因として芸術がひとつのモノサシだけでは測れないものだということがあります。

 

2.芸術のふたつのあり方

 第1回で芸術で発揮される能力が日常で使われる能力と無縁のものではないという話をしました。つまり芸術は日常的な活動と全く無縁のものではなく、むしろその延長線上にあるということです。

 そこで芸術がひとつのモノサシで測れないということ、芸術の方向性はひとつではないということを私たちの日常生活から考えてみることにしましょう。

 私たちの日常の活動は、極論するとたったふたつの要素だけで成り立っています。「繰り返される要素」と「変化する要素」このふたつです。

 みなさんの毎日の生活を思い起こしてみてください。その活動のほとんどは毎日あるいは時々繰り返されること、過去に合ったことの繰り返しで構成されています。また自分にとっては初めてでも他の誰かがやったことを自分も繰り返している、そういうことはいくらでもあります。

 さて、それとは反対に全く同じ事柄が全く同じ状況で繰り返され、またそれに対する気持ちも全く同じということはまずあり得ません。毎日同じコースを散歩したとしても目に映るもの、心に浮かぶものは完全に繰り返されることはありません。意識せずとも世界や心は日々常に変化し新しいものであり、また繰り返されるものにも変化や新しいものを求めよう、与えようとするのが人間の性(さが)でもあります。繰り返される事柄の組み合わせが変わることで新しいもののように感じられることもあります。

 このように繰り返されていることの中にも常に何か新しいこと、変化することが含まれている、これが私たちの生活、私たちの活動の基本的な在り方です。このことは日常の延長である芸術にもあてはまります。「繰り返されること」「変化すること」別の言い方をすると「保守」と「革新」。芸術と一言でいっても、実はこのふたつの正反対の方向性を持つものがあるのです。これが「芸術か否か」の判断を難しくする大きな要因となっているのです。

 

3.保守的な芸術

 繰り返される芸術、一番わかりやすいのは伝統芸能、伝統工芸といった伝統を重んじるような芸術です。保守的、まさに保ち、守る、更に深め洗練していくことに+80km/hの能力を注ぐ芸術活動です。勿論こうした芸術においても新しいものを求めようとする革新的な精神は発揮されますが、圧倒的に保守の度合いが強く、革新の速度は極めて緩やかなものとなります。また創造性よりも技術面に重きが置かれるのも特長です。

 伝統的な芸術以外に、日常生活に密着する度合いが高いものは保守的な芸術となる傾向があります。デザイン、デザインに使われるイラスト、インテリア、街角や公共施設などに展示される彫刻や絵画等です。こうした芸術は、一般的には鑑賞者に安らぎや親しみやすさ、好ましさを与えることが目的となります。人間にとって共感しやすいもの、わかりやすいもの、それは過去に繰り返し経験し、味わい、慣れ親しんできたものです。その意味でこうした芸術は保守的な要素が強いものとなります。そこにいくらか革新的なエッセンスを混ぜ、程よく心地よい新鮮さと刺激を与える、そういうスタイルの芸術となります。

 近代以前においては芸術とは、基本的に保守的な芸術であったと言えます。これについてはまた別の機会に述べます。ひとつ例を挙げるなら、キリストの偉大さやキリストが行った偉業を知らせるための絵画はそれを見る人々にわかりやすさと共感を与えるもの、つまり保守的な芸術である必要があったのです。

 

4.革新的な芸術

 保守的な芸術とは反対に、どんどんと新しいものに挑戦する芸術、新しい領域を開拓していくことに+80km/hの能力を注ぐのが革新的な芸術です。その代表と言えるのがピカソでしょう。ルネッサンス以来の一点透視法的な空間を否定した多視点絵画、キュビズム絵画を始めたり、西洋的な価値観とは全く異なるアフリカ美術の要素を積極的に導入することで、それまでになかった絵画表現の可能性を切り開いてみせました。まるで革新こそが芸術の使命と言わんばかりです。生涯を通じて次々と自身の作風を変化させていったことでも有名ですが、これもまた革新的精神によるものといえるでしょう。

 もうひとり、現代美術の先駆けとなる革新的な芸術家として忘れてならないのがマルセル・デュシャンです。彼は既製品の便器を会場に置いただけの作品を発表し物議を醸しました。彼はこの行為を通じて、作品の良し悪し云々以前の問題として、「芸術を芸術と決めるものは何か、」「芸術と芸術でないものの違いは何か」といったそれまで誰も問うことのなかった、芸術の根幹に関わる革新的な問いかけを世の中に「突きつけた」のです。

 子どもの楽描きのような絵、既製品をおいただけの作品。「そんなものは俺にもできる」そのような声を良く耳にします。しかし人がそれと同じことをできるかどうかということは大きな問題ではありません。重要なのはそれを「初めてやった」ということです。誰も踏み込んだことのない未開の領域を切り拓いたことに歴史的、芸術的な価値があるのです。Aさんが切り拓いて到達した場所、後から来たBさんも同じ場所に到達しました。この二人の功績は全く同じでしょうか。後世に名を残すのはやはり最初に切り拓いたAさんでしょう。

 芸術を、それまでの一部の天才の領域からから「俺にもできる」と思わせるような身近なものへと転換させたこともこうした芸術家の功績だと言えます。これにより芸術の裾野は広がり、より多くの人が参加できる、より自由な活動となったのです。ピカソやデュシャンを理解できない、嫌いという人も、確実に彼らが切り拓いた世界の中で生きているのです。

 

5.近代以降の芸術

 先ほど少し触れましたが、近代を境に芸術の考え方は大きく変わり、現代では革新的な芸術が芸術の表舞台に立つようになってきました。次回はこのあたりの経緯について述べていきたいと思います。革新的な芸術が主流になるということは、芸術が一般の人々にとってわかりにくく、共感しにくいものになることにも繋がります。これを踏まえて改めて第1回を読んでいただくと芸術に対する理解も少し深まるかと思います。

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