ジェイコブ・コワルスキーは確信していた。
たとえ、歯がすべて入れ歯になっていても、髪の毛が少なくなっていても、昨日食べた夕飯のメニューが思い出せなくなっていても、それでも自分が幸福である事に疑いの余地はないのだと。
彼は今年で94歳になる。十分過ぎるほど長く生きた。
子供達は一人残らず自立して、妻には先立たれ、今では孫が継いでくれたパン屋の工房の二階で新作パンを考えながら迎えが来る日を待っている。
「……なんと」
新作のパンを店長である孫に品評してもらおうと一階に降りていくと、そこには一人の男がいた。
青いコートを着た、不思議な雰囲気を持つ二十代くらいの青年だ。その姿を見た途端、ジェイコブは七十年前にタイムスリップしてしまったかのような気分になった。
忘れもしない、人生の転換期。スティーン・ナショナル銀行で出会った青年、ニュート・スキャマンダー。彼と出会い、ジェイコブは魔法の世界を知り、魔法生物の存在を知り、幾度も大冒険を繰り広げた。
しがないマグルでありながら、彼は偉大なるニュート・スキャマンダーの無二の親友であり続けてきた。
「ついに迎えが来たか……」
その青年の姿は紛れもなく若き日のニュートだった。けれど、彼も今年で97歳になる筈だ。その姿は理屈に合わない。
だから、ジェイコブは彼が死神の代わりに自分を迎えに来てくれたのだろうと確信した。
死を前にしても、彼の心には一滴の恐怖も無かった。むしろ、ニュートの迎えを喜んだ。またもや大冒険が待っていそうだと、胸を躍らせた。
「ああ、ジェイコブ。迎えに来たよ」
「ありがとう、友よ。しかし、あれだな。君はいつの間に死んでいたんだ? 水臭いじゃないか。葬式くらい呼んでくれよ」
「ジェイコブ、結婚式じゃないんだから……。それと、僕はまだ死んでないよ」
「死んでない? ッハ! いやいや、騙されないぞ! 死んでないなら、なんで若いんだよ! 肌もピチピチ! ニューヨークで会ったばかりの頃の君じゃないか!」
ジェイコブの言葉にニュートは微笑んだ。
「いいから、これを飲んで」
そう言うと、ジェイコブの口元に中身の見えない銀製の酒瓶を押し付けてきた。
「お、おい、酒は控えてるんだぞ!?」
抵抗虚しく、ジェイコブは酒瓶の中身を飲んでしまった。すると、体中に不思議な活力が漲り始めた。
暖かくて、心地よい。まるで、湯船にじっくりと浸かっているかのような気分だ。
しばらくすると、ぼやけがちになっていた視界が一気にクリアになった。驚いて辺りを見回せば、足元には入れ歯が落ちている。それなのに、歯はしっかり口の中にある。
わけがわからなくて頭を掻こうとすると、そこにはふさふさな髪があった。
ジェイコブはおそるおそる近くの鏡を見た。そこには若き日のジェイコブ・コワルスキーの姿があった。
「若返ってる!?」
「ああ、フラメルさんにちょっと命の水を貰ってね。それを材料に調合した魔法薬なんだ。それより、さあ!」
ニュートはジェイコブの手を掴んだ。
「冒険の時間だ、ジェイコブ。来てくれるだろ?」
ニュートの来てくれる事をまったく疑っていない笑顔を前に、ジェイコブはやれやれと笑った。
「もちろんさ!」
ジェイコブは工房に声を掛けた。
「バジル! エミリーさん! ちょっと冒険に行ってくる!」
ウキウキしながら中からの返事も待たずにジェイコブはニュートの伸ばしてくる手を掴んだ。
そして、二人は久しぶりの大冒険へ出かけるのだった。
第四十三話『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅・Ⅰ』
クリスマス休暇の初日、ハリーはルーナ、ロルフと共にマクゴナガル邸にいた。
「ニュートが渡航許可証を手に入れてくれたから海外にも行く予定なんだ!」
ハリーはこれから始まる大冒険についてマクゴナガルに嬉しそうに語った。ロルフは今年の一年生だから彼女が教師だった事を話にしか知らなかったけれど、一年教わったルーナは不思議な気持ちでその光景を見つめていた。
「ミスタ・マルフォイは誘わなかったの?」
常に二人一組で行動しているドラコが不在である事にマクゴナガルは疑問を抱いた。
「あまり人数が増えると動きにくくなるから、今回はボク達だけで行くんだ。ドラコもちょっとした用事があるらしくてね」
話していると、ノックの音が響いた。どうやら、ニュートが到着したらしい。彼の親友も連れてくるという事でハリーは楽しみにしていた。
我先に迎えに行くと、そこには見覚えのない男性が二人立っていた。
「……だ、だれだ?」
「ハリー、僕だよ。ニュートだ」
ハリーは目を白黒させた。ルーナも、ロルフも、マクゴナガルも同じような表情を浮かべている。
「ニュ、ニュート!?」
「先生!?」
「おじいちゃん!?」
「どういう事ですか!?」
四人の驚く表情に、まるで悪戯を成功させた子供のような笑顔を浮かべ、ニュートは言った。
「魔法生物を探しに行く時はいつも特別な若返り薬を使っているんだ。97歳のままだと軽快に動けないからね」
「な、なるほど」
それからニュートは後ろにいる小太りな男をハリー達に紹介した。
「彼はジェイコブ・コワルスキー。僕の旧い親友なんだ。マグルだけど、グリンデルバルドと対峙した事もあるんだ」
「グリンデルバルドって、あの!?」
ハリーはジェイコブをまじまじと見つめた。するとジェイコブは照れたようにはにかんだ。
「よ、よしてくれよ、ニュート。対峙したなんて、あれはクイニーを取り戻す為で……」
「謙遜しなくていいよ。ジェイコブは勇敢で、頼りになるって事をみんなに伝えたかったんだ」
そう言うと、ニュートはポケットから大きな紙を取り出した。
「さて、旅の計画について話そう。ナーグルはヤドリギに棲んでるって話だったよね? だから、まずは群生地に行く」
ヤドリギ自体は珍しいものではなく、探そうと思えば、どこにでもある。
ポプラやリンゴ、白樺、ハシバミ、洋ナシ、桜の樹などに寄生している。
「ただ、ナーグルは花の咲く時期にだけ現れる存在かもしれないから、とりあえず一日だけ調査して、見つからなかったら出直そう。ヤドリギの花が咲くのは2月から5月の間だからね。しわしわ角スノーカック探しをメインに据えよう」
ニュートは大きな紙を杖で叩いた。すると、そこには巨大な地図が浮かび上がった。
そこにいくつもの赤いマークが現れる。
「ルーナの話を聞いて、可能性の高い場所をリストアップしておいた。スノーカックはとてもサイズが大きくて、雪国に棲んでいるみたいだからね。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドを回ってみよう」
ハリー、ルーナ、ロルフ、ジェイコブの三人が元気よく返事をすると、ニュートはニッコリ微笑んだ。
「さあ、出発だ!」
◆
最初の目的地、ノルウェーまではマグルの飛行機で移動した。
海外への姿現しには面倒な手続きが必要な上に、よく面倒事の切っ掛けになるからだ。
マグルの世界にいたハリーにとっても飛行機に乗るのははじめての事で、ルーナやロルフも戸惑いがちだった。
「大丈夫さ。飛行機はちっとも怖くないんだ。ちゃんと科学で計算された乗り物だからね」
不安そうな子供達を心配して、ジェイコブは飛行機の仕組みについて熱心に語り聞かせた。彼は二度に渡る世界大戦を経験していて、戦闘機に乗った事もある。飛行機のメカニズムにも精通していた。
ジェイコブの陽気でユーモラスな性格は子供達の心を掴んだ。
「ニュートはいい先生だろ? 分かるんだ。時々無茶な事もするけど、一緒にいて、こんなに愉快なヤツはいない! 君達にとってもそうなんだろ?」
「あー……、ジェイコブ。恥ずかしいから、僕の事をあまり語らないで……」
照れるニュートに子供達はニヤニヤした。
ジェイコブはニンマリと笑みを浮かべると、更にニュートとの出会いが自分に与えた影響の大きさをみんなに語った。
「……本当に、ニュートと出会えた事は俺にとって……、人生最大の幸運だよ」
「ははっ……、クイニーに怒られちゃうよ。それに、それを言うなら僕だって……」
ニュートは過去に思いを馳せた。
「普通のマグルじゃない。ううん。普通の魔法使い以上だった。僕のトランクの中を見て怖がったりしないし、力を貸してくれた」
「怖がるもんか、あんな……、
語り合うニュートとジェイコブをハリーは羨ましく思った。
彼らは互いをこれ以上ないくらいに認め合っている。その出会いを生涯の宝物と思っている。
「さあ、到着だ」
飛行機が着陸すると、五人はノルウェーに降り立った。
◆
「それで、どこに行くの? おじいちゃん」
ロルフが尋ねると、ニュートはポケットからキーホルダーを取り出した。
そして、時計を見た。
「あと五分。みんな、手をつないで」
言われた通り、ロルフはニュートとルーナ、ルーナはもう片方の手でハリー、ハリーはジェイコブ、ジェイコブはニュートと手をつないだ。
そして、ハリー達を中心に世界がぐるぐると回り始めた。
気がつくと、そこには一人の青年が待ち構えていた。
「やあ、チャーリー。久しぶりだね」
「どうも、スキャマンダーさん。今日は若いんだね」
ニュートは青年と握手を交わすと、彼をハリー達に紹介した。
「彼はチャーリー・ウィーズリー。ドラゴンの研究をしているんだ。普段はルーマニアの生息域で働いているんだけど、ノルウェー・リッジバックの卵がロンドンで密輸されている事が分かって、彼がノルウェーの生息域に届けて、今年中は面倒を見ようとしてるって聞いてね。ここは雪国だし、ドラゴンの生息域は調査が完全じゃないから、しわしわ角スノーカックもここにいるかもしれないと思ったんだ。だから、彼に案内を頼めないかって手紙を送ったんだよ」
「偉大なニュート・スキャマンダーすら知らない生物なんてワクワクするよ! 是非、協力させて欲しい」
ニッカリ笑うチャーリーに、ハリーはもしかしてと思った。
「あなたはロンのお兄さんですか?」
初めて会った日、ロンは言っていた。
―――― ビルにチャーリー、パーシー、ジョージとフレッド。おまけに妹が一人。
「そうだよ! 君の事はロンやパーシーから聞いてた。ずっと会ってみたかったんだ、ハリー」
日に焼けた肌、筋骨隆々の肉体、到るところに散らばる傷跡。
チャーリーはロンやパーシーと比べると、実に野性味溢れる男だった。
「さあ、とりあえず! 折角来たんだから、ドラゴン達に挨拶してやってくれ!」
チャーリーが広げた手の先を見ると、そこには山岳地帯が広がっていた。そして、その上空を巨大なドラゴン達が飛び交っていた。
はじめて目にするドラゴンの姿にハリー達は口をポカンと開けながら魅入られた。
「ははっ、これだよ、これ! いよいよニュートとの冒険っぽくなってきた!」
「ぽく、じゃないだろ、ジェイコブ。冒険だ!」
ジェイコブとニュートもドラゴンの勇姿を前にテンションを上げていた。