第一話『新世界』
今日、娘が帰ってくる。クリスマスやイースターにも帰って来てくれなかったから、実に一年ぶりの再会だ。妻は朝からキッチンで娘の帰りを祝う料理を山のように作っている。
ホグワーツ魔法魔術学校。それが娘の通う学校の名前だ。
初め、娘の下に届いた魔法学校への入学の手紙を見た時、何かの冗談だと思った。けれど、手紙を読んでいると、突如目の前に老婆が現れ、私達に魔法を見せた。
妻も娘も大興奮だった。私だって、年甲斐もなく興奮した事を覚えている。指輪物語を筆頭に私の部屋の本棚には名のあるファンタジー小説が並んでいる。ドラゴンが実在し、杖を振るだけで星を降らせる事が出来て、箒や絨毯で空を飛ぶ。そんな夢のような力を娘が授かったのだ。
もちろん、娘の安全や将来については引率として現れた件の老婆、ミネルバ・マクゴナガル女史に細かく確認を取った。彼女は聡明で、こちらの不安をつぶさに汲み取ってくれた。必要な情報を必要なだけ授けてくれたし、私達の不安を取り除く事に努力を怠らなかった。
そんな彼女の下だから、私達は安心して娘を送り出す事が出来た。
「ハーマイオニー。そろそろ帰ってくる頃だよね?」
妻に確認を取る。いつもはキングス・クロス駅に迎えに行くのだけど、今日は家で待っていて欲しいと手紙をもらった。届けてくれたのは美しいシロフクロウだった。ヘドウィグというらしい。
一刻も早く娘の顔を見たい私達にとって、この忍耐の時間は実に苦しいものだった。けれど、それも直に終わる。約束の時間まで、あと数分だ。
「なんとか間に合ったわ。見て頂戴! ケーキも焼いたのよ!」
妻がホールケーキをリビングに運んできた。大き過ぎる気もするけれど、彼女の娘に対する愛の深さを示していると思うと、愛おしさがこみ上げてくる。
「ああ、ジーン! 素晴らしいよ! あの子もきっと大喜びさ!」
そう言っていると、丁度インターホンの音が室内に鳴り響いた。わざわざインターホンを押すなんて、一年ぶりとは言え他人行儀に感じてしまう。私達は居ても経っても居られなくなり、急いで玄関へ向かった。
すると、そこには娘の他にも一人の少年が立っていた。
「ママ、パパ! ただいま! 紹介するわね! わたしのハニーよ!」
頭にヤカンが落ちてきたかのような衝撃を受けて、思わず固まってしまった。
そんな私に少年が手を伸ばしてくる。
「お初にお目にかかります。僕はハリー・ポッター。突然の来訪をお許し下さい」
ハリー・ポッター。その名前はよく知っている。娘がホグワーツの事を話す時、必ずと言っていいほど登場する名前だ。
最初は問題児ながら頭脳明晰で学問におけるライバル的存在だと語っていた。それが年を経る毎に甘くとろけるような内容に変化していった。去年など、彼が如何に素晴らしい男性であるか妻に熱弁を振るい、私を置いてけぼりにしたものだ。
その男が目の前にいる。ハニーと呼ばれていた。威風堂々としていて、とても娘と同い年の少年とは思えない。オーラが違う。平凡とはかけ離れた存在だと感じる。その瞳に見つめられていると呑み込まれそうになる。
「……あ、ああ、どうも。ハーマイオニーの父、イーサンだ」
「どうも、イーサン。実は、折り入ってあなたと奥方にお話したい事があるのです。とても大切な話です」
私としては娘との再会を邪魔して欲しくはなかった。
他者を排斥してはならない。
けれど、すぐにそれは良くない考えだと思い直した。
娘の真剣な表情を見れば、彼の話が如何に大切な事なのか伝わってくる。
「分かった、ハリー。歓迎するよ。ジーンがごちそうを作ったんだ。是非一緒に食べよう」
「ありがとう」
ハリーと娘が入ってくる。二人の距離がとても近い。赤の他人はおろか、友人関係であってもつめ過ぎなほどだ。
「……えっと、ハーマイオニー。その……、ハリーとお付き合いしているのかい?」
「ええ、付き合ってるわ。その件で話がしたかったの。とても重要な話だから、食事が終わってからにしましょう」
そう言うと、娘はハリーにジーンの料理が如何に素晴らしいかハリーに説明し始めた。
穏やかに微笑みながら相槌を打つ彼の表情は明らかに愛しい者を見つめるものだ。
私は覚悟を決めなければいけない気がした。
第一話『新世界』
食事はつつがなく進んでいった。ハーマイオニーがホグワーツで起きた出来事を語り、ハリーが補足を入れ、私とジーンが相槌を打つ。始めは少し張り詰めていた空気もいつしか穏やかなものに変わっていた。
そして、ジーンの自慢のケーキを四人で平らげた後、ハリーは片付けを手伝うと妻に申し出た。
ポイント稼ぎのつもりだろうか?
他者に対して穿った見方をしてはいけない
つい失礼な事を考えてしまった。率先して家事を手伝えるとは中々に感心な若者だ。妻の様子を見る限り、手際もいいようだ。
しばらく娘と語り合っていると、妻とハリーが片付けを終えて戻って来た。
空気が変わる。ハリーは娘の隣に座り、居住まいを正した。
「イーサン。そして、ジーン。僕はハーマイオニーを妻として娶ります。今日はその報告の為に来ました」
「……は?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
恋人になった経緯について語られるのかと思っていた。それなのに、あまりにも過程をすっ飛ばしすぎている。
「パパ、ママ。わたしのお腹にはハリーの子がいるの」
畳み掛けるように娘が衝撃的な告白をした。
「……子?」
「そうよ、パパ。わたし、妊娠しているの」
理解が追いつかない。だって、娘は十四才だ。十四才で妊娠なんて、あまりにも常軌を逸している。
「じょ、冗談だろ?」
「いいえ、冗談じゃないわ。魔法で確認したし、パパ達にも分かるように、ほら」
そう言って、娘は妊娠検査薬の細長い棒を私達の前に取り出してみせた。
あまりの事に私は目眩を感じた。
「……ど、どういう事だい?」
私はハリーに問いかけた。
「僕は彼女を愛している。だから、彼女に子を産んで欲しいと望んだ」
あまりにもシンプルな解答だった。言い訳一つする気はないようだ。
「け、軽率だとは……お、おも、思わなかったのかい?」
腹の底が煮えたぎる思いだ。こんな事……、絶対に……許せる筈が……、
怒りを抱いてはいけない
けど、それが娘の選択なら認めなくてはいけない。
「軽率とは思っていません」
ハリーは言った。
「僕は彼女のすべてが欲しい。そして、彼女に僕のすべてを与えたい。この思いが永遠に変わる事のないものだと証明する為にも、僕は彼女に子を望み、彼女は応えてくれた」
「……ハーマイオニー」
縋るように娘を見る。
「パパ、ママ。わたしはハリーを愛している。心から」
私の天使は私の知らない表情を浮かべながら言った。
いつか来ると思っていた。けれど、あまりにも早すぎる。
他者の意見を尊重しなくてはいけない
けれど、娘は愛していると言った。彼も娘を愛していると言った。
愛し合う者同士が子を為す事は自然な事だ。
そう思うしかない。
「……そうか」
私は……、微笑んだ。
愛する者の幸福には笑顔を浮かべるべきだ
微笑みながら、二人を祝福した。
二人で見知らぬ土地に家を構えて住むと言っても、それでも私は微笑み続けた。
悲しんではいけないのだ。怒ってはいけないのだ。
ただ、幸福を祝福するべきなのだ。
そう、心が告げている。
「ハーマイオニー。幸せになりなさい」
「うん!」
これは素晴らしい事なのだ。これは素敵な事なのだ。
これは在るべき光景なのだ……。
◆
ハーマイオニーは両親が僕との関係や同棲を認めてくれた事に喜んでいる。
欠片も疑いなど抱いていない。
「……僕は」
殴られる事を覚悟していた。決して認められないと思っていた。それでも認めてもらう為にどんな事でもするつもりだった。
けれど、そんな事はあり得なかった。この世界に争いは存在しない。どんな小さな小競り合いも起きない。
「どうしたの?」
ハーマイオニーが心配そうに僕を見つめている。
彼女は彼らにとって宝物だ。命よりも大切な存在だ。だから、宝物を預けても構わないと認めてもらえる男で在らねばならない。
「……ハーマイオニー。やはり、ゴドリックの谷に建てた家に移るのは少し待とう」
「え?」
キョトンとした表情を浮かべる彼女に僕は言った。
「君の御両親にとって、まさに青天の霹靂だ。せめて、彼らの心の整理が出来るまで、一緒に居てあげるべきだと思う」
「……あなたがそう言うなら」
彼女は少し不満げだった。けれど、その表情はすぐに笑顔に変わった。
「折角だし、親孝行してくるわ」
「ああ、それがいい」
僕は彼女のおでこにキスをすると、彼女を自宅へ送り届けた。
そして、僕は旅に出た。
選択する為に。