賢者の石。
魔法の力を帯びた赤い石であり、この石から生み出される「生命の水」は飲んだ者の寿命をはるかに延ばすとされる。
著名な錬金術師、ニコラス・フラメルが作り出したとされているが……彼は数十年前に行方不明になっている。
その石と共に。
「入手経路については尋ねないでくれたまえよ? 少なくとも僕は合法的に手に入れたが……それ以前に関してはその限りではない。もっとも、この手の品では良くあることだが。ルシウスは詳しいだろう」
「おっしゃる通りです」
「普通ならば客人にも見せるものではない……だから、私がこれを見せたのはルシウス、君たちだからということになる」
賢者の石を見せられる理由……?
すぐには思い当たらなかった……が、ルシウスはそれを察したらしい。
「私の父上のことですか!」
「そうだ。アブラクサスとはホグワーツ学生時代からの盟友。病で死ぬなどあまりにも惜しいと思い、僕は賢者の石を使わないかと尋ねた」
ルシウスの父方が罹っている
しかし。現実はそうはなってはいない。
「まあ、答えは君らにもわかるだろう。彼は拒否し、今も臥せっている……確かに、賢者の石による不老は不完全なものとも言える。石から生み出される「生命の水」に依存し、離れられなくなる」
リドル部長は賢者の石が収められていたケースの後ろの棚から瓶を取り出し、蓋を開けた。
中の液体は黄金色にきらめいている。これが「生命の水」なのだろう。
「無理にでも飲ませてしまおうと何度も思った。僕には正直、死を拒否しない理由がわからないのだ……君たちはどう思う? もし、私がこの賢者の石から生み出される「生命の水」を提供しようと申し出たら受けるかね?」
どうやらその問いはルシウスだけではなく、レギュラスと私にも向けられているようだった。
私たちは試されているのだろう? で、あればどのように答えるべきなのか?
答えあぐねていたが、意外にも最初に口を開いたのはレギュラスであった。
「自分は……とても魅力的に感じます。無論、自分に向けられた死も恐ろしいという気持ちももちろんありますが、今の自分が最も恐れているのは周囲の死です。ブラック家に仕えている屋敷しもべ妖精がいます。彼は自分が幼い頃からよく働き面倒をみてくれましたが……もうずいぶんと年老いています。屋敷しもべ妖精は長命ですが、おそらく私よりも先に死を迎えるでしょう。もし、彼がそれを受け入れるなら……彼のために使ってやりたいと」
「君は何度も自慢していたからな」
「はい。ブラック家の誇るべき一員です」
レギュラスも答えは周囲の人間のために使いたいというものだった。
「いつか答えは変わるかもしれませんが……今のところ私には不要です。父と同じように。父はマルフォイ家の当主であり、私はそれを受け継ぐでしょう……その繰り返しでマルフォイ家は現代まで引き継がれました。幸いにして私には息子のドラコがおります。老いて家督を譲ることこそが自然な一生であると考えています」
「なるほど……僕はアブラクサスが不要といった理由を聞かなかった。しかしそれがわかった気がするよ。ありがとう、ルシウス」
「これは私自身の答えでしかなく、祖父の考えを意味するものではありませんが……『純血は常に勝利する』という家訓は子孫を育て、引き継がせることも含意されているのでは、と」
ルシウスの答えは自分自身の生よりもマルフォイ家の存続を優先する、というものだった。
では、私は?
セブルス・スネイプは不死を求めるのか?
「スネイプくん。君はどうなのかね?」
不死。
ヒトが希求し続けてきた悲願だ。
それを求める人間はいくらでもいるのだろう……しかし……
「私にとっては……わかりません。ただ思うのは……不死を得てなにをやるか」
「なに?」
予想外の答えだったのか、アミカス室長が咄嗟に疑問の声を上げた。
「なにが目的なのか。己とは何なのか。不死に限りませんが……結局それに終止するのでは?」
「なるほど。面白い答えだ……実にスリザリンらしい回答とも言える。不死ですらも手段にすぎない、と。アミカスから聞いていた通り、君はまさにスリザリン寮の体現者のようだものだな」
「とんでもありません。私は単なる半純血。スリザリン寮の体現者となど恐れ多い」
「そんな卑下することはないよ。彼らが蔑まれるのは、伝統ある魔法界に不自然なマグルの流儀を持ち込む者がいるからだ。郷に従うものを否定することはない。……そもそも、この質問は余興のようなものだ。先程蓋を開けた瓶を見てみるといい」
黄金色に輝いていたはずの生命の水は、既に色は陰りはじめている。
「賢者の石の力が偉大であっても、魔法界の人間すべてを救うことはできない。瓶詰めをしても保存期間は長くて数ヶ月。既に空気に触れたこの瓶はもって数時間。あとは廃棄するだけだ」
それを聞いたルシウスが驚いた様子でその瓶に触れた。
確かに、その輝きはこうして見ている今もみるみるうちに鈍くなっていっている。
「しかし……君たちが死を退けたいのであればぜひ僕に声をかけてくれ。助けになろう」
─────
「いやー! すごいものをお目にかかれましたね! しかも何かあれば譲ってくれると。素晴らしいお方です、リドル部長は!」
「セブルス、彼は本当にスリザリン寮に7年いたのかね?」
「遺憾ながら」
リドル部長のご自宅を出た途端に同行していた二人の態度が変わったため、レギュラスが戸惑っている。
「無償の取引などないぞ。助けを借りるときは随分と大きい借りを作るだろう……しかし、不死に対する答えで迂闊だったのはむしろセブルスだろうな」
「え? そうなんですか?」
「……やはり、小賢しすぎましたか」
そうだ。
あのような場面で意地を張る必要はなかった。今、振り返ってみると自分はなにかに苛立っていたように思える……いったい何にだろうか。
「スリザリンらしからぬ振る舞いこそが最もスリザリンらしいのだ……レギュラスのようにな」
「生憎ですが、褒められた気がしません……」
「あるいは、これもまたスリザリン」
そういって懐から……くすんではいるものの輝く液体の入ったアンプルを出した。
「また手癖の悪い……学生時代を思い出しますよ。紛れ込ませるも隠すも自由自在。しかし、どうやって?」
「企業秘密だ。だが、蓋の開いている瓶から液体を抜き出すマジックアイテムなどいくらでもあるとだけ言っておこう」
「あ! あの触れたタイミングですね。ちょっと不自然だと思ってました!」
ニヤリとルシウスが笑う。
「生命の水は言うほど万能のものではない。例えば、レギュラス君が言った用途であっても、小さいアンプルに詰められた生命の水の効力はせいぜい数日だろう。つまり永遠の命を求めるならば……それは持ち主に対して永遠にひれ伏すことを意味する」
「では、ルシウスさんはなんに使うんですか?」
レギュラスは甘い話にあった落とし穴を指摘され少し顔を赤くしながらも、目の前で堂々と盗み取ったルシウスに用途を尋ねた。
「……永遠の命など不要という考えは変わらない。だが、私の父上は厳格で寡黙ではあったが
確かに、在学中からルシウスは父親の話をすることはほとんどなかったし、たまに話すときであっても、酒の席で息子である自分に興味がないとしか思えない、彼は私よりトム・リドルを愛しているに違いない、と愚痴ったぐらいだった。
実際、アブラクサス・マルフォイ氏は惜しみなくトム・リドルに対して支援していることが知られていた。有力ではあるが血縁的なバックのない彼の事実上の後見人として立ち、魔法省に対して太いパイプを持つという狙いだと外からは見られていたのだが、息子という立場からは心中複雑なのだろう。
「存外真面目な理由でしたな。ならば部長と奥方への密告はやめておいてあげましょう」
「ほう。それぐらいの脅しで動じると?」
「こめかみをすごい勢いで掻き始めたんですが、これが動揺したときのルシウスさんの癖なんですか?」
「そうだ」
指摘されたルシウスは手を止めた。(まあ、実際は多少わざとらしかった。彼のことだ、本当の癖を隠すためにそれらしい仕草を身に着けておくぐらいはやりかねない)
まったく、とため息をつく。
「セブルスが少しは目上の人間を敬うようにすれば、省でももっと可愛がられるだろうに」
「生憎可愛げのない人生でしてな」
「違いない。そして、そういうひねくれた人間を好む人間はいる。リドル部長はそうではなかったようだが……君のほうはどうだ? 私からは少し苛ついてるように見えた」
自分でも理由がわからない感情ではあったが、どうやらルシウスからはお見通しだったらしい。
彼と毎日のように顔を合わせ、重用される……おそらく歓迎すべきことであるし、魔法省でキャリアを積んでいる自分にとって、明確なゴールの一つに違いない。
しかし。歯の奥に骨が挟まっているような違和感、のようなものが心中にある。
こうしてルシウスにまで言われてようやくその理由がわかってきた――いや、向き合えるようになってきた。
私の心のなかにあるそれは……私を救ってくれた、マグル
彼女は活動的だった。家に籠もって家事に終始するような人生は望むまい。
もし、マグル
「当主を引き継いだ私は多かれ少なかれよりいっそう省内の派閥、リドル部長を中心としたものと一定の関係を持つだろう。そして、私と親しいと見られている君もおそらくその影響を免れまい」
「私のようなのと付き合えるのは同じぐらいのひねくれ者だけでしょう」
「……そんなことはない。もっと広く周囲を見ろ。
「例えば?」
「フランク・ロングボトムは君を高く評価していた」
ロングボトム氏?
思わぬ名前が出てきた。彼の交友範囲に典型的なグリフィンドール卒業生の彼がいるとは……少し想像ができない。
しかし、確かに私はロングボトム氏と縁がある。
魔法法執行部に配属されたものは、本部に回される前にまず各部署の現場に研修生のように回される。
そこで適性を見つつ法執行部の現場についての知識やノウハウ、人脈を得ていくわけだ。
「今の自分も面倒を見てもらっています……確かに彼は出自や派閥にとらわれず分け隔てなく接する人ですね」
レギュラスも数年前の自分同様、魔法警察局に配属されている。
フランク・ロングボトム氏は私がいた当時、鑑識班の班長だった。
「意外ですね……親しいのですか?」
「親しくはない。親しくはない……が、同期生だ。すれ違えば世間話ぐらいする。私から見ても、君には鑑識のような仕事は性に合っているように見える。私の派閥であることにこだわらなくてよい……人脈は
「……ありがとうございます。事実、彼の下で仕事をするのは確かに良い経験でしたが……あなたの下も別にそれほど悪くはないでしょう」
「まあ、考えておけ。君は根に持ちすぎるタイプだからな。恩も恨みも。在学中の縁などにそう深くこだわるな」
そう言って、ルシウスは姿くらましをして消えていった。
彼の言ってくれた言葉を考える。
おそらく、客観的に見ればまったく道理である忠告だと思う。実際のところ、マルフォイ家の影響下にある大多数の人間と違って、マルフォイ家からもたらされる財産にも地位にもほとんど興味はない。無理にとどまる合理的理由などないだろう。
しかし、それを割り切って考えられないのがセブルス・スネイプだ。
─────
リドル部長の派閥での出世を目指すかはさておき、早く室長クラス以上にはなりたいものだ。
「おう、お前にも手紙を送ってくる相手がいるんだな? スニベルス」
「死ね」
そこまで上がれば共用の郵便室を使う必要がない。ふくろう便は省内の連絡室で紙飛行機に変換され、自分の席に直接届くようになる。
不快な連中と顔を合わせる必要もなくなるわけだ。
「シリウス……お前も子供みたいな絡み方するなよ」
「おいおいジェームズ。いい子ちゃんぶるなよ。ハリーができてから丸くなりやがって」
魔法省内はかなり学閥の影響が強い。部署によってどこの出身者が強いかは様々で、魔法法執行部はスリザリン出身者がかなり強い。
が、例外はある。対魔法使い部隊という性質上、独立性を担保された「闇祓い局」は法執行部の中の部署だが現在そこの局長を務めるアラスター・ムーディをはじめグリフィンドール生が幅を利かせている。
おかげで、出世しない限り連中としばしば2階の郵便室で顔をあわせる羽目になる。
「廊下が獣臭くなる。とっとと自分の巣に戻るんだな」
「おいおい、ここは郵便室だぜ? 元々フクロウの臭いでいっぱいだぞ? それがわからないからそんなべっとりした髪でいられるんだな」
「やめろやめろシリウス、朝からそんな突っかかんな、アホ!」
思わず杖を抜き、いくつ不快な呪いをかけてやろうと思ったが
朝一で起きた不快なできごとに顔を歪めながら、自分宛に来ていた封筒を開いた。
……送り主はルシウスだ。記録された受付時間を見ると今朝早く。しかも(私が見ればまあわかるが)どうやらマルフォイ家のフクロウを使うことを避けたようで郵便室には送り主が匿名で記録されている。
肝心の中身には「重大な話がある」という旨だけ記されており、会う場所として地下3階の人通りのない廊下が示されていた。
率直に言って奇妙に思った……法執行部があるのは地下2階。地下3階は魔法事故惨事部が配置されているフロアだ。人の目を排すことができる場所が欲しければ、ルシウスは容易に法執行部の会議室でもなんでも借りられただろう。
……つまり密談をしようとしている、という事実すら隠したいということか?
訝る気持ちを抑えながら、昇降機で降りていく。
地下3階の主要な魔法事故惨事部のフロアがある廊下を通り過ぎ、倉庫へと至る通路の奥。
指定されたそこまで歩いていくと、確かにルシウスが立っていた。
……昨晩とは明らかに様子が違う。
普段の彼からであれば見て取れる余裕あるたたずまいというものが一切感じられない。
「セブルス」
「どうしたんですかルシウス、こんなとこに呼び出して」
声にもどこか張りがない。
掠れており、無理に声を出しているかのようだ。
「逃げろ」
逃げろ?
呼び出しておきながら、どういう意味だ?
一体なにから逃げろという意味なのだろうか?
間抜けにもほどがある。ルシウスから逃げろと言われればすべてを放り出して、走り去るべきだったのだ。それぐらいグリフィンドールの愚か者どもでもできる。
しかしながら、私はただ混乱しているだけだった。愚かしいことに。そうこうしているうちにルシウスは杖を抜き――
「インペリオ、服従せよ」
私に対して許されざる呪文を唱えた。