土砂降りの雨の中、今年度のクィディッチシーズンの最初の試合が始まろうとしていた。
ドラコはニンバス2001を握り締めながら競技場へ向かっていく。対戦する相手はグリフィンドールだ。
【さあ! グリフィンドール対スリザリンの試合がもうすぐ始まろうとしています!】
嵐にも負けじと叫ぶ、リー・ジョーダンによる実況の声が聞こえてくる。
【今回の目玉はなんと言っても、我らがグリフィンドールチームの新シーカー、ジネブラ・ウィーズリーです!!】
「ジニー!?」
ドラコは豪雨の中、グリフィンドールのユニフォームを纏ったジニーが競技場に現れるのを見て、目を丸くした。
「ッハ! 我らがドラコの敵ではない! 軽く捻ってやれ!」
キャプテンのマーカス・フリントの激励を受けながら、ドラコは箒に跨った。
突風によろめきそうになる。降り注ぐ雷鳴は観客達の声援すら掻き消している。
他の選手よりも高い場所で、彼はジニーと睨み合う。
「……まさか、君がシーカーとは驚いたな」
「あら、意外かしら?」
その口調にドラコは違和感を感じた。
彼にとって、ジニー・ウィーズリーという少女はすぐに顔を真っ赤にしてしまうシャイな女の子だった。
けれど、目の前の彼女は嵐にも怯まずに鋭い眼光を投げかけてくる。ハリー、ハーマイオニーにも引けを取らない覇気を纏っている。
「もしかして……、そっちが素なのかい?」
「そっちって? わたしは元々こうだけど?」
自信に満ち溢れた表情と声。普段の彼女との落差にドラコは薄く微笑んだ。
ドラコにとって、二面性のある人間は珍しくなかった。
むしろ、ハリーやハーマイオニーのように裏表の無い人間の方が稀だった。
「……それより、賭けをしない?」
「賭け?」
ジニーは頷いた。
「わたしがアンタに勝ったら……、わたしに協力してもらうわ!」
何に協力するのかなど、ドラコは聞かなかった。興味も無かった。
ただ、《わたしがアンタに勝ったら》という言葉が気に入らなかった。
「……この僕に勝つつもりか? ジニー・ウィーズリー」
「当然よ。でも、一応は聞いてあげる。アンタが勝ったら、何をして欲しい? 何だって構わないわよ」
「《生意気な事を言ってごめんなさい》と言え」
「……はぁ? そんな事でいいの?」
「ああ、それでいい」
ドラコは闘志を燃やした。
昨年、ドラコは誰にも負けなかった。常にスリザリンに勝利を齎し続けてきた。
その自信と誇りに掛けて、年下の生意気な女の子に負けるわけにはいかなかった。
なにより、ハリーとの約束がある。
―――― 負けんなよ。六年間、一度だって負けるな! 全戦全勝だぜ!
その約束を破るわけにはいかない。
【それでは、試合開始です!!】
第三十八話『ジニー・ウィーズリー』
赤い髪を靡かせながら、ジニーはフィールド全体を俯瞰していた。
彼女の跨っている箒は型落ちのニンバス2000。兄達がお小遣いを出し合って購入してくれた物だけど、ドラコのニンバス2001には性能面で劣ってしまう。
だからこそ、後手に回るわけにはいかない。
ドラコ・マルフォイという男の試合を一年通して見続けて分かった事がある。彼には才能なんて無い。彼の動きは教本の域を出ていない。
それでも彼が勝利出来ているのは箒の性能が大きい。
「……基本に忠実な分、箒の性能差というアドバンテージが活きるんだわ」
つまらない勝ち方だけど、手堅い戦法でもある。そして、それを可能とする為に必死に練習を繰り返したのだろう事は、同じクィディッチの選手として、動きを見ていれば分かる。
だけど、負けるわけにはいかない。ジニーは箒を握る力を強めた。
「わたしには彼の協力が必要なのよ……。年下のわたしが、対等な存在として接し続けてきた女に勝つためには……」
彼女の脳裏に浮かぶのはホグワーツ特急での一幕だ。
ハリーを守ろうとしたハーマイオニー。彼を看護する彼女。
不覚にも、彼らはお似合いだと思ってしまった。仲睦まじい関係なのだと誤解しそうになった。
だけど、彼らはまだ付き合っていない。その事は調べがついている。
まだ、付け入る隙はある。
「だから、この試合は絶対に勝つわ!」
◆
試合が進んでいく。選手達はびしょ濡れになり、芯まで凍えながら戦っている。
雨はどんどん激しさを増していき、試合は泥沼化している。なにしろ、数メートル先すら見通せず、辛うじて緑と赤の輪郭がぼやけて見える程度なのだ。
避ける事も防ぐ事も儘ならない。それどころか箒の制御自体が困難になり始めていた。
その時、マダム・フーチの笛の音がフィールドに鳴り響いた。グリフィンドールがタイムアウト*1を要求したのだ。
その機に乗じて、フリントもスリザリンのチームを呼び集めた.
「スコアはどうなってるんだ!?」
ドラコが聞くと、フリントは顔を顰めた。
「向こうに20点のリードを許してしまっている……」
苦々しい口調で彼は言った。
「ほとんど運のようなものだ」
グラハム・モンタギューが苛々した口調で言う。
「この雨だぞ! まともに試合なんか出来ない!」
「ドラコ。出来るだけ急いでスニッチを取ってくれ! このままだと試合がどう転ぶか分からない」
「ああ、分かった!」
◆
タイムアウトが終わる。
再び空に上がったドラコはジニーと擦れ違った。おそらく、彼女もキャプテンのオリバー・ウッドに発破をかけられたのだろう。
集中力が明らかに増している。鷹の如く、鋭い視線をフィールド中に巡らせている。
「……油断は出来ないか」
ドラコは気を引き締めた。
そして、遂に競技場の上空に金色の光が現れた。
「見つけた!!」
先に動いたのはジニーだった。けれど、ドラコもすぐ後に追跡を開始した。
ジニーが得られたアドバンテージは僅かなもので、ドラコにとっては無いに等しいものだった。
ドラコがジニーに追いついた瞬間、スニッチは観客席へ潜り込んだ。生徒達が悲鳴を上げる。そして、ジニーとドラコは躊躇う事なく観客席に飛び込んでいった。誰かにぶつかれば大惨事であり、スニッチも見失ってしまう。
僅かなミスが命取りのキルゾーンへ入り込んだ二人は人混みを箒の全速力を維持したままかき分けていく。
すると、スニッチは観客席から飛び出して、一気に急降下を始めた。
ドラコとジニーも追いかける。
スニッチと共に地面が近づいて来る。
「勝つ!! 勝つ!!」
ジニーの声はドラコの心の声だった。
勝利を渇望し、恐怖心を封印している。セーフティーラインは既に超えていた。あと数秒以内に箒を持ち上げて水平移動に切り替えなければ地面に叩きつけられてしまう。
死の恐怖が二人に襲いかかった。
「……クッ!」
ジニーは悔しげに箒を持ち上げた。
そして、ドラコは更に死へ踏み込んだ。
「勝者は僕だ!!」
ドラコは瀬戸際で箒を持ち上げた。強靭な材質のニンバス2001が軋みを上げ、地面スレスレ数センチの所で水平移動に移行した。
ドラコは箒の上に立ち上がり、スニッチに手を伸ばす。
そして――――、
【ドラコ・マルフォイがスニッチを獲得!! スリザリンの勝利です!!】
リー・ジョーダンが叫ぶ。常日頃、グリフィンドールを贔屓する形で実況している彼も、ドラコの死に挑むような勇気に称賛の言葉を贈った。
「……ドラコ」
ジニーが近づいてきた。悔しそうに顔を歪めている。
「生憎だったな、ジニー。死は僕にとって親愛なる隣人なんだよ」
ドラコは去年、親友に殺されかけた事がある。そして、それからも《
恐れがないわけではない。それでも、彼は一度乗り越えた。その経験は彼を類稀な勇気の持ち主に鍛え上げたのだ。
「ぐぬぬ……」
実に悔しそうな表情を浮かべるジニー。
「僕の勝ちだ、ジニー」
ドラコの言葉にジニーは可愛い顔をグシャグシャに歪めながら震えた声で呟いた。
「な……、なま……、生意気な事言って……」
言いたくない気持ちが実によく伝わってくる。
ドラコは苦笑した。
「いいよ、言わなくて」
「……え?」
ジニーはキョトンとした表情を浮かべた。
「賭けはチャラにしてやるよ。だけど、あんまり生意気な事を言うもんじゃないぞ。そこは注意しておくからな。あと、協力して欲しい事ってなんだ?」
「ほえ!? ど、どうして!?」
ドラコはやれやれと肩を竦めた。
「協力して欲しい事があるなら、素直にそう言えばいい。ものによるが、相談に乗るくらいはしてやるよ」
「……あ、ありがとう」
ドラコはクスリと笑うと仲間の下へ向かって行った。
◆
数日後、ドラコはジニーに呼び出された。
誰もいない無人の教室で、ジニーは実に深刻そうに切り出した。
「……どうしたら邪魔者を排除して、ハリーを手に入れられるのかしら?」
「これは恋愛相談でいいんだよな……?」
ドラコは一応確認しておいた。
「当たり前でしょ?」
キョトンとした表情を浮かべるジニーにドラコは少し頭が痛くなった。
「邪魔者ってのは、もしかして、ハーマイオニーの事かい?」
「そうよ!」
バシンと机を叩いてジニーは言った。
「あの女! 事ある毎にハリーに絡んで! 二人が付き合ってるみたいに言う人までいるのよ! ハリーだって迷惑してる筈だわ!」
ドラコは軽率に相談に乗ってしまった事を後悔した。
「……ジニー。悪い事は言わない」
「な、なによ……!」
ドラコは優しい表情で言った。
「諦めろ。付き合ってはいないが、もう秒読み段階に入ってるぞ」
ジニーはやり場のない感情を机に向けた。バンバンと叩かれて痛そうだとドラコは思った。
「あの二人は一年の頃から張り合っていたからな。時には助け合ったりもして、お互いの事を誰よりも認め合っている。多分、付け入る隙なんて無いぞ」
無駄だと分かっている事に労力を割くよりも、新しい恋を見つけて建設に生きた方が有意義だろうと、ドラコは善意から言った。
「わからないじゃない!! 付き合ってないんだから!! 先にゲットした方が勝ちなのよ!! わたし、まだ負けてないもん!!」
ガルルと猛獣のように威嚇してくるジニーに《怖っ》と思いながら、ドラコは渋い表情を浮かべた。
「どうしてもって言うなら協力するけど、後で悲しい思いをするだけだぞ?」
「うるさい! そんな事……、そんな事、無いもん……」
唇を噛み締めながらウルウルと瞳を濡らし始めたジニーにドラコは深くため息を零した。
「分かった。オーケイ、ジニー。協力してやるよ。だから、泣くのは勘弁してくれ」
「……ありがと」
ドラコとしては、ハリーにはハーマイオニーの方が相応しいと思えた。ローゼリンデが虐められていた事を知った時、自分を含めて誰も止められなかったハリーの暴走を唯一止めた女傑。
彼女以外にハリーと並び立てる女など居ないだろう。
だけど、協力すると言ったからには全力を尽くさなければならない。
―――― 決めた事を途中で放り出す事はかっこ悪い事だ。
誇りにかけて、一度口にした事は違えない。
「とりあえず、ハリーと接点を増やした方がいいな」
「ど、どうすればいいの?」
「決まってるだろ」
ドラコはジニーの手を取って、図書館に向かった。そこには先に来ていたハリーとローゼリンデの姿があった。
「遅かったな、ドラコ。ジニーも一緒とは珍しいな」
「ど、どうしたの?」
キョトンとした表情を浮かべる二人にドラコは言った。
「ジニーも勉強を見て欲しいそうだ」
「へ? あっ、はい! そうです!」
「別に構わないが……」
ハリーはそっと図書館の片隅に視線を向けた。そこにはハーマイオニーがいて、ガビーンとショックを受けていた。
「わ、わたし、ハリーに教えてほしいんです!」
「お、おう」
ハーマイオニーは机に突っ伏した。
ドラコは心の中で彼女に謝った。二重の意味で……。