ホグワーツ城まで箒で飛んで行くまで約10分。往復でもう10分。誰か先生を見つけるのにもう10分、というところか。
あと15分逃げ切れば助けが来るはず……そう願って気持ちを切らさないようにしていた。
直線的な追いかけっこをすると歩幅の大きいトロールのほうが明らかに有利。
なので遮蔽物を生かして撒きつつ、みんなが箒を取ったあとに箒置き場に逃げ込んで立てこもろうと思ったのだが……残念ながらその思惑通りにはいかなくなってしまった。
二体目のトロール。
突如として現れたそいつは、最初のトロールよりもニーン卿の絵画に執心でないようで、僕を探して追いかけ回している。一方で、箒置き場に逃げ込むにしても一体目のトロールをなんとかする必要がある。
というわけで、僕は当初のプランを諦めて禁断の森とホグワーツ敷地の境目を縫うように走り回っていた。
そりゃ、禁断の森の近くになんか行きたくはないけど……巨大なトロールから一時的にでも姿を隠せる遮蔽物はそれなりのサイズがいる。
その点、よくわからない成長っぷりを見せる禁断の森の木々は最適と言える……木々そのものが危なくなければ、の話だけど!
危うく首元に噛み付きかけた意思のある蔦を払うと、その音に反応してトロールが近づいてくる。こんな感じの繰り返しだ。
しかし、今度は単なる岩陰だ、邪魔するものもあまりないし音も立てていない。しばらくは安全な……
ぬっ、と夕日を遮る大きな影が僕の後ろに現れた。
マズい。石のすぐ裏まで近づかれていた。
静かにするべきか、それとも無理にでも走り出すべきか。
だが、ここで迷ったのは拙かった。
トロールはこちらを覗き込み、唸り声をあげた!
「うわああああ!」
咄嗟に逃げ出そうとするが、その巨大な手で僕のローブの襟口を掴み引っ張り上げた。
僕を吊り上げたトロールはニヤリ、と笑ってもう片方の手で掴んでいる棍棒を振りかざした!
とっさの勢いで、パパから何度も教えられた呪文を唱えた。
「
しっかりとトロールの胴体に当たったそれはしっかりと効果を発揮し、棍棒を森の奥まで弾き飛ばした。
一瞬、トロールはあっけに取られたようだが……タフな生き物だ。どうやらこいつ自身には僕の呪文は大して効いてないようで拳を握りしめて、再度振りかぶった。
なんとか僕の手を掴んでいる手を振り払って逃げようとするが、トロールの握る力は強く、なかなか離れてくれない。
少しでも逃げる手は……そうだ! 僕はトロールの手に……正確に言えばトロールの握る僕のローブに杖を振った。
「ウガッ!?」
狙い通り! 突然ローブが破れて持つ手のバランスが崩れ、トロールの体が大きく傾く。
僕が行ったのは変身術。強固だったり貴重だったり、より高い性能や複雑なものになにかを変身させるのは難しい。
でも、粗雑で弱く簡単に引きちぎれるような素材――例えば藁とか――に変化させるのは比較的簡単だ。どうやらとっさの思いつきは成功したようで、身を翻して前も見ずに走り出す。
とにかくできるだけ距離を取らなければ――そう思ってただがむしゃらに走っていたのが悪かった。勢いよく障害物にぶつかってしまう。
いや。
障害物じゃない。これは……
叫び声を聞いて寄ってきた、2体目のトロールだ。
突然ぶつかってきた僕に驚いたようだったが、飛び込んできたのが獲物のヒトだと気付いたようで、僕にはニヤリと笑ったように見えた。
万事休すか。
いや、まだだ。気持ちを切らすな。どんなときも諦めずに逃げる手を考えろってパパが――
「
呪文を受けたトロールは先ほどと大きく異なり、僕と棍棒を空中に放り投げながらその巨体を宙に舞わせた。
「ハリー、無事か!」
「パパ!」
もう一体のトロールがこちらに向き直るが、再び鹿に変身したパパが素早く背後に回るのを目で追いきれず、人間体に戻ったパパの呪いが背後に刺さってそのまま昏倒した。
パパは僕を抱きしめながらポケットにくしゃくしゃにして突っ込んでいた地図を取り出して眺めた。
「他の子たちは……ホグワーツ城まで着いてるみたいだな。ハリーはどうして残ったんだ?」
「僕が囮になって箒を取らせたんだ」
「まったく、バカなことしやがって。でもまあそれでこそ俺の息子だ!」
パパは城に向かったドラコたちの話を聞いて助けに来たわけではなく、パパが持つ『忍びの地図』に僕らが映ったのを見た瞬間に禁断の森を突っ切る最短ルートで駆け抜けてここまできたそうだ。道理で明らかに早いと思った。
「入れ違うと困るからな……ちょいと伝令を出して、と。ほら、ハリー乗れよ」
パパは杖を振り、変身したパパそっくりの鹿の姿の守護霊を出してホグワーツ城のほうへ飛ばした。そして、自分の背中を叩いた。正直言ってこの年で肩車なんてのはちょっと恥ずかしい。もう子供じゃないっていうのに。
「……どうしても乗らなきゃダメ?」
「城のほうにもいっぱいトロールが出てるんだよ。ダンブルドア校長が出たからもう制圧されてるとは思うが、できるだけ早く救援には向かいたい」
「……わかった」
「はっはー、ハリーを乗せるのも久々だなあ。泣くなよ?」
「泣かないってば!」
「始めて乗せた時は走り出してもいないのに泣き出してなあ。結構ショックだったんだぞ」
「すごい小さいときの話でしょ!」
「俺からしたらほんの少し前なんだけどな」
これだから乗るのが嫌なんだ。パパは僕がものすごく小さいときの話をして、まるで泣き虫だったかのように言うし。
ジェームズ・ポッター流の肩車はもちろん、鹿の背だ。僕を肩に乗せたパパはくしゃみを一回したのち、動物に変身した。
「くしゃみ? また風邪ひいたの?」
鹿になったパパは首を振るけど、まあたぶんほんとは体調があんまりよくないんだろう。
パパもママもなぜか毎年ハロウィンになると体調を崩しがちだ。悪寒がするのよねー、ってママもよく言ってたっけ。季節の変わり目だからだろうけど。
それでも駆けつけて助けてくれた。
今日はまあ、少しぐらい甘えてあげてもいい。
─────
「ジェームズから守護霊じゃ。ハリーは無事、これではぐれた生徒はもういないと」
大広間に駆け込んできた守護霊から伝令を受けたダンブルドア校長がそう言うのにあわせて大広間で歓声があがった。
「やった! さすがポッター教授ね!」
「よかった。ハリー君無事だったのね」
「ふん。たまたまだな。まったく無謀な奴め」
「なんだと? マルフォイ、助けてもらった恩義も感じないのか」
グリフィンドールのグレンジャーと、うちの寮のグリーングラスが(少しぎこちなくではあるが)ハイタッチする。
女子連中は表面だけでもフレンドリーに振る舞う一方、隣のウィーズリーはこんな場でも僕に強く当たってくる。少しは空気というものを読むべきでは?
知的な皮肉(ウィーズリーには理解できない可能性が大だが)でもぶつけてやろうと思ったところで大広間の入り口の扉が強く叩かれ、鈍い音がホールに響きはじめた。
「ひっ!」
「うわっ!」
既に強化されている扉は破られそうな様子はないものの、やはり怖くないといえば嘘になる。
「ふむ……シルバヌス。トロールの効率的な撃退法は?」
「皮膚は強靭ですからな。校長ならその上からでもなんとでもなりましょうが……効率のいいやり方を求めるなら直接呪いをぶつけるのではなく、瓦礫などを急所にぶつけてやることでしょう」
「では、それでいこう」
校長が杖を振ると扉が開かれ、今そこを破ろうと棍棒を叩きつけていたトロールが2体、姿を表す。
その醜悪な姿が広間の人間の目に入った結果、怯えた声がところどころから聞こえる。
だが、そんな雰囲気は校長がすぐに吹き飛ばしてしまった。
杖をもう一振り、二振りするとトロールが2体とも宙に浮いた。空中で手足をバタバタさせる彼らは素早く振った校長の杖の動きにあわせて正面衝突し、そのまま昏倒した。
恐怖の声から一転、歓声があがった。
「こんな感じかの?」
「ええ。模範解答ですな」
「うむうむ。校長室に5点つけておいてくれ。さて……今年の寮杯は校長室がかっさらうとしよう」
そういって杖を構えた校長は廊下を一つずつ一掃していった。
─────
「トロールの侵入ルートが判明しました。谷底の下水道の出口です。出入りを遮る鉄の柵がトロールによって破られていました」
「ハリーたちも不運なことにな。侵入ルートの真上にたまたまいたとは」
「そして、セブルスの居室に送り込まれたトロールは特に大型のものと。気付かぬうちに下水道でトロールが群生しており、たまたま経年劣化かなにかで脆くなった柵を壊してでてきた……という偶然、とは思うべきではないじゃろうな」
通路とコモンルームの安全が確保できた今は生徒を各寝室にもどしつつ、念のため教授陣交代で見回りをしている。
「そうでしょうな。完全に断定できるわけではありませんが……鉄の柵が脆い素材に変化させられた形跡がありました。近日中に仕掛けられたか時限式かまではわかりませんが、意図的な攻撃と見るのが妥当でしょう」
「となると……その目的はセブルスの暗殺だけではないじゃろうな。いかにもな陽動じゃが、その時間帯に怪しいことをしていた外部の人間はジェームズの話ではいなかったそうじゃ」
「襲撃された時間帯、ホグワーツ城にいた外部の人間は3名。容疑者の筆頭はアンブリッジですが、あの女は大広間で右往左往しているのみでした。無論、演技の可能性もあるため疑いを捨てることはできませんが……つけておいた痕跡薬は下水道では無反応。直接の下手人ではありません」
「いつのまにお前そんなもの使ってたのか」
ほぼ無臭の痕跡薬。普通の人間であれば使われたことすらも気付かないだろう。
効果が切れるまで使われた人間が出歩いた場所を洗い出すことができる、鑑識御用達の薬だ。
あの女の個人情報保護? 知るか。
「3名のうちアンブリッジ監督官はとりあえずシロと。他の二人というのは……クィリナスが面談していたマグル学の次期講師じゃな」
「クィレル教授の証言と当時のポッターの地図による動きを照らし合わせましたが不自然な逸脱はありませんでした。基本的にはクィレル教授の応接間におり、手洗いのため席を外したぐらいと」
トロールは凶暴だが、一定の知性は持ち合わせており利用するのはそう難しくない(と、ケトルバーン教授が話していた)そうだ。独学でも学べるレベルで、トロールを操れるという条件で容疑者を絞り始めるとキリがないということであった。
実際ケトルバーン教授、フリットウィック教授、クィレル教授は自分ならこうすれば可能だの資格を持っているだの話していた。
一度侵入を許した以上、似た手を繰り返してくるかもしれない。対策しておく必要がある。
「いやー、しかしトロールの外皮は硬いと聞いたが、意外となんとかなるもんだな」
「物理的なダメージに弱いというのは知っておったが、トロール同士をまとめてぶつけると複数体ノックアウトできるとは。新しい発見じゃった」
……さすがグリフィンドール。トロールを倒すときに使う脳みそはトロール並のようだ。
「そういやスネイプはなんかヤバい毒で倒したんだってな? 俺も使える?」
「バジリスクの毒はポーションマスターだけが手に入れ、運用できる。容器を1週間おきに交換し中身を入れ替える必要がある代物。お前に持たせたら数週間後には部屋で変死体が見つかるだろうな。そもそも資格のないお前が持つのは完全に違法だ」
非常に貴重な代物ではあるが、バジリスク自体は「ヒキガエルの下でニワトリの卵を育てる」という比較的容易な方法で手に入れることができる。
ポーションマスターが金に糸目をつけなければその毒を手に入れることは難しいものではない。(無論、海外の闇市場を活用することになるが)
問題は運用だ。毒自体は保存方法が粗雑でも非常に長持ちすると言われている。しかし……保管する容器をおそろしい早さで侵食していく。魔法の毒に対する侵食に非常に強い石英結晶でできた容器を使っても、1ヶ月で底から漏出することになる。定期的な容器の交換が必要であり、かつその移し替え自体も非常に細やかな作業が必要だ。
とはいえ、それに見合うだけの物ではある。私が得意とする魔法や毒は基本的に人に向けてのもので、強力な魔法生物に対抗する手段に乏しい。
バジリスクの毒はそうした弱点を補ってくれる。トロールはもちろん、ドラゴンやアクロマンチュラを相手取ったとしても効果を発揮するだろう。
それこそ、バジリスクの毒が効かないのはバジリスク自身ぐらいだ。
「セブルス。それはこのような事態における切り札として申し分ない代物ではある。しかし……その毒は人に向けるには過大なものじゃぞ。念押ししておくが」
「……絶対に使わない、とは答えかねます」
この数年間。ルシウスを取り戻すために用意した手の中には当然、トム・リドルの毒殺も含まれる。
服従の呪文を解くもっとも確実な手は、術者を殺すことだ。
術者と対象者を隔離することで時間経過により解くのがもっとも穏健な手ではあるが、それにこだわるつもりは無論ない。
とはいえ、殺人の汚名を好き好んで着たいわけではない。たとえばアンブリッジごときのためにその汚名を被るのは願い下げだ。しかし、今回の事件でより頭の痛い存在になったのは間違いない。あの女はホグワーツの管理体制だのなんだのを追求してくるだろう。
あの女の追求がこの襲撃の目的……と考えるには二枚も三枚も役者が足りない相手ではあるが、それでも自分が置かれた状況を最大限活かして引っ掻き回してくるはずだ。
今日はもう11月。法的なバックアップが成立するのは、今から考えるとおそらく年明けからだろうか。厄介な攻防の予感がする。
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なにごともないように、蛇口をひねり水を流す。
私はただ、お手洗いに来ただけなのだ。そう振る舞い、本来の目的について気取られないようにしなければならない。
「アレクト。素晴らしい仕事だ。僕もきちんと仕事を果たさなければな」
「お褒めいただき……感激です!」
「ふふ、いくらでも褒めてあげるさ。とはいえ、手元の絵と話しているということが露見すれば怪しまれるのは間違いない。最低限に抑えておこう」
魔法世界の写真や絵画は、聞き手が知らない言語も話すことが出来る。
手元の小さな絵葉書の中にいるあのお方は、シューシューという音を出した。
蛇語。
それはスリザリンの継承者であることを示す技能だ。素晴らしい血統であることを自らの力で証明していると言えよう。
そして、それはスリザリンの遺産を使うに値する人間であることも示している。
で、あるから。愚かなダンブルドアを出し抜き、偉大なサラザール・スリザリンの遺産を活用することは魔法世界への大きな貢献であるのは疑いない。
それはわかっている。わかっているのだが……この甲高い音にはやはり本能的な恐怖を感じてしまう。
私は、首を振って恐怖を振り払おうとする。すでにもう、あのお方の蛇語に呼応してお手洗いから秘密の通路は開かれた。今や、単なる伝説とされていたサラザール・スリザリンの秘密の部屋まで繋がっているのだ。
そして、その部屋の主とも言える存在が這い出してくる。
振り払ったはずの恐怖が再燃する。悪寒が走る。その存在感に圧倒されそうになる。
だが、私が立ちすくんでいるのを察したのか……あのお方はしっかりと私に指示を繰り返してくださった。
「さあ、これで任務は達成だ。僕を燃やしたまえ」
「……単なる絵とはわかっておりますが、それでも抵抗があります……」
「ははは。君の思慕の念には感服する。しかし、ダンブルドアに気取られないためには証拠を一切残さないことが重要なんだ」
「はい。わかっております」
私は杖を振り、絵葉書を燃やした。残る証拠は小さな灰だけ。
今やあのお方の声はなくなった。そうなると急に心細くなる。もちろんこのサラザール・スリザリンの遺産はあのお方が完全にコントロールしているはずで、私に牙をむくことはないと確信している。
しかし、今後ろを向けばそのような事情さえ無視して私をあっさりと死に至らしめるだろう。
這いずる音が遠ざかっていくまで、祈るような気持ちで目を瞑ったままでいる。
そして、その音はトロールが解き放たれたホグワーツの喧騒にいつしか溶けていった。これで私の仕事は完了だ。
秘密の部屋は開かれたり。
継承者の敵よ、心せよ。