3月1日、冬の分厚い灰色の雲に覆われたモスクワ南東部「悲しみの癒し」教会。
2月16日に獄中で死亡したロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の葬儀には大方の想定を超える多くの市民が集まっていた。
独立系の調査プロジェクト「ホワイト・カウント」によれば、その数は少なくとも1万6500人に上るという。
驚くのは、その人数の多さだけではない。
集まった人たちは、葬儀が行われた教会から埋葬先の墓地までおよそ3キロの距離を「反戦」のシュプレヒコールを上げて行進したのだ。
その間、治安部隊はほとんど実力を行使しなかった。むしろ交通を整理し、年寄りを気遣った。
こんなことは、プーチン政権によるウクライナ侵攻後の2年間ではじめての出来事だ。
現場では、一体なにが起こっていただろうか?
集まった人々はどのような気持ちでやってきて、そしてどのような思いを共有したのだろうか?
人びとの息づかいは、ロシアが大きく変わりつつあることを予感させるものだった。
◆教会を包み込んだシュプレヒコール
人の集まりは早かった。
葬儀は午後2時開始予定だったが、午前11時にはすでにモスクワ市南部マリイノ地区にある教会には葬儀に参列しようと長蛇の列ができていた。
列に並んでいる中年の女性は、やってきた理由を「市民の義務だと考えているからです」と胸を張った。
ナワリヌイ氏が求めたようにロシアの社会を変えることが可能だと思うかと尋ねると、こう答えた。
午後1時45分ごろ、ナワリヌイ氏の棺(ひつぎ)を載せた霊柩車が、群衆と治安部隊の隙間を縫うようにして教会に到着した。
霊柩車から棺が出され教会に運び込まれる様子は、100メートルほど離れたところにいた群衆の目にも入った。
みな静まり返り、固唾をのんで棺の行方を目で追っていた。
その時、不意に声が上がった。
とっさに声の方を向くと、ピンクの2本のバラをわきに抱えた男性が棺に向かって叫んでいる。そのかけ声はまるで波のように周囲の人々に広がっていく。
あっという間に教会の反対側に並んでいる群衆にまで伝わり、大合唱となる。
振り向くと、右隣の老女は手で口を覆い顔を真っ赤にして嗚咽するようにナワリヌイ氏の名前を呼んでいる。
群衆の目の前には、機動隊員が隊列を作ってにらみをきかせている。
黒いフェイスマスクで顔を覆い、分厚い防弾チョッキを着て、警棒を持った機動隊員の姿は立っているだけで威圧的だ。
さらに時間を追うごとに周辺に待機していた機動隊員が次々と投入される。
だが、掛け声の内容は、徐々に激しさを増す。
シュプレヒコールの波がいったん収まると、また他の誰かが別の掛け声を上げる。
「許さない!」
言葉の多くは、ナワリヌイ氏が生前にロシアの人びとに語り掛けていたものだ。
プーチン政権に対峙してきたナワリヌイ氏の遺志を継ごうとする意志だとも読み取れる。
その言葉を集まった何千もの人々が力を込めて発している。
ナワリヌイ氏の葬儀が限られた関係者のみで教会内で行われている間中、集まった人々は声を上げ続けた。
ともに声を発することで、奇妙な一体感に包まれる。
興奮を隠しきれない男性が、誰かに電話をかけ始めた。友人か恋人のようだ。
男性が言う通り、葬儀会場周辺は妨害電波が出されているようで、インターネットはほとんど機能しなかった。
加えて、黒づくめの男たちがビデオカメラを観衆に向けて撮影している。
顔認証で、身元を割り出そうとしているのだろう。
それでも、人々は声を上げ続け、いつしか、直接反戦のメッセージへと変わっていた。