第4話 屋敷と妖怪と、自分の部屋

「あれが私の家」


 椿姫つばきがそう言って指さしたのは、大きな門だった。頑丈な木製の板を幾重にも重ね、金属で補強している。イノシシやクマが突進したくらいではびくともしないだろう。

 八尺はある築地塀と、それに伴う件の門に、それを上回る大きさの屋敷。金持ちという言葉では足りないほどの敷地——妖怪として力を持ち、土地を長らく守護してきた一族の家である証だ。

 燈真はそれに圧倒され、息を呑んだ。母がかつてこの家にいた——なぜ、どうやってこの一族と関係を築いたのだろうか。


「凄いな。異国に足を踏み入れた気分だ」

「まだ門を潜ってないのに? ま、妖怪の屋敷だからあながち間違いじゃないわね。妖怪は——」


 椿姫が開けたのは、門ではなく隣の勝手口である。まあ、当然だ。わざわざ大掛かりに門を開ける必要はない。


「私たちは境界に現れる。海、川、山、里、屋敷……その、人間が普段使わなかったり、特別と感じる場所に現れる」


 確かにここは山麓。山と里の、境だ。


「ようこそ、魅雲村へ」

「——ああ。世話になる」


 燈真は椿姫に続いて鞄を引きながら、屋敷内に入った。

 まず目に入ったのは、立派な松の木。その周囲に池があり、石造りの橋が渡されている。周りは全て白い玉砂利で敷かれ、御影石で歩道が整備されていた。

 椿姫は御影石の上を歩き、石橋を渡る。燈真もそこを続いた。池には鹿おどしがあり、澄んだ音を一定の間隔で刻んでいた。美しい朱色の鯉に、金色の鯉が何匹か泳いでいる。


「元々は生き血を取るために飼ってたんだって」椿姫がそう言った。「知ってる? 鯉の生き血は万病に効くのよ」

「聞いたことはある。親父は迷信だって笑ってたがな」

「孝之さん? まあ、外科医は……医者はそう言うわよね。でも、案外嘘じゃないのよ。それはそうと、さっきの経験をしてもまだ、祓葬師になりたい?」


 石橋の上で、椿姫はそう問うた。

 燈真はついさっき経験したことを思い出して、少なくともあれがまだまだ序の口であることをうっすらと察した。

 きっと、修行が始まればあの程度では済まないだろう。痛みに耐えられると豪語する燈真でも、絶叫するような出来事は連続するかもしれない。

 それでも——自分は、今更逃げ帰りたくなかった。


「やる。逃げる気はない」

「そ。ならいいか」


 椿姫はくるっと反転し、屋敷に歩きだした。水面で、鯉が尾鰭を跳ねさせる音がこだまする。

 玄関前に立ち、燈真は深呼吸する。それを待たずに椿姫は戸を開けた。


「ただいまー」

「……お邪魔します」


 玄関の先には土間が広がっている。燈真はそこを進んで、草履を脱いだ。砂埃がついた鞄を丹念に払い、椿姫の許しをもらってから持ち上げる。

 廊下のすぐ脇にある襖を椿姫が開けた。

 すると、妖怪がくつろいでいる居間が広がっており、童女と少年、妙齢の女性とが、こちらを見た。


「漆宮……燈真です。住み込みで、弟子になる……ます。お世話になります」


 緊張気味にそう言った。妖怪しかいない輪の中に人間の自分が入っていくと言うのは、なかなかに胆力がいる。バスの中では、別に挨拶くらい余裕だろうとたかを括っていたが、実際は思い切り言葉に詰まった。

 少年の一人——ハクビシン、という栄戸えど時代に渡ってきた動物の耳と、二本の尾を持つ同い年くらいの妖怪が立ち上がり、近づいてきた。

 椿姫がこそっと「雷獣。あんたの兄弟子」と耳打ちしてきた。


「お前さあ」不躾にこちらをお前呼ばわりしてきた雷獣の少年は、燈真の藍色の目をじっと覗き込み、「……人間、なのか?」

「は……? 人間だよ。何言ってるんだ」

「だよな。悪い。俺、尾張光希おわりみつき。光希、でいいぜ。よろしく」

「ああ、よろしく。俺も燈真でいい」


 光希という少年は力強く握手すると、己の席に戻った。ふかふかの座布団に座って、何やら木彫りの動物を矯めつ眇めつしている。あれは、彼が彫ったものだろうか。


「菘、竜胆、挨拶しなさい」


 椿姫がそういうと、童女が勢いよく立ち上がった。可愛らしい二尾の妖狐である。その隣の三尾の少年妖狐も一緒に立ち上がった。どちらも椿姫と似通った顔立ちで、美形だが、気が強そうである。耳と尻尾の先端は、やはり紫色であった。


「いなおすずなです。わっちにほれたら、おおやけどするぞ」

「稲尾竜胆っていいます。わからないことは、僕に聞いてくれれば大丈夫だよ」

「ありがとう、よろしく頼む」


 菘はムフー、と鼻息を吐き出して胸をそらし、竜胆は照れくさそうに微笑んだ。

 と、上座に座る三姉弟そっくりの妖狐と目が合った。

 けれど、同じ妖狐でも格が違う——と一目で分かった。それは、尾の数はもちろんだが、単に纏う雰囲気が別種なのだ。決して攻撃的でも威圧的でもないが、そこだけ妖気の『色合い』が異なるというか……妙に、におい、というのが違うのである。


(妖怪って感じの雰囲気じゃない……なんだ、これ)


 その妖狐は九本の尾をゆらっと揺らし、頬杖をつきながら燈真を見た。頭のてっぺんからつま先まで眺め、「ほう」と唸る。


「時代の変わり目に漆宮の子が来るか。因果なものよな。……妾は稲尾柊。椿姫らの先祖、と言うべきかな。よく間違われるが母親でも姉でもない」

「じゃあ……祖母?」

「でもないな。三十四世代離れた母親というべきだろう」


 稲尾家の始祖、ということだ。話には聞いていたが、生きていたのだ。稲尾家を興し、絶対的な力で神皇からさえも一目置かれる大妖怪は。

 しかし、不思議なのは妖怪の血族が、三十四世代も世代交代していることである。確か記録では、稲尾家の始まりは千年ほど前のはずだ。

 ここまで短期間で、妖怪が三十四回も世代交代をするものだろうか?

 気になったが、流石に今聞くのは不躾だろうと思い、燈真は口を閉ざす。


「浮奈に似ておる。如何にも生意気で、腕白な顔だ」

「そんな顔してるかな、俺」

「ああ。あのおてんば娘の顔によく似ておる。椿姫共々手を焼いたな。……お主の部屋は奥の長屋にある。光希の隣だ。伊予いよが掃除をしていたでな、あとで顔を合わせたら礼の一つでも言っておけ」


 柊はそう言って、手酌で酒を注いで呷った。日も高いうちから酒とは、なかなかいいご身分である。


「燈真、先に部屋見に行こうよ。案内するね」


 竜胆がそう言って立ち上がり、先導してくれた。椿姫が「じゃ、私休んでるね」と菘のそばに座る。

 燈真は一礼してから居間を出た。

 廊下を歩いて長屋の方に向かうと、竜胆が口を開いた。


「僕らの家系については、多分……気になるよね」

「顔には出してないつもりだったけどな……」

「経験則だよ。……僕の先祖が——柊の最初の娘がね、より強い力をって言って、蠱毒の儀式に手を出したんだ」

「……呪術ってやつか」

「うん。それで、血質的に呪われて、母さんの世代まで短命が続いたんだ。人間並の速度で成長して、老いるんだ。妖怪にとっては一瞬で老衰する感覚だよ」


 燈真は黙って聞いていた。

 燈真自身にとっては、六十年も生きれば長生きだと思っている人間の一生も、妖怪にとっては短すぎるものらしい。とはいえ、彼らは七十年から百年で成人と見做すから、人間で言えば十五、六年で死ぬような感覚なのかもしれない。


「そのせいか、稲尾の狐は異様に強いんだ。別の地域で活動してる母さんも、狐火を扱わせれば歴代随一だし。えと……」

「遠慮なく言ってくれ。って言うほど、俺は強くはないんだろうが」

「ごめん。その、菘と一緒に過ごすことがこれから増えると思うんだ。そのとき、何かあったら守ってあげてほしい。僕らは強い分、その血を狙われるから」

「わかった、任せてくれ。世話になるんだ。それくらいはする」


 燈真はお人よしがすぎるか? と思ったが、すぐにまあいいか、と思い直した。

 妹想いの兄の願いさえ聞いてやれないやつが、祓葬師として人助けに就けるわけがない。それに、小さい子供が酷い目に遭うと言うのは、たとえその子が見ず知らずの他人でも、決していい気分になるものではない。


「ここが燈真の部屋」


 竜胆が立ち止まったところの襖を開けた。寒さ対策か、襖は二重になっている。

 奥の部屋は、八畳ほどの広さだった。机と座椅子、本棚に箪笥など、最低限の生活道具は揃っている。


「荷解きが終わったら、自由にしてていいよ。部屋にいてもいいし、居間に来ても。あ、でも蔵には入らないでね。危険な呪具とか置いてあるからさ」

「呪具? 物騒な屋敷だな……まあ、わかった。荷物を整理したら居間に行くよ。ありがとう、竜胆」

「うん。じゃあ、また」


 竜胆はそう言って、歩いて行った。ふわふわ揺れる尻尾を見ていると、つい触りたくなるが我慢する。尻尾というデリケートな部位を、たった今来たばかりの男に触れるのはどんな妖怪だって嫌だろう。

 燈真は鞄を抱えて部屋に入り、さっそく荷物を整理し始めるのだった。

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