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第10章・前編【雨森悠人は夢を見る】
10-20『毒』

「頭が固いね、周旋」


 橘一成はそう告げる。

 彼は上着のポケットから両手を取り出した。

 左右それぞれ、人差し指と親指を使い。

 彼は、指で四角の窓を作る。

 その四角形越しに毒を覗き込む彼の姿は。

 まるで、デッサン前に全体像を図る画家のようで。

 まるで、写真を撮るために被写体を覗き込むカメラマンのようで。

 どこまでも戦場には相応しくない様相に、その場の全員が驚いた。


「うん、こんな感じかな」


 軽い言葉と一緒になって。

 橘一成は、指で世界をトリミングする。


「橘一成の名の下に、毒の一切を封じ防ぐ」


 その瞬間、球状の盾の中にさらにもう一層の盾が生まれ落ちる。

 形は完全な四角形、直方体。

 おそらく一辺は二十メートル以上あるだろう。

 薄く青みがかったソレは、父上を中心として成形された。

 ……しかし、驚くべきはその生成速度でも、大きさでもない。

 一成さんの言った言葉。

 ――毒の一切を封じ防ぐ。

 それが、目の前で現実となったことだ。


「……っ、これは――!


 橘一成による、独断と偏見による暴論。

 ただの言葉が、目の前で形と成る。

 球状の盾内に溢れかえっていた毒の水と霧。

 それらが一気に圧縮され、直方体の盾の中へと封じ込められた。

 瞬くような刹那に起きた神業。


「……ッ!?」


 四角の盾の中から、父上の焦りが伝わる。

 父上が一成さんを殺す気で発した毒。

 それが僅か瞬き一回にも満たない時間で、封殺された。

 ……父上は毒の中で藻掻いている。

 それもそうだ。半径五十メートルはあろう球状の中を溢れていた大量の毒水。

 それを一辺二十メートル前後の立方体に圧縮し、無理やり閉じ込めたのだ。

 ……と言うより、左右前後上下、それぞれ六枚の盾で各方向から防ぎ続けている……と言うべきなのかな。あまりにも盾の使い方が自由奔放過ぎて、もしかして違う能力なんじゃないかと疑いたくなるが、問題はその中に閉じ込められた人間の方だ。

 父上に毒は効かないだろう。

 だが、今の父上を襲うのは純粋な圧力。

 人間が海底の圧力に耐えられないように。

 父上は水と一緒に無理やりに圧縮され、強烈な負荷をその身に受け続けている。


「降参するかい? ……一応、降参されたら止めざるを得ないのだけれど」


 一切の傷なく、一成さんが提案する。

 殺すと宣言した彼は、何を思ってそう告げたのか。

 純粋に父上へと同情したのか。

 本当は殺したくなんてないのか。

 ……あるいは、殺す価値も見いだせなくなったのか。


 一成さんの問いに、父上は答えない。

 代わりに、直方体の中を渦巻いていた水の色が、徐々に薄まってゆく。

 毒々しい紫色から、無色透明な純水へ。

 一成さんはピクリと眉を動かす。

 まもなく直方体を透過し、大量の水が溢れ始めた。


「――毒を封じる。であれば、毒の含まれない純水は盾の防御指定には含まれない」

「少し賢くなったじゃないか。毒を回収したわけだね」


 毒でなくしてしまえば、一成の盾は意味をなさない。

 ただの水となってしまえば、盾は防がず透すだけ。

 元毒水の純水は濁流のようにあふれ出し、直方体を離れ、再び球状を埋め尽くす。


「うん、ちょっと邪魔かな」


 一成さんはその様子を見て一言。

 ぱちりと指を鳴らすと、それらの水が球場の盾を透過し落下を始める。

 ……盾の防ぐ対象を変えたのだろうか。

 って、今は気にするべきはそっちじゃない!

 天守の庭へと大量の水が降り注ぐ。

 まるで巨大な滝と、迫りくる水の塊は濁流だ。

 咄嗟に弥人、優人、月姫の三人が動いたけれど……同時に僕も動けていた。

 一成さんの【自由】を見ていたから、かな。

 不思議と今なら、自然の輪郭をもっと広く扱える気がした。


 水を操っても水量は止まらない。

 かといって、この量の水を消失させるのは『自然』ではないだろう。

 なら、自然現象の範囲内で、この水を消すにはどうしたらいいか。

 足りない頭で考える。

 けれど、思いつくより先に体が動いていた。


「――蒸発」


 咄嗟に呟いた言葉。

 その瞬間、目の前の水全てが一気に『気体』へと昇華した。

 水から気体へ。

 本来なら膨大な熱量が必要な変化。

 それを作業手順も熱量も無視して、一段飛ばしで結果へ導いた。

 本来ならあり得ない、冷たい蒸気が肌を撫でてゆく。


 ……一成さんの戦いを見て、なんとなくわかったんだ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……うん、思った通りだ!」

「お、お前……いや、今のは……」

「段階飛ばしで結果の展開。……水と水蒸気を等号で結んで、あとは天能の出力に任せた力技。……物理法則を無視するあたり、まるで父上を見ているようですね……」

「いや……まだ偶然だよ。強くなるにはまだまだ足りない」


 そう言って空を見上げる。

 僕を見下ろし驚いた様子の一成さんと目が合った。

 どこまでも自由に、それでいてここぞという綻びは力技で。

 圧倒的な柔軟性と、出来ることの幅広さを武器とする。


 その在り方は、今の僕の延長線上にあるように思えた。

 それは、前々から思っていたこと。

『自然』を極めるのであれば、個の技を極めるべきか、多様性を極めるべきか。

 風、雷、雨、雪……それらの中から一つの災害を決めて鍛えるべきか。

 あらゆる災害を柔軟にその場に応じて使いこなしていくべきか。

 ……今回、橘一成の戦いを見て、僕は思った。


【多様性を極めたほうが、絶対に強い】と。


 様々な災害を使いこなし、あらゆる状況下へと完全に対応する。

 決めた、僕はそっちの道に進む。

 そっちの方が強くなれると今思った。

 僕は頭がわるいけれど……こればっかりは間違いない。

 僕が目指すべき姿は、アレだ。

 橘一成の根幹たる強さ。

 圧倒的な自由度。

 それさえ手に入れれば、僕は今よりずっと強くなる。


「……何か、掴んだ様子だな」

「うん! 優人には負けるだろうけどね!」


 僕がそう言うと、優人は微妙な顔をした。

 彼はしばらく考えていたが、結局それ以上言葉を返すこともなく。

 僕らが見上げた空の先で、橘一成は笑っていた。


「すごいね……物理法則無視しちゃったよ」

「……知識不足、それゆえに可能な無茶か」


 一成さんの言葉に父上が声を重ねる。

 僕は素直に『なるほど!』と思ったけど、一成さんは別だった。


「……君は、一々身内を貶さないと生きていられないのかい?」

「そんなわけはない。私は合理的に判断しているだけだ。いつだって……世界は理性で動いている。動かさねばならん」

「分からないかな。そういうのを言ってるんだよ」


 そう言って、一成さんは重ねて言った。



「なんて窮屈でつまらない生き方だ。君、生きてて面白くないだろ?」



 一成さんの何気ない言葉。

 それに対して、()()()()()()()()()()()()()


「窮屈? ……理性で動くことが、窮屈、だと」


 今まで、それなりに多くの時を彼と過ごして。

 それでも、1度として見た事のない父上の表情に、背筋が震えた。



「それは……()()()()()()()()()()()()()()()()()



 ーー怒り。

 その全身から、隠された感情が溢れ出す。

 無表情を貼り付けて。

 内心の憎悪を押し込めて。

 理性を留めながらも激昂する。


「やはりそうだ。貴様とはどうしても相容れない。私は人間である前に天守の当主である。であれば、自由など求めない。私がすべきは理性の追求、家の存続。当主としての責任を果たすことだ」


 これ以上なく器用な不気味さ。

 一成さんが、ここに来て初めて拳を構えた。


「耳が痛いね。凡人だから同情して欲しいかい?」

「不要だ。後にも先にも、私が欲するのは一つだけ」


 父上は、自身の目の前で合掌する。

 毎朝食卓で見るような、食事前のルーティーン(いただきます)

 しかし、その身から溢れる静けさが。

 静けさの中に隠された強烈な憎悪が。


 ()()()()()()()()と、本能を叩いた。


「ーーッ!? ち、父上それは!」

「周旋! 君、正気か!?」


 咄嗟に弥人と一成さんが反応する。

 弥人が両翼を広げる。

 それが()()()()()()()であると察したのは、その数瞬後だった。

 一成さんが両手を前方へ向け、無数の盾を放つ。

 それは、この瞬間に天守周旋を仕留めるため。


 この先を、なんとしてでも防ぐため。

 ここで殺すと、全身全霊で動き出す。



 ーーそれと、父上の始動はほぼ同時だった。




「【()()()()】」




 この距離で。

 そう聞こえたのは、事前にその言葉を知っていたから、だろう。

 現に、月姫や克也は、全く状況についてこられていない。

 知らなければ、まず対応できない。


 そのくせ、弥人から聞くによれば。


 天能臨界。

 極めたそれは、大抵は()()()()()()だ。




「【(つい)(シズク)】」




 ☆☆☆




『貴方は、天守の当主になるのよ』


 物心ついた時から、その言葉を聞いていた。


 天守家の四番目。


 それが僕の立場だった。

 才能に恵まれた長男。

 あらゆる知略に長けた長女。

 野心家で底知れない次男。

 そして、才能に欠けたパッとしない末弟。


 それが僕だった。


『貴方には才能があるの! そうに決まってるわ!』


 その金切声は、母親のものだった。

 女の声が頭の中から離れない。

 彼女は天守の当主……父上の妾だ。

 人間として腐っていた父上が浮気をし、それを隠蔽するために別荘へと幽閉した。どこにでもいる、天守に人生を狂わされた哀れな女性。

 それが、僕の母で。

 そんな母の息子である僕は、天守としては欠陥品だった。


『認めない、認めない!』


 母は、天守を恨んでいた。

 愛を失い、全てを失い。

 こんな辺境に幽閉されて。

 息子の僕を抱きしめながら、確かに狂っていた。


『私が、必ず貴方を天守の当主にしてあげるわ。ええ、なんにも心配はいらないの。だって学んだのだから。他人をどうやって蹴落とせば()()()()()()。身をもって教えてもらったのだから』


 母の夢は、天守を壊すこと。

 自分を壊した天守を。

 その全てを、奪うこと。


 僕なんて、せいぜい彼女の【駒】に過ぎない。


 愛は無い。

 抱きしめてもらっても、そこは冷たいだけだ。

 なにもないし、感じない。

 空っぽな心は埋まらない。


『簡単よ、すこーしずつ、みんなに毒を盛ればいいの』


 母は言う。

 息子に『お前の手を汚せ』と。

 将棋の駒を扱うように、平然と告げる。


『次期当主として、理性を保ちなさい。感情なんて捨てるのよ。貴方は天守の当主になるべく、どこまでも冷血に冷徹に、天守を殺す最適解だけを選び続ければいいの』


 僕は、まず三番目を殺した。

 最初はコイツだと母が言ったから。

 まだ若くて経験不足。

 それだけ取り入り安いと母が言ったから。

 僕は笑顔で仲良くして。

 あっさりと、彼の友好を裏切った。


『次はアイツよ。憎きあの女の血が濃くて……似てるんですもの』


 次は二番目だ。

 警戒されていたけど、大丈夫。

 どれだけ賢くとも、相手は女だ。

 まだ、僕の方が力は強かった。

 押さえつけて、毒を飲ませた。

 証拠が残らないようにするのは大変だったけど。

 平然と完全犯罪に仕立てる当たり、僕も天守の一員なのだろう。


 母の、僕を見る目が厳しくなった。


 母との会話が、少し減った。

 いくら天守の中での凡才であっても。

 一般人である母より、ずっと優れていると分かったのだろう。彼女が僕を見る目に、少し憎悪が混じり始めた。


 次に、僕は一番目と父上の二人を狙った。


 やることは簡単だ。

 屋敷に毒を巡らせるだけ。

 食事中、睡眠中。

 屋敷を毒で埋めつくせば、殺せるタイミングなんていくらでもあった。少しづつ、ちょっとずつ。気づかれないように細心の注意を払って……毒殺した。


 僕は、母の望み通り天守を解体した。


 四番目でありながら、僕は天守の当主になった。




 ーーだから()は、母を最後に始末した。




『な、んで……』


 血の中に沈む母親。

 どこまでも哀れな女を見下ろし、私は言う。


「どこまでも理性的に。あぁ、そうだよ母さん。私は理性的に判断した。どこまでも冷血に冷徹にーー私が統べる天守に、貴方は障害になると判断した」


 母の教え通りに、私は母を始末する。

 感情なんて押し殺せ。

 愛情なんて私は知らない。

 どこまでも冷徹に。

 人間ではなく【機械】として生きる。

 そう、決意した。



 そんな私が、しばらく続いて。


 その女に出会ったのは、その数年後のことだった。



『貴方ね天守って! 学校で一番偉いっていうヤツ!』



 その女は、ある日学内で私に絡んできた。

 無鉄砲に、なんにも考えることも無く。

 なんとなく、その場のノリで。


 私がかつて1度も向けられたことの無かった満面の笑みで。


 ふざけたことを宣った。



『お金持ちなんでしょ? 私と仲良くしましょうよ!』



 ……結論から先に言えば。

 その女が、後の妻になるとは思ってもいなかった。

 誰からも疎まれ、道具と利用されるだけ。

 家族を殺した。

 父を殺した。

 きっとその時点で、僕の心は限界だった。

 普通の少年として生きるには、僕の世界は残酷だった。


 だから【私】は、普通をやめた。

 天守の当主として。

 何事も冷静に冷酷に切り捨てる機械として。

 人の心を捨てるため、人でなしの仮面を被る。


 既に息絶えた母親を見下ろす。

 私は痛む心を『気のせいだ』と蹴り飛ばし。

 それでも最後に【人】として、本音を吐いた。


「……僕はあなたに、愛されたかっただけなんだ」


 次回『天守周旋』


 愛を失い、ゆえに人を愛する術を見失った男。

 人でなし、怪物の仮面を被った常識人。

 その男の在り方は――どこか、現代の怪物と酷似していた。

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