渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

別れて そして

2024年03月06日 | open

別れて そして

これを聴くと、1979年6月を思い
出す。
この曲が出たのは79年5月21日。
その少しあとの6月のある日、私
は雨の降りしきる夜、都内の街を
銀色のヘルメットを被る集団の中
にいた。
そして、赤いヘ
ルメットの集団と
共に延々と夜の雨の都内の街を大
集団で歩いてい
た。
そこには高校2年だった彼女もい
た。

でも、なぜか頭の中に浮かんだ
曲はインターナショナルでもワル
シャワ労働歌でもなく、この曲だ
ったのだ(笑
理由は簡単。
彼女は1978年当時の渡辺真知子に
とてもよく似ていたのだ。


ちなみに、インターナショナルの
歌詞が首都圏東京と関西では異な
る事はこの時初めて現場で知った。
合同で隊列を組んだ関西系ブント
は関西のインターを歌っていたの
だ。東京はサビの部分に感嘆詞の
「嗚
呼」を入れるが、関西の人た
ちは入れない。それを初めて知った。

1979年5月。大学に入学したての
18才の私は既にSECT
の看板持ちだ
った。

雨の夜の行動のあと、「我々」
の一部のグループは私の高校の
そばにあった「映画館」という
喫茶店で夜を明かした。
元中大ブント叛旗のマスターが
やっていた映画上映をするJAZZ
喫茶だ。高校時代から通い詰め。
馴染みの店だ。
店を閉めたあとまでマスターと
私を高校時代によく面倒みてく
れてたマスターのお袋さんが店
を開けて始発までつきあってく
れた。
そこで朝まで時間を潰して潜伏
して、始発で拠点まで帰還した。
高校生の彼女は事前に都内の自
宅まで帰宅させていた。
1970年代の最後。特に5月6月。
時はまだ熱かった。



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