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andymoriとALについて
andymoriとALについて ――これまでとこれからの彼ら |
andymoriとは一体何だったのだろうか。久しぶりにDVDを観返しながら考えている。考えると、andymoriとは「揺れ」だったのではないかと思えてきた。うーん、我ながらわかりにくい表現。 * * * * * * * * * *個人的な思い入れのあるバンドだった。死んだ友人が好きだったのだ。コブクロとかゆずとか、学生時代私が忌み嫌っていたタイプの音楽の大ファンだったそいつと珍しく意気投合し、ES-335を高めに抱えてコード・ストロークしながら破茶滅茶に唄い散らかす小山田壮平の姿に一緒になって熱中した。そういえば、そいつがチケットを取ってくれたSPACE SHOWER列伝には、残念ながら彼の祖父が危篤になったために一緒には行けなかったんだっけ。まさか二度と一緒にライヴを観れなくなるとは思っていなかったけれど。 あいつの分もこのバンドを見届けようとかいうよく分からない使命感で、とにかく頻繁にライヴに通った。しかし皮肉なことに、その後すぐに後藤大樹が脱退し、時を重ねる毎にバンドはどんどん悪くなっていった。確かに、岡山健二の、どれだけ手数が増えてもブレない安定したドラムがなければ、バンドはもっと早くに崩れていただろうし、"Sunrise&Sunset"や"投げキッスをあげるよ"といったフォーク寄りの名曲が生まれることもなかっただろう。ただ、後藤が叩き出す暴れ馬のようなうねるビートを、小山田壮平のこれまたクセのあるヴォーカルが奇跡的に乗りこなすあの瞬間――彼らは結局、そのケミストリーを超えられなかった。速いBPMでのパフォーマンスがどれだけ安定しようが、満員のZEPPでどれだけキッズの腕を振らせようが、"FOLLOW ME"も、"everything is my guitar"も、"ベンガルトラとウィスキー"も、あの血が底から沸き立つような高揚を、二度と生み出すことはなかった。 件のメンバーチェンジを経て2枚アルバムを出し、あのヌケの良かった小山田の声が見る影もなく潰れてしまった頃、andymoriはラストアルバムと解散を発表し、そして、その後すぐに、小山田は橋から飛び降りる。 * * * * * * * * * *組まれていたラストツアーと武道館公演が中止になり、そのままバンドを自然消滅的に終わらせるという選択肢もあったように思う。だが、彼らは戻ってきた。1年を置いて、正真正銘最後の公演を、andymoriを解散させるためのツアーを発表した。 ここだ。andymoriとは一体何だったのだろうかとか考えていると、この点が一番ひっかかってくる。良くわからない。 * * * * * * * * * *二度目のラストツアーのチケットは予想どおりの高倍率で、当たり前のように抽選に敗れた。それでもやっぱ最後だし、ワンマンでなくとも一目くらいは観ようと足を運んだTalking Rock! Fes.で、彼らは想像以上にフラットだった。 あまりに冷静で呆気なさ過ぎたのか、当時SNSでファンは口々に「これで解散なんて思えない」と声を揃えていたが、むしろ逆だろう。もう既に、andymoriは彼ら自身にとって「済んだこと」になってしまっていたのだ。まぁ、そりゃあ仕方ない。解散すると決めてアルバムを作ってから、一体どれだけ時間が経っているのかって話。気持ちが続いているほうがおかしい。熱は失われているのにバンドが形だけ残っている――そういう奇妙な状態だったのだろう。 では、何が彼らにもう一度ステージに立つ決意をさせたのか。ここがわからない。ファンへの感謝か? 自分たちのケジメか? スタッフへの詫びか? はたまた単純に金のためか? どれもあまりしっくりこない。ステージ上の彼らは汗をかいてはいても本当に冷めていた。ライヴの終盤で披露された新曲――砂浜に寄せては返す波のような、シンプルなシンコペーションを刻むギター・ストロークが美しい"おいでよ"は、思わず目が潤むほどに素晴らしいスワン・ソングだった。まるで、自分たちを遠くから完璧に客観視しているみたいに、本当に、出来過ぎていた。 最後くらいはファンサービスで演るんじゃないかと思っていた"CITY LIGHTS"も結局演奏せず、「やりきった」でも「やらされた」でもなく、久々に集まってスタジオ練習を終えたかのような淡々とした雰囲気で、彼らは舞台袖に消えていった。 * * * * * * * * * *それから程なくして、後藤大樹を含むandymoriのオリジナル・メンバーに長澤知之を加えた編成のバンド・ALの始動が発表される。 なんだよ、結局後藤ともっかいやりたかっただけかよ、とか言いつつ内心ニヤニヤしながら手に取った『心の中の色紙』は、当然ながらあの頃のandymoriとは似ても似つかぬものだった。まぁ、こっちも「続き」を期待してたわけじゃない。『ファンファーレと熱狂』は、彼らの「奇跡」が見事に切り取られた名盤であって、二度とは再現できない類のものだ。それでいい。今、同じメンバーが同じ曲を演奏しても、それはもうandymoriではない。 新しいバンドとして始め直す「オリジナルな」意義が感じられた、と本心から言えるのは、70年代フォークのBPMだけ倍速にしたようなサウンドの上で小山田の中音域と長澤の高音域がまるで混ざらずに絡み合う1曲目・"北極大陸"くらいのもの。後は、単に二人のソングライターの曲が並んでいるというだけだ。だが、時折どうしようもなくグッとくきてしまう。正直そこまでまとまりの良いアルバムじゃないし(というか、散漫で冗漫だ)、多分に思い出補正が働いているのはわかっちゃいるんだけれど、《どうせラストオーダーが待ってる ラストオーダーが来る前に/もう一杯 君にビールを》と叫ぶ二人の声に胸をかきむしられてしまう。なんか、悔しいけど。 * * * * * * * * * *なんというか、ALは、無防備だ。肩の力が抜けて、自然体で、とても柔らかい。気負っていないし、開かれていると言ってもいい。 そう考えると、andymoriはやはり「張り詰めて」いた。承認欲求まみれの焦燥感とメンバー間のぶつかり合いによる緊張感で。もしくは《革命を起こすんだ》という自身の歌に縛られて。それこそが、高速BPMかつ言葉数過多という、言葉にしちゃえば昨今溢れかえっているようなスタイルを、他の誰とも違う「オリジナルな」ものにしていたのだ。 緊張とはリズムの「揺れ」だ。つまりはグルーヴだ。速いけれど揺れている。均一でない4/4拍子、もしくは6/8拍子。均等でない三連符。微妙にイーブンではない四つ打ち。 それらがandymoriの音楽を、歪で、不揃いで、刃物のように鋭く、それでいてどうしようもないほど哀しいものにしていた。 いやでも、勿論ALだって揺れている(なんたって後藤が叩いているのだ)。だがそれは「許された」揺れだ。おおらかで、たおやかで、豊かで、暖かい。人間臭く、土臭く、妙に人懐っこいその「揺れ」を、今の彼らは選んだ。 * * * * * * * * * *触れるものみな傷つけるような感情の揺れ動き――andymoriのラストツアーでは、それは完全に失われていた。じゃあ何故、やったのだろう? ここだけはわからないのだけれど、うーん、まぁ、なんとなく、やったのかもしれない。正直andymoriとして演る意味はなかった。メンバーが揃っているだけで、それをandymoriと呼んでいいのかすら怪しかった。でも、グルーヴを失ってしまっても、なんとなく。「次」に行くまでのクッションとして、「なんとなく」――。 まぁ、もう考えたってよく分かんないし、それはそれでもういっか。とりあえず一応の結論っぽいことは言えたし、ひょっとしたら本人たちだってよくわからないままやったかもしれないし――なーんて曖昧なまま流せてしまうほど、こっちも大人になってしまった。分からないものを分からないまま置いておけるようになってしまった。いや、気になるし、とことん考察したいよ? でも、突き詰めて考える時間ももうないんだ。だって、明日も仕事だし。もう、眠らなきゃいけないんだ。 そう、あっちのせいばかりにしてもいけない。こっちも失ってしまったのだ。あの熱く、激しく、狂おしいほどのたうちまわり、全てを定義しようなどと驕り高ぶって、曖昧なグレーゾーンをどうしても許さない、あの感情を。 * * * * * * * * * *あー、そういうものをさらっと一言で表したような言葉があったよな、と少し考え、すぐに思い出した。死んだ友人が馬鹿みたい好きだった、そして私が大嫌いだった言葉――「青春」。なるほど、andymoriがコブクロやゆずに混じってフェイバリットに名を連ねるわけだ。ははは。ハッピーバースデー。
光も影も無い世界に僕と君はいる
2016/11/11 |
『心の中の色紙』
1. 北極大陸 |