表題『灰村解』シリーズ、再終幕。
己が力では倒せない敵を前にし。
それでも、その男は言った。
「――自分自身には、甘えられない」と。
その体は満身創痍。
既に死に体。吹けば飛びそうなほど弱っている。
言葉を発するだけでも苦労するであろうに。
よりにもよって……この僕を前にして口にするのが、そのような言葉とは。
馬鹿馬鹿しい。
合理性に欠けるとはまさにこの事。
この男は決定的に理性が足りていない。
もっと頭を働かせられないのか。
僕は内心そう罵倒し。
『……気に入った』
口の中で、小さく呟いた。
彼は不思議そうに首を傾げた。
おそらく、この声は彼へと届いてはいない。
声が届かぬよう簡易的な結界を貼らせてもらった。
僕はくつくつと笑を零し、男を見下ろす。
嗚呼、それでこそ我らが創造主。
僕に対する嫌悪感なんてどうだっていい。
――ただ、その在り方が格好いいと思った。
合理性なんてどこにもない。
故にこそ、そこには輝きがある。
理というものを限りなく排除してゆき。
その果てに、それでも捨てられない【無駄】それこそが、僕らが心より求めるものだ。
この男の生き様は、まさしく【それ】なのだと理解した。
実に面白い。
他人にここまで興味を抱いたのは初めてだよ。
僕らを作った創造主。
僕らの根底になった人。
僕らの在り方を考えた人。
この人は、ここで死ぬべきではない。
たとえ、どのような無茶を通したとしても。
この人は、ここで終わっていいはずがない。
見てみたいと、そう思った。
この【無駄】の行き着く先が、何処にあるのか。
その果てにこの人は何を見るのか。
その光景を、僕もまた見てみたい。
そう、思った。
だから僕は、彼に力を貸すことにした。
――【
今この場で創った力。
それは、自分の力を他者へと貸し出す力。
……まぁ、それをそのまま伝えたところで、この男は拒否るだろう。だって僕のことが嫌いで嫌いで堪らないらしいし。
だから、契約だ。
僕の手首から、黒い円環が彼へと伸びる。
……君の力は、僕が一時預かろう。
その代わり、この一瞬だけは。
『お前に力を貸してやる』
我らが君主。
その生き様を……どうか、最期まで貫いて欲しい。
☆☆☆
拳が振るわれる。
そう理解したのは、その拳が顔面を撃ち抜いた後だった。
目視もできない速度で、拳が僕の顔面に突き刺さる。
鮮血が吹き上がり、強烈な痛みが弾けた。
「が……!?」
『――実に、脆弱』
声が聞こえて、僕の体は大きく吹き飛ばされてゆく。
受け身も取れずに地面に横たわり、僕は大の字になって天井を見上げる。
『貴様は言ったな。我がその敵を倒してくれるのか? と。答えはノーだ。我はお前を手助けしない。それは、他でもない貴様自身が望んだことだ』
「……減らず口を」
事情が変わった。
なりふり構ってられる状況じゃなくなった。
だと言うのに……お前はまだそんなことを口にするのか。
「ふざ……けんなよ。ふざけてんじゃねぇ……。手助け、しねぇってんなら黙って帰せよ。……黙って、僕に死なせてくれよ」
膝に手を当て、決死の思いで立ち上がる。
既に余力は尽き果てた。
気力も何も湧いてこない。
どうせ死ぬなら、ここで抵抗するのも無駄で。
今僕がすべきなのは、この男を説得すること。
この場で死なず、鮮やか万死に殺されること。
「……くっ」
立ち上がっても、膝が面白いくらい震えてる。
これはダメージによるものか。
あるいは、恐怖によるものか。
僕は大きく息を吐き、苦痛満面に奴を見る。
僕を見下ろすその瞳は……どこまでも辛く、哀しそうに見えた。
うるせぇな。
辛いのはこっちだ。
痛いのはこっちだ。
なんで僕がこんな目にあってんだ。
なんで、どうして?
……そういや、なんで戦ってるんだっけ?
あまりのダメージに意識も遠くなってきた。
思考が散漫だと自分で分かる。
あぁ、ヤベェなこれは。
本当に死ぬかもしれない。
そう理解した瞬間、僕は吐息と共に瞼を閉ざし。
目の前で、ただ純粋な怒りが湧き上がった。
『そうか。では、灰村解はここで死ね』
拳が振り落とされたのだろう。
凄まじい衝撃が突き抜けて。
僕の意識は、プツンと切れた。
☆☆☆
「御仁は……なぜ戦っているのだ?」
あぁ、これは夢だ。
僕はすぐに理解した。
普段暮らしている阿久津さんのマンション。
その一室で、ソファーに座る阿久津さん。
その対面に座る僕は、彼女から唐突にそう問われていた。
記憶を遡っても、こんな質問をされた覚えは一切ない。
彼女は不思議と、僕にその質問を投げなかった。
いいや、今まで出会ってきた誰も、そんな質問を僕へは投げつけなかった。
……何故だ?
「御仁は、あくまでも平穏に暮らしていたように思う。私と出会うまでは、なにも。何ひとつとして困ることなく暮らしていた。きっと、その先も平穏に生きていたはずだ」
僕はその『仮定』に思いを馳せる。
あぁ、確かに。
僕が阿久津さんと出会ってさえ居なければ。
きっと、僕は何事もなく普通の高校に通っていたんだと思うよ。
異能力なんて知ることも無い。
普通の友達を作って。
普通の青春をして。
普通の恋愛をして。
進学して、就職して、結婚して。
僕は、普通の人生を生きていた。
「なのに、アンタはどーゆーわけか、私たちと同じ舞台に立っている」
気がつけば、場面は変わっていた。
懐かしいなぁ、僕の住んでいたアパートだ。
そこには、出会って間もない頃の六紗優が座っていた。
あぁ、本当に馬鹿なことをしたもんだと思う。
あの時、二人と関わってさえ居なければ。
この世界は何も変わってなんか居なかったし。
僕は、こんな場所には立ってない。
僕はソファーから立ち上がる。
再び場面は移り変わった。
「改めて問おう。何故だ? ボクらが今まで一切聞かなかったこと。
周囲へと視線を向ける。
アパートを周辺として、周囲は全て崩壊している。
これは……暴走列車に襲われた直後の光景か。
声の方向へと視線を向けると、白髪青眼の征服王が立っていた。
なぜ僕は、戦っているのか。
場面が変わる。
そこは冥府、死後の世界。
僕の体は血塗れで、思わず荒い息を吐く。
背後から、懐かしい男の声がした。
「君はなぜ、そんなにもボロボロになって戦うんだい? シオンちゃんの復讐なら、もう果たしただろう?」
振り返れば、霧矢ハチがそこには立っていた。
僕は、その男へと向き直る。
大きく深呼吸をして、背筋を伸ばして奴を見すえる。
「それ、は……」
「正直言って、君は頭がイカれてる。一般人が腕やら足やらもがれながら、死さえ経験しながらも、それでも怯まず走り続けた。……今日、この瞬間まではね」
今日、この瞬間。
その言葉を聞いて、僕は顔を俯かせる。
……認めたくはない。
認めたくなんてなかった。
だけどもう、嫌ってほど理解した。
灰村解は、心が折れかかっている。
死ぬかもしれない、じゃなく。
間違いなく、僕は死ぬ。
3日後に殺される。
そう理解した瞬間、今まで生きてきた中で最大級の恐怖を感じた。
身が震えて声も出なくなった。
死ぬ、死んでしまう……殺される。
嫌だ、絶対に嫌だ。
死ぬのなんて御免だ。
あんなもの、二度と味わいたくなんてない。
慣れるわけが無い。だって『死』なのだから。
僕は死が、とても怖い。
だけどそれ以上に、仲間が殺されるのが大嫌いだ。
僕のせいで誰か大切な人が死んでしまうと考えると……恐怖で動くことも出来なくなる。
だから、比較した。
死ぬことと、誰かが死ぬこと。
それを無理やり天秤にかけた。
そして、心を殺して僕の死を選択した。
僕が死ぬほうが……ずっといい。
アイツらが生きてくれた方が、ずっといい。
僕は顔を上げる。
なぁ、霧矢。
僕はこれで良かったんだよな?
僕が死ぬ未来は正しいんだよな。
そうだ、僕は正しい。
……そうでも思わなきゃ、立ち上がれない。
僕の目を見て、霧矢は微笑んだ。
それは、どこまでも優しそうな微笑みだった。
彼は無言でその場を避けると、霧矢の背後にあった扉へと僕を誘導する。
「最初から。俺たちが君に問いたいことは、一つだけだよ」
僕は目を見開いて、歩き出す。
霧矢の隣を歩き過ぎ、扉へと手を伸ばす。
そんな僕へと、彼は問いかけた。
「君は、どうして戦うんだい?」
☆☆☆
そこは……数年前まで僕が住んでいた、実家の一室だった。
僕の視線の先には、1人の少年が座っている。
僕に背を向け、勉強机へと向かっている。
ただし、勉強しているわけじゃない。
彼は必死になって、10冊のノートへと自分の妄想を書き記している。
「お前、は……」
声をかけ、一歩踏み出す。
瞬間、全身がその【熱気】に焼かれて目を見開いた。
その少年は、夢中になって自分の妄想を書き連ねているだけ。
にも関わらず、その体からは幻視してしまうほどの熱量が溢れ出していた。
「は、ははっ!」
少年は、とても楽しそうに筆を動かす。
その度に滴る汗と、頬に張り付いたその笑顔。
……そういや、最近笑ってない気がするな。
そんなことを、ふと思う。
こんなにも何かに夢中になったのは、この時が最後だった。
それ以降、僕がこんなにも熱量を持って何かに取り組んだことなんて……一度もない。
『……本当に?』
背後から声がした。
振り返る必要もなく、僕は答える。
「あぁ、こんなにも……楽しかったのは、後にも先にも、これが最後だったろうさ」
『確かにそうだろうね。この時はとても楽しかった。……だけど、君の言葉は間違っているよ。灰村解』
背後の少年はそう告げる。
一体何を間違っているというのか。
僕は鼻で笑って、肩を竦める中。
その少年は、僕に告げた。
『今の君が、戦う理由。思い出してみたらいいよ』
その言葉に驚き、振り返る。
既にそこには誰もいなくて、だけど、確かに誰かが居たのだと直感する。
それは誰かと考えることは、不思議となかった。
ここは、夢の中だ。
僕に語り掛けてくる奴なんて、一人を覗いて誰も居ないはずだから。
「今の僕が、戦う理由」
彼女らが僕へと問うたこと。
否、夢の中でまで、僕が僕に確認したいこと。
分かり切っているからこそ。
いつの間にか、意識しなくなっていたもの。
僕の根底にある、絶対に覆せない大嫌悪。
僕は大きく息を吐く。
そして、机に向かう数年前の僕を振り返る。
「おい、そのノート、描き終わったらちゃんと燃やせよ」
間違っても、倉庫の中に封印したりするんじゃねぇぞ。
そう言った僕に、少年は笑った気がした。
僕は彼から視線を逸らして、部屋の出口へと歩き出す。
扉に手をかけ、前を向く。
既に、体の震えは消えていた。
☆☆☆
その拳を、右手で受け止める。
凄まじい衝撃が撒き散らされ、僕を殺す気で拳を振るった解然の闇は目を見開いた。
『……ッ!? き、貴様……!』
奴は驚いたようにそう言って、僕から距離を取る。
僕は顔を上げて……それを見た解然の闇は、限界まで目を剥いた。
「……なんで、こんな大切なこと忘れてたんだか」
僕が戦う理由。
そんなもの、再確認するまでもねぇことだ。
――過去の黒歴史を、抹消する。
というか、世に出回ってる黒歴史ノートを全部回収しなきゃならん。
そうでなきゃ、うかうか夜も眠れない。
ま、寝てるけども。
僕は大きく息を吐き、腕を捲る。
それを見た解然の闇は思わず笑みをこぼし、言葉を漏らす。
『……漸く眼が醒めたか、この腑抜けめ』
あぁ、悪いな解然の闇。
生まれて初めての恐怖に、少しビビった。
でも、もう大丈夫。
それ以上の恐怖を思い出したから。
死ぬことは確かに怖い。
誰かが死ぬことはもっと怖い。
だけど、黒歴史が世に出回ってるのも、めちゃくちゃ怖い。
というか、恥ずかしすぎて死ねる。
そういや最近忘れかけてたけど、まだ5冊も回収できてないんですよね。
灰燼の持ってる第弐巻。
爺ちゃんの持ってる第陸巻。
漆と捌は行方不明で。
噂によると、万死は第玖巻を持っているとか。
おいおい。
こんな所でビビってる場合じゃねぇよ。
確かに爺ちゃんのために灰燼の野郎をぶん殴るのは大切だろう。
今度こそ鮮やか万死をぶっ潰すことも大切だろう。
だが、ちょっと待て僕よ。
アイツらが黒歴史ノートを持っている。
これ以上に、アイツらを殴る理由が何処にある?
死んでる場合じゃねぇ。
落ち込んでる場合でもねぇ。
絶望してる暇もねぇ。
今僕がすべきことは、死に様を選ばされることじゃない。
ずっと未来の死に様を、自分で取捨選択することだ。
「僕は、
その言葉にボイドが吹き出し、解然の闇はニヤリと笑った。
おいおい、お前らの存在を消すって言ったんだぞ? 何笑ってやがる。もしかしてお前らマゾなのか?
『今、とても失礼な勘違いをされた気がするが』
「気のせいだろ? それより……なぁ、解然の闇。予定変更だ。お前暇だろ?」
いや、暇に違いない。
どーせこのよく分からん空間に引きこもってるだけのニートだろ、お前。
僕の目を見て奴は思わず頬を引き攣らせ。
僕は、そんな奴を見据えて言葉を重ねる。
「お前の力を借りるつもりは、やっぱり無いわ。有り得ない。だってお前のこと嫌いだもん」
『うわ酷い』
「酷くねぇし……なんなら、これからもっと酷いことを口にするつもりなんだが」
そう言った僕に、奴を含めた守護者全員が喉を鳴らして。
そんな彼らに、僕は右手を差し出した。
「てめぇら全員、僕と戦え」
その言葉に、彼らの頬が思いっきり引き攣る。
つまり、何が言いたいのか。
僕が作った君たちなら、もう分かりきっているだろう?
『お、おお、お前……まさか!?』
「いやー、実は、レベルアップ、なんて概念を持ってましてね」
満面の笑顔でそう言った僕に。
彼らは等しく、恐怖を浮かべた。
力を貸せ……なんて、生ぬるいことたァ言わねぇよ。
「お前らまとめて、僕の踏み台になれ」
お前らは、ただの経験値でいい。
僕が目的を果たすための、生贄になれ。
ノートを書いてたあの当時。
確かに楽しかった。
熱中していた。
だけど、今ほどじゃない。
中二病共に囲まれて。
ノートを集めることに必死なってる。
そんな今の方が、ずっと楽しい。
それに、昔よりずっと、夢中になってる気がするんだ。
次回【決戦の刻】
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