闇祓い局をポッターと二人で走って抜けていく。
遠巻きに眺める者の姿勢は様々だ。とにかく杖を抜くもの、様子を窺うもの、とりあえず私に杖を向ける野良犬……少なくとも、闇祓いの連中はほぼ全員がしっかりと杖に手をかけていた。多少は鍛えられているらしい。
「おいポッター、スニベルスと肩を並べて……何が起きてる?」
「あー、シリウス……すまん。局長からの特命事項だ、話せねえ。あと書類仕事めっちゃ残してくからよろしく頼む。行くぞスネイプ!」
「ちょっと待て、少しぐらい話を……」
多少はポッターも危機感を共有していたらしい。話しかけてくる野良犬を無視して廊下を早足で進む。
目的地は地下8階。魔法省の非常階段の位置は入り組んでおり、ただ6階降りればいいというものではない。
こちらの目的地は悟られていないようだが……地下2階から降りる階段の手前で阻まれることになる。
「やあ、セブルス……犬猿の仲の相手と肩を並べて。どこに向かうつもりかな? おっと、杖に手をかけるのは無しだ。お二人ともね」
待ち受けていたのはカロー。それに顔は見たことのある取締局の若手……短気なチンピラだ。あのような輩をなぜ雇っているか常々疑問であったがこういう役目のための人間なのだろう。疑問が氷解した。
「これは室長。今、上の人間から特命を受けております。通して頂けませんか?」
「君の受けた特命に関しては私も存じている。しかし……君を疑っているわけではないが、少々その命令から逸脱しているように見受けられていてね」
「そうでしょうか? もう半ば達成したものと思いますが。こいつが私の隣を歩いているのがその証拠」
「あー、カロー室長。もしかして杞憂でしたかね。これはきちんと
どうやらウスノロのほうは言いくるめられそうだ……だが、カローはいくらなんでもそう甘くないだろう。
「確かに、その可能性はある……しかし、彼らからひとまず話を聞くのは我々に不利益はもたらさないだろう。かかっているにせよ、かかっていないにせよ。どうだね、セブルス。10分ほど我々に時間を割いてはくれないかね」
「緊急の特命中です、室長」
「10分を争うほどのものとは思えないがね」
正面に立つウスノロはともかく、隣のカローは油断なく私達の手と杖から目を離さない。この場を切り抜けるには杖なしで二人を捌かねばならない。
嫌気がさすが隣のポッターに目配せすると、ニヤリと笑ってこちらの視線に返してきた。本当に意味を理解できているのかこいつ?
「まあともかくそこの会議室を借りて――」
カローが喋り始めた隙をついて、ポッターが動いた。
杖先をかわす動きを入れながらの前蹴り。原始人か?
落ち着いてカローはその蹴りを後ろに下がってかわし、杖を構え直そうとしたところで――見事に股間に伸びた脚と
その隙を逃さず私は素早く杖を抜き目の前のウスノロに
ポッターも崩れ落ちたカローに対して油断することなく杖を抜き、石化をさせていた。
「おいおい、リサーチ不足じゃねえのか? こちとら杖なしでいつでも出来る魔法があるってのによ」
「気味の悪い姿だな……片足だけ動物変化というのは。不自然極まる」
「うるせえ! 俺だってちょっとは思ってるよ!」
ポッターは登録済みの
風のうわさによると在学中すでに動物もどきで、入省する際に登録したらしい。もし私がそれを知っていればあの野良犬と鼠を非合法の動物もどきとしてまとめてアズカバンにぶちこめただろう。悔恨の極みだ。
しっかりと人の足に戻したポッターは手慣れた手付きで麻痺した男を人通りの少なそうな通路にどかしていた。私もカローをできるだけ時間が稼げるように……少し手間をかけて通路の端に寄せておく。
いずれはバレるだろうがある程度は時間が稼げるだろう。
「さて、どうする……上か下か」
「地下2階だからなあ。地上まで強行突破ってのも確かに魅力的だが……まあ、大人しく局長に従っとくべきかね」
通常、魔法省の中では姿くらましはできないようになっている。
だが、なんとかして地上まで出ればいくらでもくらませる。通常、魔法省への出入りは地下8階のアトリウムを通り暖炉などで移動しているが……確か、地下1階から地上に出る避難階段のようなものがあったはずだ。
しかし、それは向こうも承知だろう。手駒を使って確実に抑えられているに違いない。
「確認だが、局長の示した暖炉というのは確実に秘匿されているのだろうな?」
「それこそ局長の言を借りるなら100%の安全などないって話だが、ムーディ局長は1回使い切りの
「これだから。独自予算など闇祓い局に与えるから用途不明な金がかさんでいく」
「省内の人間の捜査も時にはやるからな。運輸部の人間の家宅捜索にその辺の
「現状を嘆くしかないな」
「言っとけ!」
意見の一致を見た我々は階段を降りる。
地下3階、魔法事故惨事部のフロアだ。
「自然に何事もないように歩けよ。ここで早歩きなんかする奴は職質してくださいって言ってるようなもんだ」
「何事も起きないならそれでいいがね。あの二人が見つかるのも時間の問題だろう」
「そうはいうが
「……我々をじっと見つめている輩がいるようだが」
通路の奥にこちらを凝視している男がいる。
見慣れぬ男ではない。確か事故惨事部の室長クラスだったか。
「いやいや、そんなビビるなよ! あれは飲み仲間のリッジさんだ。とても温和な人でな……ごきげんようハージェスト。昨晩のランカシャーは見事だったな! あそこのチェイサーは酷すぎる、俺がやったほうがマシなんて言ったのを謝るよ」
「やあジェームズ。あー、その」
「どうした? 寝不足か? 試合は随分長引いたもんな」
「すまない。私には家族がいる」
その男は我々に向けて杖を抜――くことはなかった。その挙動に対応して放った私の
が、リッジと呼ばれた男は諦めなかった。
「みんなーっ! 二人はここにいる……」
「
「マジかよ。ああ畜生、みんな出てきやがった!」
彼が叫んだ一瞬で十分だったようだ。その声が届いた近くの部署から何人もの人間が顔を出し、こちらの顔を見たと同時に杖を抜き放ってくる。
こうなると最短ルートで次の階段へは向かえない。
きびすを返し、人気のない通路の方へ走り出す。我々を追う人間の放つ呪いをいなしながら。
「いっそ昇降機を奪うか?」
「暖炉すら緊急メンテナンスで止められているのだぞ。昇降機の管轄部署など確実に抑えているだろう」
「だよなあ」
後ろから追いかけてくる人間はほとんどがド素人のようで、走って逃げながらの態勢の我々の反撃で次々と沈んでいく……が、しぶとい人間は数人いるようだ。リドルの子飼いの連中なのだろう、いったい魔法省のどこに飼われていたのか知らないがガラの悪い人間が残っていた。
「次の角を曲がっての十字路からが勝負だ。階段へ最短距離の右か、迂回する左か、はたまたあえて逆方向に行く正面か」
「ずいぶんと省内の通路に詳しいな、ポッター」
「まあ、趣味のようなもんだ。似たようなマッピングはそれこそホグワーツのときに山ほどしてたしな。くそー、こんなことがあるんなら魔法省の"地図"でも作っておけばよかったぜ」
「間が抜けた趣味だな……だが、お前のお得意の術の使いどころだぞ」
角を抜けて、判断を迫られる。考えている暇はない……ここで後方の連中を撒くとしよう。
─────
追いかけてくる連中は角を曲がり、分岐路にたどり着いた。
ぜひともここで我々を追う数を減らしてもらいたいものだ。
「奴ら、どっちにいったんだ?」
「わかんねえ。しかし俺らの数のほうが多いだろ? 全部手分けしてしらみ潰しに潰せばいい」
「名案だな。じゃあ俺たちは右に行こう」
「んじゃ俺らは左だな」
リーダー格のような男が雑に指示を出し、連中は右と左の二手に分かれていった。
十分に離れていったようなので、ポッターに変身呪文を解くように促す。
「やれやれ。こうも上手くいくとはなあ。十字路がT字路になっていることも気付かないとは普段どうやって出勤してるんだろうな」
「ふん。不格好な壁だ。触れば一瞬でバレるところだったぞ」
両端の壁を、正面に進む道を塞ぐように長い壁に変化させる……正直言って性質をほとんど変えずに面積を広げるというのは、変身術としてはなかなか高度なレベルであることは認めてやってもいい。
「急場しのぎにしてはいい出来だろ?」
「急場しのぎにしかなっておらん。この手の大立ち回りを8階に着くまで繰り返すのはうんざりだ」
「ここまで盛大にバレちまったからにはそろそろ派手に大立ち回りしてもいいだろうし、手はある。あるんだが……正直、気はかなり進まないんだが……一番速いのは間違いない」
「もったいぶるなポッター。一刻を争っているのだぞ」
この期に及んで一番速い手段というのがあるらしい。
なぜそれを最初に言わないのか? 脳みそに大きな欠落があるのか?
「いや、四の五の言ってる状態ではないのはわかってるんだが……まさかなあ。リリーとハリーの次がお前か……」
「おい……まさか」
前言撤回。
もしこいつが言っているのがアレだとしたら……絶対に御免被りたい。被りたいが……しかし、私はこの場を生き延びて脱出する必要がある。
ああ、マーリンよ。なぜ私にこのような試練を?
─────
地下7階。魔法ゲーム・スポーツ部は主にハッフルパフ閥が支配的だ。
しかし、最も寛容なはずの彼らの中にも我々を追う事情を持つものはいるらしい。
が、我々は立ちはだかる彼らを物ともせず轢き倒しながら最短距離で次の階段へ向かっていた。
体重約200キログラムの巨体は魔法使いの頑丈さを遥かに上回る。胴体に突き刺さる呪いをもろともせずに走り抜けていた。
そう。私は今
一生の恥だ。
「ポッター、なぜ敵が待っている右の通路を選んだ? 野生の鹿のほうが賢いように思うぞ?」
なにか唸り声をあげているような気がするが、私は知恵あるヒトなのでまったくわからない。これだけはいい気分だ。奴の話を聞かなくて済む。
目に入った魔法使いどもを馬上……鹿上から呪いを放ち撃退していく。
廊下を全速力で駆け抜けながら周囲に正確に呪いを放つ鹿(こう言うとXXXXXクラス魔法生物のようだ)をどうにかできる人間はそういないらしく、快調に地下8階に近づけている。
この地下7階も無事突破し、階段を駆け降りる。最後の段に脚がかかり――
その蹄を巨大な針が貫いた。
階段を昇った最後の段になにかの罠が仕掛けられていた。呪いの魔道具だろうか。人間に発動していれば致死的であった可能性もある。もうなりふり構わないというわけか。
激痛に叫び声を上げながら
「悪戯と言うには度を越した罠に思いますが。カロー室長」
「この時間に昇降機を避けてこっそりと喫茶店のフロアに降りる人間どもなど碌な連中ではあるまい。貴様らのようにな」
なんとか呪いを解いたカローは昇降機を使って先回りしていたのだろう。
目は血走っている……私を見据えながら杖をしっかりと握り、引き抜いた。
「
「はて、なんのことやら」
「貴様を行かせればリドル様は激怒されるであろう……お前が私の直近の部下だったというだけでな! 余計なことをしてくれたな、ええ!?」
なるほど。奴らが懸念しているのは法廷で私が服従の呪文を受けたことについて証言することだろう。
通るかはともかく、現役法執行本部職員による告発だ。ウィゼンガモット法廷については主席魔法戦士のダンブルドアをはじめ完全にリドル派が掌握できているわけではない。
向こうとしてもいくらでも握りつぶすルートはあるだろうが、万が一はあると考えているのだろう。
勘違いしているのは好都合だ……おそらく主力はこの上、法廷の手前に固められているのだろう。
功を焦って降りてきたカローさえ凌げばなんとかなりそうだ。
「セブルス・スネイプ、私のために死んでくれ」
カローは自らの杖を強く握った。
どうやら一騎討ちと洒落込みたいらしい。痛みで動物化を解き呻いているポッターはしばらく使い物にならないと見たのだろう。私さえ倒せばなんとかなる、と。
……が、そういう趣向はスリザリンではない。
「お前ごときが私に……なんだ? その不敵な笑みは」
「一騎討ちを挑むなど……まるで愚かしいグリフィンドールだと思ったのですよ」
「なにを馬鹿な。お前ごとき若造が、一度奇襲が成功したぐら……」
「その通り。一度成功した。それで十分です」
あえて杖を抜かせた時点で勝負は決まっている。
カローは執念深い。回復後、すぐに追跡を再開する可能性は高い……そこで、仕込ませてもらった。杖のグリップに塗りつけておいた痺れ薬はもう効き始めているようだ。
「それではごきげんよう室長。退職金は不要です」
「スネイプ……貴様……汚いぞ」
褒め言葉だ。鼻で笑って再度石化させた。ぬかりはない。
このまま私一人で行っても良いが……生憎なことに秘密の暖炉とやらの場所を私は知らない。仕方なく足の甲を貫かれてうめいているポッターを蹴って起こす。
「ぐええ!」
「早く起きろ、倒れたフリなのは見抜いているぞ」
「フリじゃねえよ! 実際痛いんだよ!」
「しっかり杖は握っていただろうに」
「どんな状況でも撃てるようにしておく。闇祓いとしての矜持だな、フフン」
「五月蝿い。とっとと案内しろ」
「やめろ、怪我してるところを蹴るな、やめろ」
応急処置を施しつつポッターがよろよろと立ち上がり、テナント区画へと進んでいく。先日ルシウス、レギュラスと来たのもここだ。スリザリン生お気に入りのカフェテリアで他愛もない話をしたのが遥か昔のように思える。
ポッターが足を運んでいるのはイギリスの伝統的なスタイルのパブ、「ジンとジュース」だ。グリフィンドール出身者が伝統的に集まる店として知られているが、省内でアルコールを提供しているということで(彼らは誰もやっていないことと誰もやるべきでない事の見分けがつかない)仕事帰り、あるいは仕事中に寄る不届き者も多い。
もっとも、今は「臨時休業」の札がかけられており辺りは閑散としている。
「おーい、パチルの女将さん、いるかい?」
「ジェームズかい? 生憎臨時休業中だよ。あんたとアラスターが先日来た時にファイアウイスキーをしこたま飲んでたろ? いま在庫が足りてないんだ」
「『局長はこの店に来ない』、これでいいか?」
「まあいい。入りな」
「まったく。まるで局長だ」
鍵が開かれた扉に身を滑らせるようにして入る。
念の為警戒しながら店内を見渡すが店主しかいないようだ。
「ジェームズと
「……ギネスとバスのブラック・アンド・タン」
「なんだこいつ。カッコつけやがって」
「洒落てるっていうのよ。ファイアウイスキーの痛飲しかしないあんたらよりよっぽどいい趣味だわ。さあバックヤードに来な」
カウンターの裏の棚に店主が杖を振ると観音開きで動き出した。
別に隠し通路というわけではなく、単に普段は店の倉庫として使っているらしい。
奥に進むと確かにいくつかの在庫品の山に埋もれて小さな暖炉が置かれていた。
「とっとと行きなさい。あんたらが行かないと店開けれないのよ」
「あ! そういえばどこ行くんだ、俺たち?」
「そうだな。お前を先に行かせてやろう。その粉をかけながら『アズカバン』と唱えろ」
「ちょっと待てよ! 一応確認しただけだろうが。ムーディ局長が察してたあそこでいいんだよな?」
「店主、失礼ながら耳を塞がせていただく」
念の為ではあるが行き先を聞かれないように
現時点で安全な脱出先などほとんど候補はない。魔法省の大半を抑えているリドルの魔の手から逃れられる場所は海外か……
「行くぞ。『ホグワーツ魔法魔術学校』」
ダンブルドア校長の治める我らが母校ぐらいのものだろう。