霧矢ハチは、なんだって知っている。
考えるより先に、体が動いていた。
「――【黒死炎天】」
全身を包む炎が、青い炎に喰らわれる。
僕の姿を見た霧矢は驚いたように目を見開き、僕は白い息を吐いて前を向く。
六紗から奪った、全てを食らう逸常の炎。
あまり多用は出来ないが……だからといって使い惜しめる相手ではない。
「へぇー、凄いな……その炎。随分と長く生きてきたけれど、それは『初めて見た』類のものだ」
「霧矢! お前……!」
なんでこんなことをする!
そう続けようとした僕に、されど霧矢は笑みを崩さす手をかざす。
「言っておくけど、説得は無駄だよ、カイ君」
瞬間、僕の身体中を無数の氷矢が貫いた。
凍りついた鮮血が弾け、貫かれた部分から氷結が始まってゆく。
咄嗟に青い炎で氷結すらも燃やし尽くし、僕は戦慄を噛み締めて目を見開く。
――全く、見えなかった。
全く油断はしていなかった。
なのに、何も見えなかった。
攻撃の所作だけは見えた。
だが、その後の結果まで、その道程が何ひとつとして視認できなかった。
何たる速さ。
……いいや、驚くことじゃない。
冥府の王イミガンダはこの男を知っていた。
奴の経験を……記憶を奪い、その際に【霧矢ハチが何者か】を僕は知った。
知ってしまった。
彼が、人間ではないということを。
「……その顔、知ってるみたいだね。思い返してみれば……イミガンダの記憶を見てからかな? 君の、俺を見る目が変わったのは」
そう言って、霧矢は目を細める。
一陣の風が吹き、その髪が揺れてゆく。
彼の瞳は、どこか疲れたように僕を見ていた。
「なら、分かるだろ? 君は俺には敵わない」
瞬きをする。
次の瞬間には霧矢の姿は消えていて。
僕のすぐ背後で、風切り音がした。
咄嗟に身を転がすと、彼の拳が空気を切り裂く。
たったの一撃で草原が割れる。
衝撃波で森が砕けて、その威力に戦慄した。
「くっ……!」
「今の君は、一人なんだよ、カイ君」
彼の言葉に、僕は歯を食いしばる。
地面に両手をつき、奴の顔面へと回し蹴りを叩きつける。
だが、彼は片手で僕の蹴りを受け止め、軽い調子で言ってくる。
「君は、自力で格上を倒したことがない」
その言葉に、思わず思考が停止する。
と同時に霧矢の蹴りが腹に突き刺さり、僕の体は大きく吹き飛ばされてゆく。
岩に思い切り叩き付けられ、砕き、それでようやく勢いが止まる。
苦痛に顔をゆがめて顔をあげれば、足を踏み下ろそうとする霧矢が目の前にいた。
「……ッ!?」
咄嗟に首を逸らすと、僕の頬のすぐ隣に彼の足が落とされた。
地面にヒビがはいり、背筋が凍る。
「冥府の王は、僕が手助けをしたよね。成志川少年には勝てなかった。鮮やか万死には過去の力にすら縋り、灰燼の侍や六紗優には勝てたけれど……それは、勝つべくして勝っただけ」
僕を見下ろす瞳は、どこまでも冷たい。
「相性は良くない。相手の調子も悪くない。何ひとつとして付け入る隙がない。そんな格上に……君が勝てたことは無い」
……そうだ。
事実、僕が自分の力
霧矢の蹴りを、両腕でガードする。
弾かれた僕は10数メートル先で着地し、地面を踏ん張りながら静止する。
両腕の骨が砕けた。
だが、それもすぐに癒える。
僕は大きく息を吐き、集中の泉の中に意識を沈める。
だが。
「援軍は、来ないよ」
霧矢の言葉が、動揺を誘う。
「何度でも言うよ。援軍は来ない。シオンちゃんたちはここには来ない。君を引っ張ってくる時、君の『渦』は消させてもらったからね。……君がいない状態で、彼らが世界を渡ることは出来ない」
「……ッ!?」
「君は、ここで俺に殺される」
その言葉が響いた直後。
霧矢ハチは、僕の目の前に立っていた。
視界の端にソレを映して、僕は大きく目を見開く。
霧矢はそのノートを片手に、僕へと言った。
「だけどね、カイ君。僕は君のことを友達だって思ってるんだ。君には生きて欲しいんだ。
彼の言葉に、少しだけ違和感を覚えた。
まるで、本当にそれが霧矢ハチの願いであるかのような……。そんな感じがした。
だが、次の一言で、そんな違和感も砕かれた。
「だからさ、君の持つノート……全部俺に渡してよ」
聞いた瞬間に理解した。
それこそが、霧矢ハチの目的。
彼が友人たる僕をも殺そうとする、本当の理由。
「俺はね、どうしても叶えたい願いがあるんだ。それ以外の全てを知った。感情の起伏なんて……もう、ほとんどない。だけどね、思うんだ。【終焉】だけは違うんじゃないか、って」
僕は、彼の言いたいことが分かってしまった。
分かりたくなんてなかったけれど。
彼の素性、彼の言葉。
全てを知り、理解した。
僕は苦渋に顔を歪めて。
彼は、第捌巻を片手に言った。
「俺は、そのノートで自殺する」
悠久を終わらせる。
きっと、霧矢ハチはその為だけに生きている。
そう理解した瞬間、僕は霧矢の胸ぐらを掴みあげていた。
僕の攻撃なんて、いくらだって躱せるだろうに。
その時だけは、霧矢は一切の抵抗をしなかった。
「おま……お前は! そんなことのために……2年間も、僕に力を貸したのか!? 僕を助けたのは、ノートを集めさせるためだったとでも言うつもりか!」
やめてくれ。
お前の口から、そんなことは言わないでくれ。
僕はお前を信頼してる。
心の底から、友達だって思ってる。
2年間も一緒に過ごした。
何度も救われた。
何度も笑って、怒って、肩を組んで。
一緒に深淵を生き抜いた。
そんな、お前が……ッ。
「そうだよ。君は、ただの駒だった」
僕は、拳を振り抜いた。
確かに頬を抉った感触。
霧矢はたたらを踏むように数歩後退り、僕を見る。
その頬には赤い跡がついており、口の端から血が伝う。
「……ッ、はぁっ、は……ぁ、ぅっ!」
「それで、満足かい? 恨みや鬱憤は晴らせたかい?」
霧矢の言葉に、視界が赤く染まる。
それは怒りによるものだった。
僕は拳を振りかぶる。
霧矢ハチは、一切の抵抗をしなかった。
……僕は、拳を振り抜くことが……出来なかった。
「……んで」
ふと、言葉が溢れた。
霧矢は、ぴくりと反応を示し。
僕は、その場に崩れ落ちた。
「なんで、そんなことを言うんだよ……」
気の知れた友達のようだった。
兄のように思っていた。
誰よりも長く、一緒の時を過ごした。
多くを知った、2人で死にかけもした。
その度に、肩を組んで乗り越えてきた。
そんな、お前が……。
どうして、そんなことを言うんだよ。
なぁ、霧矢。
「…………っ」
霧矢は、何か言いかけたように口を開く。
だけど、すぐにその動揺は掻き消えて。
彼の瞳に、暗い光が宿った。
「言いたいことは、それだけかい?」
彼は拳を握り締める。
「俺はね、君の日常を壊したくないんだ」
その言葉からは、限りなく本心に近いものを感じとった。
僕は思わず反応し、肩を振るわせる。
霧矢ハチは、どこまでも淡々と僕を見ていた。
「5つ数える。その間に、ノートを渡すかここで死ぬか選んで欲しい。答えが出なかったその時は……残念だけれど、ここで殺す」
ノートは僕の『アイテムボックス』の中。
次元技能で作ったものだ。
僕が死ねば、中身は全てこの場に溢れる。
霧矢ハチは、きっとなんだって知っている。
分かってるんだ、そんなこと。
この男が、どんな男かってことは。
この僕が、他の誰より知っている。
「5……4……3」
霧矢は数字を刻み始める。
僕は大きく息を吐き、言葉を紡ぐ。
「なぁ、霧矢」
呼び掛けに彼は応じず。
カウントダウンは止まらない。
やがて、その数字が1を刻み。
霧矢の拳に、力が篭もる。
確実に、殺すつもりのその拳。
それを見上げて、僕は笑った。
「それでも僕は、お前を信じたい」
その言葉を聞くと同時に、霧矢は大きく目を見開いた。
彼は焦ったように飛び退る。
そのコートは一部が灰となって消えてゆき、それを見た霧矢は初めて冷や汗を流した。
「おいおい……カイくん。六代目勇者と戦った時より、まだ強くなってないかい?」
彼の言葉を受け、僕は立ち上がる。
右手を振り払えば、周囲の草木が朽ち果てる。
――消滅技能、全力展開。
既に手加減する気などなく。
僕は、霧矢に真正面から視線をぶつける。
「悲しいと思うよ。辛いと思うよ。お前は僕の友達だ。……誰だって、友達にそんなことを言われたら傷つく。
「…………なんだって?」
霧矢は、目を細めた。
その反応に、僕は更に確信を深めた。
……お前はいつだってそうだった。
核心をつかれた時。
お前はいつだって、怒るふりをした。
「お前の目的が……自殺することだってのは、疑ってないよ。事実そうなんだろうと思う。……だけど、
「……困ったね。少し、一緒に居過ぎたのかなぁ?」
全て、理由があるんだろ。
お前が僕の殺害に躊躇いがないのは、冥府に行っても自力で生き延び、生き返ると知っているから。
お前が『説得は無駄』と言っておきながら、無駄に言葉を重ねるのは……僕を説得したいから。
それに、あれだ。
僕の日常を守りたい。
その言葉はきっと、本心だ。
理由は知らん。
だけどお前は……僕の道の先で、今の日常が崩壊すると知っているんだろう。
お前はなんでも知っている。
なら、今が壊れるのは本当なのかもしれない。
だけどな、霧矢。
分かってんだろ、お前も、僕を。
「……あぁ、知ってたさ。常軌を逸した努力の人。灰村解。
その言葉に、僕は笑った。
僕は灰村解。
いつだって、それ以上を求めてきた。
生きることで必死な人生に、多くのことを求め続けて足掻いてきた。
今回だって、その通りだ。
「……格上を自力で倒したことがない……か。それじゃあ霧矢。お前が最初の相手だな」
「……なんだって?」
霧矢は目を細め、僕は拳を構える。
僕はな、霧矢。
負けるつもりは毛頭ない。
死ぬつもりも毛頭ない。
お前を殺す気も毛頭ない。
自殺させるなんて絶対阻止する。
加えて今の平和も維持する。
日常は絶対に壊させない。
その上で、過去の黒歴史は抹消する。
それが、灰村解の高望み。
それを叶えてこその、奇跡だろう。
なら、僕がノートに望むのは『ソレ』だ。
「お前を倒す。でもって、お前の自殺以外、全部の願いを叶えてやるさ」
お前は絶対に死なせない。
大切な人だから。
気心知れた友人だから。
友人として、お前の自殺を蹴っ飛ばす。
「ざまぁみやがれ、てめぇの願いは叶わない」
その言葉に、霧矢は静かに笑った。
「……本当に、性格の悪い子だね、君は」
その瞳には、楽しげな光が宿っていた。
いずれ到る崩壊を知っている。
君の末路を知っている。
だからこそ、それを俺は阻止するよ。
自殺のついでに、あっさりと。
君の願いをぶっ壊す。
……その、つもりだったのに。
ねぇ、カイ君。
君ちょっと、諦めが悪いにも程があるよ。
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