日本語の起源について(58) | 気まぐれな梟

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今日は中島みゆき「糸」を聞いている。

 

崎山理の「日本語形成論 日本語史における系統と混合(三省堂)」(以下「崎山論文」という)は、日本語の混合語的特徴について、以下のようにいう。

 

(8)検討

 

「わたツみ」の「み」は一般に「霊」と解釈されるが、もとは「わた(海)と呼ばれるうみ(海)」(うみ「海」の語源は不明)という複合語で、「うみ」のうが落ちたのは、上代日本語の母音重複を避ける現象による」

 

わたツみの「わた」はオーストロネシア諸語の*sawaŋ(PMP)「海岸」が*wasa(POC)「海」となり、その*sが古代日本語の*tへと変化したものであり、「海」という意味である。

 

語源が不明は「ウミ」は、縄文語に遡及する言葉であったと考えられる。

 

そうすると、「ワタツミ」とは、本来は「ワタ」(海)「ツ」(と呼ばれる)「ウミ」(海)という意味であり、縄文人が「うみ」と呼んでいた「海」を、オーストロネシア人が「ワタ」と呼んだので、初めに存在していた縄文語の「ウミ」に、新しく渡来した言葉の「ワタ」が重ねられた言葉であったと考えられる。

 

そしてその後、その言葉の意味が忘れられて、「ワタ=海」「ツ」(の)「ミ=神霊」となったと考えられるので、「ワタツミ」が、「海神」を指すようになったのは、比較的新しいと考えられる。

 

宝賀寿男の一連の「古代氏族の研究(青垣出版)」シリーズによれば、古代氏族には「~積」という「原始的氏姓」を持つものがあるが、それらは例えば、出雲臣の出雲積、和邇臣の鰐積などで、これらの氏族は海民であった。

 

海民の阿曇連も、本来は葦積または阿積であったが、例えば阿曇が阿積だったとすると、それは「アマ」「ツ」「ウミ」→「ア」「ツ」「ミ」という変化をしたと考えられる。

 

そうすると、出雲積や鰐積は、それぞれ「イズモ」「ツ」「(ウ)ミ」や「ワニ」「ツ」「(ウ)ミ」であり、これらの海民氏族の名の「ミ」は、縄文人の言葉の「ウミ」の「ミ」が母音重複に伴う音変化で脱落したものであったと考えられる。

 

なお、物部連の同族とされている穂積臣の「穂積」は、本来は「ホ=火」「ツ=の」「ミ=神霊」の意味で、穂積氏は鍛冶氏族であったとされるが、この「ミ」も本来は「ウミ」の「ウ」が脱落した「ミ」に起源するものであり、穂積臣も遠くは海民に出自する氏族であったと考えられる。

 

日本列島にオーストロネシア諸語が渡来したのとほぼ同時期に朝鮮半島南部にもオーストロネシア諸語が渡来したと考えられる。

 

現代韓国語では海のことを「パダ=pa-da」といい、古代朝鮮語では海のことを「パタ=patəpata」というが、この「パタ」は日本語のpata「畑」や朝鮮語のpat「畑」と同じである。

 

日本語のpata「畑」や朝鮮語のpat「畑」のオーストロネシア諸語の祖語形の*pa(n)daŋ(PWMP)は「原野」という意味であるが、「海」を「海原」というように、海洋民族にとっての「原野」とは、本来は「海」のことであったと考えられる。

 

そうすると、「パダ」「パタ」とは、「ワタ」であり、それらはオーストロネシア諸語に起源し、「原野」→「海原」→「海」という意味変化を経てきたものであったと考えられる。

 

なお、日本語や朝鮮語の語尾の「ta」や「t」は、PWMPでは「daŋ」となっているので、本来は、「パタ」は「パダ」であったと考えられる。

 

「ウミ」の「ウ」が脱落した「ミ」が「神霊」とされたのは、「海」が体系的な祭祀の対象となってからである。

 

海に対する原始的な祭祀はオーストロネシア人に起源する航海民の海人によって古くから行われてきたが、それが体系的な祭祀となったのは、古墳時代中期に朝鮮半島南部から渡来人が渡来してきて以降である。

 

彼らの主体は加羅系の秦氏であったが、彼らは海岸での本格的な迎日祭祀を日本列島に持ち込み、大阪湾沿岸の海岸では迎日祭祀などが行われていき、彼らの祭祀の影響によって、「ワタツミ」の「ミ」が神霊の意味となっていったと考えられる。

 

なお、森陽香の「古代日本の神意識(笠間書院)」によれば、「大山積神」は、「伊予国風土記」逸文では「渡し大神」とされ、卜部兼方の「日本書紀神代巻」では「姫神」とされているので、本来は「百済国から渡来した」「海神」であったと考えられる。

 

伊予国の大三島の大山祇神社の立地からすると、航海のときの「山あて」と造船の船材ということで海神と山が結びつき、「ミ」が「神霊」という前提で「オオヤマツミ」という神名が生まれたと考えられる。

 

朝鮮語のpatapatəには「海」という意味と「多い」という意味があり、朝鮮半島南部から渡来した韓人を主体とした秦氏(多氏・波多氏)や秦の民の「秦」「多」「太」「波多」は、この朝鮮語のpatapatəに起源する。

 

秦氏が「ハタ」氏と呼ばれたり「ハダ」氏と呼ばれたるするのは、その名の遠い起源が、PWMPの*pa(n)daŋ(PWMP)「原野」にあったからである。

 

まユけ「眉毛」は「眼のあたり(付近)にある毛」の意味で、その「ユ」はツングース祖語の場所格*-du/*-düに由来する、「作用の空間的な起点を表す格助詞」である。

 

そうすると、眉毛は眼を前提としているので、オーストロネシア諸語の伝播の方がツングース諸語の伝播よりも古かったと考えられる。

 

格助詞ガにも「和我覇=わが家」「万葉集」、「梅が枝」「源氏物語」のような譲渡不可能の属格機能があるが、ガはツングース系の属格接辞(*-ŋgai*-ŋï)起源である。

 

「ツングース系語尾として、いぬジもの「伊奴時母能=犬のごときもの」「万葉集」、鴨ジもの「鴨自物=鴨というもの」「万葉集」のような小辞がある」が、「このジ(zi)は、*-ʒi「手段格」または*-ʒi/*-ʒi「造格」に起源がある」

 

こうした「複式表現法は、古代日本語から上代日本語にかけて一般的に行われたと考えられる」がオーストロネシア諸語に遅れてツングース諸語が渡来したので、「ノ」や「ナ」よりも「ガ」や「ユ」「ジ」は新しい表現であったと考えられる。

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