古代ローマの建国過程について(28) | 気まぐれな梟

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 今日は、中島みゆきの「歌旅 -中島みゆきコンサートツアー 2007-」から、「背広の下のロックンロール [Live]」を聞いている。

 

(7)エトルリア人は古いアナトリア農耕民の子孫

 

 ステーヴン・オッペンハイマーの「人類の足跡10万年全史(草思社)」(以下「オッペンハイマー論文」という)は、現生人類のヨーロッパへの移住について、以下のようにいう。

 

 ヨーロッパ旧石器時代の先史には、気候が改善するにつれ人類の居住が増大した、はっきりしたいくつかの局面があった。最初は、四万五〇〇〇年前から三万三〇〇〇年前までの最早期の上部旧石器時代で、最早期のオーリニャック技術の普及を特徴とする。

 

 オーリニャック上部旧石器文化は、おそらく五万年前以降にトルコから、初めてヨーロッパのブルガリアに入った。すぐにこの新しい様式の石器はドナウ川からハンガリーのイシュタローシュケヘ、それからさらにドナウ川を西にさかのぼってオーストリアのヴィレンドルフヘ広かった。黒海から西へ、上流へと途切れずに進むこのオーリニャック文化の動きは、やがてドイツのドナウ川上流のガイセンクレスターレにいたった。またそれよりずっと早い時期に、オーストリアから南の北イタリアへも移動した。そこで急速に拡大し、リヴィエラに沿って西へ進み、ピレネー山脈を越え、さらに北スペインのエルーカスティーヨを通り、ついにポルトガルの大西洋岸に三万八〇〇〇年前に到達した。

 

 オッペンハイマー論文のP157の図3-1によれば、ザグロス山脈からシリア北部、アナトリア半島の南部から西部沿岸をとおり、ボスボラス海峡御渡って黒海沿岸を北上し、ドナウ川を遡上して、落ち部はライン川を通ってフランス北部に、もう一部はアルペン山脈の南をとおってフランスン地中海沿岸に、そそて、ピネレー山脈の南を通ってイベリア半島の大西洋沿岸に行ったとされている。

 

 この図-1では、イタリア半島に南下はしてはいない。

 

 二つめの局面は、三万三〇〇〇年前から二万四〇〇〇年前までの早期の上部旧石器時代で、上部旧石器時代の高度な文化の頂点の前触れとなるものである。この間、三万年前ごろから複数の文化が花開き、集合的に「グラヅエティアンニアクノコンプレックス」と呼ばれるが、地域によって名称が異なっていてわかりにくいところがある。

 

 グラヴェット文化は実際にはヨーロッパに多数の居住と新しい文化をもたらした第三の局面を構成する。

 

 オッペンハイマー論文はこのようにいう。

 

 デヴィッド・ライクの「交雑する人類(NHK出版)」(以下「ライク論文」という)は、P144~145の図13の、3万9000年以上前(①)、3万3000~2万⑳00年前(②)、1万9000から1万4000年前(③)、約1万4000年前(④)という時代ごとの4枚の地図で、ヨーロッパの狩猟採集民の歴史における5つの大きな出来事について、以下のようにいう。

 

 ①アフリカや中東から出た現生人類の先駆者集団はユーラシア全土に拡散した。②遅くとも3万9000年前ごろには1つのグループがヨーロッパ狩猟採集民の系統を創始していき、それが途切れずに2万年以上続くことになる。

 

 ③やがて、このヨーロッパ狩猟採集団の東方分岐に由来するグループが西方に拡散し、④すでにいたグループに取って代わったが、その後このグループ自体も氷河の拡大につれて北ヨーロッパから押し出された。

 

 氷河が後退するにつれ、西ヨーロッパには、数万年にわたって首尾よく存在し続けていた集団が南西方面から戻って来て再び住むようになった。この集団は、生き延びていた場所から遥かに離れた西ヨーロッパで見つかった約3万5000年前の個体と同族だった。

 

 ⑤最初の強い温暖期に続くその後の移住は、南東方面からの拡散があってさらに大きな影響があり、西ヨーロッパの集団を変容させただけでなく、ヨーロッパと中東の集団を均質化させた。ある1か所の遺跡(ベルギーのゴイエ洞窟)からは、こうした変容を反映するように、オーリニャック文化、グラヴェット文化、マドレーヌ文化を代表する2万年にわたる個体群の古代DNAが得られている。

 

  図13の②に対応するのがオーリニャック文化、③に対応するのがグラヴェット文化、④に対応するのがマドレーヌ文化であり、氷河期が終わって温暖期が到来した後に移動してきた狩猟採集民が⑤に対応する。

 

 図13では3万3000~2万⑳00年前(②)と約1万4000年前(④)にイタリア半島に狩猟採集民が移住してきている。

 

 おそらく、イタリア半島の先住民の最も深い基層をなすのは、この約1万4000年前(④)にアナトリアからバルカン半島を経由してアルプスの南からイタリア半島を南下してシチリア島にまで移動してきた人たちであったと考えられる。

 

 ライク論文はヨーロッパへの農耕の伝播について、P158の図14aで、以下のようにいう。

 

 考古学と言語学から、人類の文化に大規模な変容があった証拠が得られている。考古ツ・的には、約1万1500年前から5500年前の閧に農耕が中東からヨーロッパの遠い北西部まで広がり、この地域の経済活動に転換をもたらしたことを示す証拠がある。

 

 図14aでは、アナトリア半島南部を移動してきた農耕民は、ボスボラス海峡を通ってバルカン半ツに移動し、黒海沿岸を北上する集団と、ドナウ川を遡上してドイツやフランス方面に北上する集団と、アドリア海を渡海してイタリア半島南部に上陸した後北上し、地中海沿岸を北上した集団に分岐している。

 

 このイタリア半島を北上した集団は地中海沿岸からアルプス方面に北上している。

 

 アナトリアの農耕民の地中海ルートでの移動時期は約7200年前、ドナウ川ルートでの移動時期も同じく7200年前とされている。

 

 ライク論文は続けて以下のようにいう。

 

 1991年にアルプスの解けかかった氷河上で見つかったおよそ5300年前の天然のミイラであるアイスマンのゲノム解析によれば、アイスマンのいちばん近い現代の親戚はアルプスの住人ではなく、地中海の島、サルデーニャの人々だった。


 アイスマンのゲノムが発表されたのと同じ年に、スウェーデン、ウプサラ大学のポントス・スコグルンド、マティアス・ヤーコブソーン、ならびに共同研究者たちが、およそ5000年前のスウェーデンに住んでいた人のゲノム配列4つを発表した。農耕民とこの時代の狩猟採集民は遺伝的に近い関係にあるどころか、現代のヨーロッパ人と東アジア人が違っているのとほぼ同じくらい、互いに違っていた。そして農耕民はまたしても、サルデーニャ人とのあの奇妙なつながりを示した。


 中東起源の祖先を持つ農耕民がヨーロッパ中に広がったが、途中で出会った狩猟採集民とはわずかしか混じり合わなかったという新しいモデルを使えば、5000年前ごろのスウェーデンの狩猟採集民と農耕民の間の遺伝的な著しい不一致を説明できる。

 

 それだけでなく、古代の農耕民が現代のサルデーニャ人と遺伝的に似通っている理由も説明できる。サルデーニャ人はおそらく、8000年前ごろにこの島に移住してきて先住の狩猟採集民のほとんどに取って代わった農耕民の子孫なのだ。彼らはサルデーニャ島にいて地理的に隔離されていたため、のちにヨーロッパ本土の集団を変容させた人口学的な出来事にほとんど影響されなかったのだろう。

 

 このアイスマンは、おそらくライク論文の図14aで地中海ルートでの移動したアナトリア農耕民がアルプス方面に分岐した集団の子孫であり、サルデーニャ人は、分岐する前の地中海ルートでの移動したアナトリア農耕民の子孫であったと考えられる。

 

 こうしたライク論文の指摘から、サルデーニャ人は、インド・ヨーロッパ語族がヨーロッパに移住・拡散する前にヨーロッパに拡散したアナトリア農耕民の子孫であり、彼らの言語は、今では失われてしまった古いアナトリア農耕民の言語の痕跡を残しているのだと考えられる。

 

 そうであれば、混血を経て形成されたサルデーニャ人の基層をなすサルド人やシガー二人、エトルリア人も、このインド・ヨーロッパ語族がヨーロッパに移住・拡散する前にヨーロッパに拡散したアナトリア農耕民の子孫であり、彼らの言語は、今では失われてしまった古いアナトリア農耕民の言語に起源するものであったと考えられる。

 

 このような、オッペンハイマー論文やライク論文の指摘から、エリトリア人はインド・ヨーロッパ語族がイタリア半島に移住・拡散する前にイタリア半島にいた先住民であり、約7200年前にイタリア半島に移住・拡散した古いアナトリア農耕民の子孫であったと考えられる。

 

 なお、そうであれば、エリトリア人がイタリア半島の先住民であったということと、彼らがアナトリアから移住してきたということは、両方とも事実であったということが出来る。

 

 そして、もしかすると、エトルスキは小アジア(アナトリア半島)の王国リュディアの出身だったという伝承は、彼らが古くはアナトリアからの移住民であったという伝承が変形したものであったのかもしれない。

 

 さらに、ラテン人がアナトリア半島のトロイの出身であったという伝承も、先住者だったアナトリア農耕民の子孫たちの伝承に対抗して形成されたものであったのかもしれず、その上で、古代ギリシャとの交易を進めるために古代ギリシャの神話と関係付けて、トロイの出自の伝承が形成されたのかもしれない。

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