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6.石丸の新著「吾往かん」を読む。

発売日再延期の裏で…

「読む」とはいってみたものの、3月発売のはずが大幅に遅れたようなので、著書を読んでからという予定を変更して、現時点で想像できる出版の裏事情を大胆に読んでみることにしたい。

この著書は、当初は2月に発売されると予告されていた。ところが、それがこっそり3月に変更され、ここにきて7月末日に大幅に延期された。
タイトルについても『貫く力』とか『筋を通す力』とか、いくつかがネットにあがっていて、最終的には『われかん』に落ち着いたようだが、決定までかなり混迷したことをうかがわせた。
このようなことは出版界ではきわめて異例のことだろうし、それらを勘案すると版元と石丸との間で何か不穏な事態が進行していることを思わせるのだ。

いま私たちが知り得ることは、再三の発売日の延期とタイトルの迷走などなどだ。たったこれだけの情報だが、著者である石丸のペルソナを知る私たちには、様々なことを推測することができそうだ。何といっても4年前の市長選時のポスターの印刷代金をいまだに踏み倒しつづている非常識、また恫喝発言をでっちあげて人格攻撃をするという卑劣な行為によって名誉毀損で訴えられてこちらも敗訴しながら身勝手な詭弁を労して自己保身に走っている石丸のことだ。相手が出版社に変わっただけで、同じテツを踏んでいる可能性は大だろう。

石丸の新著が出るらしいと知ったとき、発売日は2月で最初に目にしたタイトルは『筋を通す力』だった。もちろん2月発売はこの7月に予定されている安芸高田市長選に向けての宣伝ツールとしての役割を期待してのことだったろうし、タイトルに関していえば、ここ最近広島で刊行された本に流行りのように『○○の力』というのがいくつもあって、それを参考にしてのことだろうと理解した。
とにもかくにも、この時点までは一般的な出版プロセスを踏んでいるかのように思えたのだが…

広報誌ででっちあげ記事を書くように…

1 プレゼン
2 議論
3 大人
4 勉強
5 挫折と限界
6 政治
7 改革
8 未来

ちなみに、上記したのが著書の見出しだそうだ。
そっけないというか、何の愛想も工夫もない名詞の羅列。大手出版社の編集者やライターの手によるものでないことは明らかだ。

当初はゴーストライターによる著作だろうと勝手に思いこんでいたのだが、この見出しを見る限り構成から執筆まで石丸が自身でしたようなのだ。
聞くところによると石丸は安芸高田市の広報誌を私物化し、そのコラムをみずから執筆して、なんのエビデンスもない噂を根拠(それらもお得意のでっちあげだろうが)に、市議攻撃やメディア批判にはげんでいるという。であれば他人に任せるまでもなく、あることないこと並べて自賛本の一冊を書き上げることくらいは朝飯前だろう。
もちろんそのクオリティの低さ、内容のウソ臭さに、さすがに版元は加筆・修正を申し出たことだろし、それにプライドを傷つけられた石丸が激昂して逆ギレしたという流れも容易に想像できる。

タイトルについても、『吾往かん』という、戦意高揚のキャッチフレーズかよと笑わせてくれる時代錯誤な、身もふたもない、いかにも素人っぽい案を提案したのは、もちろん石丸のはずだ。
表紙を一瞥してほしい。あまりにタイトルにふさわしくないので「ずみかん」というユニークな名前の著者による石丸の評伝かと誤認してしまいそうではないか。

さすがに編集サイドは再考を促しただろうが、〝聞き分けのない三歳児〟とも評される石丸がそんな見解に耳を貸すはずもなく、それどころか「吾が案がいかん」のかと、自分のセンスを否定されことにさらに激昂。かえって意固地になって「貫く力」を発揮して頑と聞き入れなかったというところだろう。版元としては著者に強弁されればうなずくほかはなく、しぶしぶこのタイトルで行くことになったいうのが実情なのだろう。

石丸が市長に就任してから3年半あまり、議会やメディアやとの調整がまったくできなかったばかりか、ひたすら議員の人格攻撃に明け暮れて議会との関係をにっちもさっちも行かない火だるま状態にしてしまった調整能力のなさ、協調性の欠如を知っていれば、そんな展開はおのずと頭に浮かぼうというものだ。

なんといっても石丸は、発言をでっちあげてまで他人を誹謗中傷して名誉を毀損しながら、それを司法に断じられても恥じないという特異な人格の持ち主だ。版元KADOKAWAの東京オリンピックでの不祥事かなんかを持ち出して、会社のコンプライアンスがどうたらこうたら、じぶんのことは棚上げして編集者や版元の攻撃をはじめていたっておかしくはないではないか。まあどっちに転んでも、石丸が編集過程で版元と衝突することは自明のことだったし、安全運転ですんなりと出版、販売までこぎつけられるはずもなかったろう。

誰とも信頼関係を結べない未熟さ

ここで出版の経緯とそれに関係しそうな出来事を時系列で整理してみたい。下がその一覧だ。

12月13日 ポスター代金未払い訴訟で敗訴
12月26日 恫喝裁判で敗訴
2024年
1月17日 安芸高田市のYouTube公式チャンネルが日本一騒動
1月20日 あるサイトで石丸の著書の発行を知る
1月28日 第10回meet-upライブ配信
2月7日 3月28日に延期を確認
2月21日 当初の発売日
3月1日 7月30日に再延期を確認
3月28日 最初に延期された発売予定日

7月28日 安芸高田市長選投開票
7月30日 再延期された発売予定日

当初の発売日だった2月21日から逆算すると、ちようど原稿がアップしたと思われる12月の中旬ころ、石丸は裁判で立てつづけに敗訴していた。石丸のウリだったエポック、居眠り議員(実際は疾病だった)への叱責によって喝采を浴びたのに勢いづいてというか、お調子に乗って市議を攻め立てていった〝武勇伝〟が、じつは発言をでっちあげて名誉を毀損した犯罪まがいの事件だったことが判明して、版元から削除か修正かの申し出があったために最初の発売日が延期となったことがまず考えられる。
もしそうであれば、非はもともと自分にあるのだから迷惑をかけたことを謝罪して、素直に要求に応じればいいこと。ところが、ポスター代金踏み倒し裁判でも知ったように、じぶんの非は絶対に認めようとしない石丸は逆ギレしたとしてもなんの不思議でもない。

もしそうであれば、年末から年始にかけて、すでに両者の間に信頼関係は失われ(石丸は元々そんなものは期待してはいなかったろうが)、のっぴきならない状態になっていたと考えられる。
自著の発売が公になった1月の下旬の段階からこっち、石丸本人からは何の告知も宣伝もなされていないことからみても、そんな状況を想起させるのだ。
石丸にとっては、その時点から自著は自分のメンツを潰した気に入らない出版社の〝商品〟のひとつであり、自ら宣伝してまで売ってやるもんか、なものになったいたのだろう。

さらには、1月下旬から発売日の延期が告知された2月頭までの間にさらに何かトラブルがあってのことか、発売日は再延期になった。そのころのエポックといえば、例の〝YouTube公式チャンネル登録者数日本一騒動〟だ。
ポスター代金踏み倒し裁判で敗訴し、それにつづく恫喝発言でっちあげ裁判で名誉毀損を断罪されてメンツ丸つぶれの石丸が名誉挽回とばかりに思いつきではじめたらしいこのキャンペーン。その快挙を加筆するように石丸が版元にねじ込んでの延期だったかもしれない。ところが、この登録者数は金で買えることが露見して、慎重になった版元との間でトラブルがさらに深刻化したのかもしれない。

そのときから版元のKADOKAWAと石丸サイドとの間には、のっぴきならない、埋めがたい溝ができたということか。版元は石丸のあまりの非常識、強権ぶりにあきれたことだろうし、石丸はお約束の通り版元のサゼスチョンに腹が立ってますますブチ切れたことだろう。

前掲の表にも記したが、1月28日には石丸がネットで他愛のない自慢話を配信して自己愛を確かめるMeet-Upライブが配信された。前日に「YouTube公式チャンネル登録者数日本一の喜びをゆるっと語ります」と案内があったので、金で買える登録者数のことをどのおツラをお下げになって語るのかと、不愉快な時間になるのは覚悟で視聴してみた。
と、いつになってもその件には言及せず(ヘタにそれを語るとコメントで突っ込まれるとアドバイスでももらったのだろう)、視聴者からの他愛のない質問コメントを拾っては回答するという、つまらないやりとりに付き合わされることになった。
それらのコメントのなかに、いくつか「著書について語って欲しい」というリクエストがあったのだが、石丸はこれらをガン無視。自己PRが三度のメシより好きなはずの石丸が、自画自賛のわが半生が本になった喜びを語ろうともしないのを不思議に思ったのだったが、いまになってみれば納得がいくというものだ。すでにその時点で、石丸にとって版元のKADOKAWAは、安芸高田市議会や一部メディアと同じような敵対する存在になっていたのだろう、と。

一冊の自著さえモノにできない政策オンチ

出版の世界では、契約書は後回しになるのが通例だ。なかには本が製本された頃になって見本と一緒に著者の元に契約書が同封されてくるようなケースもなくはない。旧態依然といってしまえばそれまでだが、両者の信頼関係を前提に契約内容に〝遊び〟を持たせるという効用もあるのだろう、個人的にはとくにそれによって不都合が生じたという経験はない。印税とかおおよその出版時期はあらかじめ口頭で合意してはいるものの、正式に契約書を交わさないまま執筆・編集作業は進んでいく。

しかし石丸のような他者と信頼関係を結べない人物との間では、このような慣例は命取りになりかねないことは、いまだにポスター代金を払ってもらえない印刷会社と同様に、きっとKADOKAWAも今になって後悔しているのではないか。このところ発狂したかと呆れるほどの無軌道ぶりを発揮している石丸のことだ、正式に契約していなかったことを幸い、あれこれ因縁をつけてメール攻勢とか抗議文の乱発とか、とことんいじめ抜いているのではないかと心配になる。

石丸の版元攻撃が苛烈をきわめることになったとすれば、それに閉口し反発した版元サイドはビジネスを度外視して最終的にはサジを投げてしまったかもしれない。そして意趣返しというか些細な抵抗の意思表示として、市長選が終わった直後の7月30日に発売日を大幅に延期したとも考えられる。もしかしたら発売前に刊行撤回なんてこともありえるかもしれない。

前記の裁判で敗訴に敗訴を重ねてきたように、良からぬ結果を招きかねないことも考慮せず、そのときのメンツやちっぽけなプライドばかりを優先させて、みずからを窮地に追い込んでしまうようなことを再々してきた。しかもそのことを反省するでも謝罪するでもなく、さらに嘘と詭弁を重ねて自己保身に走るあさましい姿を私たちは、そのたびに目にしてきてた。

そんな過去の例にもれず、今回のケースでも石丸はその特異なペルソナのために版元との間で些細なことでトラブったのだろう。その結果として自著一冊まともにプロデュースできない無能ぶりを露呈したばかりか、その著書は市長選の宣伝ツールどころか、ほとんど意味もない時期に、たぶん「元安芸高田市長」になっているであろう人物の他愛のない自画自賛本として書店に並ぶことになったということのようだ。

この3年余りの市政運営で、お好み焼きの出来損ないを特産品にでっちあげたほかに施策に見るべきものもない石丸。市議会やメディアを攻撃非難することでしか存在理由をアピールできず、YouTubeでの卑劣な動画制作を焚きつけることばかりにうつつを抜かしてきた石丸。そんな実態を苦々しく見てきた市民の人心がすでに自分を離れ再選は難しいと薄々感じているのだとすれば、自著がいつ発行になろうともはや彼にとって関係も興味もないのかもしれないのだが…

(敬称略)
✻この原稿は修正・加筆中です。




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元手作り野球場DREAMFIELD管理人。ホーリー農園オーナー兼物書き。主な著書に『わしらのフィールド・オブ・ドリームス』(メディアファクトリー)、『衣笠祥雄はなぜ監督になれないのか?』(洋泉社)、『初優勝』(プレジデント社)、『ズムスタ、本日も満員御礼!』(毎日新聞出版)など。
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