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だれでも
自担が結婚したときのオタクの記録

「自担が結婚したときのオタクの記録」


2024年3月3日日曜日午後、この世でいちばん好きなアイドルが結婚を発表した。
前日の夜更かしのせいで昼近くに起きたわたしは、携帯を枕元に放置したまま、洗濯機を回し、お昼ご飯の用意をして、旦那と娘と一緒に食べた。
テレビは東京マラソンをやっていて、いつも見ているスク革もないし消されたままだった。
洗い物を済ませ、洗濯物を干す前に、12時15分になったので大河をつけた。いまいちばん楽しみにしているので早く見たくて4K放送の始まる時間をとても気にしていた。
10分ほど見入ってから、ふと何気なくいつものようにPCを立ち上げる。携帯はまだ放置したままだった。
いつものようにLINEとネットを起動させると、友人からのLINEがあって、いつものようにまあまあな数になった。
最後に書かれたものは開かなくても見える。

「しげぴ結婚した」

それだけ見えて、心臓が止まった。

12:24 ハルさん
12:24 落ち着いて聞いてください
12:24 もう知ってるかな
12:25 とりあえず落ち着いたら連絡くださいね…来週暇なんでいつでも飲みに行けますんで
12:25 しげぴ結婚した

最初の第一声は



の一言。

12:26 え
12:26 まだなにもみてない
12:26 いまやっとおちついて
12:26 え
12:26 な

そこで友達からツイッターのニュースリンクが送られた。

12:27 え
12:27 むり
12:27 な
12:27 あ
12:27 あ

12:31 むり
12:31 しぬ

そこからの記憶は曖昧だけど、家中に響く声で叫んで、泣いて、無心で洗濯物を干し(えらい)、床に寝転がり、また泣いて、この友達と新宿で会う約束をして、ひなまつりの準備をしなきゃとご飯を炊いて(とてもえらい)、また泣いて、LINEして、ついった開いたら地獄で、炊き上がったご飯をちらし寿司にして(すごくえらい)、残ったご飯は冷凍するために全部よそってまとめた(ものすごくえらい)。
泣いたり、泣いてなかったり、冷静だったり、取り乱したり。

家中の加藤さんの写真をかき集めて、どうせならうちわも持っていこう、なれのはてもいるか、アクスタも、となぜか冷静に準備して家を出た。化粧はどうせ崩れるからとほとんどしなかった。
新宿について紀伊國屋でご祝儀袋を買った。
以前、羽生くんが結婚発表した際にめちゃくちゃ有名な羽生のオタクが速攻で祝儀袋とかケーキとか買って配信でお祝いしていたのがよぎったので。
伊勢丹でケーキも買おうと立ち寄って、めちゃくちゃ混雑していて諦めようとしたら、たまたま目に止まった真っ白なケーキに小さな白いお花が載っているのがウエディングぽくてそれを買った。
お祝いする気があるんだか、ないんだか。
自分でもよくわからない。
花屋を探したけど見つからないまま、予定していた飲み屋に向かう。

先に到着したので、席につきながらお店の人に「食べないのでケーキ出して写真だけ撮ってもいいですか?」と確認した。なぜか「誕生日なので」と小さな嘘をついた。
友達から花屋を見つけたが買うか、と聞かれ、いらないと言った。
自分で見つけたら買っていたけれど、頼んでまで買うほどじゃないと思った。

まもなく友達がやってきて、ビールを頼む。
まだ信じられなかった。
だから、推し活みたいに持ってきたものを並べて写真を撮った。
記念に。
何の記念なんだか。
友達は「ここまできてネタに走るハルさんほんとおもろい」みたいなことを言われた。
ネタに走らずに生きてなどいけない。

何を喋ったかはあまり覚えてないけど、二言目にはまじかうそだろ、三言目には信じられない、そこでFC開いて最初の一文を見る。「結婚いたしました」やっぱり書いてある。

二軒梯子して全然酔わないままカラオケに行った。
ハルさん、歌ってくださいと言われ、迷わず人情心中を入れた。
人情心中だいすき。歌いやすいし、歌い慣れているし、勢いがある。こんなときにピッタリだと思った。

余談だが、わたしはあの「嘘なのか誠か ふたつ重なる月影 さながら私とあなただ いっそ心の中まで」の部分のダンサーの振りが好きだ。
わたしたちへのラブレターの部分。月蝕心中とリンクする歌詞。
えあまんの振り付けは全部クソだし、アイドルのコンサートに女のダンサーなんてクソ邪魔なだけだと常々思っているけれど、あの人情心中のあの部分だけは許せる。
なぜなら、あれはオタクそのものだから。(という解釈をしている)
とんとんとんとん、加藤さん、加藤さん、おきあがって。
とんとんとんとん、わたしたちがついているよ。
オタクに体を叩かれ揺すられ倒れても倒れても起き上がる加藤さん。
わたしたちの力が加藤さんの立ち上がる力になっていると感じる瞬間。

ところが、その歌詞にたどり着く前にサビで死んでしまった。

「己でこさえた幸せだ とやかく言われるいわれはねぇの」

うわーーーん
この歌詞のことを、20周年を迎えた加藤シゲアキが自分の絶え間ない努力と経験を重ねて築き上げた根拠のある自信の上に成り立っているいまの幸せを歌っている、と思っていたし、きっと加藤さん自身もそういう意味のはずだった。
なのに、重なってしまう。
加藤成亮の結婚という幸せを。
そりゃとやかく言われるいわれはねえわ。

カラオケって、そうか、こういうことがあるんだ。
酔った勢いでカラオケに行くなんて行為自体がそもそもこの10数年全くなかったので忘れていた。
まして、自分が傷心状態で誰かとやけ酒してカラオケに行くなんてこと、20代前半に全部置いてきていた。
びっくりだよね。カラオケってそういう意味もあるんだって1曲歌ってから気づくの。
友達は「証拠」を入れてくれた。やさしい。
「こんなにも 笑って いや 泣いて 忙しなく叫ぶ キミの心は 頑張っている証拠だよ」
泣いてしまう、こんな歌詞。
そこから、サムシングニュー(自殺行為)、さくらガール、と続いた。
「いつまでも 続いてゆくと そんな気がしてた」
そうだよ、ずっと続いていくと思ってたよ。
これはまぎれもなく「失恋」で、いまわたしは失恋したばかりの状態を信じられずに友達と酒を飲み、カラオケで泣きながら歌っている状況だった。
カラオケの効用を久々に感じた瞬間だった。

何だか懐かしいよね。
失恋なんて何回もしていたし、そのたびに泣いて友達に慰められたり、カラオケで発散したりさ。
そうそう、ここでなんだか初めて、これは失恋なんだな、って明確に思ったりもした。
いま思えばあの日そのまま家に居なくて本当によかった。
付き合ってくれた友達にも感謝だし、家から出してくれた家族にも感謝しかない。

で。
そんな1日を過ごしたけれど。

それで当然自分の気持ちが落ち着くこともなく。

加藤さんの結婚を全く祝えないまま、おめでとう、もまだ言えないまま、もう3日が過ぎてしまった。
1日目は一歩も動けず、2日目もほぼ家の中で、3日目にようやく夕方外に出られた。
その間、ネットではお祝いするオタクの姿や、やっぱりどうしても悲しんでるオタクがわずかな言葉でつらさを綴っていたり、自分の気持ちを綴った名文やらがたくさん出てきて、それらを読んで、ちょいちょいその場その場で思いを書き殴ったりしていた。

こうして、まとめようと思ったのは、それこそオタクのお気持ち表明に感化された部分もあるし、逆に、綺麗に書かれた(さすが加藤担は文章力がある、わたしとは全く違う)ものがオタクの一般的な心情になっていくのがなんだかこわくなったから。
まだまだおめでとうも幸せになってとも言えない、わたしのような醜い最低なオタクもいるんだと示したかった。
トイレに書かれた「いつも綺麗にご利用くださりありがとうございます」みたいだと思った。
そうやって先回りされて、おめでとうとお幸せにの言葉で、自分のいま気持ちを変えられるのも封じられるのもいやだった。



加藤さんがどうのこうのじゃねえんだ。
アイドルがまだアイドルとしての需要があるうちに結婚するのは、(かなり強い言葉を使うけど)裏切り行為だとわたしは思う、ってだけなんだ。
加藤さんのことを悪くいうつもりはないよ。
大好きな人だし。
ただ、今年に入って3人目。
いずれも全く予想も噂も何もない人たちだった。
みんな綺麗に結婚を発表した。
誰にも知られず、匂わせも週刊誌に撮られることもオタクの盗撮ももちろんない。
本当に見事に全員がある日突然の発表だった。

だからか知らんけど、おおよそのオタクは祝福し、
ほら!こうやって綺麗に結婚できるんだから!(だから匂わせは最低)
誰にも知られずに付き合えるんだから!(だから熱愛が出るのは最悪)
みたいなね。
自分の担当じゃないというのもあるし、理想的な発表をされたから。

わたしだってつよしくんの結婚も中丸くんの結婚もすげえなって思って見てたよ。
おめでとう、だし、よかったね、だし、お幸せに、だったよ。
担当じゃないからね。
荒れてるオタクもきっといただろうし、炎上もどこかで起こってたかもしれない。
でもわたしが見える限りはそんなものはなくて。
あったとしたら、荒れてる方が悪い!くらいの感じだった。
ただ、ちょっと心配はしていた。こんな綺麗に結婚発表された担当はどうしているんだろうって。

そしたら加藤さんが。
加藤さんがこうなって、あまりにも完璧な結婚発表をして。
FCのメッセージもそりゃあ当然完璧で。
こちらへの配慮も忘れず、相手の存在もすべて消して、ぐうの音もでない報告文だった。
しかも相手の存在を消し過ぎて所信表明みたいな文章だったために「え、スケートと結婚した?」みたいな羽生くんまでのいきすぎもなく。
さすが、直木賞候補2回、作家活動10年を超えた人の一世一代の渾身の文章だと思ったさ。
でも、わたしには、オタクたちが絶賛しているあの完璧な報告文章が苦しかった。

それは当日の深夜、ブルスカの方で書いた。

「あの綺麗で丁寧で全方位に配慮された完璧な文章が綺麗すぎてむりだなって思ってしまったのでもうオタク失格だと思う
彼の、直木賞候補作家の、一世一代の渾身の文章をそう思ってしまった自分に絶望した」

ここまでされたら、本当にどこにも逃げ場がないと思った。
さっきの「いつも綺麗にご利用くださりありがとうございます」じゃないけど、気持ちのぶつけるところがない。
いやだ、なんで、どうして、つらい、くるしい、の感情をどこにもぶつけられない。(いや、お前だいぶネットに書いてるだろって話もあるが)
ちょっと気になる程度に心配していた、完璧な結婚発表に担当はどうしているんだろう、の答えがそこにあった。
綺麗で完璧な発表と完璧な文章にただ打ちひしがられて、そう思う自分に絶望するしかなかった。


ただね。自分がそういう立場(自担が完璧な結婚発表をする)になったからこそ思うけど。
やっぱり突然の結婚発表は、いやだよ。つらいよ。
もうそれに尽きるんだ。
大好きな人が他の人と永遠を誓ったことをある日突然何の前触れもなく知るんだよ。
自分が結婚できるとか付き合えると思ってるの?なんてよく言われるオタク批判とかそういう話じゃない。
そんなことは言ってない。
でも、大好きなアイドルが、ずっと自分を照らしてくれていた、励ましてくれていた、支えていてくれたアイドルが、知らない世界で知らない人と幸せに暮らす。
それを突然知らされる。急に発表されて、こちらには何の心の準備もなく、無防備な状態で受ける報告。
そしてそうなったら最後、今後は何ひとつかけらすら知ることもなく想像するしかない状態が一生続く。
匂わせと熱愛は批判されて、そうじゃない結婚は祝われる風潮みたいなものもいやだ。
自担がそうなって気づいてしまった。
等しく同じだ。
アイドルがアイドルとして生きている限りは。

加藤さんでいえば、あれだけ脳みそと内臓全部曝け出すような人がよ。
その部分だけ綺麗に削除してくるんだ、これから先、一生。
もう、Mー1当日の様子を、聞いてもいないのに朝から何したって全部語るようなこともなくなるかもしれない。
もしくは変わらずしてくれたとしても、そこに(注意:伴侶が隣にいます)になるんよ。
いなかったとしても、想像してしまう。
その話の中には確実に、加藤さんに選ばれた特別な日本人一般女性がいることを。
毎年正月に仲間が集まってパーティをするときも。
クリスマスの飾り付けを親友家族がやってきてそこの子どもたちが飾り付けしている間も。
今まで話していたことすべてに、さっきの注意書きが入ってしまうんだ。この先ずっと、ずっと。
そんな重大な話を、報告を、ある日突然受け取らされて、じゃあ今日からね!って言われて、すぐに受け入れられるはずがないんだ。
どうしたって耐えられる気がしない。
これまでずっとなんでも曝け出してきてくれたからこそ、つらすぎる。

でもね、恋愛するな、幸せになるな、なんてことも願ってはいないんよ。
好きな人の不幸なんて、どんな小さなこともなにひとつない方がいい。
ただ、アイドルがアイドルでいるならば、隠し続けて上手に嘘をついてほしかった。
加藤さんだったら勝地涼が見事にカモフラージュしてくれてたよ。
誕生日もクリスマスも勝地涼、インド帰ってきても勝地涼、アメリカ帰国の日に勝地涼。
それでよかったのに。
(ここで気づいてしまったけど、今後勝地涼のあえてのインスタストーリー匂わせも激減するんじゃない?あの人、そういうとこめちゃくちゃ信頼できるし)
ファンの見えないところでずっと誰かと付き合っててもいいけど、なんで結婚という形で発表すれば全部オッケー!さあおまえら全員祝福しろ!ファンなら祝福するのが当然だろう!みたいになるんだろう。

なんでいまなんだ、という気持ちも拭いきれないままでいる。
20周年終わったから?
みんな終わった気でいるけど、今年の9月14日までは20周年イヤーだよ。
直木賞候補2回取ったから?
大野くんの表紙じゃないけれど、せめて受賞したら結婚しようじゃダメだったのかな。
なんで、いまだったんだろうって。それもずっとぐるぐると思ってしまう。


去年、名古屋の公演で、
「僕は皆を幸せにするために立ち続けたい でもそれ以上に僕は自分の幸せを大事にしたい 俺が幸せになる場所が、みんなが幸せになる場所(LIVE)と同じだということがどれだけ尊いか 皆 自分の幸せは自分で守って、そのために一生懸命に生きて欲しいと思っています」
って言っていたことをある方のブログで見つけて思い出した。(すみません、そのままコピペで借りました)
この方はそれを素直に受け取って、自分の幸せを自分で守るよって決意していて、本当に素晴らしいと思った。

でも、わたしは。
ああ、加藤さんはここで決意表明してたのかな、って。どうしてもいまは思ってしまう。
ここには書いてなかったけど「僕は幸せになりたい」とも言ってたよね。
ライブがあるからファンは幸せになれるし、ライブがあるから自分も幸せになれる。
でもライブだけが人生じゃないから、自分の(お互いの)幸せを大事にしよう。
ライブというお互いが幸せになる空間があってそこで重なり合うから、それまではみんなも自分で幸せになってね、僕もそれまでは自分の幸せを大事にするから、そのために一生懸命生きるから。
それぞれが別の場所でも幸せになる前提だったのかもなあ、と思ってしまった。

もうこのときには決めていたのかな。
たった一度きりのつもりで、あの真面目な挨拶に「自分の幸せを大事にしたい」と言ったこと。

つれえなあ。
感動して泣いたあの場面がこうして(自分の勝手な解釈とはいえ)変換されてしまうの。

だからね。
だから、って変な接続だけど。
いやなんだよ、あのときのあれが、実はこういうことだった、みたいな答え合わせをしてしまうことが。
それがあってるかあってないかもわからないまま、大好きな人の発言や行動をひとつひとつ疑心暗鬼してしまうことが。
それを引き起こすのが「結婚報告」なんだよ。
恋愛は答えどころか問題もわからないままで終わるけどさ。
結婚は確定じゃん。
だから、アイドルがアイドルとして活動している限り、結婚はない、と思ってるんだよ。わたしはね。
みんないやでしょ、交際期間は何年って報道。あれは確定の期間が判明してしまうからでしょ。
恋愛だけならいつだったか曖昧で終わるのにさ。
加藤さんはそこも含めて全部内緒にしてくれたことには本当に感謝しているけれど。

わたしは、アイドルがアイドルでいるうちは、やさしい嘘で隠してほしいだけ。
幸せにならないで、なんてことじゃない。
そのやさしい嘘があるから、たとえ私生活に彼女がいても、オタクは好きな人に会うために、たった2時間半のコンサートを見るために、たくさん準備を重ねて北海道から九州まで駆けつけるし、平日休みも取るし、家の都合もつけるし、CDも買うし、ほんの少ししか出ていない高い雑誌も買う。写真だって、ツアー以外使えないグッズだって買う。
そりゃ全部自己満足にすぎないけれど、そういうことをしたいと思えるのがアイドルで、大好きな自担だってことなんだよ、わたしの場合はね。
だから、彼女がいてもいないふりをして、どうせ女いるんでしょって思っても気づかないふりをして、やさしい嘘で共犯関係になって、お互いを必要としあうのがアイドルとファンの関係だと思うんだ。

やっぱり結婚はつらいよ。いやだよ。
加藤さんとはまだまだそんな共犯関係でいたかったよ。
わたしは他にもたくさん推しはいるけれど、加藤さんほどの人はいない。
加藤さんのことがいちばん大好きで、何でも知りたいし見たいからできる限りのことはしてきた。
特別だから、自担、自分の担当なんだよ。

なんだか、最初の方で書いてた1日の記録からだいぶ離れてしまったけれど。

じゃあ、これから自分がどうするのか。どうなるのか。
それはまだ全然わからないのが正直なところ。
加藤さんのことを嫌いになったわけじゃないから。まだ全然好きだから。
好きだから、突然受けたこの報告が苦しいんだから。

正直、担降りします!なんて宣言は無駄だと思っていて、まずそんな気持ちを割り切れるものじゃないし、担降り宣言ってひとつのよしぎゅーパフォーマンス(まわりによしよしぎゅうぎゅうされることを狙った手段のこと)だと思っているので、担降り宣言ももちろんしない。
好きだよ、いまも。加藤さんのこと。
好きなまま、このまま苦しいだけ、悲しいだけでずっと進んでいくのかもしれない。
いまの時点では何もわからない。


3月6日のRINGで、加藤さんは自分のだめだめエピを披露してくれた。かわいかった。
でもかわいいと思うと同時に、ああ、触れないんだな、と思った。
いつだって、どんなことでも触れて丁寧に話をしてくれた、思いを伝えてくれた加藤さんが、結婚の話はもうあのFCの報告文以外にしないんだ、って思った。
直木賞候補の発表のとき、収録だろうとちゃんと日付を合わせて日曜のシゲ部で触れていたけれど、3日のシゲ部も6日のRINGも触れなかったということはそういうことで。
ファンだからこそわかる「ヒカリノシズク」の選曲や、RINGの「身体も心も温めて」の言葉に、加藤さんのやさしさ、無言の思いはわずかに伝わってくるけれど、それだってこちらが勝手に思い込んでいるだけかもしれないし。
そうやって僅かに伝えてくる思いを探っていくことに慣れていくのか、苦しくなるのか、うれしくなるのか、何も感じなくなるのかもわからないのが正直なところ。

もちろんさ、そういう風にもう触れないことで、自分達のこと、ファンたちのこと、守ってくれているのも事実。やさしさではある。
だけどやっぱり。
あれだけ全部見せてくれた、見せてくれていると思ってた人が、これから先見せることのない絶対領域が今後確実に存在するという。
そういう宣告を突然受けてしまったショックは、そりゃ大きいよ。

あとRINGを読んで思った確実な変化。
月曜の100分de名著でも感じたこと。

かわいい!!!(でも触れないんだ)
顔がいい!!!(だけど結婚しちゃったんだ)

ずっとこの括弧書き。
この今までわーきゃーしていた気持ちにつきまとう括弧書きがわたしの中でつきまとう限りは気持ちは浮上できそうにはない。
気にならなくなるまで離れるか、諦めるか、慣れていくのか。
全然いまの時点で答えなんて出ない。
でもきっと、今までと同じままではいられない。
加藤さんが変化してしまったんだから、当然といえば当然なんだよ。
加藤さんはいつからか知らないけど、入念に3月3日に向けて準備をしてきただろうけど。
相手への想いも、ファンへの思いもどちらも大事にする人だから、すごく丁寧に大事にひっそりとその日を迎えるべく、誰もなるべく傷つかないように、と思って、いただろうけど。

むりだよ、それは。
少なくとも、わたしはむりだったよ、加藤さん。
傷つかないようにすごくすごくがんばってくれたと思う。
最小限の傷で済むようにいろいろ耐えてきてくれたと思う。
だけど、むりだったよ、加藤さん。わたしはめちゃくちゃショックで傷を負ってしまいました。

でも、好きなんだよ。
ずっとこの数年、加藤さんに生かされてきたんだわ。
もう加藤さんのいない生活は考えられないし、加藤さんを選んだ自分のことも好きだ。
どうしたらいいんだろうね。
全然わかんないよ。
わかんなくて、ずっと苦しいよ。
こうやって書いている間も、ずっと途中途中の中に、でも好きなんだ、ずっと好きだったんだ、いまも好きなんだ、って書いてる自分に、なんだか好きを言い聞かせているみたいで、そんな風に思ってしまうことも、当たり前に絶対的に好きだったはずなのに、言い聞かせているような自分がいて、言い聞かせてるように感じてしまう自分がいて、苦しくなる。

まだまだおめでとうも言えないし、お幸せにの言葉も出せない。
お幸せになんてわたしが言わんでも、幸せになるために結婚したんでしょ、とすら思ってしまう。
加藤担の中で、いちばん醜い生き物の自覚はある。
みんなほんとうにえらいよ。すごいよ。
血を吐きながらでも全身から涙を吹き出しながらでも、いちばん大好きな自担には自分の後ろめたい気持ちなど隠して、綺麗な言葉を真っ先に送りたい、というその崇高な精神に感服します。
ほんとうにすごい。心から尊敬する。
でも、わたしにはむりだ。
まだおめでとうは言えない。
祝福もできない。
これはある種の失恋だから。
カラオケで泣きながら歌った時に気づいた、いまわたしは失恋している。
突然好きな人が、お互い心を通わせて思い合ってたと思っていた相手が、結婚した。それに近い。
アイドルとファンの関係だろうと、あんまり関係ないみたい。
リア恋のつもりはなかったけど、そもそもわたしが加藤担になったきっかけはにゅす恋だったわ。
擬似恋愛ゲームきっかけで好きになったんだもん、それが本当の加藤シゲアキじゃないことなんて分かっていても、わかんないよ。加藤さんは「シゲくん」の延長線上にいる存在だったから。
別物とはいえ、全くの他人でもない、と思っていたから。
ああ、つらいな。まだまだつらくて苦しいわ。

腹括る自信もないし、降りる勇気もないし、そんなつもりもない。
ただひたすら、突然受けたこの状況を、この地獄みたいな状態を、次の加藤さんの一手を知るまで待つだけなのかな。
まだ、加藤さんが言っていた「愛と最高のエンターテインメント」がどんなものかもわからないしね。

これはただの記録。
まだ失意のどん底にいる最低で醜いオタクの、途中過程。

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