――その男こそ、倒すべき悪だった。
嫉妬は罪だと、誰かが言った。
といっても大昔の話だ。一番最初に誰がそんなことを言い出したのかは分からない。
けれど、七つの大罪に嫉妬という二文字が刻まれるからには、きっと何かがあったのだろう。
私自身、神も悪魔も信じてはいないし。
事実、七つの大罪と呼ばれる悪魔が存在していたとは思わない。
だから、きっと誰か……遠い過去で生きた何者かが。
嫉妬に狂い、
そう、捉えている。
しかし、私はその過去に異議を唱える。
嫉妬が醜いと誰が定めた?
他人の力を羨むこと。
他人の境遇を羨むこと。
自分には無い何かを求めること。
それは向上精神であって悪性感情では決してない。
人は上を見る生命だ。
向上心の塊だ。
一番を目指す動物だ。
誰より高みへ登らんとする存在だ。
その根底には『他者を見下したい』という感情があるにせよ。
高みを目指すこと自体は悪ではない。
他人を羨むことは罰すべき感情ではない。
まして大罪等と……私は鼻で笑ってしまうよ。
ふと、私は窓の外を見降ろす。
屋敷から外界へ続く道程。
小学校へと向かう通学路。
少年たちが、笑顔で歩いている。
その様子を見て……その中に歩く一人の少年を見て。
私は、胸が苦しくなるのを自覚した。
ああ、やはり私は彼が欲しい。
気が付けば、私は窓越しに顔を擦り付けていた。
誰にも気づかれることなく、私は吐息を漏らす。
この感情を、嫉妬という二文字で終わらせたくない。
私が持たないモノ。
どう足掻いても手に入らないモノ。
それに焦がれる私は恋に落ちた少女のようで。
それが『恋』だと気づく頃には……もう、少年から目が離せなくなっていた。
嫉妬は醜くなんてない。
この恋は間違ってはいない。
その肉体、その知性、その細胞にまで至る全てが欲しいと願う純心。
誰も、この感情を否定する権利なんて無いはずだ。
例えば……そうだな。信じることはないけれど。
仮に、神、なんて存在が居るのなら。
きっと彼ですら、私のこの感情を肯定してくださるに違いない。
☆☆☆
それは、静かな夜だった。
音一つない、誰も居なくなったような闇の世界。
月の光が雲を通してぼんやりと闇を照らす。
私は執務室の椅子に座って、外の光景を眺めている。
「……せん……、……旋様」
ふっと、意識の外から声が聞こえた。
振り返ると、昔から私に仕えてくれた執事が立っている。
「周旋様」
「……ああ、セバスか」
私が幼い頃から、一切姿の変わらぬ男。
白髪だし……まあ、橘の遠縁、程度には思っていたが。
まさか、あの恋に教えられるほどの剣術を持っていたとは。
長らくともに生きてきたが、知らないこともあるようだ。
「何か問題でもあったか?」
「何事もなく平和です。近頃は地下の子供たちも、実験体にはなっていませんから」
その言葉に、ピクリと眉が跳ねた。
志善悠人が完成して以来、私は八雲らへと子供を使った実験を禁止させている。
その監視として私とセバスの二人が動いていたが、どうやら本当に八雲らは独力で研究を進めているらしい――という判断になった。
正直、今の私は『天守周旋』を信用できない。
セバスは私が私の意見を肯定するために動員したが……結果としては同じ結論だ。
どうやら、今はまだ自分の判断を信じてもいいらしい。
そう内心結論付けて、私はセバスを睨んだ。
「嫌味か、貴様」
「いえいえ。以前に犠牲を許容していたことに対してどうこう言っているつもりはございません。あれだけの悪行……今は亡き奥方がご覧になれば意地でも周旋様を殴りに戻って来るだろう――だなんて。そんなことは思っても居ませんとも」
「……私にそんなことを言えるのは、お前とアイツだけだぞ」
今は無き妻を思い出し、少し笑う。
分かっているさ、私は外道だと。
実際に行動を起こしたのは八雲だとしても、それを認めたのは私だ。
多くの罪なき子供を殺した。
不治の病に侵されているから。
もう長くは生きられないから――と。
理由にもなっていない説明を突きつけ、地獄へと蹴り落とした。
それが、間違っていると知っていたはずなのに。
当たり前のことだ。
もう死ぬのだからいいだろう……ではないのだ。
やがて死ぬのなら、せめて残る時間は大切に生きなければならないに決まってる。
そんなことくらい分かっていたはずなのに……私は最後の一線を超えてしまった。
だからせめて、
正直、私はこの家の全員から嫌われているだろう。
「……はぁ。生きるのは難しいな、セバス」
「でしょうな。特に周旋様。貴方の人生は少々『天守周旋』に残酷すぎる」
「そうだな。恋に嫌いと言われた瞬間は久しぶりに絶望したぞ」
私がそう言って椅子の背もたれに体を預けた……と、ほぼ同時に。
私は執務室の外に気配を感じた。
「……噂をすれば、か」
執務室の扉がノックされる。
その男は返事も確認せずに扉を開ける。
そうして中に入ってきたのは、反吐が出るほどの害悪だった。
「夜遅くに申し訳ありません閣下! 実は、先ほど閃いた妙案がありまして」
研究者、八雲。
常識がないのか、それとも意図的なのか。
この国において、天守家当主の自室へ許可なく侵入することがどれだけ……いや、考えたところで無駄だろう。この男にモラルや常識を説くのは無価値だと知っている。
「私の時間を遮る価値はあるのだろうな。下らん話であれば消すぞ八雲」
軽く圧を掛ける。
それだけで八雲は頬を引き攣らせ、冷や汗を流す。
なにやら最近になって天能に目覚めたようだが……所詮はどこまでも小物。
知識と実績さえなければ今すぐにでも殺してやるところだ。
「え、ええ! そ、それはもちろんでございます!」
男は震えながらも、自信満々にそう言った。
私はため息一つ、男の話を聞くことにする。
大方、地下の子供たちを使った実験を再開させろ……だとか。
そういった外道な提案なのだろうが、せめて聞いてから判断してやる。
そして、仮にそういった話をするようであれば、今すぐこの男を消――
「
「…………………………は?」
男の発言に……思わず思考が停止した。
溢れかけていた殺意が、あまりの呆然に散っていく。
頭が真っ白になって、私は目を見開いて男を見る。
こいつは、この害悪は……いま、私に何と言った?
弥人を解剖させろ?
他でもないこの私に……
固まる私のすぐ隣で、セバスが拳を握り締める。
薄っすらと細められた瞳の奥には、強烈な怒りの情が滲んでいた。
「貴方もお判りでしょう、天守弥人の特異性! まさしく彼は奇跡の体現者。というより奇跡の結晶です! 自身の望んだ力を得る……だなんて、まさしく我らが今、挑戦していることの完成形に他ならない! 断言しましょう、天守弥人の血肉こそが、我々の実験を完遂するための最後の部品である、と!」
「……それ、が。貴様の言う妙案か」
私は眩暈がして頭を押さえる。
歯を食いしばり、目の前の男を睨んだ。
しかし私の反応など気にした様子もなく。
男は、自分の
「ええ、ええ! その通りですとも閣下! 既に計画は練りあがっています! まずは脳の解剖ですね、志善悠人の実験から天能は脳で動かすという仮説がありまして。である以上、まずは天守弥人の脳細胞を他人の脳へと移植……ああ、そうでした! その被験者が居ませんので地下の子供たちを再び使わせていただいても構いませんね? おそらく今までとは比にならない犠牲者が出るでしょうが、所詮は近いうちに死ぬ病人どもです。せめて死ぬのなら実験の糧になって死んでもらいましょう! ああ、話が逸れましたね。脳細胞の移植実験と同時に並列して細胞の注入実験も行いたいのです。最初はそのまま注入を。ダメであれば細胞を少々痛めつけた上での注入を考えております。方法としては天守弥人から脳や主要臓器だけを摘出した後、一本切り落とした腕を火で炙った後に切り刻み、一度灰にしてみようかと思います。……ああ、それと心臓の移植も考えております。不死であった男の心臓です、案外、地下の子供に移植すれば不治の病すら直してしまうかもしれませ――」
ふと、そこまで言って男の言葉が止まる。
見れば、セバスが八雲の喉元へと剣を突きつけていた。
切っ先が肉に入り、血が滲む。
先ほどまで興奮で赤くなっていた男の顔は、一転して青く染まった。
「な、にを……私の崇高な理想の途中で――!」
「周旋様。この男、
私が答えるより早く、セバスは剣を振り抜いた。
瞬間、八雲の喉へと走る斬撃。
大量の鮮血が溢れ、八雲は咄嗟に喉を押さえた。
「ご……が、はっ……ッ」
「申し訳ありません。大分腕が落ちているようで……即死とまではいきませんでしたね。残念ですが苦しんでお死になさい。貴方にはそれがお似合いです」
八雲は喉を押さえ、地面に頽れる。
出血は止まらず、もうすぐ致死量へ達するだろう。
セバスは剣を腰の鞘へ納めると、私へと振り返る。
「……私は許可してはいないが?」
「そうでしたか。今にも殺してしまいそうな目をしていらしたので、つい」
まあ、否定はしない……が。
八雲からすれば、私は『今の提案を嬉々として受け入れる外道』と思われていた……と言うことか。
あの様子から言って、断られるという想定は最初からなかった様子。
「同類扱い……か」
「いいえ、周旋様の方がほんの少しだけマシでしょう」
冗談とも取れないセバスの発言に思わず眉根を寄せる。
私は大きなため息を漏らすと、瀕死の八雲を見下ろした。
「まあいい。お前は研究チームとしては相応しくなかったようだ」
「ど、……う、して……周旋、様」
男は、血の池に沈み私を見上げる。
口からは大量の血があふれ出す。
彼の言葉を受け、私は久方ぶりに本音を口にした。
「今も昔も……私は、家族を守るためだけに在る」
☆☆☆
天守周旋は、血の池に沈む男を見下ろす。
その姿を見て――その研究者は歓喜に沸いた。
「なーんだ。やればできるじゃないですかぁ……」
天守周旋は、虚ろな目をして立っている。
その足元に倒れているのは、
周旋が心より信頼し、自分の右腕として扱っていた男。
彼が『セバス』と呼ぶ人物。
瀕死のソレが、血だまりの中に沈んでいた。
「ど、うして……し、っかり、してください、周旋……様」
「私は……私の、力は、家族を……守、る、ために……」
必死になって周旋へ語り掛けるセバス。
対する周旋は、虚ろな目をして意味もない言葉を吐き出すばかり。
その光景に、研究者は噴き出した。
「なぁーに言ってんですか! どんな『夢』見てんだか知らないですけど、昔も今も、アンタの力は
「き、さま……!」
ふと、研究者は自分に向けられる憎悪に気が付いた。
セバスかと思いそちらを見る。
しかし、彼は自分の主人へと声をかけるだけ。
死の際まで主人に尽くそうとするとは……なんとも下らない忠誠だ。
そう心の中で吐き捨てて……研究者は、自分の座っている『モノ』へと目を向けた。
「なんですかぁ、
「
男の下には、死に体の『八雲所長』が倒れている。
その背中に刺さったナイフを見下ろし、研究者『海老原』は鼻で笑った。
「なんのつもり……? こっちのセリフですよ、この泥棒猫が」
そう言って、背中に刺さったナイフを握る。
「が……っ!?」
「俺はなぁ! 天守弥人を愛してるんだ! 性能、才覚、天能! どれを切り取っても完璧を体現する奇跡の塊! 何度憧れ恋い焦がれたか! どれだけ私があの少年を研究したかったか! ……渡さない……渡さないぞ! あの少年は俺のだ、俺のモノだ! 天守弥人は誰にも渡さない! あの奇跡は俺だけのものだ!!」
ぐりぐり。
ぐりぐりぐりぐり――と。
肉を抉ってナイフをねじ込む。
ぐしゅりと血肉が弾け、汚い悲鳴が響く。
そんなことも気にせずに、海老原は嫉妬を迸らせた。
「それをぉ……今になってアンタが欲しがるからいけないんだろぉ? 人のモノに手ぇ出しちゃいけませんって、子供の頃お母さんに習いませんでしたぁ? ……あ、そういえば常識もない人でしたもんね。そんな事教わってるわけないかぁ」
口元には笑みを。
されど瞳には背筋が凍るほどの嫉妬を浮かべ、ナイフを背中から引き抜いた。
大量の血があふれ出してくる中、八雲は瀕死の状態で海老原を見上げる。
「じゃ、アンタのお母さんが全部悪かった、ってことで!」
「た、たすけ――」
命乞いも最後まで言うことはかなわず。
ずぶりと、彼のうなじへナイフが落ちた。
僅かに手足に残っていた力が抜ける。
完全に死んだ八雲を見下ろし、海老原は立ち上がった。
「つーか、アンタ。今まで何度
視線を周旋の方へと移動させる。
彼の足元を見れば、セバスは既に動かなくなっていた。
「ただ、八雲所長。唯一アンタと気が合うなってところが一つだけありました」
海老原は、周旋へと近寄る。
その頬へと手を添える。
「手に入るのなら、生きていようと死んでいようと構わない」
海老原選人。
天能名は――【
使える力はその名の通り。
彼は、死体を自由自在に操れる。
一年前のあの日。
橘一成と戦い、瀕死の重傷となった周旋。
海老原は彼を手当てするように見せ、
あの時点で、天守周旋は死んでいた。
といっても、当時は得たばかりの能力だった。
周旋の体に強く残った【残留思念】までは御しきれなかった。
その『未熟』ゆえに橘一成ですら気づけなかった――というのもあるが。
周旋はこの一年間、間違いなく『天守周旋』として生きてきた。
自分が死んでいるという自覚を持ちながら。
鼓動の消えた心臓を押さえ、死臭を強い香水で誤魔化し。
家族と生きる夢を忘れらず、人生の延長回を歩き続けた。
だが、それも今日でおしまいだ。
一年間で制御する術は学んだ。
最早、残留思念程度で海老原の『制御』は崩れない。
ずさりと、真新しい死体二つが立ち上がる。
セバスと呼ばれた剣豪の死体と。
八雲と呼ばれた研究者の死体。
そして隣に立つ、天守当主たる最強の死体。
合計三つの武器を見渡し、彼は笑った。
「さて。これで戦力的にはこっちが有利だろ、弥人君」
どっちつかずの正義の味方。
天守家の落ちこぼれ。
発展途上の剣豪見習い。
そして、天守未満の出来損ない。
客観的に見て判断する。
負けるわけがない、と。
男は顔に手を当て、声を押し殺し嗤う。
ああ、まだだ。まだ喜ぶのは少し早い。
まだ残る天守の三人と、実験体一人。
自分より優れた能力は、まだ残っている。
彼らを殺し、手中に収め――そうしたら思いっきり笑ってやろう。
「さあ、天守。今日がお前らの【おしまい】の日だ」
――そして、天守最後の夜が始まる。
【進行度成果】
〇天守周旋 ー 死亡
〇セバス ー 死亡
〇八雲所長 ー 死亡
【嘘なし豆知識】
〇天守周旋
一年前、橘一成と全力で戦い、戦死した。
彼が見た過去は、妻との幸せは――ただの記録の読み返し。
俗に言う『走馬灯』でしかなかった。
目が醒め、自分の鼓動が止まっていると察した周旋。
誰よりも先んじて自分の死を悟っておきながら。
彼はそれでも意地汚く生き続けた。
やがて自分のことすら信じられなくなっても。
『妻に会う』
『家族と幸せに暮らす』
それだけを希望に、その男は死してなお生き続けた。
しかし、そんな未来は永劫に訪れない。
次回『壊れる音』
※感想欄で『走馬灯』、『香水と死臭』を考察してた人、お見事です!
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