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# 長崎県「床山仁(とこやまひとし)くん失踪事件」1969.2.23

< 事件のあらまし >
1969年(昭和44年)2月23日(日)、床山仁くんは14時過ぎに制服を着て、制帽をかぶり自宅を出た。その日の天気は晴れていたが、夕方から雨模様の予報で2月下旬ということもあり気温もお昼は10度前後であった。そのまま床山くんは忽然と姿を消すこととなる。床山くんの失踪当日、18時30分ころに床山くんの制帽をもった男性(当時24歳)が床山家を訪れた。その男性は家族に「この制帽の持ち主に現金を奪われた」と話したという。翌日24日(月)のお昼過ぎに、父親宛てに床山くん直筆の手紙が届いた。その内容は、前日に床山家を訪れた男性の話と一致しており、強盗を詫びる文章になっていた。この手紙を最後に床山くんの行方が分からなくなっており、2017年(平成29年)現在も発見されていない失踪事件(未解決事件)である。
校舎
< 関係者/登場人物 >
【失踪者の父親】 氏名年齢不明
【失踪者の母親】 氏名年齢不明
【長男】 床山仁くん(当時中学二年生)
【クリーニング店の店員】 氏名不明(当時24歳)

< 失踪者/被害者情報 >
【氏名】 床山仁(とこやまひとし)くん
【性別】 男性
【当時の年齢】 14歳
【現在の年齢】 62歳
【身長】 168cm
【体重】 55kg
【生年月日】 1955年(昭和30年)月日不明
【血液型】 不明
【当時の住居】 長崎県佐世保市内
【最寄駅】 不明

< 重要参考人情報 >
【氏名】 不明
【性別】 男性
【年齢】 24歳
【身長】 155-160cm
【体重】 58kg
【血液型】 不明
【職業】 クリーニング店員
【当時の住居】 長崎県佐世保市内
【最寄駅】 不明
032  
< 事件発生場所 >
長崎県佐世保市内の県道にて、走行していたバイクが脱輪し側溝に転落した。その場所でクリーニング店員が床山くんによって現金入りのジャンパーを強奪されたという(詳細は後述)。
※地名番地は不明である。

< 事件詳細 >
(時系列)
1. 1969年(昭和44年)2月23日(日)14時を少し過ぎたころに、床山くんが制服と制帽姿で「ちょっと街まで行ってくる」と言って外出した。
※特に変わった様子はなかったと母親が証言している。

2. その日の夜18時30分ころ、クリーニング店員の男性が床山くんの制帽を持って床山家を訪れた。
※母親の証言による。

3. その男性の話によると「この制帽を持ち主にお金を奪われた」という。そして、その制帽に書かれている名前を頼りにこの家にやってきたという。
※詳細は3-1.から3-7.の通りである。
 3-1. 15時30分ころ、市内の県道の側溝にバイクが脱輪していた。
 3-2. そのバイクを助け出そうとして二人の少年が手伝っているところだった。

 3-3. それを目撃した自分も手伝おうとして、来ていたジャンパーを脱いで道路脇に置いて三人でバイクを助け出そうとした。

 3-4. すると二人の少年のうちの一人が、先ほど道路脇に脱いで置いていたジャンパーを持って走って逃げて行ってしまった。
 ※ジャンパーの内ポケットには46万円入っていた。
 ※金額はジャンパーを盗まれた男性の証言による。


 3-5. それに続いてもう一人の少年も走って逃げだした。

 3-6. 逃げ遅れた少年を追いかけ、ズボンのポケットに挟みこんであった制帽を奪い取った。

 3-7. 結局二人とも取り逃がしてしまったが、奪った制帽に書かれていた名前を頼りにこの家までたどり着いた。

4. 男性が訪ねてきて応対に出た母親がその話を聞き、驚いて制帽を確認したところ確かに床山くんのものであった。
※母親の証言による。

5. 床山家が近くの交番に事情を話したところ、捜査員が駆けつけ事情聴取を行い、警察は「誘拐」と断定した。
※長崎県佐世保警察署の発表による。

6. 翌日24日(月)から警察は公開捜査とし、大掛かりな山狩り、佐世保市内の捜索や通行人への聞き込み、目撃者の捜索も行ったが全く手掛かりは得られなかった。

7. 同日お昼ころ、床山くんの父親宛てに床山くんから「強盗事件」を詫びる内容の手紙が届いた。
※手紙は床山くん自筆のものであったと父母ともに証言している。
※この手紙が「郵送」されたものか直接「自宅の郵便受けに投函」されたものかは不明。

8. 重要参考のクリーニング店員を重点的に取り調べたが決め手がなく、未解決のままとなっている。

(関連情報)
1. クリーニング店員の男性は、この事件の前年(1968年(昭和43年))の秋ころまで「少年刑務所」乃至は「少年鑑別所」に収監されており、この事件のころは約2年ぶりの仮出所中であった。
※この男性が収監されていた「少年刑務所」「少年鑑別所」は不明。
2. この男性は仮出所前に仕事を紹介され、長崎県佐世保市内のクリーニング店に就職していた。
※兄弟の有無は不明である。
3. この男性は家族(父母)と一緒に生活していた。
※兄弟の有無は不明である。
4. この男性の46万円はもともと自宅にあったものだった。本人によれば「その現金は家の床下に埋めていたもの」だったという。
※男性本人の証言による。
※このお金の出所は家族も知らなかった。
5. この男性が床山家を訪ねてくる前に、別の男性三人組が訪れている。
※クリーニング店員の男性とこの男性三人組との関係は不明である。
6. 警察はこの男性を重要参考人として取り調べし「ポリグラフ検査」(所謂、嘘発見器)にもかけたが決定的な証拠を得ることはできなかった。

< 床山くんの手紙 >
床山くんの手紙
< 疑問点/不明点 >
● 警察がクリーニング店員の男性が現金入りのジャンパーを奪われた現場を検証したところ、バイクが側溝へ落ちた形跡が発見されなかった。
● クリーニング店員の男性が現金入りのジャンパーを奪われる事件を目撃した人がいなかった。
※人通りもあり、時間もまだ15時から16時にかけての明るい時間帯であったにもかかわらず目撃証言が得られなかった。
● この事件の前年秋ころまで「少年刑務所」乃至は「少年鑑別所」に収監されていた人間が、46万円もの大金をどのように得たのかは不明である。
※仮出所後、クリーニング店で数カ月勤務しただけであり、仕事で得た収入ではないことは明白であった。
※事件当日は日曜日であり、銀行から引き出したということもあり得ない。
● 床山くんがどのようにしてクリーニング店員が大金を所持していると知ったのかが不明である。
※床山くんと共犯のもう一人の少年も誰なのか分かっていない。
● 床山くんの父親宛てに届いた手紙は「強制的に書かされたもの」ではないかという疑いがある。
※書き出しの「前略」から、表現そのものも中学二年生の言い回しとしては不自然である。
※床山くんの両親も、手紙の内容に違和感があると証言している。

< その他 >
◆ 1970年(昭和45年)の春ころ、床山家は佐賀県藤津郡太良町(さがけんふじつぐんたらちょう)へ転居した。
※床山くんは家族の引越先を知らない。
◆ 重要参考人のクリーニング店員は、この件のあと関西方面(大阪府、兵庫県、奈良県)へ転居し、その後所帯を持って二児の父親になっている。
※関西方面を中心に各地を転々としていた。
◆ のちにジャーナリストの取材を受けている。

< ジャーナリストとの会話>
この事件を取材していたジャーナリストが、この元クリーニング店員の男性の取材に成功している。そのときの会話の内容はおおよそ以下の通りである。

ジャーナリスト「床山くんに奪われたお金は当時でも相当な額の金額だったはず。どこから入手したものだったのか?」

クリーニング店員「お金の出所はいまは言えない。正直に話すと自分に不利になるが、いつかは話さないといけないとは思っている。」

ジャーナリスト「今話してくれないか?無理か?」

クリーニング店員「自分は情にもろいところがあるからそう言われれば話したくなる。しかし、話してしまったら警察のメンツが立たなくなる。」

ジャーナリスト「率直に言うと、あなたが大金を持っていることに床山くんが気がつくはずがないと思うが、それについてはどう思うのか?」

クリーニング店員「ジャンパーの上着の中だから見えるはずがない、確かにそれは不思議な話だと思う。」

ジャーナリスト「ところで、辛うじて床山くんの制帽を奪ったそうだが、そのときの少年の背格好はどうだったか?」

クリーニング店員「自分と同じくらいだったと思う。あるいは自分よりもう少し背が高かったかも知れない。」

< 考察 >
当時の新聞記事や雑誌等を調べてみると、全体的な論調としてはこのクリーニング店員の男性による犯行であると推測する内容が多い。警察もこの男性による犯行であると確信していたと思われるが、この男性による単独犯とするには時間的に無理が生じる。事件当日の14時過ぎに床山くんが自宅から出て、仮にその後、床山くんを拉致をしたとしても、車も持っていな人間が単独で拉致を実行してどこかに床山くんを監禁し、床山くんに手紙を書かせて、自分で床山家を探して尋ねるには時間が足りない。警察も共犯の可能性を示唆している。しかしながら、証拠がまったくない。
この元クリーニング店員の男性の犯行ではないということではなく、単純にこの男性を「検挙するだけの証拠がない」ということである。不可解な点が多いことは事実であり、当然ながら警察もそのことには気が付いており、そもそも「このひったくり事件はなかったのでは?」と、事件報告直後から疑っていた捜査員が多かったのも事実である。

ところで、床山くんの家族の共犯説が噂されているが、この理由は事件の翌年に床山家が佐賀県に転居していることにある。つまり床山くんの帰宅を待つ家族が翌年に転居するということは、床山くんは帰宅しても自宅はなく、家族の転居先も知らない。また、仮に家族が共犯であるとすれば真っ先に思いつくのが「保険金」であるが、遺体が発見されない限り保険金の支払いもあり得ない。床山くんに高額の保険金が懸けられていたという事実もないとなると、家族がこの事件に加担するメリットが見当たらない。しかしながら、家族は突然引っ越ししてしまう。実際のところ、子供の失踪事件の場合、転居せずにそのまま我が子の帰宅を待つケースが圧倒的に多い。北朝鮮による拉致被害者を救援活動をしている「救う会」のHPでも床山くんの名前は見当たらない。

蛇足ではあるが、このクリーニング店員の男性は関西方面へ転居し、結婚して二児の父親となっている。21歳から22歳ころにある事件を起こして「少年刑務所」乃至は「少年鑑別所」に収監されていた。収監されていた施設が仮に「少年刑務所」であるとすると、九州地方には少年刑務所は一か所しかない。「佐賀少年刑務所」がそれである。佐賀少年刑務所以外で九州から近い施設は「姫路少年刑務所」と「奈良少年刑務所」である。このどちらかに収監されていたとすると、関西方面に土地勘があるため、そこへ身を寄せることも理解できる。なお「奈良少年刑務所」は2017年(平成29)3月末で閉鎖され、2016年度に重要文化財に指定され2020年に商業ホテルとしての開業が予定されている。

(少年刑務所)
・函館少年刑務所(北海道函館市金堀町6-11)
・盛岡少年刑務所(岩手県盛岡市上田字松屋敷11-11)
・川越少年刑務所(埼玉県川越市南大塚6-40-1)
・松本初年刑務所(長野県松本市桐3-9-4)
・姫路少年刑務所(兵庫県姫路市岩端町439)

・奈良少年刑務所(奈良県奈良市般若寺町18)※2020年に「赤レンガホテル」として開業予定
・佐賀少年刑務所(佐賀県佐賀市新生町2-1)

< 参考文献/引用サイト一覧 >
(参考文献)
朝日新聞デジタルSELECT(2017)『そして、犯人は、逃げっ切った』朝日新聞
(引用サイト)
「救う会」(北朝鮮による拉致被害者
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