第九十一話『怒り』
秘密の部屋に姿現したハリーは周囲の反応に首を捻った。他の生徒達はともかく、ドラコやアステリアまで絶望の表情を浮かべている。
「なんだ……? おい、いったい……」
そこで、ハリーは奇妙な光景が広がっている事に気付いた。
アルバス・ダンブルドアが床に横たわっているのだ。秘密の部屋内には屋敷しもべ妖精達が運び込んだベッドが並んでいる。それなのに、硬い床で眠っている理由が分からない。
「ダンブルドアはなんで床で寝てるんだ?」
問い掛けても、誰も答えない。まるで、喋り方を忘れてしまったかのように口をパクパクさせている。
ハリーはローゼリンデと顔を見合わせると、やれやれと肩を竦めた。
「疲れたのか? それにしたって、床で寝る事はないだろ。というか、誰かベッドに連れて行ってやれよ」
ハリーは仕方なくダンブルドアをベッドに運ぶ為に近寄った。そして、奇妙な事に気付いた。
「……あれ?」
「ど、どうしたのですか? ハリー」
ローゼリンデが問い掛けると、ハリーは不思議そうに呟いた。
「……息をしていない?」
ハリーは慌ててダンブルドアの口元に耳を近づけた。聞こえるべき呼吸音が聞こえない。
目を見開きながら、慌てて杖をダンブルドアに向ける。
「アナプニオ!」
気道を開く呪文を掛ける。けれど、ダンブルドアの呼吸は戻らない。
「エネルベート!」
意識を失っている者を目覚めさせる呪文を唱える。けれど、ダンブルドアの意識は戻らない。
「ど、どうしてだ!? 呪文か! フィニート・インカンターテム!」
呪文を終わらせる呪文を使う。けれど、ダンブルドアに掛けられた呪文は何もなかった。
「……おい、どういう事だ!? みんなも何をしているんだ!? ダンブルドアが息をしていないんだぞ!! マダム・ポンフリーはどこにいる!?」
「ここに居ますわ……、ハリー・ポッター」
マダム・ポンフリーはハリーの背後に立っていた。
「居るなら早く治療しろよ!? 死んじまうぞ!!」
ハリーの言葉にマダム・ポンフリーは悲しげな表情を浮かべた。
「……死者を治療する事は出来ません」
「はぁ……?」
ハリーはポカンとした表情を浮かべた。
「死者って……、ダンブルドアだぞ!?」
ハリーは取り乱した。ダンブルドアに
けれど、彼が息を吹き返す事はなく、その手に恐る恐る触れてみると、その冷たさに目を見開いた。
「馬鹿な……。嘘だろ……。なんで……?」
ハリーは呆然とダンブルドアの亡骸を見つめた。
「なんで、ダンブルドアが死んでいるんだ!?」
彼が叫ぶと、誰もが悔しそうな表情を浮かべた。
「……不意を打たれたんだ」
ニュートが言った。
「奴は……、ゲラート・グリンデルバルドは突然現れた。そして……、抵抗する間もなかった。ダンブルドアにアバダ・ケダブラを使ったんだ……」
「グリンデルバルドだと……? なんで……、そいつは半世紀前にダンブルドアに倒されてヌルメンガードに投獄された筈だろ!?」
「わからないんだ!」
ニュートは頭を掻き毟りながら怒鳴った。
「……わからないんだよ、ハリー。どうしてアイツが今更現れたのかも……、なんでダンブルドアを殺したのかも……、それに……、それに、アイツは……」
「本当に……」
ローゼリンデは呆然と呟いた。
「……本当にダンブルドア先生は死んだのですか?」
「そうだよ……。そうだよ、ロゼ。ダンブルドアは……、死んだ」
ニュートの言葉に彼女は涙ぐんだ。
「わ、わたしのせいで……」
「違う!」
ローゼリンデの言葉にハリーは怒鳴った。
「で、でも、ハリーが居れば……。わたしがハリーを……、そのせいで……」
「違うと言っているだろ! ロゼのせいじゃない! ダンブルドアを殺したのはグリンデルバルドだと、ニュートが言っていただろう!」
みんなが不思議そうにハリーとローゼリンデを見つめる。今になって、どうしてハリーが彼女と一緒に帰ってきたのか疑問に思い始めたのだ。
「……クソッ! クソ……、クソが……、ファック!! ダンブルドア……。オレの……、オレの敵なんだぞ!!」
ハリーは苦しそうに叫んだ。
「オレは……、オレはダンブルドアを超えて……、あらゆる面で凌駕して……、それで……、それで、《参った》と言わせたかったんだ!!!」
彼は涙を零していた。憎んでいた筈の相手の死が哀しくて仕方がなかった。辛くて仕方がなかった。
「……死んでしまったら、もう……、超えられないじゃないか!! 巫山戯るな……、巫山戯るなよ、グリンデルバルド!!! よくも……、よくも、このオレ様の宿敵を……、よくも!!!」
ハリーの瞳が淀んでいく。底知れない憎悪と憤怒が彼の内側から溢れ出していく。
「……ハリー」
そんな彼に、ドラコは意を決した表情で声を掛けた。
誰もが待ってくれと彼に手を伸ばす。今のハリーに
ここには彼を止められる唯一の存在がいないのだ。
けれど、彼は言った。
「ハーマイオニーが連れ去られた」
「……は?」
ハリーはドラコを見た。
「なんて言ったんだ……?」
「グリンデルバルドはダンブルドアを殺した後、ハーマイオニーを連れ去ったんだ。すまない、ハリー……。僕は近くに居ながら、彼女を守れなかった」
頭を下げるドラコをハリーは見ていなかった。
何もない虚空を見上げながら、彼は呼吸を繰り返す。
そして、その瞳は徐々に赤く染まっていく。
「……ハーマイオニーを連れ去った」
ハリーは呟いた。
「オレ様の宿敵を殺した上に、ハーマイオニーを連れ去っただと……」
禍々しく輝く真紅の眼光を、彼はドラコに向けた。
「……ドラコ、ロゼを頼むぞ」
「あ、ああ……」
ハリーはドラコに背を向けた。そして、ダンブルドアを見つめて、彼を抱き上げた。
「……マーキュリー、ベッドを」
「かしこまりました」
バチンという音と共にマーキュリーはベッドを用意した。
そこにハリーはダンブルドアを横たえる。
「勝ちたかったぞ、オレ様は……。オレ様は貴様に勝ちたかった!!」
ハリーは深く息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと吐き出した。
「ぶっ殺す」
その言葉をホグワーツの生徒や教師はよく知っていた。
その言葉を向けられた者は生き残れない。必ず殺すとハリーが決めた事を示す言葉だからだ。
「ぶっ殺す、グリンデルバルド!!!!」
雄叫びを上げるハリーにマーキュリーが跪く。すると、次々に屋敷しもべ妖精達が彼に跪いた。
「どうか、我らをお使い下さいませ! ハリー・ポッター様!! 御身の敵を打ち倒す為、この身、この命をお使い下さいませ!」
「どうか! ハリー・ポッター様!!」
「我らの命をお使い下さいませ!」
「御身の敵を打ち倒す為に!」
狂信的な眼差しをハリーに向ける屋敷しもべ妖精達。
すると、ローゼリンデも彼らに触発されてハリーの前に跪いた。
「ハリー! どうか、わたしの命も使って下さい!」
彼らは心から望んでいる。自分達の命をハリーが使い捨てる事を望んでいる。
彼に使ってもらえる事こそが幸福であり、その為に散るならば本望だと。
彼らの意を汲みながら、ハリーは言った。
「断る。オレ様は一人でいく」
ハリーはローゼリンデとマーキュリーの頭を撫でた。
すると、彼の眼の前に、突如として炎が膨れ上がった。
「……不死鳥か?」
炎の如き真紅の翼を持つ美しい鳥は嘆きの歌を歌った。
そのあまりにも哀しい旋律に誰もが言葉を失う中で、ハリーは不死鳥が自分を見つめている事に気がついた。
「来るか?」
不死鳥は静かにハリーの肩に止まった。
穏やかな気性で知られる不死鳥だが、その瞳には怒りの感情が浮かんでいた。
「行くぞ、フォークス」
フォークスは短く鳴いた。そして、ハリーは秘密の部屋を後にした。
第九十一話『怒り』
ハリーがまず向かった先は禁じられた森だった。
シーザーとエグレ、そして、ケンタウロスに取り囲まれた人々は僅かな間に何十年も歳を取ったかのような状態になっていた。
そんな哀れな姿に構わず、ハリーは近くの者から順番に開心術を使った。問答無用で十人の心を暴くと、ハリーは十人目の男と六人の男女に杖を向けた。
「ブラキアム・イレーズ」
それは骨を消失させる呪文だ。骨を失った彼らの姿に悲鳴が響き渡る。
「スクリムジョール局長」
ハリーは彼らを無視して、憔悴した様子のスクリムジョールに声を掛けた。
「ハリー・ポッター。やはり、無事だったのだな」
この状況においても、彼はハリーの無事に安堵した。
「……ダンブルドアが死んだ」
「なに!?」
目を見開く彼に、ハリーは骨を消失させた七人を指さした。
「奴等はヴォルデモートを手引きした。連中の記憶を漁れば、魔法省内のゴミ共も見つけ出す事が出来る。そっちは任せるぞ」
「ま、待て! 君はどうする気だ!?」
ハリーは言った。
「グリンデルバルドをぶっ殺す。そして、ハーマイオニーを奪い返す」
その言葉と共にバチンという音が響いた。
「ハ、ハリー・ポッター様!」
現れたのはドビーだった。
「み、見つけ……、ました!! ハ、ハーマイオニー・グレンジャー様を……ゴフッ、連れ去った……、ぼ、暴漢の居場所を! ド、ドビーは……ゲホッ、オエッ、み、見つけました!」
「ド、ドビー……」
ハリーは目を見開いた。ドビーは傷だらけだった。喋る度に血を吐いている。
「しゃ、喋るな、ドビー! ヌルメンガードに居る事は分かっている! だから、すぐに治療を!」
ハリーがエピスキーを唱えようとすると、ドビーは首を横に振った。
「ち、違います! ヌルメンガー……ウェップ、ガードではありません! ゲフッ……、アグッ……、ロンドンで御座います! 攻撃を受けて……、ドビーは墜落しました……ガフッ。そのふ、フリをしたのでございます! そ、そして、あやつめが廃墟に……オェ……、ゲフゴホッ、は、廃墟にハーマイオニー・グレンジャー様を連れ込むのを……ゲホゲホ…………アッ、う……」
ドビーは倒れ込んでしまった。
「ドビー。まずは治療を!」
「こ、心を……、ハリー・ポッター様……。読んで……」
「ドビー……」
フォークスがそっとハリーの肩を離れた。
そして、気を失いかけているドビーに向かって涙を零し始めた。
「……ありがとう、フォークス」
ハリーもエピスキーを唱えた。
一刻を争うが、この勇敢な屋敷しもべ妖精を死なせるわけにはいかなかった。
「ありがとう……、ドビー」
ハリーの瞳の色が徐々に戻っていく。
ドビーの勇気と覚悟、そして、自己犠牲の心が彼の感情を鎮まらせた。
やがて、彼の治療が終わると、ハリーは「すまない」と呟きながら、ドビーの心を覗き込んだ。
「……ありがとう、ドビー。そして、君が目を覚ましたら言わせてもらうよ。どうか、自分を許してやってくれと……」
ドビーは嘗て、ドラコに取り憑いていたヴォルデモートの分霊に利用された事がある。
ドラコを傷つけ、ハリーを窮地に追いやった。
その事に、今も自責の念を抱いていた。
「君の覚悟、確かに受け取ったぜ!」
大地が揺れる。シーザーとエグレが彼の下へやって来た。
二匹は戦う時が来た事を悟ったのだ。
『……ん? マスター。杖はどうした?』
エグレが問う。
「燃え尽きた。だが、アズカバンで手に入れた杖がある」
ローゼリンデの杖は彼女に返したが、アズカバンの囚人の杖は今も彼の手元にある。
杖を取り出してみせると、エグレは人に変身した。
「マスター。これを使え」
そう言うと、エグレはヴォルデモートを宇宙に追放する前に取り上げておいた彼の杖をハリーに渡した。
「……ありがたいが、杖には忠誠心がある。戦って奪わなければ、忠誠心は手に入らないぞ」
「問題ない。我はマスターの下僕だ。我の力は汝の力であり、我が奪い取った杖の忠誠心も、汝の物となっている筈だ」
「そういうものなのか……?」
ハリーは首を傾げながらエグレからヴォルデモートの杖を受け取った。
すると、驚くほど手に馴染んだ。まるで、燃え尽きてしまった以前の杖と変わらない感覚だ。
試しに呪文を唱えてみれば、その杖は完璧な仕事をこなした。
「……素晴らしいな。ありがとう、エグレ」
「礼など不要だ。我はマスターの下僕なのだからな」
そう言うと、エグレはシーザーに飛び乗った。ハリーも続こうと杖を振りかけたが、その前にフォークスに持ち上げられた。
「……よし、いくぞ! 目指すはロンドンだ!」
ハリーの言葉にシーザーは雄叫びをあげる。
「お、おい待て! ハリー・ポッター! まさか……、まさか、ホーンテイルに乗ってロンドンに行く気なのか!?」
スクリムジョールが悲鳴じみた声をあげた。
「ああ、その通りだ! いくぞ!」
スクリムジョールを筆頭に、何人かの大人達が必死に何かを叫んでいたが、ハリーは聞く耳を持たなかった。
シーザーが翼をはためかせる。
そして、彼らは飛んだ。目指すは決戦の地、ロンドン。