(この記事は2020年8月3日に掲載した記事の再録です)
日本語が、自分にとっては日常の生活のなかではいっさい使われない言語であることは、なんどか書いている。
最近は、そのうえに、どういう事情に拠るのか、こちらの理由か、日本語社会の側に原因があるのか、関心の対象がおおきく異なってしまって、日本の人たちに話しかけてみたいことが、どんどん減ってゆく、という奇現象が起きるようになってしまった。
共通の話題は、ある。
あるどころではない。
なにしろ世界中がCOVID禍に覆われていて、いまほど世界の人がおなじ問題に頭を悩ませている時代は、過去を振り返っても、ほとんどないかもしれない。
スペイン風邪のときも、おなじだったのではないですか?
いや、ところが、自然の猛威の性質はおなじでも、スペイン風邪が猖獗したのは、なにしろ第一次世界大戦の頃で、お互いにお互いの内情をひた隠しに隠しているときで、世界中がおなじ疫病に魘されているのに、個々バラバラに絶望する、という奇妙な状態だった。
初めは男同士の同性愛に伴う疫病だと誤解されたHIVが近いが、これは性行為時の粘膜を通じて感染する例が殆どだったので、セーフセックスという、比較的、わかりやすくて簡単な防御方法がちゃんと実行できるか出来ないかに焦点があって、御しやすかった。
COVIDという焦眉の問題は同じだけれども、まるで、それが日本だけの問題であるかのように、あるいは日本だけは問題の圏外であるかのように日本の人が振る舞っているので世界中の人がびっくりしてしまう。
例えば、「検査をしすぎるのはよくない」と専門家の人達が述べて、専門家でないひとたちも頷いている。
得意の受け売り知識で、「過剰検査の弊害」を、頼まれもしないのに、わざわざ見知らぬ人のタイムラインにでかけてまで述べ立てる。
ところで、ここで、たいへん不思議なのは、では「日本以外全部」と言いたいほど、世界中で「検査、検査、検査」と血眼になっていることは、どう考えているのか、がすっぽりと抜け落ちていることで、考えてみれば、「日本人だけが頭が良くて、本質を理解していて、他国人はおしなべて白痴の集まりである」と述べているのと、論理のうえでは、まったく変わらない。
だって、そうでしょう?
WHOの総長からファウチから台湾の総統まで、ほぼ全力をつくして広汎な検査を柱とする戦略が、どれだけ現実化できるかで決まると決めて、互いに相談しあって、情報を交換して、あるときは人間を他国と交換派遣しあって、COVIDを制圧しようとしているときに、「検査をそんなにたくさんやっちゃあ、おしまいですよ」と、ほとんどせせら笑うように、専門家ぽいエキセントリックな説を述べている。
態度でせせら笑うと、いくらなんでも露骨に挑戦的なので、態度はていねいで、「わたくしは、誠心誠意、世界の国々はバカだとおもっております」とでも表現できそうな慇懃無礼で、他国の専門家への侮蔑を表現する。
そうするとね。
どういうことが起きるかというと、COVIDという共通問題が眼前にあっても、日本語と例えば英語では、あな不思議、別の問題に化けてしまっているのです。
おなじ土俵に載っていない。
こっちは闘技場にいるのに、日本の人は蔵前の国技館にいる。
だから話の交わしようがない。
「そんなこと言ったって、あなた、日本人はCOVIDに強い特殊な民族なんですよ。類似ウイルスに感染して形成された抗原がSARS-CoV-2に反応して抗体反応を起こすという説もありますがね。
それよりも、わたしは、やっぱり日本人の勝れた遺伝形質によるのではないかとおもいますね。まさか、露骨にそう言うわけにはいきませんが」
そこで話は終わってしまう。
どこの国の専門家も、研究室にもどってから眉につばをつけているが、論破するのはめんどくさいので、ほんなら日本人だけで勝手に死にやがれ、が結論になる。
ほんとに、あの国のひとたちは、めんどくさい奇天烈な理屈が好きで、草臥れる。
ほっておくのがいちばんいいだろう。
くわばらくわばら。
財政問題もおなじ。
外交も。
捕鯨も。
女性差別に至っては、「あんたは、ほんとうは女のほうが優遇されている実情を知らないから、そういうトンチンカンなことを言う。
外国人が人種優越意識で、他国のことに首を突っ込まないでくれ」
とまで言い出す。
言い出すのは、ぎょっとするくらい普通の人です。
普段は、福島事故処理はやはりおかしいとおもう、
災害に以前ほど自衛隊が出動しなくなったのは、いったいどういう理由か、と、ごくまともな意見を述べているひとたち。
外ではマトモでマジメ。
しかし、家に帰ると、逆立ちして足の裏をなめる癖があるのではなかろうか。
日本語社会は、世界を拒絶している。
受け入れているように見えるのは編集され、コラージュされて、世界と日本の媒介者たる、新聞人や出版人、翻訳者たちの「自分がこうであると決めた世界」です。
日本の報道には癖があって、例えば、アフリカン・アメリカンたちが通りに出て抗議する真の理由は、ホワイト・アメリカンとの経済格差だというストーリーが頭に思い浮かぶと、それに沿った「現実」や「統計」を拾い集めてくる。
街頭や電話でインタビューして、その線に沿わない意見の持ち主ばかりだと、大胆にも、ギャラを払って、「サクラ」というのだろうか、自分が言わせたいことを言わせて、通りすがりの人の意見のように見せて報道することさえ躊躇しない。
アニメを制作するときに、自分たちのイメージどおりの粗野で、粗暴なキャラクタを語り手をつくって、アフリカン・アメリカンがやや頭が足りない、危なそうな人である、という自分の思い込みを投影させるくらいは、お茶の子さいさい、朝飯前、そんなの業界の常識ですよ、素人は困る、と言いたげです。
日本の「洋食屋」には、カレーライス、ハンバーグセット、オムライス、とってもおいしくて、しばらく食べないとなつかしくてたまらなくなる料理が並んでいるが、西洋の食べ物はおいしいですね、と笑みかけられた当の西洋人のほうは、きょとん、としている。
事情がのみこめてくると、洋食は、日本の人が明治以来、営々と築き上げてきたimaginaryな西洋の一部分なのだと納得する。
西洋人から見ると日本の食ベものだが、おなじものを日本の人は西洋食だとおもっている。
それと事情は似ているかも知れません。
民主制はどうなのか。
自由主義はどうなのか。
平等という概念はどうか。
もっといえば、認識は、言語は、
簡単にいえば、そもそも、例えばフランス人にとっての英語と日本人にとっての英語は、おなじ言語として捉えられているだろうか。
拡張して考えていると、だんだん「日本」という社会の不思議さの秘密がわかってくるようです。
念のためにいえば、日本がimaginaryな西洋を思い描くことは歴史的に言っても悪いことではない。
損得勘定のような下世話なレベルで述べても50年代や60年代には、ぶっくらこいちまう頻度で「これは外国人に恥ずかしい」
「これで文明国と西洋に認めてもらえるだろうか」
「こんなていたらくで先進国といえるのか」
の類の科白が繰り返されていて、社会的努力の達成基準まで社会の内部にはなくて、よそ目で、
「世界に認めてほしい」という一念で、必死に頑張ってきた成果がいまの日本社会であることが容易に見てとれます。
それが80年代のバブル時期に、オカネの残高と収入以外に「文明の高さ」を測る方法をもたなかった日本は「もう世界から学ぶことはない」と述べて、例のごとく、マスメディアは日本の良い点や素晴らしい点に言及した海外の著名な人間や、元首、経済人の科白をマメに拾っては、その部分だけを切り取って、やんやの喝采が待っている「日本の奇跡」「日本はすごい」という演目がかかったステージに駆け戻っていく。
そのうえに「背伸び社会」なので、奥さんとふたりで額に汗して、手間を惜しまず野菜を選別して、新鮮に見えるように野菜に水をふりまく工夫を惜しまない八百屋のおっちゃんが、本来の美質の価値は忘れて、「KMフルーツ&ベジタブル」の社長です、と名刺を渡すことに生き甲斐を感じ始める。
大学の教養課程のパートタイム教師が「大学教員」を名乗って、「先生」といわれて悦にいる。
会社員の勤めている「会社」の事務所の入り口の上に代紋が輝いていることも、ごく普通にある。
なにが欠けているかというと、生活が欠落している。
自分という最良の友だちが、あまりに省みられないので、うんざりして、すでに去ってしまっていなくなっている。
だから、自分という存在自体が、他者の目で出来ていて、自分に対するイメージが、大雑把に述べて、
偏差値 52
年収 400万円
身長 電車で乗り合わせる人間たち+2〜4センチ
役職 班長 これは、他の会社の係長と課長のあいだなんです。
髪の毛は、50代にしては他人よりおおい
出身大学は、えーと、最新の入試ランキングでは72位で、去年より5位あがっていた。
チンチンは銭湯でタオルで隠さなくてもすむ程度。
そんなにジロジロ見ないでくださいよ。
で、きみは誰ですか?
と、ときどき、一ヶ月に一回だけ飲んでいいことにしている豆からできたのではない、サッポロの「ほんもののビール」を飲みながら、Photo Boothに映った自分の顔を眺めて、つぶやいてみる。
きみは、いったい、だれなんだろう。
おれの名前で、おれの年齢で、でっかい耳タボも、なんだか低すぎる鼻梁も、たしかにおれだが、おれであるわけはない。
だって、誰もまわりにいなくて、おれだけが知っているおれなんて、生まれてから見たことがないもの。
ビールが空になると、とっておきの麦焼酎をだしてきて、お湯割りで、梅干しを落とす。
すっかり酔って、突然、泣き出したくなる。
おれはいったいなんのために生きているんだ、と普段は考えないことを考える。
ぼくが日本語を通してわけいってきた日本の人は、おおむね、そういうひとたちで、ぼくは、彼らが、とてもとても好きだった。
油断して、ふり返って英語人と話していたら、急に背後でドアが閉まる音がして、もう二度と開かなくなってしまった。
でも好きだった記憶は、なくなりはしない、とおもっている。
もう、それだけで、十分なのかもしれません。
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