真実の報道
猿とか犬猫はフルチンだから、人間だけ特殊なのだが、われわれ人間には羞恥心が有り、フルチンで歩くのは許されず、それでいて、衣服の下の裸体に強い関心を抱いている。裸体に興味がないから服で隠しているのではなく、むしろ裸体の価値を高めるために服を着ている。松本人志が事実無根云々とか、名誉を高らかに謳うためにくだらない裁判をやっているのも、フルチンになりきれない人間の限界である。昨今は週刊誌への反感が広がっているように見えるが、これは実際には葛藤の表現であるし、むっつりスケベらしい口吻である。見たくない見たくない許せない許せないと言いながら週刊誌を立ち読みしている。人間にはプライバシーについての権利が一応あるのだが、これも裸体と衣服の関係のようなものであり、人殺しが人間の根源的な欲求だからこそ殺人罪が重いのと似ている。もちろん他人の家に土足で踏み込んだり、真相に迫るために暴力を振るってもいけないのだが、山上徹也が安倍晋三を射殺して、安倍晋三周辺がフルチンになってしまった件を考えると、プライバシーの尊さや命の大切さは、安倍晋三の醜悪さを隠す包装紙のようにも思える。さて、射殺しないで暴くのがペンの力であろうが、最も暴きやすいのが不倫である。松本人志も伊東純也も性加害についてはなんとも言えないが、女性をあてがってもらって不倫しているのは間違いなく、スポンサーという急所を突かれている。本来なら政治家の裏側をペンで突いてほしいが、なかなか難しい。そもそも取材すればなんでもわかるというのは幻想だし、リークしてきた人の話をそのまま書くのがジャーナリズムの役割なのである。安倍晋三の甘い蜜を吸っている人間がリークするわけがないし、密を吸ってなくても報復を恐れてリークなどしない。安倍晋三が死んだからこそ情報が漏れてくるのである。それに対して、芸能人と一晩を過ごしたとか、そういうのはリークされやすい。安倍晋三の存命中に安倍の裏側をリークしたら命がけだが、不倫の告発ならそうでもない。もしくは需要と供給の問題もあるし、政治家の利権の話で部数が稼げるか、というのがある。政治家が刑務所に入るレベルの案件なら関心を惹きつけるだろうが、ただの利権だと(不倫より重罪であっても)読む人がいないかもしれないのである。役人の天下りとか再就職の闇とか、そういうありふれた腐敗の記事が売れるか、というと疑問である。「不倫の記事ばかり」と怒っている人に対しては、「役人の腐敗の記事とかなら買いますか」と答えてあげればいいだろう。芸能人の不倫記事と神奈川県警の不祥事の記事だとどっちが売れるだろう、ということだ。