【オタク文化、崩壊】「多様化が
進むことで文化は衰退します」
オタクの王、岡田斗司夫が語る
オタク業界の末路とは【岡田斗司夫
切り抜き/サイコパスおじさん】
先日、飲み屋のおねーちゃんが
私の事を「考察についてのサブ
カル感がとても面白い」(ママ)
と言った。
おねーちゃんの店というのは、
ちゃんねーとの会話を楽しむ場
所だ。酒を味わう場所ではない。
そうした店でのメインは会話に
よる対話の成立だ。酒席ながら
酒がメインディッシュではない。
また、そうした会話から発展す
る対話が成立しない店は一つも
面白くも何ともない。互いに
深く掘り下げる「見解」を呈示
し合わない店などは行く意味さ
えないし、おねーちゃんが何の
ためにそこにいるのかさえ不明
だ。
ただ外壁のみが可愛いねーちゃん
などがいても意味はないのだ。
それこそ「へー」で終わる。店
がそうならば客側のこちらも。
言葉を発しても糠に釘だし、何
の為に人がそこにいるのかよく
解らない。
だが、そうした店は多い。そう
した店に行くのは時間と金の無
駄だ。息抜きにさえならない。
話をしてもきょとんとするか
全く理解もできないだけでなく
興味さえ示さない女の子も多い。
興味を示す話の方向に持って行
くのは簡単だが、あえてそれを
するつもりはこちとらさらさら
無い。奉仕活動で店に行く訳で
はないからだ。
結果、そうした店には行かなく
なる。
過日、友人と飲み歩いた時も、
ある一軒を指して「あの店は
行く価値が無いな」と友人は
言ったが、同感だと感じた店
もあった。
だが、世の中、実はそうした
店が大半だ。
人はそれなりにその人に合った
店というものがある。
飲み屋というのは、客層と店員
の質で決まる。銀座のクラブは
銀座なり、新宿ゴールデン街は
ゴールデン街なり、というよう
に。
ゴールデン街のように議論づく
めの客層というのもコアで癖が
強すぎるが、辟易とする事は
まったくない空気がゴールデン
街にはある。
それは銀座のクラブと同じよう
に場末感強いゴールデン街でも
「客と店員の対話」が成立する
場所だからだ。
こうした事を語っている時点で
既に本格ヲタなのではあるが、
たぶん、先日の店のおねーちゃん
が私の話を面白いと感じたのは、
私がカウンターカルチャーとサ
ブカルが分離する以前のヲタク
文化原初時代を体験して来たか
らだろう。
そして、おねーちゃんの中にも
そうした考察系を面白いと感じ
るヲタ気質があるからだろう。
岡田先生は気づいていないかも
しれない。
「考察しない人たち」は、特定
勢力によって作られた存在であ
る事を。
岡田先生だけでなく、その作為
は自主独立の思索という人間の
元来の素地さえも消滅させる恐
るべきものである事も多くの人
たちは気づこうとしないのかも
しれない。
気づこうとしない、である。
気づかない、ではなく。
自らの無意識の意思で、自分で
覚醒する事を自分が回避するの
だ。
そういう人間たち大発生なのだ
が、それは作られたものだ。
そのように「考えない人間」を
大量に欲しがる勢力が存在する
ためにそのような現実になって
しまっている。
破壊こそが構造を新生させる、
というのは、どちらの立場側か
らも、一つの再生の定理として
は確実に存在するだろう。
そのような考えない人間たちが
生産されるに至るまでの現象と
それを推進してきた側の立場と、
その状態以降その構造を消滅さ
せる動きを創生する立場の両方
において。
破壊こそが新しい命を生む。
新たに建物を建てるには、一度
更地にしないと建物は建たない。
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