考えてもいなかった。
誰に操られるわけでもない。
誰に命令されるでもない。
純粋に自分の意志で――君の敵に回ること。
かつての僕に聞かせても、鼻で笑われるかもしれないね。
どうして世界は、こんなにも残酷なのか。
空を見上げて、ふと思う。
どうして?
どうして……?
なんで、彼らを傷つけるの?
僕は、いいんだよ。
僕が殺されるならよかったんだ。
彼らの代わりに。
弥人の代わりに。
僕が死ねたのなら、それでよかった。
でも、世界はそんな我が儘すら聞いてはくれない。
お前は弱いから。
誰かを守れる強さなんてないから。
自業自得でしょ。
弱いお前が悪いんでしょ。って。
弱者にすべての責任を押し付けて。
世界は自己肯定に浸り逃げる。
――許せない。
ふと沸いた僕の本音。
今までの幸せを全てぶち壊し。
大切な思い出も全て塗り潰し。
その上で、深く、心の底から――憎悪が零れた。
ふざけるな、ふざけるな。
弱者の責任だと?
弱い奴の自業自得だって?
酷いよ。
酷すぎるだろ。
弱者が強くなる暇も与えず。
いとも簡単に『乗り越えられない試練』を与えて。
乗り越えられなければ、自業自得で済ますとか。
ふざけんなって。
神は乗り越えられる試練しか与えない、って?
そりゃ、乗り越えられた強者のセリフだろ。
乗り越えられなかったら努力不足?
勝手に試練を与えておいて、出来なかったらお前のせいだ、って?
馬鹿にしてんのか。
反吐が出そうになる。
この世界は決して、弱者に寄り添ってはくれない。
返せよ。
試練なんていらねぇんだよ。
奪ったもの、全部返せよ。
彼らは、ただ、この場所で生きていられたらそれで幸せだったんだ。
そうだ、それだけでよかったんだ。
なのに、なんで。
どうして――そんな、些細な幸せすらも認めてくれない。
僕の大切な人から……家族まで奪おうとするんだ。
「…………認め、ない」
世界が僕らの幸せを認めないというのなら。
僕も、この世界を認めない。
強者生存。
弱者衰退。
そんなふざけたことを続けるならば。
僕は、こんな世界なんて要らない。
世界が彼らを弱者とするなら。
弱者尊重こそ、僕の思い描く正義だ。
この世界の在り方こそ、悪だ。
たとえ、誰からも賛同を得られなくても。
この気持ちにだけは――もう、嘘はつきたくない。
誰もが胸を張って生きられる世界。
彼らが幸せに生きていける未来。
それこそが、僕の描く夢物語。
その夢の為に――その、
正義の味方に殉ずる覚悟は、とっくにできている。
もしも、
ふと、そんなことを思った。
もしも仮に、万が一に。
そんな力を、手にしたのなら。
僕はきっと、何の迷いもなく。
正義の味方として――こんな世界、ぶっ壊すと思うんだ。
☆☆☆
「あれっ、どうしたの、海老原さん」
その男――海老原選人。
彼が庭に出たとき、見たものは二つ。
血の池に沈み動かない天守弥人――の死体と。
その死体をじっと見つめたまま、振り返ることなく声をかけてきた実験体。
(……気配、なんざ無かったと思うが)
海老原選人。
今の彼は、戦闘能力が皆無と言っていい。
天守の細胞を取り込んだだけ。
多少なりとも身体能力は強化されていても、程度は知れる。
天能を扱う彼らからすれば、海老原は赤子も同然だった。
――それでも、得手不得手はあった。
海老原で言うところの、気配や本性の誤魔化し方。
男の隠密能力や猫のかぶり方は、魑魅魍魎の住まう天守にすら通用するものがあった。
隠密能力は天守周旋の知覚をも搔い潜り。
仮面の下に隠した本性は、セバスでさえも見抜けなかった。
……にも、関わらず。
完全に気配を絶った海老原を、その少年は一瞥もせずに認識した。
(……自然の加護。空気の流れでも読まれたか?)
少年の力であれば、それが出来る。
周辺の空気の流れを読むことなんて実に容易い。
人が動いていれば、その気配を察することも出来るだろう。
海老原は嫌な予感をそう言い包めて飲み込むと、隠密するのをやめた。
「志善君……! よ、よかったぁ……まだ君は無事だったんですね!」
隠密をやめて、猫をかぶった。
設定としては、何も知らない被害者の研究員、海老原。
気づかぬうちに実験場が壊されていた。
きっと、八雲所長の暴走だろう。
ここに来るまで、子供たちの死体を見てきた。
他の人が心配で館内を走り回っていた――とか。
そんな感じのバックストーリーを脳内に描く。
現に、走ってきたように息は弾ませ。
汗を袖で拭いながら、ぎょっとした表情を見せる。
「た、倒れているのは弥人君かい……? た、大変だ! 早く病院に連れてかないと!」
そう焦ったふりをして、動かなくなった死体に駆け寄る。
邪魔はなかった。
志善悠人は微動だにしなかった。
その姿を横目で見て、内心で笑う。
(こいつは素直だ、この非常事態……頭が回ってねぇなら騙し通せる!)
志善悠人は頭が悪い。
本人の申告通りだ。
他が特別製なのに対し、この少年だけは一般仕様。
この少年はどこまで行っても、
兄の死体を目の前に、正常でいられるはずがない。
海老原は血だまりの中に膝をつき、その体へと手を当てる。
冷たい。
これで確定だ。もう天守弥人は死んでいる。
間違いない、今までにいくつも死体を弄ってきたからわかる。
これは偽りではなく、本当に死んでいるヤツの感触だ。
「ほ、他に生存者がいないか見てきてくれないか! 彼のことは私が――」
ニヤリと内心笑みを深めて。
それでも仮面は崩さず、焦った風貌で振り返る。
―――目が、合った。
ぞっとするような、冷たい双眸。
人とは思えない、濁ったガラス玉のような青い瞳。
それが、黙って海老原の行動を監視していた。
「……っ!?」
恐怖。
最初に覚えたのはソレだった。
自信に溢れ返っていた脳内を、恐怖一色で塗りつぶされる。
全身に震えが伝播する。
その瞬間――彼は、在りもしない幻を垣間見た。
自分は、虫かごの中に入っている。
少年は、黙って自分を見下ろしていた。
虫かごを手に。
虫けらを見るような目で。
見られている。
ではなく。
そこに、人間として『同種』に向ける感情はない。
得体の知れない昆虫を観察するような目で。
じっと。
身じろぎもせず。
『
蟻の巣に水を流す子供のように。
トンボに自分の尾を噛ませる子供のように。
バッタを頭から水に沈める子供のように。
されど、無邪気とは正反対の瞳のままで。
憎悪なんてこれっぽっちもない、殺意を垂れ流す。
気づけば、海老原は逃げだしていた。
(ふ、ふざ……ふざけるなッ、ふざけるな……ッ! なんだよこいつ!?)
かぶっていた猫は破り捨て。
外聞もへったくれもなく。
だらだらと汗を流し、よだれを撒き散らして逃げ出した。
死ぬ。
殺される。
ダメだ、これ以上関わるのは。
この男はもう――
(もう、人間として壊れてやがる……っ!)
理由は分からない。
研究者としてはあるまじき、直感、というやつだ。
この男は、ヤバいと思った。
これ以上近くに居たくない、そう思った。
事実、その判断は、極めて適切だった。
それでもただ一つ、海老原選人のミスを挙げるのならば。
「【
逃げ出すのが、あまりに遅すぎた。
指一本を突き出して、少年が唱える。
その瞬間、
死因は、圧死。
海老原の体のすぐ隣。
そこに生み出されたのは――
すべてを吸い込む、虚ろな穴。
気づいた時には既に手遅れ。
庭にあったほとんどのモノを引き寄せて。
地盤を剥がし。
大気を巻き込み。
海老原の体ごと、たった数ミリ球に圧し潰す。
確実に殺した。
――殺した、はずだった。
「……あーあ、やっぱり優人の言う通りか。死なないじゃん」
その少年は、振り返り言う。
目と鼻の先には、先ほど死んだはずの海老原の姿。
彼は膝をつき、呆然と目の前の光景を見つめている。
その顔に、笑顔は張り付いていない。
今、目の前で殺された――という自覚があった。
自分の体が潰れる感覚があった。
覚えている。
死の感触を覚えている。
にもかかわらず、生かされている。
恐怖と不安と困惑と。
多くの感情に圧し潰されそうになる海老原。
彼の隣で、少年は空を見上げた。
「【
驚き、海老原は空を見上げる。
天守弥人の天能臨界。
それは、死後であるにも関わらず、今も屋敷を包み込んでいた。
「いやいや、……ちょっと、度、超えすぎでしょ。死んでもまだ人助け……それも、こーんな屑を助けるだなんて。うん、やっぱり僕には理解できないよ。君は……君たちは、やっぱり僕とは違うんだね」
分かり切っていたように、少年は笑う。
風が吹く。
白かった髪が、黒く染まった。
実験で傷ついた体が再生する。
この家に来て変わったモノが。
この家に来る前に、逆行する。
「じ、
「うるせぇなぁ。お前、黙ってろよ」
吐かれる言葉は、以前とは一変している。
そして変わったのは風貌や言動だけではない。
その力の本質もまた――大いに変質していた。
「【
片手をかざす。
それだけで、変化は起きた。
指定先は、海老原選人の肉体。
変化は唐突で、あり得ない違和感が全身を襲う。
体が鉛のように重くなる。
息をするのが辛くなった。
まるで、背中に強烈な重しを乗せられたように。
体中に眼に見えない鎖が絡みついているように。
無視してはいけない類の『なにか』が起きていた。
「な、なに……を、なにをした、志善悠人!?」
それは、自分の発した声……
にもかかわらず、聞こえた声は聞き覚えのない『老人』のものだった。
驚き、目を見開く。
自分の両手を目の前に広げる。
普段から見慣れているはずの自分の両手は。
信じられるはずもないほどに、しわくちゃに老いていた。
「な、なに、なに……が、ど、どうして……っ」
「簡単な話だろ、
半世紀――つまりは、50年。
海老原は20代半ばの年齢だった。
ならば、今の肉体は……70代半ば、とでもいうつもりか。
「ふ、ふざけるな……ッ! 戻せ! 俺の体を元に――」
老いた海老原は激昂する。
しかし、唾を飛ばす勢いで叫ぶも――その目を見た瞬間に消火する。
「戻さない。僕が死んでも進んだ時はそのままだ。……殺されないだけ、良かっただろ? お前が貶した
少年は、至近距離で海老原の目を覗き込む。
どこまでも濁り切った瞳。
その奥には、先も見えない絶望が揺蕩っていた。
「……っ、こ、この……っ」
「うーん。思ったよりつまらないな、お前の絶望。あれだけ散々多くのモノを傷つけて、殺して。いろんな絶望をばら撒いて……さぞかし、他人の絶望ってのは面白いんだと思っていたけど、やっぱだめだわ。お前とは感性が合わないみたいだ。……それに、さぁ」
ふっと、その少年は海老原から身を離す。
鼻をつまみ、その顔は顰められていた。
「加齢臭、酷いぜ爺さん。ちゃんと風呂入ってんのかよ?」
「こ、の……っ、クソガキがぁあああああああああ!!」
海老原は、四肢に力を込めて立ち上がる。
必死に歯を食いしばり。
憎悪を瞳に宿し、目の前の子供を睨み据える。
「オイオイ、小学生の戯言だぜ? ガキ相手にマジになるなよ」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ! お前は確実に消すッ! 殺すッ!!」
上空から、何かが庭へと落ちてくる。
凄まじい衝撃と、砂埃。
「けほ、けほっ」と、少年は目を細める。
「マジになるなって言ってんじゃん。いきなり切り札投入かよ」
砂埃が止む。
そこに立っていたのは――黒い服を着た一人の男。
全身から死臭を撒き散らし。
冒涜の限りを尽くされた、天守当主の亡霊。
「は、はは、ははっはあはははははは! 勝てるか、テメェが、こいつに!」
――天守周旋。
生前の性能はそのままに。
痛覚のない殺戮兵器へと変貌した男。
海老原は、楽しそうに笑っている。
その姿を一瞥し、少年はかつての父親へと視線を向ける。
「
少年は、両手を広げる。
まるで、世界を感じるように。
この星の脈動に、身をゆだねるように。
自然体の、ありのままで。
ゆったりと、天守周旋へと体を向ける。
「
その言葉を聞くのと、ほぼ同時に。
ぴくりと、海老原が反応する。
「弥人から言われたときは『なんのこっちゃ』と思ってたけど……使ってみて色々と理解したよ。僕の臨界は父上とも、弥人とも……なるほどね。
その言葉に感じた、強烈な違和感。
それの正体を、海老原は思わず口に出していた。
「……テメェ、どうして――
海老原は、操っている死体と視界を共有できる。
故に、誰より先に知ることができた。
つい、数秒前。
セバスが天守優人に敗北した。
脳天を打ち抜かれて、一撃で戦闘不能に。
既に支配力は霧散して、セバスの体から海老原の能力は消えている。
それでも、最後にセバスが見た光景。
天守優人の手の中にあった、見たこともない銃。
アレだけは、しっかりと頭に刻み込んでいた。
「数秒前だ! セバスと俺しか認知できなかったはずだ……俺たち以外は知らないはずだ! そもそも、テメェが知っているのなら! アレが事前に確立された技術だったのなら! 天守優人はあんな土壇場になるずっと前から使っていた……そうに決まってるッ!」
「そうだな。優人は、あの土壇場で臨界を初めて使った。……まあ、中途半端だったけど、初めて扱った臨界なんだし、逆にあれだけ出来ていただけすごいと思うよ」
海老原は、喉を鳴らす。
ふと、先ほど聞いた『能力で知っていた』という単語を思い出す。
研究者として、海老原は頭を回す。
天能が……なんらかの外的要因で、変質した?
そんな事例は初めてだが、仮に、そうだとして。
どういった変質だ。
この男には、今、何ができて何ができない。
知覚能力の特化?
なら、先ほどのブラックホールはどう説明する。
この老いや、少年の時間遡行にはどう理由をつける。
どちらも、周旋の【終の雫】と比べても遜色ない脅威。
……おそらく、そのいずれかがこの少年の【天能臨界】だ。
ならば、どれが臨界だ?
分からない、分からない。
情報が全く足りていない。
必死に情報をつなぎ合わせて答えを探すけれど。
どれだけ足掻こうと答えは出ない。
それになにより。
海老原選人は、その根底に疑問を抱いた。
――この男は、
「でも、どーでもいいんだ。この世界は――
思考の中に、聞き逃せない声が飛び込む。
思わず大きく目を見開くと、少年は空を見ていた。
夜空に浮かぶ、満月を見上げていた。
いつの間にか、空は晴れている。
天守家の頭上だけ、不自然に快晴が広がっている。
「この力なら……全部正せる。新しい、正しい世界を造り直せる。誰もが笑って、誰も何かを失うことなんてない、理想の世界。――ただし、その世界は今のモノじゃない。作り替えるのは表層じゃない。根底からだ」
目に見えて、周旋の警戒度が上がる。
彼を前に、少年は笑顔を見せる。
目は異常なほど濁り果て。
その笑顔は、見ているだけで精神を蝕んでくる。
ソレは人として浮かべてはいけない、壊れ狂った歓喜の情。
「弥人。君が終わりを拒絶するなら――僕は、この世界を拒絶する」
詳しいことは、分からない。
けれど、海老原は理解した。
理解してしまった。
今、この世界において。
もっとも殺すべき悪は、自分ではなくなっている。
――この男だ。
志善悠人を、止めなくてはならない。
でないと、何もかもが終わってしまう。
「許してくれとは言わないよ優人。僕は新しい世界を、君たちの幸せを作り直すために……一度この手で、君を含めたすべてを殺す。今回の世界のすべてを壊す」
今までの人の歴史。
積み重ねてきた研鑽も。
何もかもを、この男は拒絶するだろう。
そして、自分勝手に。
完全に新しい
「正義執行。……さあ世界、ぜんぶ最初っからやり直そうか」
この男は、人類の敵として。
独りよがりな正義の味方として。
身勝手に、
いつも、隣を歩いてきた。
どこに行くにも、二人一緒に。
それが僕にとっての幸せだった。
彼が兄妹と笑っていることは、もっと幸せだった。
けれど、彼の哀しそうな顔を見て。
彼の浮かべた絶望を見て。
そして、自分を助けるために兄を殺した彼を見て。
……ふざけるな、と。
心の底から――【世界】に対して怒りを覚えた。
その時に、僕らの道は分かたれた。
正しい道を行く君と。
間違った道を選んだ僕と。
もう二度と、一緒に歩くことはない。
もう二度と、心から笑い合うことなんてない。
でもね。
最初から……僕の願いは変わらないんだ。
僕はいつだって、君たちの幸福のために生きている。
そして同時に、この道が君に祝福されないモノだと知っている。
「言っただろ優人。僕を殺しておくべきだって」
ありがとう、さようなら。
君の知ってる志善悠人は、ここで死ぬよ。
だから、ここから先の道を歩くのは――もう、僕だとは思わないでくれ。
【嘘なし豆知識】
〇??????
体内の天能を体の外に放出し、具現化する天能臨界。
ただし、それは天守家だからこそ出来た技術。
……もし、万が一に。
天守の純血以外が天能臨界を模倣したのなら。
それは、既存とは全く異なる【なにか】になるかもしれない。
+注意+
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