るかぴょんの生い立ち編①
こんばんは🌙
るかぴょんです🐰🤍
ありふれた話ではあるのですが自分語り大好きなので今回はるかぴょんの生い立ち編①です\(˙꒳˙ )/
・1998年9月29日午前0時頃
秋田県角館町
るかぴょん爆誕
【生誕ガチャN ヤンキー夫妻のデキ婚】
【アイテム 優しい祖母】
未熟児として生まれ自力で泣くことができず保育器だかなんだかに入れられていたらしい、生まれた瞬間から自分で生きる気が無かったんでしょうね。気持ちはわかります。
因みになぜ秋田で生まれたのかは未だによくわかりません、実の父親が秋田の人間だったのですが私が生まれる時だけ秋田にいたみたいでそこら辺は詳しく聞いた事がないです。でも結構秋田生まれですって言えるのは気に入ってる☺️佐々木希のおかげで「秋田かー、秋田美人だね」と秋田美人のカツアゲができます( ◜𖥦◝ )秋田のことは1ミリも記憶に無い、きりたんぽとナマハゲの所だよね〜。へぇ〜。
ところでみなさんは自分が生まれる事になった経緯をご存知ですか?私は知っています、なぜなら当時の心境を綴った母親の日記を読んだからなのです✌️「今日はゴムしてくれなかった...不安...」ぜってーその日じゃん!!!
私ができたの!!!
もはや誕生日よりその日を祝いたいね、真の誕生日として。
・1〜5歳
生まれてすぐ神奈川県の曾祖母の家(今の私の家)の敷地内にあるアパートへ。
毎日親が喧嘩をしていてヒステリックな叫び声と母が殴られる音を聞いて泣いていました、いつも祖母が助けに来てくれてた。
最初の記憶は母ではない女の人と手を繋いで近所の道を歩いてる場面。お前誰なんだよ。
そんなこんなで3歳くらいの時にはもう父親はいなかったかな、
そんな秋田生まれという肩書きだけをくれた実の父親、顔も覚えていませんがなんと、3000万の借金を残して蒸発し結局私の曾祖母が肩代わりしたそう。
とんでもねえよ、金返しに来いよ、利子つけて、今すぐ。
お前だよ佐々木優見てるか❓
お前の娘、こんな感じになってるよー!!中出しした責任感じなー???
つーかさ、なんでそんな状態なのに2人目の子供を作ったのか謎なんだけど、私が2歳の時に弟がめでたく誕生しました。
待機児童として母親の仕事場についていくか祖母と一緒に過ごしていました。(年長さんでやっと入園できた)
・小学生
親や祖母と離れるという事をあまりしてこなかったので毎朝大号泣、今生の別れかのごとく暴れ回る。(だから登校班にちゃんと行けたことがあんまりないよ)(でも班長だったよ)
小学校から走って15秒の団地に引っ越す。
距離が近くなったことにより分離不安が解消されるかと思いきや5年生くらいまで毎朝癇癪を起こしていました。
1年生の時の担任の先生がヒステリックな女の先生で、なにかを聞かれて答えられないと人生5年目のガキに向けてはあまりに酷い怒り方をする人だったのは覚えてる(その先生は3ヶ月くらいで"長いお休み"として学校から消えた)
しばらくは母と私と弟、3人で慎ましくも幸せな生活を送っていました。
今思うとこの時が1番普通の幸せだったかも。
決して裕福では無いけれど母の料理を食べて3人で寝て学校に行って学童に行って、ディズニーチャンネルを見て母の帰りを2人で待つ。人生の安定期ってやつですかね。
記憶は飛んで小学校6年生。
このくらいの時期から知らない男の人がよく家に来るようになる。
知らない男の人との生活や母を取られたみたいな気持ちでストレス、6年生のクラスが問題児大集合で学校での生活もストレス、色んなストレスで、私の問題行動が目立つようになっていきます。
【蛇口にクレンザー事件】【体育館飛び降り事件】【担任締め出し事件】
主にこの3つで医療機関に連れて行かれました、そこでなんか色んなテストして発達障害だよって言われました☆
・中学生
当時から身長が高かったためバレー部に勧誘され入部するも持ち前の運動神経の無さ(50m11秒)(距離感がわからなくてネットに突撃しまくる)(ボール拾いさえできない)を発揮して勧誘して来た先輩に「無理矢理誘ってごめんね」と謝られる。本当だよ。背が高いやつはバレー部にって安易すぎるよ。舐めんな。
中学2年生の時、家によく来ていた男がついに父親2号になります。
ここからが地獄の日々の始まりでしたね
\(^o^)/ハジマタ
新婚生活に浮かれる母親、段々と様子がおかしくなってくる父親2号。
まず最初の違和感は母親がよく痣を作るようになっていた事でした。
太ももの裏が真紫になってるのを発見してしまったのです、そこからあれよあれよという間に気がつけば私もアザだらけに。
生活は謎のルールに縛られるようになっていきました。
「光熱費を払っているのは俺だからお前らは俺の許可無く使うんじゃない」
真夏でも真冬でも2号がいない時は空調を付けられなかった
「風呂は3日に1度シャンプーも石鹸も使うな」
全く意図も意味もわからない
「俺が買ってきた米を食う⁉️ありえない話‼️お前らに食う資格は無い‼️」
食べても食べてもお腹が空くのにお米を炊くことすら許されていなかったので、減っても気づかれなさそうな小麦粉に水を混ぜて所謂チネリ米を作成しコソコソ食べる
「俺を敬え、敬語を使え」
お前さ、シングルマザーの家、しかも公営団地に転がり込んでる分際でどこからその自信が出てくるんだよ、お前が敬語を使えよと思ってました。
まあよくあるネグレクト話なんですけど、なぜこんな人間と結婚したんだと毎日泣いていました。
ある日母親に「限界なので別れて欲しい」と伝えたところ「私は好きな人と結婚することも許されないの!?」とわんわん泣かれて、え?なに?るかが悪いんですか???あ、この人は今母親じゃなくて女なんだ!って思ったなあ、私は今25歳で、母親に置き換えるとこの年で5歳の子供がいることになるんだよね、母親になりきれなかった気持ちもわからなくない。し、きっと私も子供がいても悲劇のヒロインを気取って男のケツ追っかけてると思う。遺伝。
だからと言って母親の選択で最低最悪の生活になったことは許せないけど。
許さなくても別にいいんですよね、許せないことは許さなくていいし、許せないことがあるから仲が悪いままいなきゃいけない訳でもない。(今はたまに母親と会ってご飯食べたりしています)
そんなこんなで私はボロボロのまま高校受験に望むことになるのです、が、中3の担任が我が家の環境を鑑みて、普通の高校に行ったらまた同じ3年間が続くことになる、高校で資格が取れてそのまま仕事に就けるような学校に行った方がいい。と進学先を探してくれて美容師理容師の公立の専門学校(一応高卒資格取れるけど普通は専門学校として利用するんだよ〜)みたいな学校に行くこととなりました。
ちょーーーーーーーーーーーーー不本意でした。人の髪とか興味無いし。当時銀魂にハマりうたプリにハマり声優という職業に憧れを持つ立派な厨二病女子だったので、絶対に芸能系の学校に行きたかったんですよね。先生の言う通りに通えてたら私は美容師になってたのかな〜なってなさそ〜〜〜
興味が無いことに対して全く向き合えないので...。
・高校生
高校受験って普通5教科らしいじゃないですか、らしい、というのも私が入学したその学校は国語数学英語の3教科のみで、しかも、
60/300 で合格できるよー!という感じだったので特に受験勉強をすることもなく、合否がどうだとかの緊張もなく、ぬるっと入学する事になりました。(国語90点くらいだったからそれだけで入れた)
専門学校として使う人が多いので周りの同級生は18歳以上の人がほとんどで最初は怖かった。
主婦の人とかもいたなあ、優しかった、元気かな。
入学して3日目、るかぴょんはあることに気づきます、
美容師、別になりたくねぇ〜〜〜〜‼️‼️‼️
そんなん入学前からわかっていたことなのですが、
ま、じ、で、
美容にも理容にも1ミクロンも興味が、無い‼️‼️‼️‼️‼️
授業苦痛‼️‼️
しかも中学から来た人だけ普通の科目の勉強会がある‼️‼️‼️‼️‼️
イヤッッッ‼️‼️イヤッ‼️‼️
イヤーーー‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
そして入学のために必要経費を払ってやったんだと、毎朝言われ続け、家での生活は中学からそのまま、やりたくない事をやらなければならないプレッシャー、ある日ふと「無理だ」と思い、寿嶺二くんのグッズ、洋服、そしてなぜかCDプレイヤー
(コンセントに繋ぐタイプの大きいやつ)
を持って祖母の家に逃げ込みました。
るかぴょん15歳、家出しました
長くなってきたのでここら辺で
𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹🐰
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