イギリスは紳士の国と呼ばれている。
そう呼ばれるに至った経緯はジェフリー・チョーサーやウィリアム・シェイクスピアに由来していて、必ずしも実態を表しているわけではないそうだけども、少なくとも僕はそうあれとパパとママに育てられた。
だから、ほんの少し気恥ずかしいけれど、荷車に乗り込もうとするグリーングラスさんに手を差し伸べた。
「お先にどうぞ、グリーングラスさん」
「あ、ありがとう……ハリーくん」
パーキンソンさんが手配してくれた馬車はがっしりとした四輪馬車で、荷車部分はかなり手の混んだ装飾がされているようだった。
ただ、ちょっと席の方は小さめみたいで僕たち子供二人でも少し手狭に感じる。外から見た印象はそうでもなかったんだけどな。
「ちょっと狭いから体が当たっちゃうかも。ごめんね」
「いえ。別に。ぜんぜん。気にしてないわ」
馬車の手配をしていたマンダンガスさん(「あっ! ダング!」って言おうとしたら指を立てて静かにするように合図を出された。まあ、僕が予想した通りユニコーンは偽物で、あんまり騒がれたくないんだろう)が扉を閉めた。少し経つと荷車の中は薄暗くなって揺れ始めた。どうやら進みだしたようだ。
「パーキンソンさんの勧めにあわせて乗ってみたけど、どこに行くのかな?」
「ええと……確かこのままダイアゴン横丁のメインストリートまで進んで、そのまま噴水のところまでいくらしいわ」
「けっこう遠くまで行くんだね」
「そうね」
そこまで行くとなると、かなり時間がかかる旅になりそうだ。
気まずいまま数十分となると申し訳ないし、共通の話題を探していると……先にグリーングラスさんが口を開いた。
「ハリーくんは……その、ハーマイオニーさんは好き?」
「え!?」
まさかそんなことが聞かれると思ってなかったので、頭が真っ白になった。
僕、そんな風に見えてるのかな?
「え、えーっと。友人的な意味ではもちろん好きだよ」
「その。いつのまにか苗字じゃなくて名前で呼び始めたわよね。いや、気になってるとかそういうのじゃなくて、ハーマイオニーさんはすごいいい人で、同じ寮だからやっぱり好きになるものなのかな? って……ごめんなさい。そんなこと聞かれても困るわよね」
「あ、うん。クラブ活動とかで進めていくうちによく話すようになったし、授業の課題とかでもお世話になるようになったからそう呼ぶようになっただけで……深い意味はないよ」
「やっぱりハリーくんから見てもスリザリン生の女子ってのは……いえ、違うわね。グリーングラス家の子ってのはちょっと怖い?」
「……え? なんで?」
僕がハーマイオニーと仲良く見えるからからかわれるのかな、と少し身構えたけど話題は思わぬ方向に流れていった。
怖い……うーん。
グリーングラスさんに対してそんな風に思ったことは正直、一度もない。
怖い異性という意味なら、ときおり瞳孔を開いた状態で新しいアイデア(クィディッチの練習法とか作戦とか、授業の直後に思いついた魔法薬や呪文の仕組みの話とか)を僕に聞かせてくるときのハーマイオニーのほうがよほど怖いかもしれない。
「グリーングラス家の評判は知ってる? まあ、家だけじゃなくて私もちょっとやりすぎちゃうことはあるんだけど……」
「んー、家の評判は知らないけど、グリーングラスさんがこの前スリザリンの上級生を毒殺したとかの噂は聞いてる」
「してないわよ! 毒殺なんて!」
グリーングラスさんは語気を強めて否定した。常に冷静ってイメージだからこういう表情は結構珍しく感じる。
「もちろんわかってるよ。でも、グリフィンドールの人間は怖がるというよりは面白がってる人が多いかな……ロンの双子のお兄さんたちは『毒を飲んだやつは髪が虹色になった』とか『毒ガスを吸って肌が毒カエルになった』とかホラを広めてたし」
「まったく。グリフィンドールの双子はこれだから……でも、無礼な上級生を魔法薬を使ってあしらったのは本当。一緒に荷車に乗りたい相手とは言えないでしょ?」
そんなことを言うもんだから、慌てて否定する。
「グリーングラスさんはすごい素敵な人だから、一緒にいたくないなんて考えたこともないよ! 細かい気配りをしてくれるのはすごい助かってて、さっきもパパとママが喧嘩してるときにフォローしてくれたのはすごい嬉しかったし。あとは、クラブで僕やドラコの手の回らないところにすぐ気付いて対応してくれるし。デイヴィスさんと一緒に、グリフィンドール生から見るとちょっと疎遠なスリザリンやレイブンクローからもクラブの参加者を募ってくれるし。この前のトロールの騒ぎのときも冷静にみんなをまとめてくれるし。すごい綺麗な髪に何度も見とれちゃってるし、それから……あれ、なんで俯いちゃってるの?」
「別に。なんでもない。大丈夫よ」
慌ててまくしたてたもんだから、グリーングラスさんは顔をプイと窓側に向けてしまった。
そうだよね、突然こんなこと言われたらびっくりしちゃうよね……
気を悪くさせてしまったかもしれない。
「じゃあ、その……厚かましいお願いかもしれないんだけど、聞いてもらっていい?」
「うん。僕ができることなら」
「その。ハリーくんからも名前で呼んで欲しい」
えっ!? いや、まあ、確かにそう思うのは無理もない。
いつまでも僕が姓で呼んでたから壁みたいなのを感じてしまっていたのかも。僕としてはもちろん本意ではない。
ロンやドラコみたいな同性だったらいくらでも気兼ねなく呼べるんだけど。
「えーと。じゃあダフネさん……って呼んでいいかな」
「うん。ありがとう、ハリーくん」
僕の顔を覗き込むようにダフネさんが見つめてくるのもあって、やっぱりちょっとドキドキしてしまう。
「そうね、それじゃあこの後広場でなにを買うか決めましょうか。さっき飲んだホットバタービールはどうだったかしら」
「やっぱり寒いと温かい飲み物は美味しく感じるね。えー、ダフネさんは甘いもの好き?」
「うん。ハリーくんも?」
「僕? 大好きだよ。それだったら焼き立てのフォンダンショコラとかどうかな。メインストリートの奥のカフェで一度食べたんだ」
「素敵ね」
そうやって降りたあとのことを考えて話していると……荷車が少し揺れて、停止した。
窓から外を覗くとどうやら広場についたようで、周りには同じように荷車が並んでいた。
パーキンソンさんが流行と話していたのは事実のようで、僕ら8人が乗った荷車以外も広場に所狭しと並んでいた。
「へい。お嬢ちゃん、お坊っちゃんがた。到着でございます」
ダングが外から扉をあけて、僕らに声をかけてくれた。
「ダフネさん。それじゃあ降りようか」
「ええ。ちょっと名残惜しいけど」
もちろん、降りるときも紳士らしく振る舞わないといけない。僕は先に立ってダフネさんに手を差し出すと、しっかりと握りしめてくれた。
まず僕が先導して、そのあとゆっくりとダフネさんが降りるのをしっかりと見守る。
ダフネさんはこちらにニッコリと笑いかけてきて、そのままゆっくりと歩き始めた。
「そ、それじゃあ行きましょうか。ハリーくん」
「あ、うん。えーと、それじゃあさっき言ったお店に……」
「あれ? そこにいるのはハリー?」
そうやって二人で連れ立って歩き出そうとしたタイミングで、ちょうど隣の荷車から降りようとしている少年と目が合った。ディーンだ。荷車の奥にはパーバティ・パチルさんが見える。
「ロンが用事があるって誘いを断られたって言ってたけど、ディーンもクリスマスマーケットに来てたんだね」
「うん。でも知らなかったな。ハリー。君がグリーングラスさんと付き合ってたなんて……」
「は!? ちょっと、ち、違うわよ! たまたま! たまたま一緒に乗っただけよ」
ダフネさんはパっと僕と握ったままだった手を放した。
まあ、確かに。ディーンが勘違いするのも無理はないかも。
「え? でもユニコーンの荷車ってカップルで乗るものだろ? だからパールを誘って乗ったんだけど……」
「……パーキンソン! あいつ、私達を騙したわね!」
そう言ってダフネさんはドラコとパーキンソンさんが荷車から降りてきているところに割って入っていき、パーキンソンさんに詰め寄っていった。
それを苦笑いして眺めながらディーンが降りてきて、パーバティさんも手を引かれながら降りてきた。どちらもちょっと顔が赤い。
「じゃあ、ディーンは付き合ってるんだね。ぜんぜん気付かなかった」
「うん。まあ……周囲にバレると囃し立てられるからイヤってパールが言ってたから伏せてたんだ。まあ、ハリーなら大丈夫だと思うけど」
「まあ、僕はむやみに公言したりしないよ」
「とはいえ、年明けからはホグズミードに行ける日も出てくるからね。ぜひデートに行きたいと思ってたからバレるのも時間の問題ではあったかな」
デート、とディーンが口に出すとパーバティさんがより顔を赤くしながらはにかんでいる。
しかしそうか、パパも言ってたけど、もうホグズミードに行けるようになるのか。
「ちょうど聖ドウィンウェンの日が土曜日だからね。ハリーはグリーングラスさんを誘ったりするのかい?」
「えっ!? いや、まだなんにも」
「そうなの? 結構いい雰囲気に見えたけどな」
聖ドウィンウェンの日はウェールズにおけるバレンタインデーのようなものだ。
バレンタインと同じでバレンタインカードや、花や、チョコレートを贈り合ったりする。基本的にはウェールズ文化圏の人の祝日ではあるけど……魔法使いはそのへん節操がない人が多くて、聖ドウィンウェンの日もバレンタインもどちらも楽しむ! なんて人は珍しくない。
それにしてもデートかあ……意識はしてなかったけど、こうやって仲良さそうにしているディーンとパーバティさんを見てると少し羨ましくなってくる。
年明けのホグズミード訪問、今のうちにどうするか考えておこう。
─────
帰省者がバラバラで乗り込んでいく帰りの便と違って、ホグワーツ城行きの便はやはり日程がかぶるのか比べ物にならないぐらい混んでいた。
とはいえ、座れないというほどではなくて、コンパートメントはしっかりと一つ確保できている。そこには私にトレーシー、そしてなぜかパーキンソンが座っていた。
乗ってからずっと喋っているので普通にうるさい。
「グリーングラスもわかってると思うけど……この前のクリスマスはあくまでジャブみたいなもんだからね! あれで楔を入れて、バレンタインでそれを打つ! これはもう鉄則よ。この鉄則を破ったやつから死んでいくわ」
「じゃあ私はまっ先に死ぬわね」
「そんなこと言って。ダフだってホントは誘いたいんでしょ?」
「別に。ぜんぜん。なんにも考えてないわ」
これは……実際のところ嘘だ。
あのあとハリーくんから律儀にもお礼の手紙が来たので、返事するときに年明けの予定を聞くかどうかすごく迷った。(結局聞かなかった)
まあ、私は嘘は得意だし、これぐらいすました顔で断言すればバレないだろう。
「ほんとかしらー? クリスマスマーケットでデレデレニヤニヤしてたじゃない」
「パーキンソン。夕食には用心することね」
「でも今日、ダフったら駅のホームでハリーくんがいないか目で探してなかった?」
「探してないわ」
「まあ、もうホグワーツにいるらしいんだけどね。クリスマス飾りの片付けの手伝いとかでポッター教授と一緒に前日にはホグワーツ城に戻ってるってネビル君が言ってたわ」
「なんで教えてくれないの? ……いや、別に知りたかったわけじゃないけど」
やかましいパーキンソンと、ニヤニヤしてるトレーシー。ちょっとホントに一回、二人とも痛い目みせたほうがいいかしら。
「むしろ、あんたに言いたいことがあるのは私のほうよ! ドラコとのデートは大成功のはずだったわ! ユニコーン馬車から降りたあんたが血相変えて詰め寄ってこなければ!」
「当然の怒りよ。カップルが乗るものなんて大事な情報黙ってたあなたが悪いわ」
「それからドラコに警戒されちゃったじゃない。あー、こんなことなら荷車に乗っただけで私にメロメロになる魅了の呪文でもかけておいてもらうんだったわ」
「あんたねえ……」
そうやって話しているうちに、列車はトンネルを抜けた。もうホグワーツ城が窓から見える。
「あー、もう着いちゃったわね。ダフ、今日の夜のうちに宿題ちゃんとできてるか確認しない?」
「しょうがないわね、トレーシー」
「ふっ……これだから二人は恋愛ド素人なのよ。私はここでドラコにお願いする。甘えてあげることで男ってのは、ひごよく? みたいなのが湧いてくるのよ!」
「なるほどね」
「なるほどじゃないわよ」
「グリーングラスはむしろ見に行ってあげたほうがいいんじゃない? あのグレンジャーがここぞとばかりに威張ってるに違いないわ。あなたが教えてあげることでチャンスを作るのよ」
パーキンソンは荷物を持って意気揚々と降りていく。ここまで人生自信満々だと楽しいに違いないだろう。
まあ、でも確かに他の科目はともかく魔法薬学に関しては自信がある。別にハーマイオニーさんに張り合うわけではないけれど、ちょっと覗きに行ってもいいかもしれない。
そう。別にハーマイオニーさんと張り合いたいわけではない。ぜんぜん。
荷物を持ち、小舟に乗ってホグワーツ城に到着した。
が、玄関ホールに人が集まっていてなかなか前に進めない。
どうも、まとめて人が降りたから渋滞しているわけではなく……足を止めている人が大勢いるらしい。そして、なにか剣呑な雰囲気を感じる。
野次のようなものも聞こえるし「嘘だろ!?」「なんで!?」といった声が玄関ホールで何度も響いている。
「なにかしら、トレーシー。見える?」
「うーん……ちょっと遠くて見えないわね。でも、みんなが集まってるのは掲示板の辺りみたいだわ」
「確かになにか貼られてるわね」
「ふーん……ホグワーツの噂という噂を知る私としても気になるわね。ちょっと見てきましょう!」
そう言って返事も聞かずパーキンソンが人混みをかき分けて進んでいく。
かなり強引な進みかただが、ふつうは下級生の女子に怒るに怒れないだろう、と織り込んでの進み方だろう。
人混みが割れていくので、私達もそれを縫って進んでいく。噂と掲示物自体はそんなに興味ないけれど、まあどっちみち玄関ホールからは進まなければならない。
なら空いた道は使わせてもらおう。
そうこうしているうちに、例の掲示物が目に入るところまで3人は進んでいけた。
周りには顔を覆う人、肩をすくめる人、ぼやく人……様々いるが、あまりいいニュースでないのは間違いなさそうだ。
顔を上げると、その悲嘆を呼び起こしている掲示物がついに読める距離になっていた。
玄関ホールに掲げられたその告知状にはでかでかとこう書かれている。
『ホグワーツ高等監督官ドローレス・アンブリッジの命により、生徒のホグズミードをはじめとした外出を原則禁ずる』と。
「え? ちょっと待ってくれよ」
「は? 意味わからないんだけど」
その告知状を見て、たまたま居合わせた二人が同時に戸惑いの声をあげ、お互いに顔を見合わせた。
グリフィンドールの半純血の男子、ディーン・トーマス。
スリザリンの純血の女子、パンジー・パーキンソン。
その日、奇妙な同盟がそこで結ばれたらしい。