「頭が固いね、周旋」
橘一成はそう告げる。
彼は上着のポケットから両手を取り出した。
左右それぞれ、人差し指と親指を使い。
彼は、指で四角の窓を作る。
その四角形越しに毒を覗き込む彼の姿は。
まるで、デッサン前に全体像を図る画家のようで。
まるで、写真を撮るために被写体を覗き込むカメラマンのようで。
どこまでも戦場には相応しくない様相に、その場の全員が驚いた。
「うん、こんな感じかな」
軽い言葉と一緒になって。
橘一成は、指で世界をトリミングする。
「橘一成の名の下に、毒の一切を封じ防ぐ」
その瞬間、球状の盾の中にさらにもう一層の盾が生まれ落ちる。
形は完全な四角形、直方体。
おそらく一辺は二十メートル以上あるだろう。
薄く青みがかったソレは、父上を中心として成形された。
……しかし、驚くべきはその生成速度でも、大きさでもない。
一成さんの言った言葉。
――毒の一切を封じ防ぐ。
それが、目の前で現実となったことだ。
「……っ、これは――!
橘一成による、独断と偏見による暴論。
ただの言葉が、目の前で形と成る。
球状の盾内に溢れかえっていた毒の水と霧。
それらが一気に圧縮され、直方体の盾の中へと封じ込められた。
瞬くような刹那に起きた神業。
「……ッ!?」
四角の盾の中から、父上の焦りが伝わる。
父上が一成さんを殺す気で発した毒。
それが僅か瞬き一回にも満たない時間で、封殺された。
……父上は毒の中で藻掻いている。
それもそうだ。半径五十メートルはあろう球状の中を溢れていた大量の毒水。
それを一辺二十メートル前後の立方体に圧縮し、無理やり閉じ込めたのだ。
……と言うより、左右前後上下、それぞれ六枚の盾で各方向から防ぎ続けている……と言うべきなのかな。あまりにも盾の使い方が自由奔放過ぎて、もしかして違う能力なんじゃないかと疑いたくなるが、問題はその中に閉じ込められた人間の方だ。
父上に毒は効かないだろう。
だが、今の父上を襲うのは純粋な圧力。
人間が海底の圧力に耐えられないように。
父上は水と一緒に無理やりに圧縮され、強烈な負荷をその身に受け続けている。
「降参するかい? ……一応、降参されたら止めざるを得ないのだけれど」
一切の傷なく、一成さんが提案する。
殺すと宣言した彼は、何を思ってそう告げたのか。
純粋に父上へと同情したのか。
本当は殺したくなんてないのか。
……あるいは、殺す価値も見いだせなくなったのか。
一成さんの問いに、父上は答えない。
代わりに、直方体の中を渦巻いていた水の色が、徐々に薄まってゆく。
毒々しい紫色から、無色透明な純水へ。
一成さんはピクリと眉を動かす。
まもなく直方体を透過し、大量の水が溢れ始めた。
「――毒を封じる。であれば、毒の含まれない純水は盾の防御指定には含まれない」
「少し賢くなったじゃないか。毒を回収したわけだね」
毒でなくしてしまえば、一成の盾は意味をなさない。
ただの水となってしまえば、盾は防がず透すだけ。
元毒水の純水は濁流のようにあふれ出し、直方体を離れ、再び球状を埋め尽くす。
「うん、ちょっと邪魔かな」
一成さんはその様子を見て一言。
ぱちりと指を鳴らすと、それらの水が球場の盾を透過し落下を始める。
……盾の防ぐ対象を変えたのだろうか。
って、今は気にするべきはそっちじゃない!
天守の庭へと大量の水が降り注ぐ。
まるで巨大な滝と、迫りくる水の塊は濁流だ。
咄嗟に弥人、優人、月姫の三人が動いたけれど……同時に僕も動けていた。
一成さんの【自由】を見ていたから、かな。
不思議と今なら、自然の輪郭をもっと広く扱える気がした。
水を操っても水量は止まらない。
かといって、この量の水を消失させるのは『自然』ではないだろう。
なら、自然現象の範囲内で、この水を消すにはどうしたらいいか。
足りない頭で考える。
けれど、思いつくより先に体が動いていた。
「――蒸発」
咄嗟に呟いた言葉。
その瞬間、目の前の水全てが一気に『気体』へと昇華した。
水から気体へ。
本来なら膨大な熱量が必要な変化。
それを作業手順も熱量も無視して、一段飛ばしで結果へ導いた。
本来ならあり得ない、冷たい蒸気が肌を撫でてゆく。
……一成さんの戦いを見て、なんとなくわかったんだ。
「……うん、思った通りだ!」
「お、お前……いや、今のは……」
「段階飛ばしで結果の展開。……水と水蒸気を等号で結んで、あとは天能の出力に任せた力技。……物理法則を無視するあたり、まるで父上を見ているようですね……」
「いや……まだ偶然だよ。強くなるにはまだまだ足りない」
そう言って空を見上げる。
僕を見下ろし驚いた様子の一成さんと目が合った。
どこまでも自由に、それでいてここぞという綻びは力技で。
圧倒的な柔軟性と、出来ることの幅広さを武器とする。
その在り方は、今の僕の延長線上にあるように思えた。
それは、前々から思っていたこと。
『自然』を極めるのであれば、個の技を極めるべきか、多様性を極めるべきか。
風、雷、雨、雪……それらの中から一つの災害を決めて鍛えるべきか。
あらゆる災害を柔軟にその場に応じて使いこなしていくべきか。
……今回、橘一成の戦いを見て、僕は思った。
【多様性を極めたほうが、絶対に強い】と。
様々な災害を使いこなし、あらゆる状況下へと完全に対応する。
決めた、僕はそっちの道に進む。
そっちの方が強くなれると今思った。
僕は頭がわるいけれど……こればっかりは間違いない。
僕が目指すべき姿は、アレだ。
橘一成の根幹たる強さ。
圧倒的な自由度。
それさえ手に入れれば、僕は今よりずっと強くなる。
「……何か、掴んだ様子だな」
「うん! 優人には負けるだろうけどね!」
僕がそう言うと、優人は微妙な顔をした。
彼はしばらく考えていたが、結局それ以上言葉を返すこともなく。
僕らが見上げた空の先で、橘一成は笑っていた。
「すごいね……物理法則無視しちゃったよ」
「……知識不足、それゆえに可能な無茶か」
一成さんの言葉に父上が声を重ねる。
僕は素直に『なるほど!』と思ったけど、一成さんは別だった。
「……君は、一々身内を貶さないと生きていられないのかい?」
「そんなわけはない。私は合理的に判断しているだけだ。いつだって……世界は理性で動いている。動かさねばならん」
「分からないかな。そういうのを言ってるんだよ」
そう言って、一成さんは重ねて言った。
「なんて窮屈でつまらない生き方だ。君、生きてて面白くないだろ?」
一成さんの何気ない言葉。
それに対して、
「窮屈? ……理性で動くことが、窮屈、だと」
今まで、それなりに多くの時を彼と過ごして。
それでも、1度として見た事のない父上の表情に、背筋が震えた。
「それは……
ーー怒り。
その全身から、隠された感情が溢れ出す。
無表情を貼り付けて。
内心の憎悪を押し込めて。
理性を留めながらも激昂する。
「やはりそうだ。貴様とはどうしても相容れない。私は人間である前に天守の当主である。であれば、自由など求めない。私がすべきは理性の追求、家の存続。当主としての責任を果たすことだ」
これ以上なく器用な不気味さ。
一成さんが、ここに来て初めて拳を構えた。
「耳が痛いね。凡人だから同情して欲しいかい?」
「不要だ。後にも先にも、私が欲するのは一つだけ」
父上は、自身の目の前で合掌する。
毎朝食卓で見るような、食事前の
しかし、その身から溢れる静けさが。
静けさの中に隠された強烈な憎悪が。
「ーーッ!? ち、父上それは!」
「周旋! 君、正気か!?」
咄嗟に弥人と一成さんが反応する。
弥人が両翼を広げる。
それが
一成さんが両手を前方へ向け、無数の盾を放つ。
それは、この瞬間に天守周旋を仕留めるため。
この先を、なんとしてでも防ぐため。
ここで殺すと、全身全霊で動き出す。
ーーそれと、父上の始動はほぼ同時だった。
「【
この距離で。
そう聞こえたのは、事前にその言葉を知っていたから、だろう。
現に、月姫や克也は、全く状況についてこられていない。
知らなければ、まず対応できない。
そのくせ、弥人から聞くによれば。
天能臨界。
極めたそれは、大抵は
「【
☆☆☆
『貴方は、天守の当主になるのよ』
物心ついた時から、その言葉を聞いていた。
天守家の四番目。
それが僕の立場だった。
才能に恵まれた長男。
あらゆる知略に長けた長女。
野心家で底知れない次男。
そして、才能に欠けたパッとしない末弟。
それが僕だった。
『貴方には才能があるの! そうに決まってるわ!』
その金切声は、母親のものだった。
女の声が頭の中から離れない。
彼女は天守の当主……父上の妾だ。
人間として腐っていた父上が浮気をし、それを隠蔽するために別荘へと幽閉した。どこにでもいる、天守に人生を狂わされた哀れな女性。
それが、僕の母で。
そんな母の息子である僕は、天守としては欠陥品だった。
『認めない、認めない!』
母は、天守を恨んでいた。
愛を失い、全てを失い。
こんな辺境に幽閉されて。
息子の僕を抱きしめながら、確かに狂っていた。
『私が、必ず貴方を天守の当主にしてあげるわ。ええ、なんにも心配はいらないの。だって学んだのだから。他人をどうやって蹴落とせば
母の夢は、天守を壊すこと。
自分を壊した天守を。
その全てを、奪うこと。
僕なんて、せいぜい彼女の【駒】に過ぎない。
愛は無い。
抱きしめてもらっても、そこは冷たいだけだ。
なにもないし、感じない。
空っぽな心は埋まらない。
『簡単よ、すこーしずつ、みんなに毒を盛ればいいの』
母は言う。
息子に『お前の手を汚せ』と。
将棋の駒を扱うように、平然と告げる。
『次期当主として、理性を保ちなさい。感情なんて捨てるのよ。貴方は天守の当主になるべく、どこまでも冷血に冷徹に、天守を殺す最適解だけを選び続ければいいの』
僕は、まず三番目を殺した。
最初はコイツだと母が言ったから。
まだ若くて経験不足。
それだけ取り入り安いと母が言ったから。
僕は笑顔で仲良くして。
あっさりと、彼の友好を裏切った。
『次はアイツよ。憎きあの女の血が濃くて……似てるんですもの』
次は二番目だ。
警戒されていたけど、大丈夫。
どれだけ賢くとも、相手は女だ。
まだ、僕の方が力は強かった。
押さえつけて、毒を飲ませた。
証拠が残らないようにするのは大変だったけど。
平然と完全犯罪に仕立てる当たり、僕も天守の一員なのだろう。
母の、僕を見る目が厳しくなった。
母との会話が、少し減った。
いくら天守の中での凡才であっても。
一般人である母より、ずっと優れていると分かったのだろう。彼女が僕を見る目に、少し憎悪が混じり始めた。
次に、僕は一番目と父上の二人を狙った。
やることは簡単だ。
屋敷に毒を巡らせるだけ。
食事中、睡眠中。
屋敷を毒で埋めつくせば、殺せるタイミングなんていくらでもあった。少しづつ、ちょっとずつ。気づかれないように細心の注意を払って……毒殺した。
僕は、母の望み通り天守を解体した。
四番目でありながら、僕は天守の当主になった。
ーーだから
『な、んで……』
血の中に沈む母親。
どこまでも哀れな女を見下ろし、私は言う。
「どこまでも理性的に。あぁ、そうだよ母さん。私は理性的に判断した。どこまでも冷血に冷徹にーー私が統べる天守に、貴方は障害になると判断した」
母の教え通りに、私は母を始末する。
感情なんて押し殺せ。
愛情なんて私は知らない。
どこまでも冷徹に。
人間ではなく【機械】として生きる。
そう、決意した。
そんな私が、しばらく続いて。
その女に出会ったのは、その数年後のことだった。
『貴方ね天守って! 学校で一番偉いっていうヤツ!』
その女は、ある日学内で私に絡んできた。
無鉄砲に、なんにも考えることも無く。
なんとなく、その場のノリで。
私がかつて1度も向けられたことの無かった満面の笑みで。
ふざけたことを宣った。
『お金持ちなんでしょ? 私と仲良くしましょうよ!』
……結論から先に言えば。
その女が、後の妻になるとは思ってもいなかった。
誰からも疎まれ、道具と利用されるだけ。
家族を殺した。
父を殺した。
きっとその時点で、僕の心は限界だった。
普通の少年として生きるには、僕の世界は残酷だった。
だから【私】は、普通をやめた。
天守の当主として。
何事も冷静に冷酷に切り捨てる機械として。
人の心を捨てるため、人でなしの仮面を被る。
既に息絶えた母親を見下ろす。
私は痛む心を『気のせいだ』と蹴り飛ばし。
それでも最後に【人】として、本音を吐いた。
「……僕はあなたに、愛されたかっただけなんだ」
次回『天守周旋』
愛を失い、ゆえに人を愛する術を見失った男。
人でなし、怪物の仮面を被った常識人。
その男の在り方は――どこか、現代の怪物と酷似していた。
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