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第10章・後編【正義の味方 天守弥人】
10-36『終の雫』

 兄弟の再会より、少し時は遡る。



「正義執行。……さあ世界、ぜんぶ最初っからやり直そうか」



 志善悠人はそう笑う。


「正義執行? 全部……最初っから……だぁ?」


 対する老人――海老原選人は膝を震わせ嘲笑う。

 近くの壁へと手を伸ばし、肩を預けて口を開く。


「そんな資格がどこにある? 何をどうやってテメェがそんなことをするつもりか知らねぇが……テメェみたいなガキに滅ぼされる世界の身になったらどうだ? テメェは、その自己満足によって壊される幸せがあることを考えたことがあるか?」


 志善悠人は答えない。

 そして、その笑顔が揺らぐことはない。


「客観的に考えてみろよ。お前は全人類から幸せを奪うだけの悪魔だ。自分から幸せを奪うなと怒って、他人から幸せを巻き上げようとするカスだ! ……初めて見たぜ、俺や八雲以上のゴミクズはよォ!」


 事実だった。

 正論だった。

 この場において、世界にとっての正義が海老原で。

 誰の目から見ても、悪は志善悠人だった。


「さっきから、何を当たり前のこと言ってんだ?」


 しかし、もうその少年に正論は通じない。

 だから何だ、知ってるよ、と。



「僕はクズだ。なら人類失格の()()()()らしく、最後までこの正義を貫くさ」



 その答えに、海老原は歯を食いしばる。

 もう、駄目だこの男は。

 話が通じない……というより。

 最初から、話を聞くつもりがこれっぽっちもない。

 もう決めたから――と。

 子供特有の意地を張り、想いを通す。


 ……そんな子供に力が与えられてしまった。

 その点に限って言えば、完全に研究者側の落ち度だ。


 ぞっと、海老原は腕を擦った。

 悪寒ではない。鳥肌が立った。

 この男が気持ち悪くて、吐き気がした。


「テメェは……自分が悪だと知ってるはずだ! 間違っていると知ってるはずだ! 誰一人そんな事望んじゃいないと知ってるはずだ! ……にもかかわらず、どうしてそこまで自分の意思を貫ける! 世界中の誰からも望まれていない正義を、どうしてお前は貫ける!?」

「簡単さ。僕の選ぶ世界の方が、みんなが幸せだから。今の世界じゃ僕の大切な人たちは幸せになれない。なら、変えるしかないだろう。壊すしかないだろう。……まあ、壊す過程でボロクソに罵られるのは覚悟してるけど……、悪かぁ。ずいぶん酷いこと言うじゃん」


 まるで自分の正義を疑ってもいない少年に、歯を食いしばる。

 話を聞くにつれ、気持ちの悪さも一周して怒りに転じた。


「それを! てめぇ以外の誰かが望んだか!」

「興味ない。僕は世界を幸せにする。その過程での不幸は必要経費と割り切れよ」


 それに、と。

 志善悠人は目を細め言う。


「自己紹介なら分かりやすく言えよ同類(ひとでなし)

「……っ」

「正直、興味の欠片もないから知ろうとも思わないが……『誰一人として望まない自分の意志を、どうしてお前は貫ける?』、だったか。間抜けかお前? その問いは、お前は()()()()()()()()から出てきたものだ」


 海老原の過去なんて、事実、志善悠人は欠片も知らない。

 興味もない、から知ろうとも思わない。

 だが、海老原の発言が。

 彼の表情が、言葉から滲む嫉妬が。

 容易くその背景を読み取らせた。



「なぁ、世界に押しつぶされて自分を曲げた海老原選人」



 海老原は言葉を詰まらせる。

 忘れようとしていた自分の挫折。

 かつて世界に跳ね返されて、曲げた本当の自分。

 触れたくもなかった本当の想い。

 それを泥塗れの素手で穿り起こされたような気分で。


 控えめに言っても不快、その絶頂だった。



「――殺すッ!」



 海老原はそう叫ぶ。

 最早言葉での揺さぶりは不要。

 この男はもう、喋らなくていい。

 ただ、死ね。

 世界の為にここで終われ。


 現時点におけるこの星の全生命体の内。

 もっとも死ぬべき存在は、間違いなく志善悠人になっていた。




 ☆☆☆




「周旋!」


 海老原の声と同時に、天守周旋は動いていた。

 片手に毒を生み出し、固める。

 数瞬後、それは刀の形となって彼の手の中にあった。



「――毒刀・万壊(バンカイ)



 枯れた喉で、周旋が呟く。

 その存在を、志善悠人は()()()()()()()()()


「……最初っから全開かよ」


 おそらく、世界で最も殺傷能力に特化した刀。

 というより、それは刀の形をしているだけの殺戮兵器だ。

 一撃でも掠れば、傷口から毒が混入して死に至る。

 切り捨てることが目的ではなく。

 ほんの切っ先でも、掠らせることに重きを置いた刀。


 掠れば、即死。

 背筋が凍るほどの殺意に、志善は壊れた笑顔で向き合った。


「ハハっ……!」


 周旋は大地を駆け、刀を振りぬく。

 と同時に、志善の周囲の大地から鋭い岩石が出現する。

 それら円錐型の石はまるで槍のようで、無数の岩石が周旋の刀を受け止める。


「急ぐなよ、父上。……それとも、死んだ弥人を見て動揺でもしたか?」

「……」


 返事はない。

 代わりに殺意だけがあった。

 じわりと。

 刀を受け止めていた岩石が溶け始める。


「……っ!?」


 嫌な臭いと吹き上がる蒸気。

 志善は後方へと飛び距離を取る。

 同時に防御に回した岩石が切断され、刃が先ほどまでいた場所を通り抜ける。


「切れ味じゃなく、毒の溶解能力で切り分ける……か」


 事実、周旋の握る刀に鋭さはない。

 あるのは底知れない毒の溶解能力。

 何も切ることができない代わりに、触れた端から溶かして進む。

 その刀を受け止められる存在は、この星のどこを探しても存在しない。

 それは、その名を冠する天能を手にした志善悠人が一番よく分かっていた。


 ただ、それでも。

 唯一救いがあるとすれば、それを扱うのが天守周旋だということだ。

 彼は剣術の天才ではない。

 セバスに比べればその剣速は劣るだろう。

 まして、加速時のセバスと比べれば周旋の速度は蠅が止まる程度。

 天守周旋は、一撃必殺の凶器を振り回す素人のようなものだった。


 ――だが、それは志善悠人にしても同じことだ。


「……にしたって、僕よりはずっと速いんだよな……」


 そもそもの大前提、相手はあの天守周旋だ。

 完全に成熟した天守の肉体。

 天守の細胞を半端にしか取り入れていない少年と比べれば、天と地ほどの隔てりがある。

 逆立ちしても、今の志善では周旋の身体性能には勝てない。


 再び、周旋が迫る。

 志善は後退しつつも岩の槍を無数に飛ばす。

 されど、それら全てを周旋は溶かし飛ばす。

 刀で溶かし、素手で溶かし……体に命中しても溶かされる。

 ダメージ、衝撃が伝う速度よりも周旋の溶解速度の方が上回る。

 故に、どれだけ物理的な攻撃を向けても、周旋にはダメージは通らない。

 届くより先に溶かされてしまっては、元も子もない。


 反則、とか。

 無敵、とか。

 嫌な単語ばかりが志善の頭に浮かぶ。


 確かに天守周旋は一年前、神人試合で敗北した。

 だが、それは相手が悪すぎたというだけの話。

 星が生んだ【規格外】。

 あの男と比べれば誰もが子供同然の中。

 ただ一人、あの橘一成に()()()()()()()


 その時点で、思い知るべきだった。


 天守周旋と言う男もまた、十分に化け物なのだと。


「なら――ッ!」


 頭上へと右手を挙げる。

 ――と同時に、黒い雷が空より降り注いだ。

 狙いは天守周旋。

 人を殺すには余りある熱量。

 一撃でも通れば、海老原の支配も外れるだろうという火力。


 それは寸分たがわず、周旋の立っていた場所へと突き刺さった。


 強烈な衝撃。

 風が吹き荒れ、砂埃が舞う。

 その中で、志善は真っ直ぐに周旋の居た場所を見据えていた。

 雷の速度で、雷の火力をさらに天能によって底上げした。

 直撃していれば、確実に勝負は決まっている。


 ……と、そこまで考えて彼は苦笑した。


「……そう、簡単にはいかないかぁ」


 砂埃が止む。

 そこに現れたのは、紫色の球体だった。

 それが毒であることは、見ればわかった。

 毒の液体。その塊だ。

 ぽたり、ぽたりと雫が落ちる度、大地が死に広がる。

 球体の表面には多くの波紋が浮かんでは消え、志善は急ぎ風上へと移動する。


「――毒鎧、庫毒(コドク)


 その名を呟くと同時に、毒の球体は消えていく。

 その中から現れたのは、無傷の天守周旋。

 彼は刀の切っ先を志善へと向け、ガラス玉のような目を細めた。


 志善が誇る中で、最速の一撃。

 それが今の雷だ。

 にもかかわらず、不意打ちの落雷にさえ周旋は対応した。


「……っとに、化け物が」


 思わず苦笑する。

 周旋は、再び刀へと力を込めた。


 嫌な予感に背筋が震えた。

 少しでも油断すれば殺される。

 明確にそう理解し、男の一挙一動に集中する。



 しかし、その直後。




 ――何故か、周旋が刀を手放したのをみて、目を丸くする。




 その光景に、志善が困惑したのは、ほんの一瞬。


 彼は天能から知識を与えられている。

 けれど、知っているのと、知識を扱えるのは別な話。


 知識に思考が追い付くまで、約0.3秒。


 それと同時に、周旋の言葉が響いた。





「【――()()・天能臨界】」




「……ッ!?」



 大地に堕ちたその瞬間。

 刀が、溶けるように消えていく。



 そして、強烈な痛みが全身を襲った。



 ――毒だ。

 液体や固体の毒ではない。


 ()()()()


「く、そ……っ」


 天守周旋の天能臨界【終の雫】。

 自身の天能をたった1滴に圧縮し、掌から落とす業。

 その雫そのものには凄まじい毒性、殺傷能力が含まれる。

 事実、天守弥人が飲んだ毒は、この原液を薄めたモノだった。

 しかし、彼の臨界の本質はそこではない。



『雫が大地に弾けた瞬間に起こる、大気への毒性伝播』



 それこそが、彼の臨界の本来の使い方。

 彼の放った雫が弾けた瞬間、その毒性は一気に拡散する。

 周囲の大気すべてを汚染し、その大気に触れたモノを一人残さず毒殺する。


 発動してしまえば、文字通り【一撃必殺】に相応しい効能。

 初見でこの力を破れるものは居ない、とさえ断言できる。

 事実、この臨界の唯一の弱点が『発動前の長い溜め』にこそあった。

 天守周旋の臨界を打ち破ろうというのなら、発動前に潰すしかない。

 かつて、橘一成が直感でそうしたように、発動前に術者を潰す。

 それ以外に、彼の臨界を防ぐ術はない。


 ――だからこそ、天守周旋は工夫した。


 死して尚、意識を保ち続けてきたこの一年間。

 敗れた戦いをそのままで終わらせる周旋ではなかった。

 妻が死して以来、能力を『抑える』ことばかり訓練してきた男が。

 この一年間は、能力を『さらに高める』ことに注力してきた。


 その結果生み出されたのが、臨界の【簡略化】


 過去を振り返っても――天守周旋しか辿り着けなかった、臨界の派生。



「溜めが……な、い、……とかッ」



 その臨界に、一切の予備動作は無い。

 必要なのは、わずかな時間だけ。

 何らかの媒体を用意し、戦闘の中でその媒体へと自身の毒を溜め込む。

 ――そして、落とす。

 その媒体が地面に触れた瞬間に、溜め込んだ毒性は発芽する。


 必要な時間は、秒数にして――48秒。


 当然、本来の臨界には威力で劣る。

 実際、略式でない【終の雫】であれば、思考する間もなく志善は死んでいた。

 だから、周旋はこの力をあくまでも【けん制】と割り切り。

 その後詰めとして、自身の一撃必殺を用意する。



「【天能臨界】」



 その声に、志善は大きく目を見開く。

 視線の先で、周旋は合掌していた。

 かつても見た。

 一成との戦いの最中でも見た、彼の一撃必殺の構え。

 あの掌から毒液が抽出されれば、その時点で終了。

 雫が弾けるのを防ぐのは不可能。

 何かに触れた時点で、脆弱な雫はその場で弾ける。

 受け止めることも、躱すことも、絶対に出来ない。


 ならば、その前に術者を――と。

 志善は動き出そうとするが、全身が痺れて立ち上がることもできない。

 常人であれば、略式であっても十分に即死する毒性。

 どれだけ天守の血を取り入れようと、どれだけ頑丈であろうと。

 触れただけで、目を開いただけで、口を開いただけで、吸い込んでも当然。

 毒性は、いとも簡単に脳を汚染する。


 視界の端に、海老原の姿が映る。

 彼は自分の首へと何らかの液体を注射していた。

 おそらくは、周旋の肉体から造り上げた毒の血清。


 仮に、海老原に周旋の毒が効かないのであれば。


 もはや、天守周旋が【臨界】を躊躇う理由は一つもない。





「【終の雫】」





 そして、一滴の毒が抽出される。


 純水のように透明で。

 まるで煌めくような一滴(ひとしずく)


 殺しの業も、極めれば美へと昇華する。


 見惚れるほどの美麗を。

 自身の努力の結晶を。


 その男は、何の躊躇もなく大地へ落とした。



 落下。

 そして、発芽。



 なんの抵抗も出来ず。


 逃走も防御も間に合わず。



 致死の毒が、大気を汚染した。

次回【星】

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