いまごろ、ホグワーツの大広間は大騒ぎだろう。
ホグズミードへの外出が原則禁止されたフラストレーションの解放のため、大広間でバレンタインのセレモニーが今年は行われている。
それに比べると大広間から遠く離れた医務室は実に静かで、廊下をゴーストが浮遊して移動する音さえ聞こえそうだ。
マダム・ポンフリーは医薬品の替えのためにスネイプ教授のところに足を運んでおり、医務室には脇に置かれたロビーチェアに座る私とトレイシー、そしてベッドで眠っている男の子一人しか居ない。
「クィディッチなんて滅んじゃえばいいのよ」
「そうよね。全部クォドポットに置き換えればいいのにね」
「そういう話してるんじゃないわよ!」
「そうなの?」
トレーシーは私の言っている意味がわかっていながらも少しとぼける。
まあ、私もパドルミア・ユナイテッドのサポーターではあるし。本気でクィディッチがこの世からなくなって欲しいと思ってるわけじゃないけど……昨日みたいなひどいことを目の当たりにすると少し感情的になってしまう。
「スポーツ好きなイギリス男なんてみんなバカって私のママも言ってたわ」
「本当にそう。うんざりしちゃう」
単なる練習試合でしょ? 来年に見据えての先輩がたへの大きなアピールチャンスと思っていたのかも知れないけど……いや、そんなことはない。そんなに長い付き合いじゃないけどなんとなくわかる。
ハリーくんは同じ状況が来たら何度だってブラッジャーに顔から突っ込むし、何度だってトロールに一人で立ち向かうと思う。そういうタイプの人間だ。
「ずっと見てたって治りが早くなるわけじゃないわよ、ダフ」
「わかってるわよ。でも、その……今日のうちに、渡したくて」
手元には今日のために用意したバレンタインカード。
パーキンソンに影響されたみたいで嫌だけど、真っ先に渡すのが私でありたいと思うのはちょっとわがままが過ぎるだろうか。
「そんなに好きなの? ハリーくんのこと」
「……うん。たぶん」
「わ、驚いた。否定しないのね」
トレーシーの問いかけに自然に頷いてしまう。
いつもだったら悪態か皮肉の一つでも出てくると思うんだけど……今は正直な心中をそのまま吐露してしまう。
「でも、自分でも本当に好きなのかわからないの。みんなは恋ってすごい綺麗なもので、輝いてるように話すのに……私の中のそれはぜんぜん違う。私と同じ気持ちを他の人がハリーくんに持っていてほしくない。ハリーくんの魅力に気付いてほしくない。ハリーくんが別の人と一緒にいてほしくない。そういう……暗い感情ばっかり渦巻いてるの」
バレンタイン前の週末の女子生徒はみな誰に渡すだのどこから花を取り寄せたなど盛り上がっていて、私の周辺も例外ではなかった。ハーマイオニーさんが机に向かって少し真剣な表情でカードになにか書き込んでいるのを見て、渡す相手がハリーくんでなければいいなと思ってしまった。あんないい友達に対してそんな風に思ってしまうなんて。
でも、トレーシーは私の心を知ってか知らずか、あっさりと肯定した。
「いいんじゃない? 別に」
「なんで? 好きな人の幸福を願うのが素敵な恋ってものじゃないの?」
「『私の隣にだけいてほしい』と好きな人の幸福は別に矛盾しないでしょ?」
「そうだけど……私、好きな人が顔にブラッジャーをぶつけても笑って受け流せる人にはなれないわ。でも、これも彼が望んでやったことでしょ? こういうのを受け入れられるのがパートナーってものじゃないの?」
「そんなわけないでしょ。なんてバカやってるんだって、そこの男の子が目覚めたら思いっきり叱ってあげなさい」
本当にそう。絶対に言ってやりたいことが山ほどある。
なんで、私にも優しいの?
なんで、そんな危険なことするの?
なんで、みんなのために犠牲になろうとしたりするの?
理解できないことがいっぱいある。
でも、たぶんそれはハリーくんが今まで生きてきた中で培ってきた考え方で、信条で、価値観なんだろう。
単なる事故ならよかった。でも……これは彼が選択して起きた事象だ。
それに対して私が口出ししていいんだろうか? わからない。
「叱るって……無理よ。彼のために、とかそれらしい言い訳はいくらでも思いつくけど……いざ言うとなったら無理よ。親兄弟ならともかく、同い年の別の寮の人間よ? そんな傲慢なこと思えないわ」
「私の両親は、付き合う前から喧嘩ばっかりしてたそうよ。ママが言ってた」
トレーシーは魔女の母親とマグル生まれの父親から生まれた半純血だ。
スリザリン寮のコモンルームではあまり触れない話だけど、私と二人でいるときはぼそっと話してくれる。
「結婚してからはもっと増えたって。当たり前よね、魔女とマグル生まれよ? 相容れないことなんていっぱいあるわ」
「ご両親は……今も仲がいいの?」
「いっつもやかましいわよ。未だにワインの産地だの、マーマイトのブランドだの、タオルをしまう棚だので喧嘩してる。でも、相手の話はきちんと聞いて最終的には折り合いをつけてる。どっちかだけが譲るってことはなく」
トレーシーのご両親らしいな、となんとなく思った。私の両親はどちらも物静かだ。口喧嘩なんてしてるところは見たことがない。
けど、一方が唯々諾々と従っているというわけでもなく。母がチクリと一言いうと、その場では無反応に見えた父も翌日には改めている……なんて光景はグリーングラス家では定番のやり取りだった。
「言いたいことは言う。やってほしいことはお願いする。それを受け入れるかは向こうの選択。それでいいじゃない? 友人でも、恋人でも、夫婦でも。そうできない一方的な支配なんて願い下げだわ」
「でも、余計なことを言って嫌われたくない……そう思っちゃうのは自己中心的すぎるかしら」
「自己中心的でなにが悪いの? 私たちはスリザリン生よ。私が幸せになったらあなたも幸せ、私の隣にいられるなんて、世界一の幸せ者ね! って、ぐらいに考えたってバチは当たらないわ。他人を傷つけないならいくらでも幸せになろうとしていいのよ」
「……まあ。言いたいことはわかったわ。そういえばトレーシーも昨晩熱心にバレンタインカード書いてたけど、あれは誰向け?」
「早速独占欲見せてきたわね」
あのとき書いてたのハリーくん宛じゃないわよ、友人向けで用意したカードは送るけどね、と言い訳するトレーシーを睨む。
とはいえトレーシーの本命は誰か知ってるから、本気で妬んでるわけじゃないけれど。
「ちなみにダフがその大事に握ってるカードにはなんて書いたのかしら? 言いたくないなら言わなくてもいいけれど」
「……その。春休みに二人でどこかに行かないか、って」
「攻めてるわねー!」
「うっさい!」
「それで? 二人で出かけてどうする予定なの?」
「どうって……まだなんにも決めてないわ。返事どころか渡す前なんだし」
「いいじゃない、今のうちからいろいろ考えておきましょうよ。ダフがハリーくんとやりたいことってなに?」
そんなこと言われても急には……と、言いかけたところで、湯水のように思いついてしまい思わず口を閉ざす。
フローリシュ・アンド・ブロッツ書店で普段読む本を聞いてみたい。
エンペラーズ・ニュー・クローズで服を一緒に見て歩きたい。細身だけど体格はすごいしっかりしてるからサイズをピッタリ合わせたジャケットなんかを着せてみたい。(でもこうやって趣味を押し付けるのがよくないのかな、とも思う。週末によく羽織ってるぶかぶかで派手な色のジャンパーとかは好きで着ているんだろうし)
ローザ・リー茶店でアフタヌーンティーを楽しみたい。
フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーで好きな味のアイスクリームを聞いてみたい。
いっぱい彼のことを知りたい。
いっぱい私のことを知ってもらいたい。
抱きしめられたい。
抱きしめたい。
「……いっぱいあって、言いきれない」
あんまりにも情けないので、トレーシーの前ですら顔が赤くなる。
こんなのもうパーキンソンを笑えないじゃない。
でも、トレーシーは嘲笑することなくただ私を抱きしめて微笑んだ。
「無いなら問題だけど多い分にはいいことよ。楽しみがいっぱいあるって素敵じゃない?」
「でも、こんなの押し付けがましくない? 私の行きたいところばっかりだわ」
「そうかもね。だから半分は押し付けて、もう半分はハリーくんの行きたいところを押し付けられればいいのよ」
しばらくの間、トレーシーは私を抱きしめたままで、私もそれに甘えていたけれど……廊下からホグワーツの鐘が聞こえてきたのをきっかけに我に返る。
「少しは元気になった?」
「まあまあね」
「どうする? 今の鐘から察するに、大広間のパーティはそろそろ終わるんじゃないかしら。終わる前に少しぐらい顔だけでも出していいと思うわよ」
「トレーシーは行ってきなさいよ。私は……彼が起きた途端に言わなきゃいけない皮肉が3つか4つはあるの」
「ふふ。だいぶダフらしくなってきたわね。それじゃ私はちょっと覗きに行ってくるわ」
トレーシーも医務室から離れ、私と彼だけなった空間。
ロビーチェアから腰を上げてベッドに近づく。
まったくもう。私はグリーングラス家の長女よ。トレーシーなんかに子供みたいに甘えたなんて、一生の恥だわ。
こうなったのもこの男の子のせいだ、許せないわね。頬をつついてやる。
そうやってつついていると、彼は少し身じろぎして――
─────
「大寝坊よ。グリフィンドール50点減点」
「……わっ!? いま何時?」
「夜の8時よ」
「えっ!? 授業は!?」
「全部サボりね。マクゴナガル先生がグリフィンドールからは追放って言ってたわ」
慌ててベッドから起きようとするけど……体が痛くてなかなか起き上がれない。
ひとまず支度だけでもと思いメガネを探すが……いつも置いてる辺りにみつからない。というか、ここは寮のベッドじゃない。
「はい。これをお探し?」
ダフネさんがメガネを差し出してくれたので、あわててかけると……ようやくここがどこだかわかった。医務室のベッドだ。
「あー……クィディッチの試合でブラッジャーを受けて……」
「自分から突っ込んだの間違いでしょ。バカじゃない? それで丸一日寝込んでるなんてね」
「面目次第もないです……え!? 丸一日!? 今日何日!? グリフィンドールから追放って本当!?」
「14日よ。本当に追放されたらスリザリンにいらっしゃい。あと……ハッピー・バレンタイン」
そう言ってダフネさんは簡素な封筒を差し出した。
「わ! ありがとう! ……あー、でもごめん! 僕が用意したやつは寮の部屋に置いたままだ」
「そう。用意してくれたんだ」
「もちろん。えーと、開けちゃっていい?」
「ダメ。絶対ダメ。私がいないときにして。恥ずかしいから」
早速開こうとすると慌てて止められてしまった。ダフネさんはそっぽを向く。
うーん。デリカシーがなかったかも。反省しないと。
「いま居るのはダフネさんだけ?」
「そうね。みんな大広間でパーティを楽しんでると思うわ」
「そっか、ごめん。もしかして僕のせいで逃しちゃった?」
「謝るなら正面からブラッジャーに突っ込んでいったことについて反省してほしいわね」
「うん。ブラッジャーについては……まあ、バカなことしたなーとは思ってる」
僕がそう言うと、ダフネさんはかなり厳しい表情で睨んできた。
「バカなことしたなじゃなくて、もうやらない、とか言えないわけ? ここの常連になりたいの?」
「できるかぎり、善処はします……」
「嫌。絶対してほしくない。……ダメ?」
あっ。
これはすごい怒ってる。
彼女は優しい人だからずいぶん心配かけてしまったようだ。
「うん。わかった。1個の例外を除いて――こういうことはしない」
「その例外ってのは何なの?」
言い逃れすると絶対に悲しませるだろうから、ここはちゃんと約束しておいたほうがいい――ってのはパパから学んでいる。
でも、譲れないことはある。クィディッチで大怪我するのはまあ間抜けなことだけど、それでも危険に飛び込まなきゃいけないことってのはある。
「友達を守るとき。仲間を守るとき。それは絶対どんなときでも譲らないと思う。たぶん、体が勝手に動いちゃうんだ」
それを聞いたダフネさんは、おそろしく大きなため息をついた。
「これだから、グリフィンドールは……」
「うん。例えばダフネさんが危ない目にあったら、僕は何だってすると思う。そうしろって育てられてきたから」
「はあ。まったく。せいぜいここの常連にならないようにしなさい」
「あはは。でも、僕はここ割と好きな場所ではあるかな。ホグワーツはどこも結構騒がしいし、壁も床も色んなもので飾られててゴテゴテしてるけど、ここはシンプルな白で一面を飾ってるから落ち着くかも」
「ふうん。白が好きなのね」
「そうだね。家にある小物とかは白で揃えてるかな。ダフネさんは何色が好き?」
「難しいけど、一つ挙げるなら……」
ダフネさんが続けて口を開こうとしたとき、それを邪魔するようにけたたましい音が響いた。
ガラスが割れた音。医務室のバックヤードからだ。
「おや? おや? おや? どうやらうるさいマダムは居ないみたい!」
そして、声も聞こえてくる。どうやらピーブズが医務室の倉庫に入り込んでイタズラしているようだ。
「まったく、間の悪い……ちょっと行って追い払ってくるわ」
「え!? 危ないよ!」
「もっと危ないことしたばかりの張本人が何を言ってるのよ。ピーブズ一体ぐらい危なくもなんともないわ」
いや、ピーブズは結構手強いと思うけど……ダフネさんは確かにああいう騒がしいのをうまくあしらうのが上手いイメージはある。
そうは言ってもダフネさん一人で行かせるのも、と思って身を起こそうとしたけど上手く立ち上がることが出来なかった。
「起き上がらなくていいから。しっかり怪我人は寝てなさい」
そうこうしている間にダフネさんは僕を少しばかり僕を睨みつけて、机においていた杖を拾って手に持ち、スタスタと医務室のバックヤードに歩いていってしまった。
扉を閉める音とともに、医務室は僕一人だけになり、静寂が訪れる。
仕方がないのでベッドに再び倒れ込み、待つことにしたけど……
思ったよりもなかなか帰ってこない。
まあ、ピーブズはなかなか厄介だから、手こずることもあるだろうしなあ……
と、思ったところで少し違和感を感じる。
ピーブズが隣でイタズラしてるはずだというのに部屋が静か? そんなことある?
ちょっと変な感じだ。実際、さっきビンが割れる音がしたときはピーブズが話す声はこっちまで筒抜けだった。
今はダフネさんがピーブズを追い払っているはずなのに……なにも音がしない。
静かなままだ。
胸騒ぎがする。
病み上がりで、まだおぼつかない足取りではあるけれど、とにかくまず杖を持つ。
そしてベッドからゆっくりと体を転げるようにして出す。
節々が痛い。怪我したのは頭や首だけではないようだ。腕も脚も、ベッドから出て立とうとすると悲鳴をあげたくなるぐらい痛いけれどそうも言ってはいられない。
歯を食いしばって杖を構えながら、立ち上がり、医務室のバックヤードへと歩を進め、警戒しながら扉を開けた。
バックヤードには所狭しと棚が並んでおり、そこにはなにかラベルが貼られた魔法薬だのなんだのが積まれている。そこからピーブズはビンを一つ抜き出して、床に叩きつけたのだろう。
薄暗いけれど広い部屋ではないから、ゆっくり進めばすぐにダフネさんが見つかるはずだ。
そうして棚を一つ横切って部屋の真ん中あたりに出ると、確かにすぐに見つかった。
「ダフネさん! 大丈夫!?」
床には割れたビンがある。
そして、宙には浮いたピーブズ。
そのピーブズを見上げているのが、ダフネさんだ。よかった。すぐに見つかった。
この前のハロウィンの騒動のときのように、トロールがいるなんてことはない。怪物なんてどこにも見当たらない。
けど、そのときと違って……僕が話しかけても、その姿のまま彼女は微動だにしなかった。