ヒトは猫になれない(ショートショート)

※性的な表現が苦手な方は閲覧をお控え下さい



俺は究極の選択に迫られていた。猫と性行為を行うか否かである。

一か月前、彼女と連絡が取れなくなった。学生時代に男女の交際を知ることができず、人と会いたくないので外にも出ず、趣味も無い。ただ決まった時間に起床し決まった時間に労働を行い、決まった時間に家に帰り決まった時間に眠るだけの童貞機械人間である。

「それができる人間がどれほど貴重か、あなたはまだ分っていないんですね」

彼女は私をそう救った。彼女は私の職場であるファミリーレストランに毎日開店時刻ちょうどに来店し、目玉焼きセットのモーニングを注文する。7:3の割合で分けられた前髪に後ろで一つに束ねられた黒く真っすぐな後ろ髪、細い銀縁フレームの眼鏡、皺の無いスーツに半熟の黄身が付着しないようにナイフとフォークで丁寧に切り分けて口に運ぶさまが、私にはまるで異国のお姫様のように見えた。

「いつも朝早くから働いてらっしゃって、尊敬します」

と話しかけられたとき、モーニングセットの名前以外の言葉を連ねる彼女の声を初めて聞いて動揺してしまった私は、

「いいいぃやあ!求人サイトをワンタップしてまともみたいにして面接に答えて入った、効率上げても時給の上がらない誰でもできる仕事ですよ!!みっともない、あなたみたいなちゃんとした仕事をしてる人の前じゃ……」

なんて彼女の仕事も知らないで、矢継ぎ早に卑屈な言葉を発してしまった。しまった、と体温が急降下して心臓が音を立てて波打つ頃には、彼女は目をまん丸にして驚いたようにこちらを見つめていた。俺にはとてつもなく長く感じられた沈黙のあと、彼女は耐えきれぬといったように吹き出して、こちらをちらりと見てうふふと笑った。

「あなた面白いですね。素敵です。いや馬鹿にしているわけじゃなくて。すごく真面目な方なんだろうなぁって」

「そ、そうですか?ででででもでも全部本当のことで、それに僕趣味だって一つも無いんです。連絡するような相手もいないし、というかいたことないし、決まった時間に寝て起きて仕事に行って。毎日何も変わらないんです。つまんないです僕は」

からの、その、その言葉に、俺は恍惚としてしまった。雲の上に浮かんだようにのぼせた俺の脳内は、その日以降、彼女に最高の片面蒸し目玉焼きを提供することで頭がいっぱいになり、毎日一分足らずの会話ができることに感謝し続けた。そうしているうちに、連絡先を交換して、お付き合いへと発展した。

 そんな彼女と、連絡がつかない。何度メッセージを送っても、電話をかけても、彼女から反応が返ってくることは無い。心配だ。何かあったのかもしれない。拉致監禁、今頃食料にありつけずひもじい思いをしているかもしれない。彼女と連絡を取る必要がある。

 なんて、そんなの表面上の理由に過ぎない。本当は、彼女にもう一度会いたい。二度と彼女に会えないなんて嫌だ。嫌われたなんて信じたくない。彼女の年収には勝てなかったから、掃除洗濯を全部したし、休日には私の部屋に遊びに来た彼女にファミレスで培ったアルデンテなパスタを作ったじゃないか。どこで間違えたのだ。俺は彼女に愛想をつかされてなんていない。嫌われてなんていない。会いたい。そして愛していると言ってくれ。

 なんて、それも理由のひとつだ。だがこれは綺麗な方の理由だ。汚い方の理由は

「……セックス」

思考から漏れ出た俺のガサついた声が、築40年のワンルームにこだました。

 もちろんそのために彼女と交際したわけではない。だがむしろ、性経験の無い30手間の男がそれを心待ちにしていなかったなんてそんなわけないではないか。セックスがしたい、彼女と。セックス。セックスセックスセックス。

 いゃーお。

 ふと声の聞こえたほうに目をやると、開放していた窓から見慣れた猫が侵入していた。額の中心から鼻にかけて八の字に毛色が白と黒に分かれた猫で、こいつは彼女と連絡がつかなくなった丁度翌日から私の部屋に来るようになった。最初はハンガーを振り回したりして追い返していたのだが、こいつが毎日家に来ること、彼女と連絡がつかなくなったタイミングとこいつがうちに来るようになったタイミング、そして彼女の前髪を思わせるハチワレ模様が、馬鹿な話だが、彼女はもしかしてこの猫になってしまったのではないかと疑ってしまってやまないのだ。

 試しにこの猫を裏返してやると、確かに女の子だ。すると無抵抗に仰向けになったこいつは、私に白い腹と性器を向けたまま、脱力し始めた。嫌がる素振りなんてひとつもなかった。

 なんだか俺を許しているみたいじゃないか。と、そのとき笑えるくらいに俺のブツは熱く肥大化し、まるで天井を突き抜けるようになった。大丈夫、優しくするから。

 彼女に見せつけるように、ズボンとパンツを下ろす。そのほうが入りやすいんじゃないかと、先端を彼女のほうに向けた。

 のだが。

 誤った。

 力が入りすぎた。

 なんて間抜けなのだろう。緊張のあまり強く握りすぎた拍子に、芯を吐き出してしまった。俺のそれが彼女の股の間に力なく落ちると、彼女はゆっくりと体を起こし、ぺろりとそれを舐めた。とたんブルブルッと生霊でも見たかのように全身の毛を逆立てると、キシー!!と叫び声をあげて私の額をひっかいた。そして逃げるように外に出て行ってしまった。情けなくうなだれたイチモツと俺とワンルームだけがこの日本から隔絶されてしまったみたいな静けさのなか、俺は「んはは」と笑ってティッシュで惨事をふき取り、明日の仕事のために決まった時間に眠った。それ以降この猫は二度と俺の部屋に来なくなったし、数週間後に、彼女がスーパーで別の男と買い物をしているのを見かけるのはまた後日話せばいい。



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