ハーマイオニー・グレンジャーは廃墟に連れ込まれた。抵抗する為の杖を奪われて、椅子に縛り付けられた。
それでも、彼女は怯えなかった。魔法で廃墟に嘗ての輝きを取り戻させていく男の背中を睨みつけている。
第九十話『より大きな善のために』
廃墟が豪邸に変わると、ゲラート・グリンデルバルドは彼女に向き直った。
「ハーマイオニー・グレンジャー。ハリー・ポッターの恋人であり、成績は学年のトップを彼と競い合っていると聞く。素晴らしい。学生の鑑だな」
「……どうも」
グリンデルバルドは微笑んだ。
「勇敢だな。このような状況に陥った者の中で、君のような態度を取れた者は少ない。ああ、彼が君を選んだ理由が分かるよ。歳が同じなら、わたしも君に求愛していた事だろう」
「気色が悪いわ」
すげなく言う彼女に彼は笑った。
「確かに、今のは気色が悪かった。すまない、許してくれ」
ユーモラスな微笑みに、ハーマイオニーは初めて恐怖を感じた。
少しの会話の間に、彼女は彼に対して、僅かな親しみを感じそうになった。
気を緩めたつもりはないのに、警戒を解きかけてしまった。
「……結構。君は格別な存在だと認めよう。知性と勇気、そして、鋼の如き意志を持っている。年若い乙女とは思わず、一流の存在として扱わせて頂くよ」
そう言うと、彼はいつの間にか用意したティーポットから紅茶をカップに注ぎ入れた。
「良い香りだ」
ハーマイオニーは警戒した表情で紅茶の入ったカップを睨んだ。
「安心しなさい。君に危害は加えないよ。少なくとも、今は」
「……どうして、わたしを連れて来たの?」
ハーマイオニーは問い掛けた。
「聞く意味があるのかね? もちろん、ハリー・ポッターを殺すためだ。君の存在は彼にとって致命的な弱点なのだよ。だから、連れて来た」
予想通りの答えだった。それでも、ハーマイオニーは目を見開いた。
「どうして!? なんで、ハリーを殺すの!?」
彼女は眼の前の男の正体を知っている。
ゲラート・グリンデルバルドの名を知らない者は、よほどの勉強嫌いなマグル生まれだけだ。
多少なりとも勉学に打ち込めば、知らずには居られない。
ヴォルデモート登場以前に名を馳せた伝説的な大悪党。その名は英国に留まらず、米国や中国、ロシアにも知れ渡っていた。
けれど、彼が活動していたのは半世紀以上も昔の事だ。アルバス・ダンブルドアに敗れて以降、彼は自身が建造した私設監獄ヌルメンガードに投獄されていた。
その彼が今頃表舞台に現れて、ハリーを殺す理由が分からなかった。
「……悪党だから? だから、悪を為すというの!?」
ハーマイオニーの言葉にグリンデルバルドは愉快そうに笑った。
今世紀最高のジョークを聞いたかのように、目元には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「そう慌てるな、ハーマイオニー。もちろん、君には識る権利がある。何故なら、君はこれから死ぬ事になるからだ。理由すら分からぬまま殺される事は……、あまりにも残酷だ」
その言葉にハーマイオニーは唇を噛み締めた。
彼は彼女を殺すと言ったのだ。処刑する事を宣告されて、平然としていられる人間などいない。彼女の顔は徐々に青褪めていき、やがては病的な程に白くなった。
すると、グリンデルバルドは手を叩いて彼女の意識を自分に向けさせた。
「ハーマイオニー。君は《吟遊詩人ビードルの物語》を知っているかな?」
「……え、ええ、聞いた事くらいなら」
「素晴らしい。勤勉な君なら、魔法界の児童書にも関心を寄せていると思ったよ。子供向けと侮る者が大半を占めるが、実に愚かな事だ。そこに真実があると、彼らは永遠に気づく事が出来ない」
「真実……?」
ハーマイオニーは恐怖を紛らわそうと口を動かした。
「そうだ、ハーマイオニー。特別に読み聞かせてあげよう」
そう言うと、宣言通りに彼は児童書の内容を諳んじ始めた。
「―――― 昔々、三人の兄弟が寂しく曲がりくねった道を、夕暮れ時に旅していました」
不可解そうな表情を浮かべるハーマイオニーを尻目に、彼は語り続けた。
「やがて、兄弟は歩いて渡れない程に深く、泳いで渡るには危険過ぎる川に辿り着きました。けれど、三人は魔法を学んでいたので、杖を一振りしただけでその危ない川に橋を掛ける事が出来ました。その橋を半分程渡った所で、三人はフードを被った何者かが行く手を塞いでいる事に気づきました。そして……、《死》が三人に語りかけてきました」
死が語りかけてくる。それはお伽噺らしい、荒唐無稽な内容だった。
けれど、ハーマイオニーは恐ろしさを感じて身を震わせた。
「三人の新しい獲物にまんまとしてやられてしまったので、《死》は怒っていました。それというのも、旅人はたいてい、その川で溺れ死んでしまうものだからです。けれど、《死》は狡猾でした。三人の兄弟が魔法を使った事を褒めるふりをして、《死》を免れる程に賢い彼らへそれぞれ褒美を与えると言いました。一番上の戦闘好きな兄はあらゆる杖の中でも最も強い杖を望み、二番目の傲慢な兄は《死》を辱める為に人々を《死》から呼び戻す力を求め、一番下の弟は死の追跡を逃れる術を欲しました。《死》は彼らの望むままの物を与えて、三人が旅を続けられるように道を開けました。三人は《死》との出会いと贈り物に感嘆しながら旅を続けていき、やがてそれぞれの道に分かれていきました。一番上の兄はとある村に立ち寄ると、彼は決闘を行い、《死》から与えられた《ニワトコの杖》によって勝利を手にしました。彼は旅籠に向かうと、大声で杖の事を自慢したのです。自分は無敵になったのだと。その晩の事、一人の魔法使いが酔いつぶれた一番上の兄に忍び寄り、彼の杖を盗みました。そして、ついでに彼の喉を掻き切りました。そうして、《死》は一番上の兄を自分のものにしました。一方で、二番目の兄は故郷に戻り、早速《死》から与えられた《命の石》を手の中で三回転がしました。すると、驚いた事に、若くして死んだ、彼が結婚を夢見ていた女性が現れたのです。しかし、彼女は哀しそうで冷たく、二番目の兄とはベールで仕切られているかのようでした。この世に戻って来たものの、彼女は現世に馴染む事が出来なくて苦しみました。二番目の兄は望みのない思慕で狂いそうになり、彼女と本当に一緒になる為に、とうとう自らの命を絶ちました。そうして、《死》は二番目の兄も自分のものにしました。しかし、三番目の弟は《死》がどれほど探しても決して見つける事が出来ませんでした。彼はとても高齢になった時、ようやく《透明マント》を脱ぎ去り、息子にそれを与えました。三番目の弟は《死》を古き友人として迎え、喜んで《死》と共に行き、同じ仲間として一緒にこの世を去ったのです」
朗々と語られる物語は優れた児童書が子供に教訓を与えるように、死というものを考えさせる内容だった。
グリンデルバルドは紅茶を飲み干して言った。
「……ハリー・ポッターは殺さねばならない」
「ど、どうしてよ!?」
長々と児童書の内容を語り聞かせておいて、話がまったく繋がっていない。
そう、ハーマイオニーは思った。
「ハリー・ポッターは《死》に魅入られている」
グリンデルバルドは言った。
「ハーマイオニー。君は吟遊詩人ビードルの物語の内容を聞いて、どう思った?」
「どうって……、戦う事は死を招く事であり、人を蘇らせる事は魔法でも不可能であり、誰にも目を付けられないように慎ましく生きる事が大切だという教訓を訴えかける内容だと思うわ」
「ああ、児童書として読めば、そう感じる事も出来る」
「児童書としてって……、それは児童書なんでしょ?」
「ああ、児童書だ。だが、この物語には隠された真実が……いや、逆だな。明け透けにする事で読む者の目を眩ませている」
「どういう意味……?」
「この物語に登場する《ニワトコの杖》、《命の石》、そして、《透明マント》は実在する。その三つを合わせて、死の秘宝とも呼ばれている」
「実在するって……、お伽噺を信じているの?」
馬鹿にしたようにハーマイオニーはグリンデルバルドを見た。
けれど、彼は動じた様子も魅せずに懐から杖を取り出した。
「これがニワトコの杖だ。アルバスが持っていた」
「え?」
ニワトコの杖。あらゆる杖の中で最強の杖。
「この杖を使ったからこそ、わたしは君と共にホグワーツの敷地内で姿くらましが出来たのだよ。この杖の所有者は一時的にホグワーツの創設者の魔力を上回る事が出来るのさ」
「そんな……、まさか……」
信じ難い話だ。けれど、たしかにグリンデルバルドはハーマイオニーと共にホグワーツの敷地内である秘密の部屋から姿くらました。
「そして、これが命の石だ」
彼は指に嵌めた指輪をハーマイオニーに見せた。
「うそ……」
「本当だとも。わたしがずっと探し求めていたものでもある。皮肉な事だ。まさか、諦めた後に見つかるとは……。これはわたしに取り憑いていたヴォルデモートが所有していたものだよ」
「あなたに取り憑いていた……?」
「そうだ。競技場で暴れていたヴォルデモートの分霊はわたしの肉体を依り代にしていた。なにもかも諦めていたから、好きにすればいいと体を明け渡していたのだが、その間に色々と捨て置け無い事を知ったのでね。こうして、老体にムチを打っている」
「捨て置け無い事って?」
「言っただろう。ハリー・ポッターは《死》に魅入られているのだ。このままでは、世界は暗黒に包まれる」
「……あなたの言っている事、さっぱりだわ」
ハーマイオニーが吐き捨てるように言うと、グリンデルバルドは言った。
「死の秘宝が実在すると知った上で吟遊詩人ビードルの物語を思い出すがいい。どうやって、三兄弟は死の秘宝を手に入れたのだと思う?」
「……作ったのよ。その三兄弟が自らの手で」
彼女は言った。
「《死》は概念だもの。存在しない。彼らは死に抗う為に自らの力で秘宝を作った。それが全てよ。違う?」
「ああ、わたしもそうだと思っていた。少なくとも、ヌルメンガードに居た頃は」
「……どういう意味?」
「答えはシンプルだ。明け透け過ぎるから、見えていないだけなのだよ。吟遊詩人ビードルの物語は、ありのままを語っている」
「ありのままって……。まさか、《死》が秘宝を与えたとでも思っているの?」
「その通りだ、ハーマイオニー。それが真実なのだ」
ハーマイオニーは呆れ果てたように首を振った。
「バカバカしいわ。《死》は存在しないものよ」
「いいや、存在する。《死》とは、そう呼ばれた存在を示しているのだよ」
「《死》と呼ばれた存在……?」
「そうだとも。死の秘宝は13世紀にペベレル三兄弟が《死》と呼ばれる者から与えられた物なのだ」
グリンデルバルドは恐ろしげに語った。
「その者は死の呪文や分霊箱、血の呪いを考案した者でもある。その者は時代の節目に姿を現し、《偉大なる王》を求めている。君はアーサー王を知っているかね?」
「知ってるけど……」
「偉大なる英雄、アーサー王。彼の側近であるマーリンはホグワーツの卒業生だった」
「知ってるわ! ホグワーツの著名な卒業生という本に書いてあったもの。歴史上で最も有名な魔法使い。彼はスリザリン寮の卒業生でもあると書いてあったわ。……でも、アーサー王伝説は5世紀頃の話でしょ? 年代が合わないし、アーサー王の相談役だったマーリンとは別人だと思うわ。歴史の本ではよくある事だもの。複数の人が一人の人物のように語られる事なんて」
「さすがだな、ハーマイオニー。けれど、マーリンに関しては別だ。君の知っているアーサー王伝説はマグルの世界で知られているものであり、真実を聞きかじった者の創作だ。実在したアーサー王はもっと最近の人物なのだよ。そして、マーリンは彼の相談役だった」
「……それ、本当?」
ハーマイオニーは疑わしげにグリンデルバルドを見た。
「本当だとも。ヴォルデモートは……、正確には別の分霊だが、血の呪いを調査する上で《死》の存在にも触れていた。マーリンもまた、《死》だったのだよ」
「どういう意味……?」
「《死》は不定なのだ。同時期に二箇所でそれらしき存在が出現した時代もある。そして、いずれも《偉大なる王》を求め、破滅的な闘争を招いた」
「破滅的な闘争……」
ハーマイオニーはゴクリとツバを呑み込んだ。
いつの間にか、彼女は彼の言葉に聞き入っていた。
「《死》は今再び我らに牙を剥いている。ハリー・ポッターはペベレル三兄弟やアーサー王のようにかの者に魅入られてしまっている。今、彼を殺さなければ、大いなる惨劇が巻き起こる。《死》はどこまでも冷酷であり、慈悲というものがない。だからこそ……、わたしはアルバスを眠らせたのだ。傷つき続け、弱り果てた彼には、《死》と向き合い、戦う事など出来ない。そのような苦しみを味わわせる事など……、出来る筈がない」
グリンデルバルドは涙を零しながら言った。
その深い悲しみに、ハーマイオニーは思わず慰めの言葉を呟きかけた。
「彼が負う筈だったものをわたしが背負う。アルバスの代わりに、わたしが《死》と向き合い、戦おう」
彼は言った。
「より大きな善のために」