北極星を見つける。
ハワイで携帯をなくした。イライラするとイライラの波動が出て更なるイライラを呼び寄せるから「おかげさま」で考えるといいよと教わった。携帯をなくしたおかげでスマホ依存を脱却できる。目の前の世界に集中できる。静かな時間を過ごせる。携帯がなくてもたいして困らないことを学んだ。今、同行している方の携帯を借りて文章を打っている。人と人が集まって語り合う時、時折、光の塔が出現する時がある。空間のエネルギーが高まり、その場にいる全員の波動が一致して高みへと引き上げれらるような、神聖とも思える瞬間がある。昨夜、それが起きた。光の塔が現れた。
北極星があれば自分の位置が確認できるから生きる道を迷わない、自分にとっての北極星を見つけることが大事だという話をしていた時だった。明らかに体感温度が高まり、じわじわと汗をかいた。空間に充満したエネルギーが私たちの細胞や内臓を刺激して活性化され、毛穴の一つ一つが空間と交合しているかのようだった。自分にとっての北極星を見つけることが、今、この場にいる全員にとってプラスに働くことが約束されているような、強く静かな興奮を覚えた。眠る時間になっても眠ることができず、自分にとっての北極星は何かを考えた。すぐに言語化することはできなかったが、やがて「あ、きっとこれだな」と思うものを思い出した。見つけたのではなく、それは思い出された。
私にとっての北極星は「共に生きる」という感覚だ。これを忘れた時、私の目から見た世界は殺伐とする。排除や分断が進み、無気力や虚無感に襲われる。腹が立つ出来事に遭遇した時、なんだこいつと思うとイライラが継続する。だが「彼は私だ」と思うと、不思議なことにイライラが消える。憎しみが溶けて、同じ人間としての共感が芽生える。彼の中にあるものは、私の中にもある。わかるよ。わかる。そういう気持ちにもなるよな。そう思えた時の自分に、祈りを感じる。常に人に優しくあり続けることはできない。それでも「優しくなりたい」「強くなりたい」という光を胸に抱くことが、絶望を拒否する祈りになるのだと思う。
バッチ来い人類!うおおおおお〜!