~第4回 共同親権制度導入に対する葛藤 それでも共同親権制度に賛成する理由~
神奈川県横浜市戸塚区の女性ライダー弁護士西村紀子です。
一人の弁護士として、一人のライダーとして、そして、一人の人間として、日々感じたり観察したりしたことで、皆様のお役に立つと思えることを、つぶやき発信していきます。
本日は、一人の弁護士として、
"第4回 共同親権制度導入に対する葛藤 それでも共同親権に賛成する理由"
です。
前回第3回では、
「虚偽DV」「DV冤罪」とは、どういうことであるのか?
「虚偽DV」「DV冤罪」といっても、長い夫婦の生活の中では様々な出来事があるため、お互い、真っ白ということは極めて稀、
なんらかのもう二度と夫(妻)の顔を見たくないとおもわせる出来事や苦しみはあることが普通、
(原則共同親権が導入されれば)今後も続く共同養育関係を念頭に、お互いに相手を思いやれるようになることが必要
であるということまでつぶやきました。
前回までのつぶやきは以下
↓
先月1月30日の法制審議会家族法制部会で、共同親権制度導入を定めた要綱案がとりまとめられました。
この要綱案が、今後、国会に提出され、審議されてゆくことになります。
いよいよ、日本でも、共同親権制度導入がみえてきたわけです。
このような状況もふまえ、私自身が、なぜ、葛藤をかかえながらも、共同親権制度導入賛成の立場であるかの理由をまとめていきたいと思います。
私自身が、共同親権制度導入賛成である理由は、大まかに言うと、
①子の連れ去りの問題、別居親と子との関係断絶の問題、それらに伴う連れ去られた別居配偶者の尋常でない苦しみ
②離婚後の子に対する虐待の問題
の2つです。
今回は、これらのうちの①についてつぶやきたいと思います。
①については、私自身の経験としては、
代理人を務めた事件での経験と、
知人の悲劇を目の当たりにした経験
とがあります。
代理人を務めた事件については、前掲の「第1回」のnoteで述べたとおりですが、この事件で、私は、子どもの居場所がわからなくなって苦しむ別居配偶者である旦那さんを励ます言葉を考えあぐね、
「あなたはまだ若いのだから、離婚して別の女性と結婚すれば、また、可愛いお子さんが生まれますよ」
などと言わざるを得ませんでした。もちろん、自分の言葉は虚しかったですし、旦那さんにも何の効果もありませんでしたが。
こんなにお子さんのことを可愛がっている旦那さんに対して、こんな言葉をかけなくてはならない現行の制度は絶対に間違っている、と思いながらの言葉でした。でも、間違い無く現行の制度である以上、やりようがない。
10年以上前のことです。
そんなおもいは、私自身、二度としたくないし、二度とこんな言葉は口にしたくありません。
次に、知人の悲劇を目の当たりにした経験。これも10年ほど前のこと。
これは、もっともっと重い経験でした。
当時担当していた労働系弁護団事件(弁護士複数で対応するそれなりに大きな事件、という感じの事件です)で、応援に来てくれていた支援者のお一人でした。
弁護団で報告会の後の飲み会で何回か話をする機会があり、事情を聞くことになりました。
その方は、事件としては、別の弁護士を代理人としてやっておられましたが、愚痴もかねて、弁護士である私に話をしたかったのでしょう。
奥様が突然お子さん3人を連れて実家に帰ってしまい、その方からDVを受けたと言って、お子さんともずっと会わせて貰えず、すでに年単位の期間が過ぎているとのことでした。しかも、全然お子さんと会わせて貰えないにもかかわらず、離婚調停では莫大な金額の養育費を請求されているとのことでした(それなりに収入のある立場の方でした)。
その方と長く交際のあった方は、その方の長期間に及んでいた苦しみは良くご存知でしたが、私は、当時、知ったばかりという状況でした。
その方と最後に話をしたときにも、やはりお子さんと会わせて貰えないことを話をされていて、
「しんどいですよ」
と静かに話をされていたのを覚えています。
私がその方と話をしたのはこの時が最後。
そして、この約3週間後に、その方は、練炭自殺してしまいました。
奥様とお子さん達それぞれに遺書を遺して。
家庭裁判所での長い手続期間を経て、やっと、数年ぶりにお子さん達と第1回の面会ができることになっていた、その直前だったと、後に、彼をもっと良く知る人から聞いて知りました。
もう少しで会えるところだったのに・・・。
どうして・・・。
と、彼を知っている方は、彼を惜しみ、彼の決断を悲しみました。
彼の死には、私も、大きな衝撃を受けました。
「しんどいですよ。」
という言葉にどれだけの想いが込められていたのか。
この言葉を口にしていたときは、もう、彼は壊れてしまっていた。
この件で、代理人でもなんでもない私にできることはありませんでした。
でも、それでも、なにもできなかったことが、申し訳なかった。
そんな気持ちでした。その上で、
子どもを可愛がっている親にとって、子どもと引き離されることがどれだけ苦しく、残酷であるのか。
そのことだけは、伝えていかなくてはならない。
それだけが、彼の苦しみと死に対する、私の想いとなっています。
(続く)
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