校長室に最後に現れた二人の男。それはルーファス・スクリムジョールとゲラート・グリンデルバルドだった。
二人は共にやつれ切っていた。まるで数日の間に数十年分の歳を取ったかのようだ。
第百三十四話『ヘルガの正体』
「……ルーファス」
ハリーは痛ましい表情を浮かべながら盟友を見つめた。
正義の為に悪を為す。その覚悟を逆手に取られ、世界を滅ぼす一因となってしまった事で心が折れてしまっている。まるで数日の間に数十年の時を過ごしたかのような老け込みようだ。
「ハリー・ポッター。本当に生き返ったのだな……」
「あ、ああ。ルーファス、大丈夫か?」
「……情けない醜態を見せて、すまないな」
嘗ての覇気が見る影もない。
「ルーファス」
ハリーはルーファスの目を見た。すると、彼は逃げるように視線を逸した。以前までの彼であればあり得ない事だ。
「ルーファス!」
「……なんだ?」
「これから最終決戦が始まる」
「ああ、そうだな……」
彼の瞳には怯えの色が浮かんでいた。
「蛇王の騎士団の団長として、もう一度みんなを率いてくれ」
弱り切っている彼に対して、あまりにも酷な事を言っている。
それは分かっている。けれど、彼以外に蛇王の騎士団を率いる事が出来る者などいない。
軍団を率いる事に関してなら、彼はダンブルドアよりも優れている。
「……わたしにそんな資格はない。そんな事を言っている場合でもないようだな」
スクリムジョールは深く息を吐いた。折れた心で、それでも彼は自分の立場を認識していた。
蛇王の騎士団は彼が組織した。
彼らに命を賭けさせておきながら、途中で降りる事など許されない。
「しかし、どうすればいい? 事情は聞いているが、君とヴォルデモートが手を組んでも傷一つ与えられなかったのだろう?」
現状、最強の魔法使いである二人の同時攻撃が防がれた事実にスクリムジョールは懸念を示した。
「たしかに、ハリー達の悪霊の火が完全に防がれていた。ヘルガに勝つ手段なんてあるのかい? ただでさえ勝てるビジョンの見えなかったロウェナ以上の存在だぞ」
「……あれにはトリックがある」
「トリック?」
ドラコは首を傾げた。
「ああ。エグレの初撃をわざわざ回避したり、攻撃や防御の為に手を挙げる動作を要したり、奴にも何らかの制約がある事は間違いない。人間の集合無意識から生み出された神とはいえ、肉体は《向こう側の世界》に至った賢者のものだ。そうだな? サラザール」
サラザールは頷いた。
偉大なる創設者の一人である彼の存在はすでに周知されている。驚くべき事だけど、みんなにとってはハリーとダンブルドアの復活も同じくらいの衝撃であり、おまけにロンがロウェナを口説き落とした衝撃も合わさって、逆に冷静に受け止められた。驚き過ぎて感情が飽和状態になったとも言える。
「その考えで間違いない。賢者・ハッフルパフ。彼女は魔法に頼る事なく生と死の世界を行き来する門を築く程の人智を超えた知恵の持ち主だが、肉体的には至って普通の女性だった。《向こう側の世界》の力を自在に使えるとしても、肉体的な限界があるのだろう。なんでもありという事は無い筈だよ。エグレの初撃を回避したのも、あの一瞬で構築可能な防御結界の強度では防ぎ切れないと判断した為だろう」
「けど、あの攻撃を回避出来るだけでもとんでもないよ。だって、完全な不意打ちだったじゃない」
コリンの言葉にエグレも頷いた。
「あの反応速度は異常だ。防がれるよりも衝撃的だったぞ」
「時を止めたんだ」
答えたのはゴドリックだった。
「時を!?」
コリンは目を丸くした。彼だけではない。トムやダンブルドアを含めて、誰もが凍りついている。
時を遡る魔法がある以上、停止させる事が不可能とは言い切れない。
けれど、時に干渉する術は極めて高度な技術であり、ダンブルドアでさえ対抗する術を即座に思いつく事が出来ずにいる。
「ゴドリック。それでは説明不足だ」
サラザールが言った。
「時を止めたと言っても、世界の方ではない。というか、世界そのものを停止させる事はいくら奴でも不可能だ。神と言っても、あくまでも人間が生み出した存在だからね。宇宙はとてつもなく広い。そこまで干渉の手を広げる事は出来ない」
「で、でも、地球だけとか、イギリスだけとか、この辺り一体だけとか、そういう小さい括りで止めた可能性は無いんですか?」
ダフネの提示した疑問にサラザールは「それもない」と答えた。
「エグレの攻撃はすでに開始されていた。だから、自分以外を止めているなら空間そのものを止めなければならない。しかし、一部だけを止めるととんでもない事が起きるんだ」
「とんでもない事?」
ロンが首を傾げた。
「……なるほど、たしかに」
トムが言った。
「地球は回っているんだ。それも恐ろしい速度で」
「あっ!」
ダフネもその言葉で理解した。
「そっか、一部だけ止めたらそこだけ地球の自転と公転から置いていかれてしまうのね」
「その通りだ。そんな事が可能なら、我々はあの時点で敗北していた。宇宙の彼方までぶっ飛ばされてな。……嫌な思い出が蘇ってきた」
トムは顔色が悪くなった。
「そう言えば、宇宙の彼方までぶっ飛ばされてたっけ」
ドラコは三大魔法学校対抗試合の最終試合の日に起きた衝撃的な出来事を思い出した。
「……あれは衝撃的だったな」
「せ、先生……」
ダフネは慰めるようにトムの背中を撫でた。
「とりあえず、我々が無事である以上、彼女は世界ではなく自分に対して何らかのトリックを施したという事じゃな」
ダンブルドアの言葉にゴドリックが頷いた。
「ああ、超加速だ。防ぎ切るための結界を張るよりも、回避する為の肉体強化の方が早かったのだろう」
「……だが、あんなスピードを意識して使いこなす事なんて可能なのか?」
ハリーは疑問に思った。
「いや、その点は問題ないだろう。意識だけの加速ならば魔法に頼る必要もない」
トムが言った。
「人間の思考速度はとても早い。例えば、羽ペンで自分の名前を書く時、書こうと思った時点で手が動き始めているだろう? 人間の思考速度を鈍らせているのは意識だ。羽ペンで名前を書く時のように無意識に実行出来る行動の時は驚く程素早く行動に移せるものだ。要するに無駄な意識を省く事が重要なのだ。それだけで思考速度は飛躍的に向上する。あとは肉体強化の時に脳を活発化させ、視覚情報の伝達速度も引き上げる事が出来れば目にも留まらぬ速度と言えど制御出来る筈だ」
「つまり、考えないで行動するって事か?」
「ああ、それで間違っていないよ」
ゴドリックが肯定した。
「主に武術の極意として知られるものだから、魔法使いにはあまり馴染みの無い概念だけどね。達人と呼ばれるような武術家や戦士は太古の時代から体感していたものでもある」
「……つまり、ヘルガは武術家としても達人クラスって事か?」
ハリーに抱きついたままのシリウスが問う。
「ああ、そこが厄介なんだ。そして、それこそが彼女のトリックだ。魔法は肉体強化以外一切使っていないんだよ」
「……は?」
ハリーは思わず耳を疑った。
「まさか、悪霊の火を弾き返したんだぞ!?」
「ああ、強化した腕力で弾き返したんだ」
「……エグレを吹き飛ばした時は?」
「見えない程の速度で拳を振るった。その拳圧が彼女を襲ったんだ」
ハリーは思わずトムを見た。トムもハリーを見た。
「アイツは神で! 始まりの魔法使いなんだろ!?」
「ああ、魔法も使える。だが、知っての通り魔法を生み出すには強いイマジネーションが必要だ。だから、彼女は常に誰かの願いを叶えるという形でのみ魔法を生み出してきた。彼女自身には人間のようなイマジネーションが無いからね。好きな時に好きな魔法を生み出せるわけじゃないんだ。だから、すでに存在する魔法しかあの状況では発動出来なかった。彼女に願う者など居なかったからね。そして、既存の魔法の発動条件は我々人間と同じなんだよ。
「……つまり、なんだ? 僕達が挑むのは……、ヘルガの正体は最強の魔法使いというよりもむしろ……、最強の格闘家なのか?」
「そういう事になるね」
サラザールの言葉にハリーは頭を抱えそうになった。
あまりにも予想外過ぎる。
「……なるほど、だからエグレはこれほどの身体能力を持っているんだね」
ところがニュートだけは納得の表情を浮かべていた。
「あっ!」
エグレの尋常ならざる身体能力。その意味が漸く分かった。
「その通り。エグレの身体能力の強化はヘルガに対処する為の切り札の一つだった。その為に彼女に魔法薬の調合をハリーに頼むよう意識を誘導したんだ」
サラザールは少し後ろめたそうにエグレを見つめながら言った。
「……そうか、なるほど。たしかに少し奇妙ではあった」
エグレは思い出すように呟いた。
「我が人間の言葉を覚えたのは父上が亡くなるより遥か後の事だ。それなのに、我は父上の言葉を事細やかに覚えていた。父の言葉だからとあまり意識はしていなかったが、そういう事なのだな」
「なるほど……、たしかに、言われてみて、よくよく考えると妙だったな」
単なるエグレに対するサラザールの過保護な親心だと思いこんでいた。
「……つまり、ヘルガとまともに戦えるのはエグレだけという事か?」
魔法使い同士という事ならやりようもある。だが、相手が格闘家では土俵が違い過ぎる。
「いや、一つだけ秘策がある」
「わたしにも」
サラザールはハリーを、ゴドリックはロンを見つめながら言った。
「ハリー」
「ロン」
二人は口を揃えてこう言った。
「人間を超えてみないかい?」