【レビュー】「マツモト建築芸術祭」3月24日(日)まで旧松本市立博物館などで

マツモト建築芸術祭
会場:旧松本市立博物館(メーン会場)
(長野県松本市丸の内4-1 松本城公園内)
新松本市立博物館(短編映画上映、ワークショップほか)
(長野県松本市大手3-2-21
信毎メディアガーデン(ワークショップ、成果展示)
(長野県松本市中央2-20-2
会期:2024223日(金)~2024324日(日)
休館日:新松本市立博物館のみ319()
開館時間:午前10時~午後5
入館料:一般2,000円、高校・大学生1,500円、中学生以下無料
公式サイト:https://maaf.jp
 

名建築と芸術 未知の空間を創出

街中の名高い建築の中に芸術作品を展示する「マツモト建築芸術祭」が長野県松本市の旧松本市立博物館をメーン会場にして開催されている。出展は進取気鋭の画家、写真家、映像作家、彫刻家、空間演出家、演奏家ら国内外17組のアーティスト。彼らの作品やパフォーマンスが市民に長年愛されてきた旧博物館と融合し、全体を未知の、そして長く記憶に残る空間へと変貌させている。開幕直前の内覧会を取材した。

マツモト建築芸術祭メーン会場の旧松本市立博物館 photo: Kazumi Kiuchi

「心の中で生き続いてもらいたい」

「美術館やギャラリーでしか出会えない作品を生活環境に落とし込むことで、アートが持つ本来の役割を持たせたい」。本芸術祭はこんな考えから2022年に始まった。過去2回は老舗料亭など市内約20か所の歴史建築を周回し、先々で展示された作品を鑑賞するスタイルだった。

今回は趣を変え、松本城のすぐ脇に立つ旧松本市立博物館に作品を展示している。旧博物館は1967(昭和42)年に建てられ、資料収集や保存、調査研究、展示などの面で、当時、北信越地方では最大規模を誇る活動を展開した。建物自体も花崗岩の砕石を洗い出しにした外壁が松本城の石積みに呼応するなど、周囲の景観を損なわないような配慮がなされた。長く市民に愛されてきたが、新博物館オープンに伴って2021年に休館した。今は解体に向けた準備が進められている。

そんな旧博物館が本芸術祭の会場になったのは、今年のコンセプト「消えゆく名建築 アートが住み着き 記憶する」が示す通り、名建築の最後の姿が芸術作品とともに人々の記憶をアップデートし、心の中で生き続いてもらいたいとの願いからだった。

旧松本市立博物館内の作品展示室

「明確でありながら曖昧」

本稿では展示作品のいくつかを、それぞれのアーティストらが作品に寄せたコメント(一部抜粋)を添えながら紹介していく。

最初は大胆にも館全体を透明なフィルムでラッピングした中島崇の「ケア」。建物の形はそのままに、石造りの壁が反射物へと変わり、柔らかな光を放つ。建物と作家がコラボレーションした作品であり、本芸術祭の理念を体現した作品になっているという。

『ケア』2024年/ストレッチフィルム、他/40×40×12m photo: Kazumi Kiuchi

中島はこうした大規模なインスタレーションを数多く制作してきた。本作品の出展に際し、「私は自分の作品で個人と公共が交わる場を作ってきました。作品の素材は梱包材を使っています。それを使うことによって対象を縛ることと保護することを同時に提示し、それによって人とその場の間にある当たり前の関係を曖昧にし、不安と安心という二律背反を表現することで、この場を再考する機会になればと考えています。(中略)今回の作品は透明なフィルムで建物を包むことにより中にある対象物が見えていて、そのことにより一層対象物が明確でありながら曖昧になると考えています。距離により事象が変わるスケール感があり、透過と反射で周囲に影響を及ぼすこの『ケア』で、旧博物館の有終の美となることを願っています」とコメントしている。

旧松本市立博物館の玄関前で作品について説明する中島さん(筆者撮影)

「立ち止まり、見つめさせる」

エントランスでは奇抜な写真のパネル5枚が並ぶ。被写体の人物が自分の鼻の先に書かれた「Laforet」の文字を凝視していたり、時計の3時の文字盤が「Laforet」になっていたり。これらは地元松本出身の写真家、白鳥真太郎が1991年に制作した「ラフォーレ原宿」の宣伝用ポスター群。東京アートディレクターズクラブ(ADC)のADC会員最高賞に輝き、海外でも大変に評判になったという。

『ラフォーレ原宿 Laforet年間キャンペーン』1991年 photo: Kazumi Kiuchi
同上一部(筆者撮影)

白鳥は本作品について「キャッチコピーなども入れず、写真のみで一目でラフォーレと分かるポスターでありながら前衛アートのような表現を目指した。見る人間が思わず立ち止まり、見つめさせる事によって多大な印象を残すポスター群を作った。(中略)ポスターが文化でもあり、エンターテインメントでもあった時代の作品である。今日、かつてこのようなポスターが存在していた事を現代の若い人達にも伝えたいと思う」と説明している。白鳥は写真館の4代目とあってポートレートを得意とし、1980年代から今なお広告写真の第一線で活躍している。

「重力を視覚化する」

『lines』2022年/紙管に塗装、ザイル、木材 photo: Kazumi Kiuchi
同上

鬼頭健吾のインスタレーション『lines』は、らせん階段が設置された大きな吹き抜けでの展示。階段をのぼり、位置を変えるごとに感じる作品の変化を楽しめる。鬼頭はフラフープやパラソルなど工業製品を空間に充満させた作品のほか、近年は布や鏡などを建物の構造や自然、人工光といった環境に接続、干渉する作品を発表。ありふれた日常のもので現代社会を軽やかに批評する作家として、国内外で高く評価されている。

本作品に関して「地球上には重力がありそれを視覚化する試みです。linesはまっすぐな線であり、重力方向へとぶら下がっています。そこに異なる蛍光色を与えました。色がつくことにより視覚的重力は変化するのか、大量の直線を人が横切るとき空間はどのように取り込まれ変容するかを体感できる作品です」と述べている。

「人間の時間の概念を無視」

『花と蜂、透過する履歴』2018年/蜂蜜、集魚灯、ガラスのボトル/67×46×46㎝ photo: Kazumi Kiuchi

濃いオレンジ色を放つ丸いガラス瓶。磯谷博史の『花とはち、透過する履歴』だ。瓶はたっぷりの蜂蜜で満たされ、その中に投下された集魚灯が光っている。磯谷は写真、彫刻、ドローイングなどを通じて、知覚の複数性と時間の多用な性質を再考している。「ガラス瓶の中には、花々、蜜蜂、そして人間の関わりという長大な時間と出来事が溶け、その履歴が照らされているようです。集魚灯のほのかな温もりによって、目には見えない速度で動く蜂蜜は、歴史を陳列する博物館という空間で、人間の時間の概念を無視しながら、粘度のある独自の速度を提示しています」と語る。

「中心にいる人物の世界を表現」

『早志百合子 広島』2014年/タイプCプリント/120×152㎝(筆者撮影)

広島の原爆ドームの近くの広場に集まった人、人、人…。写真の中に納まった人の数に圧倒される。世代もいろいろだ。宇佐美雅浩の『早志百合子 広島』。合成写真ではない。作品の説明を見ると、画面右側は原爆投下時の広島。無言のまま眠っている喪服の大人たちは500人のボランティアによるダイ・イン。原爆が起こしたキノコ雲の写真が立てかけられ、動物の骨の標本が散らばっている。黒い雨をイメージさせる黒い傘も配置されている。

一方、画面左側では半裸の赤ん坊が陽光の芝生で無邪気に遊んでいる。妊婦もいる。広島の復興に大きな役割を果たした広島カープのマスコットキャラクター「スライリー」が愛きょうを振りまき、彼らを色とりどりの花がにぎやかに囲む。

早志百合子さんは実在の人物で被爆者。奇跡的に命を取り留め、原爆体験記集「原爆の子」の執筆者の会の会長を務めるなど、被爆体験を後世に伝えることを使命にしている。

同上一部(筆者撮影)

早志さん本人も写真の中に登場している。画面の真ん中、赤ん坊をひざに乗せ、こちらに穏やかな視線を送っている喪服姿の女性だ。画面右側では原爆投下直前の早志さん一家、左側では現在の早志さん一家と孫たちがいずれも食卓を囲んでいる様子が描かれている。両方の時計の針は原爆投下の午前815分を指している。早志さんは自分と広島が背負った過去と未来の境界線上にいる。その間の時間と歴史の重み、人間の逞しさや尊厳を感じさせる。

宇佐美は様々な立場に置かれた人々とその人物の世界を表現するものや人を周囲に配置し、仏教絵画の曼陀羅まんだらのごとく1枚の写真に収める「Manda-la」プロジェクトを大学時代から20年以上続けている。

本作品について「この1枚の写真は、中心にいる人物の世界を表現している。(中略)その人物と繋がりのある人や物を実際にならべて撮影しているこの作品は、被写体のバックグラウンドを表現した『一個人の曼陀羅』というだけでなく、地域ごとのソーシャルなメッセージさえも伝える事のできる写真を目指している」と話している。

最後は神の前で消滅

『KARMA』1993年/CG、紙、アクリルプレート/160×160㎝ 4点(筆者撮影)

チェッカーズを経て現在ソロシンガーとして活躍し、アート活動にもまい進する藤井フミヤが『KARMA』を出展している。人を殴り傷つけながら進んでいく足跡。最後は神の前であっけなく消滅する。藤井は「聖書のストーリーから想像力だけで描かれたキリスト教の宗教画というものにSF的な魅力を感じて作ったコンピューターグラフィックスの作品。過去と未来の融合、かつ不変的でこれほど想像力をかき立てられるコンセプトは他にはない。モダンな未来聖堂の壁に掛けられるデジタルな宗教画を想像して制作した。デジタル宗教画の制作は、神がかったルネサンス期の画家のような集中力を自分の中に与えてくれた。モニターに映るキリストの視線の向こうに確かな存在を感じ、コンピューターをコネクターにして自分の魂が宇宙までつながっているという不思議な錯覚に陥った」とのコメントを寄せている。

建築物が歩んできた歴史も物語る

『フランス国立図書館、パリ 1998年』(筆者撮影)

最後に海外からの参加作品を紹介する。ドイツ生まれの写真家、カンディダ・ヘーファーは建築物のインテリアを緻密に構成した大判カラー写真で知られ、被写体は博物館など文化的施設が多い。上の作品はフランス国立図書館の旧館にある読書室を撮ったもの。「Salle Ovale(楕円形閲覧室)」の名の通り、楕円形の広々とした閲覧室。彼女はその大きさだけではなく、ガラス窓から差し込む自然光とテーブルを照らす人工光の重なりに感銘を受け、それらを象徴的に捉えた。

『インディアス総合古文書館 セビリア Ⅳ 2010年』(筆者撮影)

こちらはスペインの植民地活動に関係する古文書をまとめた1785年設立の同国総合古文書館。アメリカ大陸やフィリピンにおけるスペイン帝国の歴史を明らかにする貴重な史料を多数収蔵している。へーファーは視覚的に魅力的であるだけでなく、古文書史料の“結集”を象徴するかのような、この“コーナーの視点”に衝撃を受け、レンズを向けた。

へーファーは撮影には細心の注意を払い、空間の内部構造を最もよく表す対角線や中央線に沿って対象物を配置する。厳格な対称性による秩序は、建築様式などの空間特性を際立たせるとともに、建築物がこれまで歩んできた歴史も物語る。誰もいない公共の空間や施設に漂う心理的な残骸を捉えた彼女の作品は、見る者を引き込み、その場に迷い込んでしまったかのような感覚へと誘う。(ライター・遠藤雅也)

マツモト建築芸術祭では旧博物館のほか、新松本市立博物館と信毎メディアガーデンで秀作短編映画の上映会やワークショップなどが行われる。日程など詳しい情報は芸術祭公式サイトhttps://maaf.jp、または実行委員会(0263878631)へ。